人口の増加や経済の急速な拡大に伴い、人間社会を支える基礎的な資源である食糧や水などの不足が地球スケールで生じることが危惧されている。特に、土壌などを含んだ環境資源の過剰な利用や環境負荷物質の排出を通じて、自然資源の再生能力を支える基本的なプロセスが大きく影響を受け始めている。特にアジア諸国では、経済の発展と相まって、自然資源に対する利用プレッシャーはますます大きくなることが予想される。 以上のような背景から、自然資源の劣化が直接大きなインパクトを与える開発途上国において「持続的な開発」というコンセプトが提唱され、そうしたコンセプトのもとに土地利用・開発計画、水資源開発計画などが企画されている。しかしながら、これまでの多くの計画事例においては、「持続的な開発」が定性的な概念のレベルだけに留まっており、定量的な具体的な計画レベルとの関連がきわめて希薄であった。「持続可能性」という概念を、実際にその視点に基づいて定量的な計画案の評価のできるものとすることが必要である。 また、大河川流域のように開発計画プロジェクトのさまざまな影響が国境を越えて広がるような場合には、国家の枠を超えて多くの主体が計画に関与する。たとえば、NGOなどであり、国際世論の形成や関連各国の利害調整などに大きな影響力を持ちつつある。さらに、持続可能性の内容や環境に関する影響が多様であることも相まって、プロジェクトに関するさまざまな情報を公開、共有できる環境が、国際的な合意を形成する上の基礎になると考えられる。こうしたプロジェクトに関する情報収集、管理、分析の高度化は、これまで「意志決定支援システム」という枠の中で議論されてきた。近年の以上のような動向は、まさに意志決定者がNGOや一般人にまで広がり、そうした多様な主体に対して、計画に関する情報を構造化された形で提供することが重要になることを示唆していると言えよう。 本論文は、国際的な大河川流域を対象に、土地・水資源の「持続的」な開発、利用計画の企画・立案を上記のような視点から支援するための方法論を開発し、ケーススタディを通じてその有効性を検討することを目的としており、全7章からなっている。 第1章はイントロダクションであり、研究の背景、目的、全体構成を述べている。 第2章は本論文の中心的な提案である「エコ・エンジニアリングツール」について、その概念的なフレームワ-クを整理している。つまり、広域・長期にわたる環境・資源問題に対するエンジニアリング(工学)的なアプローチとして、関連領域でのさまざまな研究成果(たとえばモデルなど)、観測データ・情報を統合化し、プロジェクトの影響や地域の将来像を総合的に描いたうえで、さまざまな関連主体と情報を共有するアプローチをとりあげ、その重要性と、主要な技術的構成要素(地理情報システム(GIS)やコンピュータネットワーク)を整理している。 第3章はさらにエコ・エンジニアリングツールの構成要素を具体的に整理している。まず、プロジェクトの実施や関連する人間活動による環境影響の予測結果などを、社会的厚生の観点から効率的に集約し表現するための指標群を提案している。指標は人間活動から生じる需要と土地・水資源の供給能力のバランスを表現するように工夫されている。さらに、指標群を算定するために必要な人間活動と環境システムとの相互作用モデルについて、その構成を土地利用、水資源利用に着目して整理している。特にモデルでは水収支に加え、土壌・植物系を中心とした物質循環システムを取り込むことで、土地生産性や水資源の利用可能性について長期的な変動を追跡できることが必要であると述べている。これにより、土地生産や水資源利用の持続性という意味での持続可能性を判定することが可能となる。 第4章以降はメコン川全流域を対象としたケーススタディによる結果が述べられている。第4章では、将来の食糧需要などを推定するために必要な社会経済・人口指標や、土地条件などの物理的環境データなど、メコン川流域においてモデルシミュレーションや評価を行うためのデータベースの構成を述べている。 第5章では土地の農業利用に伴う水収支や物質循環(炭素循環、窒素循環、リン循環)のモデルについて述べている。既存のモデルからCENTURYモデルを選び、パラメータのチューニングを行った上でメコン川流域に適用した。その結果、農地における農業生産性、森林の成長量を推定することができ、同時に各地点の水収支、炭素、窒素、リンなどの物質収支を算定することが可能になった。また、今後見込まれる土地利用・土地被覆変化について、これまでの変化分と土地条件との統計的な関係から推定し、土地利用・土地被覆変化のシナリオを設定している。 第6章はシミュレーション結果の解釈とその視覚表現である。将来の人口増や経済発展による食料消費や薪炭材採取の拡大、水利用の増大と、食料生産量や森林成長量などの資源供給量とのバランスを指標で表現し、またその空間分布を明らかにしている。今後農地の拡大がこれまでのトレンドで生じる場合・生じない場合、気候温暖化による気温の上昇・降水量の低下が生じる場合・しない場合にわけて、上記の需要・供給バランス指標がどのように変化するかを評価している。その結果、メコン川流域においては食糧生産がもっとも需給がタイトであること、温暖化の影響を受けやすいものは水資源であることが示された。また、今のままの人口・経済成長が続けば、食糧などの需給バランスは数十年で崩れることが明らかになった(この際、農業技術の進歩は考慮に入っていない)。以上のような結果はインターネットによるWebサイトに公開されており、利用者が適当なケースを選ぶことによって、さまざまなシミュレーション結果を地図などの形で見ることができるようになっている。このように、人間活動のさまざまな影響を分かり易い指標で整理し、視覚的に訴えるような方法で情報提供するという目的が達成されている。 以上、まとめると、本論文は土地資源や水資源の利用計画を対象に、土地生産性の長期的な変化の有無を開発の持続性の重要な条件として位置づけ、物質循環や水収支などを織り込んだ土地生産性モデルを利用することで、開発の持続性を上記のような意味で判定できることを示している。さらに、その結果を土地生産という供給と、人間社会側からの需要とのバランスという分かり易い形で指標化し、地図などの分かり易い形でネットワーク上に公開している。これらの成果は、特に農林業の比重の高い開発途上国の土地・水資源利用計画を策定する上で、物理的な側面に限定されてはいるが、長期的な持続可能性という観点を定量的に取り入れる有効な方法をしめしており、地域開発の方法論の発展に貢献するところが大きい。このことから、本論文は地域開発計画学の進展に対して大きな寄与をしていると考えられ、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |