学位論文要旨



No 112965
著者(漢字) 李,鋌
著者(英字)
著者(カナ) リー,ジョン
標題(和) 解雇紛争解決制度の比較法的研究:英・独・仏・韓の制度からの日本の制度改革への示唆を求めて
標題(洋)
報告番号 112965
報告番号 甲12965
学位授与日 1997.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第139号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,和夫
 東京大学 教授 伊藤,眞
 東京大学 教授 岩村,正彦
 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 助教授 荒木,尚志
内容要旨

 I 使用者による労働者の解雇は、労働者の経済生活や職業生活に重大な打撃を与えるものなので、紛争それ自体の発生をできるだけ予防することが望ましく、また紛争が生じたときは、これをなるべく簡易迅速に解決し、そのダメージを最小限にすることが要請される。そこで、多くの国では、解雇を規制する立法が整備されており、また解雇紛争を中心とする労使紛争を処理するための専門的紛争処理手続が設けられている。

 このような観点から日本の解雇法制をみた場合、その最大の特徴は、一般的に解雇を制限する立法もなく、また専門的紛争処理手続も設けられていないことである。その要因としては、日本では、解雇権の行使を広範かつ厳格に制限する解雇権濫用法理が裁判実務において確立されていることや、これに伝統的な終身雇用の慣行が絡み合って、解雇は実際上厳しく制限されていることなどが考えられる。しかし、日本の判例法理は、解雇を厳格に規制しているとはいえ、判決・決定までの道程が遠いことや、近時の産業構造の変化に伴って従来の雇用慣行が揺らいでいることに鑑みると、果たして権利保障として十分に機能しているかについては些か疑問を感じざるをえない。ことに、最近の問題として、組合組織率の低迷や一般組合員の組合離れなどによる国全体での労使自治の機能低下の中で、企業のリストラクチャリングに伴う中高年労働者の解雇・退職誘導や労働条件の変更問題などの個別権利紛争が増加し、これら紛争に対応するための法理と処理システムが不十分であることが指摘されるようになっている。

 本稿は、以上のような問題意識に基づいて、解雇紛争が日本の現在の法制の下で如何なる法理と手続によって処理されており、それら法理・手続が理論的実際的にどのような問題点を有しているかを、解雇に関する特別の紛争処理制度を整備した諸国の法制度との対比において検討し、最終的には日本での解雇紛争解決システム構築のための論点と方向を探ることを目的としたものである。

 II 序章では、まず、解雇紛争を含む労使紛争の諸形態や特質を概観したうえで、それらと整合性のある紛争解決メカニズムとはどのようなものかについて検討した。次に、第1章では、これを前提に、日本における解雇紛争処理システムの現状と問題点を分析・検討した。解雇紛争は、(1)労働者の家族から唯一の生活手段たる収入を奪い去ること(生存性)、(2)労使関係においていったん解雇をめぐる紛争が顕在化すると、たとえ紛争状態が終わったとしても紛争以前の状態には戻らないこと(不可逆性)、(3)経済的力関係が不平等な労使間の紛争であること(不平等性)、等の特質を有している。このような特色をもつ解雇紛争に適切に対応するためには(特に、労働者保護の観点から)、簡易迅速でかつ多様な救済方法を用いうる救済手続が必要とされる。しかし、日本では、解雇制限法や専門的紛争処理手続が整備されていないために、解雇紛争の処理をほとんどもっぱら一般の民事裁判手続に委ねる結果となり、そこから解雇紛争処理において様々な問題が生じている。例えば、裁判所における一般の民事裁判制度は、弁護士費用を含めた訴訟費用の高額性、手続の厳格性による当事者のアクセスの困難さ、審理遅延、救済の硬直性などの問題点を有しており、また労働委員会制度は取り扱う紛争の対象も集団紛争に限定され、手続も重すぎるものとなっている。また、労働基準監督署、婦人少年室または労政事務所のような行政機関も、解雇紛争解決機関としては限定的な役割しか果たしていない。労政事務所や婦人少年室における年間相談件数は数万件に上るが、このような潜在的紛争が多いにもかかわらず、裁判所における労働事件の少ないという事実は、現在の解雇紛争処理制度の問題状況を間接的に示唆していると考えられる。

