学位論文要旨



No 112959
著者(漢字) 岡田,真伊
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,マイ
標題(和) カルパインの活性化機構に関する考察
標題(洋) Mechanisms and Regulation of Proteolytic Activity of Calpain
報告番号 112959
報告番号 甲12959
学位授与日 1997.09.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1836号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 石浦,章一
内容要旨 1・序論・カルパイン研究の流れと本研究の意義

 カルパインは活性化の際にカルシウムイオンを必要とするシステインプロテアーゼである。生体材料から精製すると、大小ふたつのサブユニットによって構成される不活性なヘテロダイマーである。カルパインの研究はその発見から30年余りを経て、今や成熟の過程にあると言え、カルパインタンパク質を多用した生理機能の解析が現在ではその研究の中心課題である。

 カルパインには多数の分子種が存在して、ひとつのファミリーを形成している。これらのカルパインの中で、精製法が確立しており、タンパク質レベルでの研究が進んでいる分子は、動物組織に広く存在するm-カルパインと-カルパインである。これらのカルパインの名称は、in vitroでの活性化に必要なカルシウムの、モル濃度でのオーダーに由来する。この、m-カルパインと-カルパインについては、数多くの天然基質が同定されており、生体内では生命の営みに必須の、重要な働きをしていると考えられているが、実際のカルパインの生理的なな条件のもとでの活性化機構は不明なままである。カルパインのin vivoでの活性化機構の解明には幾つか障害があり、カルパインのカルシウム感受性はその中でも最も解決が困難な問題であると言える。カルパインのin vitroでのカルシウム感受性は非常に低く、生体内部でのカルシウム濃度の実に10倍から1000倍近い濃度のカルシウムイオンが必要である。-カルパインについては、生体膜との相互作用が活性化経路であるとする活性化のモデルが提唱されており、このモデルにより-カルパインのカルシウム感受性の問題はほぼ解決できていると言ってもよい。しかし、m-カルパインには同様の活性化モデルは適用できず、m-カルパインには独自の活性化経路があるとも考えられている。このため、本研究ではm-カルパインの活性化経路の解明に向けて以下の2点を中心に研究を展開した。

 (1)活性発現の際のカルパイン分子の変化について

 (2)カルパインと結合する物質の存在する可能性について

 カルパインの活性化機構の解明は、カルパインが関与すると考えられている病理現象やその他の基本的な生命現象の説明につながるため、非常に意義深いものである。

2・活性発現の際のm-カルパイン分子の動態変化に関する考察

 生体材料から精製したm-カルパインに、ミリモルオーダーのカルシウムイオンを添加すると、次の事柄がカルパイン分子の変化として起こる。

 (1)基質を分解する活性を発現する

 (2)自己消化を起こして両サブユニットのN末端に修飾が起こる

 (3)大サブユニットと小サブユニットが解離する

 しかし、これらの事柄が同時に起こるのか、前後して起こるのか、その因果関係は不明であり、従って、活性化機構をこれらの事柄によって説明しようとしても、明確なことは言えないままであった。

2-1m-カルパイン大サブユニットの解離と活性の関係

 m-カルパインの活性化機構として、近年、サブユニットの解離という現象をもとにしたモデルが議論されている。しかし、このサブユニットの解離を起こすにはm-カルパインがin vitro活性化に必要とするよりも非常に高いカルシウム濃度(2mM程度)を要求するため、サブユニットの解離を直接の活性化機構として考えることは困難であった。しかし、本研究ではゲル濾過クロマトグラフィーを用いた解析により、カルパインが活性化に必要とするカルシウム濃度以下の低カルシウムの条件(500M)においてもm-大サブユニットと小サブユニットが解離している可能性を示唆した。このような低いカルシウム濃度での大サブユニットの解離は、系に存在するm-カルパイン分子のうち約20%以下の分子に起こっていたと考えられた。また、従来通りに高いカルシウム濃度で処理することで得た単独のm-カルパイン大サブユニットの活性についての解析の結果、高濃度のカルシウムを含む溶液とカルパインが接触すると、カルパインの触媒活性を担う大サブユニットに非可逆的な変性を起こさせ、その結果、何も処理していないダイマーのm-カルパインと比較して失活がはやい、自己消化後の残存活性が低い等、酵素的な性質の変化をもたらすことを明らかにした。

