16世紀、宗教改革期のドイツにおいて、黙示録的な終末観は、この時代を特徴づけるような強力で広範にわたるインパクトを持っていたと思われる。従来の多くの研究が、この時期において「終末が近い」という確信が、さまざまな地域で、将来についての人々の展望を規定していたことを示している。 しかしながら、この論文で注目したいのは、この時期の黙示録的な終末観が、必ずしも、最後の審判による歴史の終焉や、キリストの再臨(パルーシア)ないし神の奇跡的な力の到来による世界の劇的な転換に関心を集中し、そういった終末の出来事に対する準備を要求するといった消極的な歴史意識ないし受動的な改革意識に結びついていたわけではないということである。確かに、こういった結びつきは、数々の事例において強く示されているが、この時期の黙示録的終末観は、このように消極的・受動的な歴史意識ないし改革意識に結びつくと同時に、また、歴史の新たな展開を期待し、このために教会ないし社会の改革を求めるといった積極的な歴史意識と能動的な改革意識とに結びついていたと考えられるのである。 黙示録的終末観とこういった歴史ないし改革に対する積極的・能動的な意識との結びつきを、この論文では、強い終末意識に基づいて宗教改革初期のさまざまな社会運動に積極的に係わっていった-この意味で、上記のような積極的・能動的な意識への注目がその思想・活動を理解する上でもっとも必要とされる-急進的な宗教改革者トーマス・ミュンツァーの黙示録的終末観ないし歴史解釈と、彼の信仰思想を特徴づけるスピリチュアリスムスとの関係についての考察を中心として見ていく。 また、この考察は、こういった黙示録的終末観の積極的・能動的な性格に注目することを通じて、従来多くの研究において、消極的・受動的な変革意識との関連を中心として理解されてきた-こういった理解は、また、しばしば、黙示録的終末観に基づく思想・活動の全体を、宗教改革の中心的な理念・運動から逸脱ないし離脱した特殊な現象として類型化する理解に結びついてきたと考えられる-宗教改革期の黙示録的終末観に、この時期のさまざまな思想・運動との多様なそして動態的な結合の可能性において注目し、また、それを宗教改革運動の全体の中で、あるいは、その展開との積極的な関係の中で理解しようとするものである。 |