 III これに対して、他の先進諸国(とりわけ、英・独・仏)では、解雇法制とともに、解雇紛争処理システムがかなり整備されている(第2章〜第5章)。とりあえず、これらの諸国の解雇紛争解決制度に共通する点をまとめると、次のとおりである。

 第一の共通点としては、いずれの国においても解雇紛争解決手続の前提としての解雇制限立法が整備されていることである。すなわち、これらの国では、特定グループの労働者を保護するための解雇禁止規定はもとより、一般的に解雇を制限する立法が整備されている。後者のものとしては、例えば、イギリスの1978年雇用保護(統合)法、ドイツの1951年解雇制限法、フランスの1973年法(その後、数次改正)、韓国の1953年勤労基準法(1989年・1997年改正)等が挙げられるが、これらの法では、解雇に正当な理由を要求するとともに、解雇手続、救済手続、立証責任に至るまで詳細に定めているのが特徴的である。これは、使用者による恣意的解雇を規制するという雇用保障的側面においてはもちろん、解雇紛争解決という側面においても重要な意味を有する。その一つは、解雇の正当事由を予め法定しておくことによって、解雇紛争を事前に予防する役割を果たすとともに、すでに解雇紛争が生じた場合は、その法的解決において明確な判断基準を提供してくれる点である。もう一つは、違法な解雇に対する救済手続(例えば、出訴期間や救済方法等)を実体法上に明確に規定することによって、簡易迅速でかつ実効性のある紛争解決を図っている(これらの国では、日本とは異なり、違法解雇の救済方法として原職復帰のほかに金銭解決が広く認められている)。

 第二の共通点としては、解雇紛争を含む労使紛争を解決するための特別の手続が設けられている点である。例えば、ドイツとフランスでは、労働裁判所と労働審判所という通常裁判所とは異なる特別裁判所が設けられており、イギリスでは、労使審判所という司法的判定機関とともに、ACASという行政的調整機関が設けられている。これらの諸機関の特徴は、次の三点にまとめられる。まずは、これらの機関においては、職業裁判官のほかに、労使団体からの推薦ないし選挙(フランス)によって選ばれる名誉職裁判官の判定手続への参与が認められている点である(但し、フランスの労働審判所は名誉職裁判官のみにより構成)。このことは、労働問題に精通した労使代表が加わることで法形式主義に陥りやすい職業裁判官の判断をコントロールするとともに、判断の受容可能性を高めることになる。次は、判定的解決に先立って、和解・調整的解決を試みている点である(和解・調整前置主義)。例えば、イギリスの労使審判所では、判定手続に進む前にACASという行政機関による調整的解決を図っており、ドイツの労働裁判所では、争訟弁論に先立って和解弁論が必ず行われる。また、フランスの労働審判所には、判定部と並んで調停部が設けられており、ここでは強制的調停前置主義がとられている(ちなみに、英独では、解雇事件の半数以上が実に和解・調整によって処理されている)。最後は、これらの諸機関は、通常の裁判所に比べて、簡易迅速でかつ低廉に紛争を処理している点である。特に、解雇紛争の場合、提訴者の九割以上が経済的に弱い立場にある労働者であることや、違法行為を迅速に救済しなければ被解雇者の原職復帰は実際上不可能となり、またその経済的精神的負担が甚大となることからすると、このような迅速・低廉な紛争処理は労働者の権利救済の面において重要な意義を有する。韓国でも、1989年に解雇法制を改正し、労働委員会が命令ないし和解による迅速に処理することができるようにするなどして、その方向を指向した。韓国の労働委員会は、もともと使用者の不当労働行為の救済機関として、日本の労働委員会を範として設立されていたものである。1989年法改正は、このような専門的行政委員会に解雇紛争の調整・判定を委ねるものとして、日本にとっては注目すべき実験といえる。実際に、韓国の労働委員会は、主として和解によって解雇紛争の簡易迅速な解決を果たしており、解雇紛争解決の中心的機関となっている。