2-2m-カルパイン自己消化とサブユニット解離の関係

 カルパインの自己消化とサブユニットの解離について、自己消化しているカルパインではサブユニットの解離が非可逆的に起こってたという報告がなされている。そこで、カルパインの活性化機構について、活性化に先立って自己消化が先ず起こり、それによってサブユニットの解離が非可逆的に起こるのではないかと考えられるようになった。本項では自己消化を起こしたm-カルパインサブユニットの非可逆的な解離はどのような原因で起こるのかについて考察した。様々なカルシウム濃度で自己消化処理をしたm-カルパインのゲル濾過クロマトグラフィーでの解析の結果、サブユニット解離の非可逆性が現れるのは、m-カルパインを1mM以上の高濃度のカルシウム濃度において自己消化させた場合に限られることが明らかとなった。高濃度のカルシウムイオンの添加によって単離したカルパイン大サブユニットの性質変化を考慮すると、サブユニット解離の非可逆性は、高いカルシウム濃度でのm-カルパインの変性が原因であったとも解釈できる。前項の結果と併せて、ミリモルオーダーのカルシウムイオンとm-カルパインとを接触させるとカルパイン分子に修復不可能な変性が起こり、カルパインの酵素的な性質を変化させることを明らかにした。

3・m-カルパインと結合する物質について3-1m-カルパインと親和性を有して結合している物質の検出と同定

 カルパインの活性化機構の解明にはカルシウム感受性などの障害がある。これらの障害を、カルパイン分子のみに起こる変化によって説明しようとする他に、カルパインに結合して,何らかの影響を与える因子の存在を想定することで障害の克服を試みる研究がこれまでに幾つかなされてきた。実際にカルパインの活性を変化させることのできる物質を含む画分は生体材料から分離されたが、その原因物質は何であるのかが特定された例はない。しかし、本研究では、タンパク質の架橋剤を用いた解析法により、m-カルパイン小サブユニットと結合するタンパク質を検出することに成功し、アミノ酸分析により、そのタンパク質が14-3-3蛋白質ファミリーの一員の14-3-3蛋白質""であることをつきとめた。m-カルパインと結合するタンパク質が特定されたのは初めてで、m-カルパインと14-3-3蛋白質との結合により情報伝達をになう蛋白質を協調的に制御する、生命現象に必須な分子としてのカルパインの生体内での機能が強く示唆された。また、m-カルパインの結合タンパク質が存在することはカルパインの活性化機構を考える上でも大きなヒントとなり、今後の研究への新たな方向性を示したと言える。

3-2m-カルパイン結合タンパク質によるカルパインの活性の変化

 m-カルパイン結合タンパク質である14-3-3蛋白質がカルパインに及ぼす影響は何であるのかという点について、本項においては、m-カルパインが14-3-3蛋白質を結合しているときとしていないときに、その活性に変化があるのかという点について検討した。その結果、14-3-3蛋白質は、カルパインのカルシウム感受性や活性強度をを劇的に変化させる因子ではないことが明らかとなった。また、これまでの解析では用いられていなかった基質であるスペクトリンを用いた解析により、14-3-3蛋白質と結合していると考えられるカルパイン分子では、スペクトリンに対する基質特異性が変化することも明らかにした。これらの結果から、結合タンパク質である14-3-3蛋白質によって、m-カルパインは、生体内での基質に対して正しい切断部位を認識できるようになるのではないかと考えられた。

4・総括と討論

 本研究の結果はm-カルパインのサブユニット解離をカルパインの活性化機構として考えるために重要な蛋白質レベルでの結果であると言える。また、m-カルパイン結合タンパク質として14-3-3蛋白質を同定したことにより、カルパインと14-3-3蛋白質との協調作用による細胞内情報伝達系蛋白質の活性制御というカルパインの生理機能が考えられた。本研究は、今後のカルパインの活性化機構と生体内機能を考える上で重要な結果をもたらしたと考えられる。

