カルパインは動物細胞の細胞質に普遍的に存在するシステインプロテアーゼで、カルシウムイオンが活性発現に必要なのでカルシウムが関係する種々の細胞機能に関与すると考えられるが生理機能の詳細は不明である。カルパインの主成分はm-カルパインで活性発現にmMカルシウムを必要とする。細胞質のカルシウム濃度はM程度なので、m-カルパインが活性を持つにはカルシウム感受性が上昇する必要がある。本研究はm-カルパインのカルシウム感受性を変化させる因子を検索し、活性化機構を明らかにする目的で行ったもので、4章よりなる。 第1章はカルパイン研究の流れ、本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。 第2章は活性発現の際のカルパイン分子の変化を調べたものである。カルパインは分子量8万の触媒サブユニットと分子量3万の制御サブユニットからなるヘテロダイマーである。m-カルパインは活性が発現するmMカルシウムイオンの下ではサブユニットに解離し、解離した触媒サブユニットは元のカルパインより約1桁低い100M程度のカルシウムで活性をもつ。この際カルパイン両サブユニットのN末端部位が自己触媒的に修飾される。本章では自己消化、サブユニットの解離、カルシウム感受性の上昇、および活性発現の4つの現象の相関を解析し、次の事実を明らかにした。 カルパインのサブユニットへの解離はカルパインが活性を発現するより低濃度のカルシウムでおこる。解離したカルパインの触媒サブユニットはダイマーを形成し、mMより低いカルシウム濃度で活性を発現する。自己消化は活性の発現やカルシウム感受性の上昇に必要ではないが、自己消化がおこるとサブユニットに解離しやすくなる。特に、触媒サブユニットのN末端付近が修飾されると、サブユニットは不可逆的に解離する。以上、m-カルパインのカルシウム感受性はサブユニットの解離によって上昇し、サブユニットの解離は自己消化で促進されることが判明したが、本研究で用いた実験系では、これら4つの現象を明確に切り離して測定できなかったので、4つの現象がおこる順序やカルシウム濃度を正確に測定することはできなかった。これらの点を明らかにすることは、カルパインの変異体などを用いる新しい実験系の開発が必要である。 第3章では、m-カルパインと結合する物質を検索した。第2章の結果、サブユニットの解離でm-カルパインのカルシウム感受性は上昇したが、細胞内で活性を持つには不十分でさらにカルシウム感受性が上昇する必要があった。そこで、カルシウム感受性を上昇させる活性化蛋白質の存在を仮定し、m-カルパインに結合する蛋白質を検索した。 カルパイン試料をジチオビス(スクシンイミジルプロピオネート)で架橋し、2次元電気泳動で解析した。用いた架橋剤は還元剤で切断できるので、架橋剤の切断とカルパイン抗体によるウエスタンプロットを組合せてカルパイン結合蛋白質を検出した。その結果、制御サブユニットと1:1のモル比で結合する分子量3.2万の蛋白質を発見した。この蛋白質のアミノ酸配列や質量を分析しこの蛋白質を14-3-3蛋白質のであると同定した。次にm-カルパインが14-3-3蛋白質を固定化したセファロースカラムに特異的に結合すること、この際の14-3-3蛋白質とカルパイン制御サブユニットのモル比が1:1であることを示し、14-3-3蛋白質がカルパイン結合蛋白質であることを確認した。 次に、14-3-3蛋白質のカルパインへの結合がカルパインの性質を変化させるか否かを検討した。これまで用いた活性の測定系では14-3-3蛋白質の結合がカルパインのカルシウム感受性や酵素活性などを大きく変化させることはなかったが、スペクトリンに対する基質特異性の変化が観察された。14-3-3蛋白質は情報伝達系の蛋白質と結合して情報伝達を制御すると考えられている。一方カルパインは情報伝達系の多くの蛋白質を限定分解するので、14-3-3蛋白質が結合蛋白質として同定されたことはカルパインの生理機能を考える上で非常に興味深い。 第4章では本研究でえられた事実と意味ならびに今後の発展性を記載した全体の討論である。 以上、本論文はm-カルパインのカルシウム感受性の変化の分子機構を解析し、14-3-3蛋白質をカルパインの結合蛋白質として同定したもので、カルパイン、14-3-3蛋白質ならびに蛋白質分解の研究に新しい視点を投じたものとして学術上貴重なものである。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |