学位論文要旨



No 112953
著者(漢字) 藤本,康之
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,ヤスユキ
標題(和) 昆虫由来新規システインプロテアーゼ、26・29kDaプロテアーゼの1次構造に関する研究
標題(洋)
報告番号 112953
報告番号 甲12953
学位授与日 1997.07.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第811号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 橋本,祐一
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨

 生体の主要な構成成分である蛋白質は、生命が運営されていく上でたえず合成と分解をつづけており、変化の状態、あるいは、動的な平衡の状態におかれている。それゆえ、蛋白質の代謝は生命の営みそのものとさえ言えるほど重要である。この蛋白質代謝においてプロセッシングと、分解除去の過程を担っているのがプロテアーゼと呼ばれる酵素群である。プロテアーゼは主にセリンプロテアーゼ、システインプロテアーゼ、アスパラギン酸プロテアーゼ、メタロプロテアーゼの4つのグループに分類される。これまでのプロテアーゼの研究は生化学的な取り組みやすさから主に哺乳類と植物を用いておこなわれてきた。哺乳類を用いた研究により、セリンプロテアーゼとシステインプロテアーゼがそれぞれ細胞外と細胞内で重要な役割をしていることが示されたのはその大きな成果といえる。しかし近年、センチニクバエ(Sarcophagaperegrina)から見いだされたカテプシンLやカテプシンB(システインプロテアーゼに属する代表的な酵素)が分泌型酵素として発生過程に機能することが示され、システインプロテアーゼが細胞外でも機能することが提示された。この新たな発見に関しては、昆虫のプロテアーゼに着目したことの意義が大きい。

 さらに、このセンチニクバエに着目することで、新たなシステインプロテアーゼとして、26・29kDaプロテアーゼが見いだされた。このプロテアーゼは既知のシステインプロテアーゼとは異なり、次のような2つの特徴を有していた。(1)26kDa及び29kDaの2つのサブユニットから構成されている。(2)幼虫体内への異物注入により体液細胞から体液中に分泌され、生体防御にはたらくと考えられる。このように、26・29kDaプロテアーゼが構造的にも機能的にも、これまでにない新しいプロテアーゼと考えられたので、このプロテアーゼを研究することで、プロテアーゼの新たな側面にせまりうることが期待された。そこで、今回私はこのプロテアーゼの解析の一環として、まずcDNAクローニングをおこない、その1次構造を明らかにした。次いで、このプロテアーゼの性状を知る目的で基質特異性について考察し、また、発現時期を調べた。さらに、このプロテアーゼが他の生物にも保存されているかどうかを知るために、ホモログの単離をおこなった。

(I)26・29kDaプロテアーゼは1つの前駆体蛋白のプロセッシングによってつくられる。

 はじめに、26kDa、29kDaのそれぞれのサブユニットの部分アミノ酸配列を決定した。つぎに、26kDaサブユニットから得られたペプチドの配列をもとに26kDaサブユニットのcDNAを単離した。得られたcDNAの最長ORFにコードされた蛋白のアミノ酸配列は、26kDaサブユニット由来のペプチドの配列を全て含んでいたが、それだけではなく、後半部分に29kDaサブユニット由来のペプチドの配列も全て含んでいた。このことから、2つのサブユニットは最初は1つの前駆体蛋白としてつくられるものと考えられた。

 ホモロジー検索の結果、26kDaサブユニットに対応する部分は既知の蛋白とは類似していなかった。29kDaサブユニットの部分はカテプシンLの成熟型酵素と高い類似性を示した。2つのサブユニットの中間の部分はカテプシンL型プロテアーゼの前駆体にみられるプロ配列に類似しており、26・29kDaプロテアーゼの前駆体はシステインプロテアーゼを前駆体型酵素として含んでいることがわかった(Fig.1)。

Fig.1 Alignment of 26・29kDa protease and cathepsin L

 これらのことから26・29kDaプロテアーゼは、(1)はじめ、カテプシンL型プロテアーゼ前駆体と新規な構造の26kDaサブユニットとがタンデムに結合した形の前駆体蛋白として合成され、(2)それが後に切断をうけて26kDaと29kDaの2つのサブユニットになり、(3)それらが会合することで形成されるものと考察された(Fig.2)。