審査要旨

 カルパインは動物細胞の細胞質に普遍的に存在するシステインプロテアーゼで、カルシウムイオンが活性発現に必要なのでカルシウムが関係する種々の細胞機能に関与すると考えられるが生理機能の詳細は不明である。カルパインの主成分はm-カルパインで活性発現にmMカルシウムを必要とする。細胞質のカルシウム濃度はM程度なので、m-カルパインが活性を持つにはカルシウム感受性が上昇する必要がある。本研究はm-カルパインのカルシウム感受性を変化させる因子を検索し、活性化機構を明らかにする目的で行ったもので、4章よりなる。

 第1章はカルパイン研究の流れ、本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。

 第2章は活性発現の際のカルパイン分子の変化を調べたものである。カルパインは分子量8万の触媒サブユニットと分子量3万の制御サブユニットからなるヘテロダイマーである。m-カルパインは活性が発現するmMカルシウムイオンの下ではサブユニットに解離し、解離した触媒サブユニットは元のカルパインより約1桁低い100M程度のカルシウムで活性をもつ。この際カルパイン両サブユニットのN末端部位が自己触媒的に修飾される。本章では自己消化、サブユニットの解離、カルシウム感受性の上昇、および活性発現の4つの現象の相関を解析し、次の事実を明らかにした。

 カルパインのサブユニットへの解離はカルパインが活性を発現するより低濃度のカルシウムでおこる。解離したカルパインの触媒サブユニットはダイマーを形成し、mMより低いカルシウム濃度で活性を発現する。自己消化は活性の発現やカルシウム感受性の上昇に必要ではないが、自己消化がおこるとサブユニットに解離しやすくなる。特に、触媒サブユニットのN末端付近が修飾されると、サブユニットは不可逆的に解離する。以上、m-カルパインのカルシウム感受性はサブユニットの解離によって上昇し、サブユニットの解離は自己消化で促進されることが判明したが、本研究で用いた実験系では、これら4つの現象を明確に切り離して測定できなかったので、4つの現象がおこる順序やカルシウム濃度を正確に測定することはできなかった。これらの点を明らかにすることは、カルパインの変異体などを用いる新しい実験系の開発が必要である。

 第3章では、m-カルパインと結合する物質を検索した。第2章の結果、サブユニットの解離でm-カルパインのカルシウム感受性は上昇したが、細胞内で活性を持つには不十分でさらにカルシウム感受性が上昇する必要があった。そこで、カルシウム感受性を上昇させる活性化蛋白質の存在を仮定し、m-カルパインに結合する蛋白質を検索した。

 カルパイン試料をジチオビス(スクシンイミジルプロピオネート)で架橋し、2次元電気泳動で解析した。用いた架橋剤は還元剤で切断できるので、架橋剤の切断とカルパイン抗体によるウエスタンプロットを組合せてカルパイン結合蛋白質を検出した。その結果、制御サブユニットと1:1のモル比で結合する分子量3.2万の蛋白質を発見した。この蛋白質のアミノ酸配列や質量を分析しこの蛋白質を14-3-3蛋白質のであると同定した。次にm-カルパインが14-3-3蛋白質を固定化したセファロースカラムに特異的に結合すること、この際の14-3-3蛋白質とカルパイン制御サブユニットのモル比が1:1であることを示し、14-3-3蛋白質がカルパイン結合蛋白質であることを確認した。

 次に、14-3-3蛋白質のカルパインへの結合がカルパインの性質を変化させるか否かを検討した。これまで用いた活性の測定系では14-3-3蛋白質の結合がカルパインのカルシウム感受性や酵素活性などを大きく変化させることはなかったが、スペクトリンに対する基質特異性の変化が観察された。14-3-3蛋白質は情報伝達系の蛋白質と結合して情報伝達を制御すると考えられている。一方カルパインは情報伝達系の多くの蛋白質を限定分解するので、14-3-3蛋白質が結合蛋白質として同定されたことはカルパインの生理機能を考える上で非常に興味深い。

 第4章では本研究でえられた事実と意味ならびに今後の発展性を記載した全体の討論である。

 以上、本論文はm-カルパインのカルシウム感受性の変化の分子機構を解析し、14-3-3蛋白質をカルパインの結合蛋白質として同定したもので、カルパイン、14-3-3蛋白質ならびに蛋白質分解の研究に新しい視点を投じたものとして学術上貴重なものである。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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