学位論文要旨



No 112955
著者(漢字) 劉,景瑜
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,ジィンイウ
標題(和) 中国福州市の児童における身体組成とライフスタイルの関連
標題(洋)
報告番号 112955
報告番号 甲12955
学位授与日 1997.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第55号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 樋口,満
 東京大学 助教授 苅谷,剛彦
 東京大学 助教授 南風原,朝和
 国立健康栄養研究所   太田,壽城
内容要旨 【はじめに】

 1980年代以来,中国では改革開放政策が実施され,経済の発展と共に,国民の生活水準は向上し,栄養状況も著しく改善された。これと同時に,人口の急速な増加を抑制するために,一人っ子政策が開始され,都会ではほとんど一人っ子になっている。このような背景と共に,エネルギーの過剰摂取も増え始め,近い将来,中国で肥満が大きな問題に発展することは間違いない。したがって,現在の中国の児童の身体組成,栄養摂取を含むライフスタイルの現状を把握しておくことは重要であり,また,今後の推移を知るうえでも貴重な基礎データを提供することになる。それらは,今後の中国における小児の健康の維持・増進と,疾病の予防のための対策樹立に貢献すると考えられる。

 身体組成とは,人体がどのような分子や元素,あるいは組織や器官によって構成されているかということである。その研究方法は,体重を脂肪量と除脂肪量の二つに分類する2コンパートメントモデルに基づく場合がほとんどである。これまでの中国の児童における身体の発育および肥満を検討した研究では,肥満の判断基準としては年齢・身長別の標準体重を用いた肥満度が採用されており,体脂肪量の判定はなされていなかった。肥満の定義を過度の脂肪が蓄積した状態として肥満児の管理を行う場合,身長,体重から求めた係数のみでは不十分であり,肥満児の身体組成を評価する必要があると思われる。

 一方,小児肥満におけるライフスタイルの関与を検討した報告は数多くあるが,ライフスタイルの評価は一般的な質問票によるものが多く,精度の高い方法を用いている研究は少ない。特に,小児の栄養調査については調査が困難であるため,詳細な資料がほとんど得られず,従って,肥満の定義に沿った方法で調査し,身体組成に栄養摂取を含むライフスタイルガどのように関係しているのかを綜合的に検討することが必要である。

 そこで,本研究の目的は以下の2点とした。(1)中国福州市の児童における身体組成と栄養摂取を含めたライフスタイルの現状を把握し,それらの関連について解明を試みる。更に,(2)肥満群と対照群の比較検討から,食事や日常の生活の中で,肥満と強く関わりを持つ要因を明らかにする。

【方法】1.対象と調査項目:

 1995年7月に,福州市の3つの行政区から,7〜12歳の児童1,783名(男子907名,女子876名)を対象として選び,(1)身長,体重,腹囲,臀囲,4部位の皮脂厚(上腕後部,下腿後部,肩甲骨下部,腹部をキャリパーで測定),血圧の測定,及び体脂肪率,体脂肪量,除脂肪量の算出,(2)24時間思い出し栄養摂収状況調査,(3)質問紙による家庭状況及び日常生活実態の調査,を行った。

 これら1,783名の対象者のうち,長嶺の肥満判断基準により,133名(男子75名,女子58名)が肥満児と判定された。また,それぞれの肥満児と同じ性別,クラスで,誕生日が±3ヶ月以内,身長は±3cm以内,皮脂厚が正常値範囲にある児童を対照群として選び出した。

2.分析方法:

 男女の性差については,独立な標本に基づく平均値の差のt検定を行った。さらに,平均値差の大きさを記述的に解釈するための指標として標準化された平均値の差,即ち,標本効果量(d)を計算した。

 食事摂取量の調査表を基に,中国の食物成分表(全国分省値)を栄養価算定に使用して,個人毎に,一日の栄養素の摂取量を計算した。そして,身体組成と栄養摂取量の間の相関分析を行った。

 男女別の肥満児と対照児の平均値差については,対になった標本の平均値の差のt検定を行った。

 男女それぞれの肥満群と対照群の間の2値データの差異の有意差検定はマクネマー(McNemar)の検定を用いて行った。3値データの場合はマクネマーの方法を拡張した方法を用いて,検定を行った。

 統計解析は,東京大学大型計算機センターで,統計パッケージSASを用いて行った。

【結果と考察】I.福州市の児童の身体組成の現状について1.体格的特徴及び皮脂厚の現状:

 (1)男女児童の身長,体重,BMIの平均値は,加齢に伴い,増加していた。1995年福州市児童の身長の平均値は,同年の日本児童のそれに近いが,体重では,日本の1975年の水準にしか達していない。また,福州市児童における過去10年間の身長,体重の増加量は日本における過去30年のそれとほぼ一致していた。