 IV 終章は、今後のあるべき解雇紛争解決制度の在り方について、英・独・仏・韓の諸国における解雇紛争解決制度の比較法的検討から示唆される論点と方向を次のように論じた。

 まず第一に、解雇紛争解決制度の前提としての解雇法制を整備する必要があると思われる。すでに指摘したように、日本では、解雇権濫用法理が日本の長期雇用システムと相俟って、解雇を厳しく抑制する機能を果たしてきた。しかし、この判例法理は、所詮個別判例・裁判例の積み重ねによる規範であるだけに、中小企業経営者や労働者へのトランスパランシイにおいて大きな問題がある。また、最近になっては、周知のように、この法理を支えてきた長期雇用システムが揺らいでおり、これに雇用形態の多様化、労働者の個人主義化などの傾向が加わって、今後労働市場は必然的に流動性を高めていくものと考えられる。このような雇用慣行の変容や労働市場の構造変化が進んでいるなかで、労働者を解雇から保護するためには、解雇を一般的に制限しつつ救済方法において工夫を講じた、トランスパランシイの高い解雇制限法を整備する必要がある。本稿では、解雇法制の整備と関連して、(1)解雇の類型ごとに解雇の要件を規定すること(正当理由の明示)、(2)これに反した解雇に対する法的効果や救済方法を明確に規定すること(違法解雇の効果の明示、救済方法の多様化)、(3)迅速な紛争処理を促すために、出訴期間などを定めること(紛争処理の迅速化)の必要性を指摘した。しかし、こうした内容の改革が、日本の法制度や労働市場の仕組みのなかで十分機能しうるものとするためには、英・独・仏・韓の解雇制限法の内容を考察したうえで、その具体案に関するさらなる検討が必要である。

 第二に、以上の解雇法制の整備とともに、新たなニーズに適応できる解雇紛争解決制度を整備する必要がある。具体的には、解雇紛争の特殊性に鑑みて、「相談・調整・判定システムが、それぞれの特色や専門性をもちながら有機的に統合され、紛争を簡易・柔軟な手続によって公正でかつ迅速・低廉に処理できるシステム」が求められる。その方法としては、おおむね、(1)ドイツやフランスのように、解雇を含む労使紛争を専門的に処理する特別裁判所を創設すること(司法型システム)、(2)韓国の如く、労働委員会が解雇紛争を含む一定の個別紛争を扱えるように、現行労働委員会制度を改編すること(行政型システム)、(3)イギリスのように、判定システムとは別途に調整システムを設けること(中間型システム)、などの三つの方法が考えられる。しかし、これはあくまで英・独・仏・韓の諸制度の比較法的研究から示唆される選択肢の提示にすぎない。今後は、上述した諸システムのメリットやデメリットを参考にしながら、どの選択肢をどのように制度化するのがフィージビリティーがあるかを、日本の法制度や労使関係・労働市場に即して綿密に検討する必要があると思われる。

審査要旨

 本論文は、英、独、仏、韓の諸国において整備されている解雇に関する特別の紛争処理制度と、日本の解雇紛争処理制度とを比較して、日本の同制度改革の論点と方向を提示したものである。

 「序章 問題の所在」は、まず、集団紛争と個別紛争、権利紛争と利益紛争などの労使紛争の基本類型やその解決手続き上の意義を論じた後、解雇紛争の特質を生存性、要政策性、不可逆性、多面性などとして分析し、その特質に応じた紛争解決制度のあり方を検討している。そして、日本の解雇法制は、解雇紛争の特質に合った紛争解決制度を整えていないとの指摘を行う。

 「第一章 日本の解雇紛争解決制度」は、この導入部分に続いて、日本における解雇紛争処理制度の現状と問題点を分析する。まず、解雇規制の実体法について、制定法が解雇自由の原則を維持しているにもかかわらず、判例法が解雇権濫用法理を確立して解雇権の行使に厳格な制限を課していること、同法理においては濫用的な解雇が無効とされ、労働契約関係の継続の強制が行われることなどを分析する。