 このように、1つの前駆体からプロテアーゼサブユニットとプロテアーゼとは明らかに異なる構造のサブユニットの、2つのサブユニットが生じるタイプのシステインプロテアーゼはほとんど例がなく、他にはカテプシンCが報告されているのみである。26・29kDaプロテアーゼはカテプシンCとは異なる構造をしており、新規な2分子性のプロテアーゼと考えられた。

Fig.2 Scheme of processing of 26・29kDa protease precursor
(II)26・29kDaプロテアーゼはカテプシンB様の基質特異性をもつカテプシンL様構造のプロテアーゼである。

 26・29kDaプロテアーゼは構造的にはカテプシンLに近いが、哺乳類カテプシンBに特徴的な基質であるZ-Arg-Arg-MCAを加水分解し、カテプシンB様の基質特異性を有していた。このことから、26・29kDaプロテアーゼは活性の面からも新しいプロテアーゼと考えられた。その一方でセンチニクバエ体液細胞由来のカテプシンBは、Z-Arg-Arg-MCAを水解せず、哺乳類のカテプシンBとは基質特異性が異なっていた。これらの点から、センチニクバエではシステインプロテアーゼの性質が哺乳類のものとは一部異なっていると考えられた。

(III)26・29kDaプロテアーゼは、発生過程にも発現している。

 センチニクバエの26・29kDaプロテアーゼの機能する時期を知る目的で発生の各時期のRNAについてノザンブロット解析をおこなった。その結果、26・29kDaプロテアーゼのmRNAは蛹後期及び胚発生初期、中期に強く発現していた(Fig.3)。さらに、胚発生過程における26・29kDaプロテアーゼの蛋白の発現をしらべたところ、発生初期に一過的な発現の上昇がみられ、26・29kDaプロテアーゼが発生過程に機能している可能性が考えられた。センチニクバエではカテプシンB及びカテプシンLの発現が胚発生期に一過的に上昇することが既に示されており、今回の知見も含めると、センチニクバエの胚発生では少なくとも3種類のシステインプロテアーゼが関与していることが示唆された。

Fig.3 Northern blot analysis of 26・29kDa protease
(IV)26・29kDaプロテアーゼは、昆虫界に広く保存されている。

 この、26・29kDaプロテアーゼが他の生物種においても保存されているかどうかを知る目的で26・29kDaプロテアーゼのホモローグの単離をこころみた。その結果、PCR法により、ショウジョウバエとワモンゴキブリから26・29kDaプロテアーゼのホモローグの一部とみられるcDNA断片が単離された(Fig.4)。この結果は、26・29kDaプロテアーゼが完全変態昆虫と不完全変態昆虫の両方に存在することを示しており、このプロテアーゼが昆虫界に広く保存されたプロテアーゼであると考えられた。そして、このプロテアーゼの起源は不完全変態昆虫と完全変態昆虫とが分岐したおよそ3億年前か、あるいはそれ以前と予想された。また、このプロテアーゼに特有な26kDaサブユニットが構造的によく保存されていることから、このサブユニットはこのプロテアーゼの機能に何らかの重要な意味をもつものと考えられた。

Fig.4 Amino acid alignment of 26・29kDa protease precursor from flesh fly,fruit fly and cockroach

 さらに、ショウジウバエの26・29kDaプロテアーゼについては遺伝子座の決定を行った。ショウジョウバエ3齢幼虫唾液腺染色体へジゴキシゲニン標識したショウジョウバエ26・29kDaプロテアーゼのcDNAをハイブリダイズさせることで26・29kDaプロテアーゼの遺伝子座を70C座と同定した。ショウジョウバエカテプシンLの遺伝子座は既に50C座と同定されており、2つの遺伝子は異なる座位に存在することがわかった。

【まとめ】

 私は昆虫のプロテアーゼに着目することで、プロテアーゼの新たな性質を見いだせるのではないかと考え、センチニクバエ由来のユニークなシステインプロテアーゼである26・29kDaプロテアーゼの解析をおこなった。このプロテアーゼのcDNAを単離することで1次構造を明らかにした結果、このプロテアーゼがカテプシンL様の29kDaサブユニットと、新規な構造の26kDaサブユニットの2つのサブユニットから構成されており、しかも、これらの2つのサブユニットが1つの前駆体蛋白からプロセスされて生じることを示した。このプロテアーゼはカテプシンL様の構造をしているにもかかわらず、基質特異性はカテプシンBに類似していた。これらの結果から、26・29kDaプロテアーゼは構造的にも活性的にもこれまでに報告のない新しいプロテアーゼであると結論された。さらに、ホモログの単離により、この新規なプロテアーゼが昆虫において広く保存されている可能性を示した。今後は、このプロテアーゼの機能を解明することが重要な課題である。

審査要旨

 プロテアーゼが生体防御に深く関与していることはよく知られた事実である。多くの高等真核生物において、異物を貪食した細胞は、細胞内顆粒においてリゾチームやカテプシンなどのプロテアーゼにより、異物の分解を行うことが明らかにされている。ところが近年、センチニクバエから異物の注入時に体液細胞から分泌されるというユニークなシステインプロテアーゼが見いだされた。精製を行った結果、このプロテアーゼは26kDaと29kDaの2つのサブユニットからなる構造上も新規なプロテアーゼであることが予想された。

 この論文は、この新たなシステインプロテアーゼ、26・29kDaプロテアーゼの構造、性状、発現などを解析したものである。本論文は序を含み4章より構成される。

 2章では、26・29kDaプロテアーゼのcDNAクローニングについて報告している。2分子性のプロテアーゼであるので、26kDaと29kDaそれぞれのアミノ酸配列を決定し、この情報をもとにセンチニクバエcDNAライブラリーからスクリーニングを行った。その結果、驚くことに26kDaと29kDaが同一の遺伝子にコードされていることが明らかになった。29kDaは、システインプロテアーゼの活性ドメイン様の構造をとっており、中でも多くの生物で保存されているカテプシンLの成熟型酵素に高いホモロジーを示した。一方26kDaは29kDaのN末側に位置するが既知のプロテアーゼとは構造上全く類似した領域が検出されない。センチニクバエではこのプロテアーゼとは別にカテプシンLが単離されており、26・29kDaプロテアーゼは、新規なカテプシンファミリーのプロテアーゼであることが明らかになった。このような2分子性のプロテアーゼはほとんど報告されておらず、しかも1つの前駆対蛋白からプロセシングをうけて形成されるは唯一カテプシンCのみである。

 3章では、このプロテアーゼの性状解析として、基質の特異性について蛍光基質を用い調べている。この26・29kDaプロテアーゼは、構造はカテプシンL様でありながら、カテプシンBの特異的基質といわれるZ-Arg-Arg-MCAをよく分解することが分かった。センチニクバエではカテプシンB様の構造をとるプロテアーゼが単離されているが、この酵素はZ-Arg-Arg-MCAを分解せず、体液細胞の産生するプロテアーゼでこの基質を水解するのは26・29kDaプロテアーゼである。哺乳類ではカテプシンBが食細胞内での異物の消化に主として作用することから、昆虫においては、カテプシンBは機能的に異なる方向へ進化し、異物排除にはこの26・29kDaプロテアーゼが機能するようになったと考えられる。更に、このプロテアーゼの発現時期を調べてみると、全発生段階で発現しているが、中でも発生初期と幼虫後期と蛹の時期に強い一過的な発現が見られた。生体防御のみならず、発生過程においても機能している可能性が考えられた。

 4章では、この新たなプロテアーゼが他の昆虫にも広く存在することを示している。あらゆる昆虫の祖先ともいわれるゴキブリにおいてもこのプロテアーゼが見いだされたことは興味深い。昆虫は進化と共に細胞性生体防御から液性生体防御を発達させてきたと考えられており、今後26・29kDaプロテアーゼの機能部位を解析して行くことで、生体防御機構の新たな側面が見いだされることが期待される。

 以上、この研究は昆虫由来の新しいシステインプロテアーゼのファミリーを初めて記載したもので、昆虫生理学、比較免疫学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと判断した。

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