 (2)4部位の皮脂厚の平均値について,男子では,厚い部位の順は,上腕後部,腹部,肩甲骨下部,下腿後部であるが,11歳と12歳では,腹部より肩甲骨下部の方が皮脂厚が厚くなった。女子は男子と同じ傾向ではあるが,肩甲骨下部は男子より2年早く腹部の皮脂厚を上回った。体幹部より上腕後部の皮脂厚の方が厚いという皮脂厚の分布パターンは,成人のと異なっている。

2身体組成の現状:

 (1)身体組成の現状:体脂肪率,体脂肪量と除脂肪量は男女とも加齢と共に増加していた。各年齢において,女子の体脂肪率及び体脂肪量の平均値は男子より大きく,7歳児の体脂肪量を除いて,全て有意な性差が見られた。除脂肪量の平均値に関しては,逆に女子より男子の方が大きく,11歳児を除いて,有意な性差が見られた。体脂肪量の増加量およびその増加量が体重の増加量に占める割合は男子より女子の方が大きかった。

 (2)身体組成と身体諸変数の相関分析:男女の体脂肪率,体脂肪量,除脂肪量と身長,体重,BMI,4部位の皮脂厚の変数との間には有意な正の相関が見られた。特に,体脂肪率,体脂肪量,除脂肪量と上腕後部及び肩甲骨下部の皮脂厚の相関係数は最も高く,男子が0.71〜0.94で,女子が0.72〜0.94であった。

II.福州市の児童の身体組成とライフスタイルの関連について1.栄養摂取の現状:

 男女とも年齢の増加と共に,総エネルギーの摂取量が増加する傾向がみられた。総エネルギー量及び三大栄養素(脂肪,蛋白質,糖質)の摂取量は,1988年の推奨量の90%以上を達成した。ミネラル類については,カルシウムの摂取量は最も不足しており,男女ともそれぞれ推奨量の65〜70%と64〜74%であった。鉄の摂取量は推奨量より多く,男女ともそれぞれの充足率は107〜135%と102〜129%であった。また,ビタミンA,ビタミンB2,ビタミンCなどの栄養素の摂取量も若干不足しており,推奨量の80%前後であった。

 福建省の2000年の栄養摂取目標の推奨量の基準と比較した結果,現在の総エネルギー及び糖質の摂取は,推奨量の90%以上に達していた。しかし,男子の蛋白質量の充足率は低く,推奨量の約80%であった。

 以上より,2000年に向けて,福州市の児童の食生活を指導するには,総エネルギー量はほぼ充足していることを加味して考えると,栄養摂取量の増加より,食料品のバランス,正しい料理方法など食生活の有り方について栄養学の教育に基礎を置かなければならない。

2.身体組成と栄養摂取量の相関分析:

 男女の身体組成の各変数は栄養摂取量との間に有意な正の相関が見られた。身体組成はエネルギー摂取量と最も高い正の相関が得られた。また,体脂肪量及び体脂肪率は脂肪及び糖質の摂取量と高い相関を示し,逆に,除脂肪量は蛋白質の摂取量と高い相関を示した。

3.余暇時間の過ごし方:

 余暇時間の過ごし方に関する4項目の調査の結果より,一つの共通点が認められた。つまり,低学年から高学年に進むにつれ,勉強や座る時間が増え,遊びや運動する時間が減少している。この現象は特に5〜6年生になると明らかであった。また,日本の小学3〜4年生の調査結果に比べ,平均的に福州市の児童は家で勉強する時間が長く,テレビをみる時間が短かった。本研究の対象者は95%が一人っ子であり,両親および祖父母らはその子に対する期待が大きく,より良い中学校に入るため,受験勉強により多くの時間が費やされている。

III.肥満の原因について1.肥満群の身体組成の特徴:

 本研究の児童の肥満の発生率は,男子は8.3%,女子は6.6%で,有意な性差が見られた。体重,4部位の皮脂厚,体脂肪量,体脂肪率,除脂肪量などの項目において,男女とも対照児より肥満児の方が有意に大きかった。肥満群の皮脂厚(4部位)の分布は上腕後部>肩甲骨下部>腹部>下腿後部の順で,部位差が見られた。この順位は対照群の上腕後部>腹部>肩甲骨下部>下腿後部の順位とは異なっていた。身長,血圧,腹囲/臀囲等の項目には男女とも,肥満児と対照群の間に有意差が見られなかった。

2.肥満群のライフスタイルの特徴:

 (1)栄養摂取の特徴:男女とも総エネルギー,脂質,糖質の摂取量は対照群より肥満群の方が有意に多かった。蛋白質,ミネラル類,ビタミン類の摂取量は肥満群と対照群ほぼ同じで,女子の鉄を除いて,有意差が認められなかった。栄養の過剰摂取が本研究の肥満の要因の一つである。

 (2)食習慣:男子の肥満群は対照群に比べ,高脂質食と間食が好きな児童が有意に多かったが,食事の速さ,食欲及び朝食の摂取の有無等の項目については有意差が見られなかった。女子の肥満群と対照群についても,男子とほぼ同じ傾向が見られたが,男子とは異なり,食事の速さも,肥満群が有意に速かった。

 (3)余暇時間の過ごし方:肥満群と対照群の余暇時間の過ごし方に関する全ての項目(a.家で勉強する時間,b.テレビを見る時間,c.戸外での遊び時間,d.学校以外で運動する時間)には,男女とも有意差が見られなかった。

 (4)家庭状況:男子の肥満群の家族は対照群の家族より平均月収が有意に多かった。肥満群のエンゲル係数は対照群のそれより有意に低かった。両親の学歴,両親の体重,兄弟人数などの項目は肥満の発生と有意な関係が見られなかった。女子における結果も男子の場合とやや似ているが,男子と違って,肥満群の両親は対照群より有意に過体重及び肥満の者が多かった。また,肥満と両親の学歴や平均月収,兄弟人数などとの間には有意な関連がなかった。

【結論】

 本研究より,福州市の児童1,783名の身体組成と栄養摂取を含むライフスタイルの現状を明らかにした。栄養摂取の総エネルギー量は充足しているが,摂取食品の質,バランスが良くないことが示唆された。また,体脂肪量及び体脂肪率は脂肪及び糖質摂取量と高い相関を示し,逆に,除脂肪量は蛋白質と高い相関を示した。本研究では,栄養の過剰摂取を含む食習慣が肥満の要因の一つであることは明らかになったが,身体活動の量については明瞭な関連がみられなかった。しかし,後者については,更に追跡する必要があると思われる。

 高度経済成長の時代に入ったばかりの中国では,社会環境の変遷の中で,栄養上の問題点も栄養不良から,過剰摂取,肥満などに移り変わりつつある。これらの問題は,健康教育,栄養教育の啓蒙運動等を含めて,我々健康教育に携わる者たちが早急に取り組む必要がある課題である。

審査要旨

 身体を脂肪とそれ以外に分け身体組成として把握することは、ヒトの栄養状態、とりわけ肥満の研究においては重要なアプローチとなっている。本研究は、中国福建省福州市の児童1,783名を横断的に調査し、児童の日常の生活における食物摂取やその習慣、余暇の過ごし方等(以下、ライフスタイル)の因子が身体組成にどのように関係するかについての解明を試み、また対象者より皮下脂肪厚の(以下、皮脂厚)測定値をもとに一定の方式に従い肥満児を選定し(以下、肥満群)、性、年月齢、身長、所属学級をマッチさせた皮脂厚が正常範囲にある児童(以下、対照群)との比較検討から、肥満と強く関わりをもつ要因を解明することを目的としたものである。

 本論文ではまず対象地域の児童の身体組成の現状把握を行った。その結果、日本の学校保健統計の数値と比較すると、福州児童の身長は日本の児童と近接しているが体重は軽めであること、身長、体重共、福州児童では過去10年間の増加がめざましいこと等が明らかとなった。個々の児童について4部位の皮脂厚を測定した結果、成人と異なり体幹部より上腕後部の皮脂厚が厚いという学童期に特徴的な脂肪分布パターンが存在することも明らかとなった。女子は男子より年齢によらず常に体脂肪率、体脂肪量のいずれもが上回っており、逆に男子ではほとんどの年齢において女子より除脂肪量の平均値が高値であることを示した。

 次に、身体組成とライフスタイル、とりわけ栄養摂取との関連について検討している。24時間思い出し法による食事調査より栄養摂取状況を明らかにした。熱量および糖質、蛋白質、脂肪については中国の1988年推奨量の90%以上を達成していたが、カルシウムの不足、ビタミン類の若干の不足が認められ、量よりも栄養バランス等質的向上が今後の課題であることが示された。身体組成は熱量摂取と最も関連が深く、特に体脂肪量や体脂肪率は糖質と脂肪の摂取と関連が見られた。余暇の時間の過ごし方についての検討からは、福州市においても学年進行と共に遊びや身体運動の時間が減少し、勉強時間や座っている時間が長くなる傾向が認められた。

 第3には、肥満の原因について肥満群と対照群の比較検討を行っている。肥満群の身体組成の特徴としては対照群に比べ腹部以上に肩甲骨下部に脂肪がつきやすい傾向が認められた。ライフスタイルの特徴としては、肥満群では熱量、糖質、脂肪の摂取量がより多く、男子の肥満群では脂肪の多い食事を好み、間食が多い傾向を認めた。家庭の経済状況は肥満群の方が恵まれている傾向が認められた。

 以上より、中国における健康教育の今後の課題として、栄養の過剰摂取や肥満が重要であることが結論づけられている。

 本論文は、従来得られていなかった中国児童の身体組成の特徴を明示し、ライフスタイルとの関連についての新たな知見を提示した。近年、社会経済状況が変化する中国において、学童の体位や生活習慣がどのように変貌し、それらの間にどのような関連が見られるかにつき、実証的研究に基づき貴重な知見を得たことは、今後の健康教育学や体育科学の研究の発展に大きく寄与しうると考えられ、本論文は博士(教育学)の学位を授与するのに相応しいと判断された。

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