 次に、著者は、解雇紛争が企業内・外の紛争処理システムにおいてどのように処理されているかを概観したうえ、日本では解雇の専門的紛争処理手続がないことから、次のような問題が生じているとする。すなわち、一般民事裁判手続には、弁護士費用を含めた訴訟費用の高さ、手続の厳格性による当事者のアクセスの困難さ、審理期間の長さ、救済の硬直性などの問題点がある。他方、労働関係を専門とする労働委員会は集団紛争としての解雇紛争しか取り扱わず、また、不当労働行為救済手続の場合は、審理期間が長期化している。労働基準監督署、都道府県婦人少年室、各都道府県の労政事務所などのその他の行政機関も、管轄や権限を限定されていて解雇紛争には限定的な役割しか果たしていない。このような現行制度の問題状況に加え、近時の雇用慣行の変容や労働市場の構造変化が、解雇紛争の増加傾向をもたらし、日本における解雇紛争処理制度の整備を緊要な課題としている。

 以上のような問題意識に基づき、著者は、解雇紛争の専門的処理制度が整備されている国として英、独、仏、韓の諸国を選び、第二章から第五章において分析していく。

 「第二章 イギリスの解雇紛争解決制度」は、イギリスにおける解雇紛争処理制度の発展と現状を分析する。イギリスでは、コモン・ロー上解雇は自由とされてきたが、1965年の人種関係法および1975年の性差別禁止法によって差別的解雇に対する法規制が導入され、さらに、1971年労使関係法、1975年雇用保護法、1978年雇用保護(統合)法によって解雇の一般的規制が発展した。後者は、労働者の非違行為、剰員などの法所定の解雇理由がない解雇を不公正解雇として違法とするものである。不公正解雇の救済には、復職、再雇用のほかに金銭賠償など多様な方法が定められている。

 イギリスの解雇紛争処理手続の特徴としては、第一に、判定機関である労使審判所と調整機関である助言斡旋仲裁局(ACASと称される)といういずれも三者構成の専門の労使紛争処理機関が担当している。第二に、両機関は組織上独立しているが、機能面では密接に連携しており、審問手続に入る前に労使審判所からACASに事件を移送し、事件の6割はACASの調整手続で処理されている。第三に、手続の簡素化や両機関における諸サービスの無料化などにより迅速・低廉な紛争処理が行われている。第四に、原職復帰のほかに、再雇用、金銭賠償など多様な救済方法が用意されている。

 「第三章 ドイツの解雇紛争解決制度」では、ドイツの解雇紛争処理制度の発展と現状を分析する。ドイツでは事業所委員会委員、重度障害者など特定グループの労働者に対する特別法による解雇制限のほか、一般的解雇規制として社会的正当性のない解雇を無効とする解雇制限法が1951年に制定されている。同法は、解雇に社会的正当性が認められる事由として、(1)労働者個人に関する事由、(2)労働者の行動に関する事由、(3)経営上の事由を規定し、また解雇訴訟手続きについても詳細な定めを行っている。ドイツの解雇制限法制の特色としては、イギリスやフランスでは不公正解雇が当然には無効とされないのに対して、ドイツの解雇制限法はこれを無効とすること、労働者が解約告知を受けても従業員代表委員会が異議を申し立てかつ解雇訴訟で争っている限りは継続して就労する権利を失わないこと等を指摘する。

 また、同国の解雇紛争解決制度の特徴は、第一に、労働裁判所という特別裁判所が唯一の公的な解雇紛争機関として設置され、機能していること、第二に、労働裁判所は、職業裁判官と労使を代表する名誉職裁判官の三者構成となっていること、第三に、イギリスのACASやフランスの労働審判所の調停部のような調整機関がないにも拘わらず、争訟弁論に先立ち必ず和解弁論が行われ、調整を重視した処理がなされていること(実際に、金銭的解決のルールの定式化等により和解率が高い)、第四に、審理は一回の期日で終わるのを原則とするなど手続が迅速で、解雇訴訟の7割が3ヶ月以内に処理されていること、また、訴訟費用が低廉であること、第五に、解雇無効の効果として、労働関係の地位確認とは別に、補償金支払いにより労働関係を終了させる解消判決を認めていること、などを指摘する。

 「第四章 フランスの解雇紛争解決制度」では、同国における解雇紛争処理の発展と現状を検討する。フランスでは、従来解雇自由の法理が貫徹されていたが、1973年法が包括的解雇規制を行い、その後、経済的解雇に対する行政許可制を導入した1975年法、許可制を届出制に変更した1986年法、経済的解雇に新たに社会計画などを設けた1993年法などを経て現在に至っている。規制内容の特徴としては、多様な解雇類型に応じて異なる法規制を行っている点を指摘できる。すなわち、第一に、差別的解雇については刑罰により禁止し、これに反する解雇は無効となる。第二に、個人的解雇と経済的解雇を区別し、前者については、解雇に正当事由を要求し、解雇に先立ち事前面談や、解雇理由の説明を義務づけ、使用者に正当事由の挙証責任を課し、救済方法として金銭補償のほか裁判所が復職を提案できる、等としている。後者については、さらに厳格な手続要件を課しており、従業員代表との協議、行政官庁への通知、一定の場合には職業転換協定や社会的計画の作成等を義務づける。第三に、従業員代表の解雇については、解雇に先立ち、企業委員会の意見聴取や労働監督官の解雇承認を得ることなどを義務づけている。また、従業員代表の不当解雇の場合は、審判所は罰則付きで復職を命じうる。

 フランスでは労働事件の97%は労働審判所で処理されており、その圧倒的多数が解雇関係事件である。労働審判所の特色としては、第一に労使を代表する審判官からなる二者構成の個別労働紛争処理の専門機関であり、第二に、その組織が業種や職種によって五つに分かれていて、業種・職種ごとの慣行を尊重した処理態勢をとっている。第三には、調停部と判定部とが置かれ、判定手続の前に必ず調停を前置する。第四に、口頭の申し立てが可能で、訴訟費用も低廉であり、当事者の同意を得て証拠調べなく判決手続に移行することも可能であるなど、手続が簡易・迅速である。また、緊急性がある場合保全・原状回復等を命じうるなど、多様な救済を与える工夫がこらされている。

 「第五章 韓国の解雇紛争解決制度」は、韓国の解雇紛争処理制度を検討する。解雇制限立法の特徴としては、第一に、不当労働行為の解雇や諸種の差別的解雇を規制する特別法があるほか、勤労基準法のなかに、一般的に正当理由のない解雇を禁止する規定を設けている。さらに、1996年12月と97年3月の法改正で同法に経営上の理由による解雇を制限する規定が新たに設けられ、解雇の実体的規制が整備されている。また、同法は解雇紛争解決手続をも定めており、解雇に関する制定法上の規制が整えられている。第二に、不当労働行為解雇や差別的解雇のみならず、一般の違法解雇についても、厳しい刑罰規定が設けられている。

 解雇紛争解決手続の特徴としては、第一に、公的機関として裁判所、労働委員会、勤労基準監督官、雇用平等に関する苦情処理委員会などの多様な機関が併存していることを指摘する。これら諸機関の管轄には重畳がみられ、機関相互の役割調整がなされていないという問題がある。第二に、これらの機関の中で解雇紛争処理の機能を中心的に果たしているのが労働委員会であり、その理由として、アクセスの容易性、短い申立期間設定などによる迅速処理、低廉な手数料、弁護士に代わる公認労務士制度の導入などを指摘する。

 「終章 解雇紛争解決制度」では、上述のような英、独、仏、韓における解雇紛争解決制度の特徴と問題点を比較整理した上で、それら諸国における同制度の共通点を以下のように指摘する。まず、解雇紛争解決手続の前提として、解雇制限立法が整備されていることである。解雇制限立法は、解雇の正当事由を予め定めておくことにより解雇紛争予防の機能を果たすとともに、すでに発生した解雇紛争処理のための判断基準を提供する。また、違法解雇救済手続を法定することにより、簡易・迅速で実効性ある紛争解決に資するという機能もある。

 次に、上記各国においては解雇を含む労使紛争を解決するための特別の紛争処理手続が設けられているが、それらの諸制度に共通の特徴としては、第一に、労働事件を処理する専門機関が設けられており、そこには労使を代表する裁判官(委員)が参加している。また、その管轄は包括的で、労使関係から生ずる紛争を幅広く取り扱っている。

 第二に、解雇紛争の内容や性質によって選択できる多様な救済方法が用いられている。たとえば、イギリスでは原職復帰、異なった雇用条件での再雇用、金銭賠償の三つの類型があり、他の国でも、原職復帰と金銭賠償とを事案に応じて選択できる。

 第三に、解雇事件の審問手続に先立って和解・調停前置主義がとられている。イギリスではACASによる調整を前置しており、そこで7割の解雇事件が解決されている。ドイツでは争訟弁論開始前に和解弁論を置き、一審の事件の約八割を解決している。フランスの労働審判所でも、強制的調停前置主義をとっている。

 第四に、解雇紛争は比較的迅速に処理されている。イギリスでは、解雇事件の8割は申立から20週以内に、ドイツでも7割が提訴から3ヶ月以内に、韓国の労働委員会では、8割が1ヶ月以内に処理されている。

 第五に、各国では訴訟費用や手数料を免除したりあるいは安価にとどめるなど、低廉な手続が用意されている。

 以上は各国の制度に共通するメリットであるが、著者は共通する問題点として、解雇紛争の急増による事件処理の困難、調整・和解中心の処理が権利実現の方法として望ましいのかについての反省、リーガリズムの進展などを指摘する。

 以上のような比較法的検討を踏まえて、著者は、日本の解雇紛争処理システムには、解雇制限立法が整備されておらず、かつ、多様な紛争処理機関が分立し、紛争処理の窓口が統一されていない、などの問題点があるとする。そして、解雇理由、解雇手続、および救済手続等について立法することには、労働者保護の観点からはもとより、紛争の防止や解決の観点からも大きな意義があること、判例法は中小企業経営者や労働者への透明性において問題があること、今後労働市場が変化し雇用流動化が進めば、解雇紛争が増加し、その適切な処理の必要が高まることを説き、日本においても解雇制限法の整備が必要であるとする。

 この解雇制限法制の内容については、(1)実体的要件、(2)手続的要件、(3)救済手続の三つに分けて検討し、次のような提言を行なっている。(1)まず、適法に解雇を行なうための実体的要件については、解雇の正当理由を、労働者の能力や資格に関する事由、労働者の行動に関する事由、経済的必要による場合等として明示すべきことを説く。(2)解雇が適法となるための手続的要件については、解雇の通知と解雇理由の書面による明示、弁明機会の保障、従業員代表との事前協議、整理解雇の場合の協議義務・解雇回避努力義務・官庁への通告義務・社会的計画作成義務などの法制化を提言する。(3)違法解雇に対する救済手続については、迅速処理の要請から1年以内の適正な出訴期間を定めること、解雇理由についての使用者の挙証責任の明示、違法解雇に対する多様かつ柔軟な救済方法の法定などを提言する。

 次に、解雇紛争処理制度整備の方向と論点について、著者は「相談・調整・判定システムが、それぞれの特色や専門性をもちながら有機的に統合され、紛争を簡易・柔軟な手続によって公正で迅速・低廉に処理できるシステム」が求められるとし、このようなシステムの整備のために以下のような検討を行う。

 第一に判定システムについては、(1)ドイツやフランスのように解雇を含む労使紛争を専門的に処理する特別裁判所による司法型システム、(2)韓国のように労働委員会が解雇紛争を含む一定の個別紛争を取り扱う行政型システム、(3)イギリスのように判定システムとは別途に調整システムを設ける中間型システムの三類型に分け、それぞれのシステムのメリット、デメリットを検討し、日本における採用可能性および問題点を具体的に指摘する。

 第二に、判定システムのみでは解雇紛争に十分に対応できないとして、調整システムの整備も必要であるとする。そして、その際には、現在の分立している調整機関を統合する必要があること、そして、調整手続を判定手続に前置して制度化すべきことを指摘する。

 第三に、調整システムと判定システムが有効に機能するには、その窓口的役割を果たす相談システムが重要であるとする。そして相談システム整備の際には、関係法令・判例や処理機関の情報提供・紹介を行なうこと、強行法規や公序に違反する解雇については行政機関による解決を働きかけ、それ以外の解雇紛争については当事者の意向や紛争の性格に応じて判定または調整システムに移送するなど、事案に応じた処理を行なうこと、利用者にとってアクセスしやすいものとすること、などが要請されるとする。

 以上が本論文の要旨である。

 次に、本論文の評価であるが、まず、本論文の長所としては以下の点が挙げられる。

 第一に、従来、労働争議の調整や不当労働行為の救済など集団的労使紛争処理制度については相当の研究が蓄積してきたが、近年重要な政策課題となっている個別労使紛争処理制度については研究が不十分であった。本論文は、個別労使紛争の中心的類型である解雇紛争に焦点を当てて、実体法・手続法双方の観点から、そして裁判上・裁判外処理機関を含む紛争処理制度全体の観点から、わが国制度の現状・問題点・改革の方向を比較法的に検討したものであり、解雇紛争処理制度に関する初めての本格的研究ということができる。

 第二に、解雇紛争処理制度に関する英、独、仏、韓の詳細な外国法研究としての価値を指摘できる。従来、解雇の法規制については、個別の国に関する研究や、実体法または手続法に限った比較研究はあったが、本論文のように実体法と手続法を縦糸と横糸にして、解雇紛争処理制度全体を日本も含めた5カ国について包括的に比較検討した業績はない。しかも、従来から紹介されてきたドイツ・フランスに見られる司法型システムの研究を深めているのみならず、韓国に見られる行政委員会による判定・調整システムや、イギリスにおける司法型判定システムと行政型調整システムの連携などの類型をも明らかにし、これらを含めた比較をしていることは特筆に値する。しかも、文献で知りうる制度比較にとどまらず、英、独、韓の紛争処理機関における解雇紛争処理の実状について現地調査を行って、調整手続の実際上の有効性を明らかにするなど、各国における紛争処理制度の現実の機能までも視野に入れた分析を行っている。

 第三に、広範囲な比較法研究の成果を、日本における解雇紛争処理制度設計のための論点提示へと結実させている点である。著者は5カ国を横断的に比較することにより、各国の解雇規制と解雇紛争処理制度の特徴を明快に分析整理し、そこから日本の現行制度のもつ問題点を浮き彫りにしている。こうした比較法研究に基づきわが国の解雇紛争処理制度の改革のための制度的論点を整理して提示している点で、そして、権利濫用の一般法理に依存してきた解雇の実体法的規制や、集団的労使紛争に限定されてきた労働委員会の権限などのわが国の従来の通念に対して反省を迫る点で、本論文は学界のみならず政策立案者に対しても有益な貢献をしている。

 第四に、叙述が平易で各所にまとめが付されており、流れのある読みやすい論文となっている。

 しかし、本論文にも短所とすべきところがないわけではない。

 第一に、5カ国にわたる比較法研究ということもあり、各国の制度分析については掘り下げ不足の点も見受けられる。特に、各国における解雇紛争の社会的背景や労使関係との関わりの検討があれば、より深みのある研究となったと思われる。

 第二に、我が国の解雇紛争処理制度についての論点を提示しているが、具体的立法論としては解雇規制の要件・効果、処理機関の具体像など、実体法上も手続法上も詰められるべき点がなお残されている。

 第三に、叙述上の問題として繰り返しがやや多い。

 しかしこれらの諸点は、解雇紛争処理制度に関する初めての本格的な比較法研究としての本論文の上記価値を大きく損なうものではない。したがって、本論文は、博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。

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