遷移金属の中でもRuはPd,Rhなどとともに最も広く有機合成に用いられている金属であり、特に三級ホスフィンに代表されるリンを配位原子とする化合物について詳細な研究が行われてきたが、リン以外のヘテロ原子を配位原子とするRu錯体を用いた反応に関してはこれまであまり報告がなされていない。当研究室では、[Cp*RuCl2]2(CP*=5-C5Me5)と種々のチオールやチオラート類との反応により一連のチオラート架橋複核Ru錯体を新規に合成し、これら二核Ru反応場を利用して有機分子の単核サイト上での反応とは異なる新しいタイプの変換反応の開発を行っている。本研究では、カチオン性複核Ru錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(OH2)Cp*][OTf](1;OTf=OSO2CF3)上でのアリキン類の変換反応を検討し、アルキンの種類により、以下に示す一連の新規二核Ru錯体が各々高収率・高選択的に生成することを見いだした。 [1]複核Ru錯体上でのアルキンのカップリング反応 中性錯体[Cp*Ru(Cl)(2-SPri)2Ru(Cl)Cp*]を等モル量のAgOTfで処理することにより、カチオン性複核錯体1がほぼ定量的に得られる(式1)。1の構造に関しては、X線構造解析より固体状態ではClとH2Oとが各々のRu上に配位しているが、溶液状態において室温での1H NMRスペクトルはCp*に由来するシグナルを一種類のみ示すことから、H2O分子の解離・再配位とCl配位子の二つのRu原子間での移動が速い速度で起きているものと考えている。 1を過剰量のまたはHC≡CR(R=Ph,Tol;Tol=4-MeC6H4)と反応させると、複核Ruサイト上においてアルキン2分子間の特異な炭素-炭素結合生成反応が室温で速やかに進行し、カチオン性複核メタラサイクル錯体2及び3a,3bが各々ほぼ定量的に得られた(Scheme 1)。3bは別途合成した複核ジアルキニル錯体[Cp*-Ru(C≡CTol)(2-SPri)2Ru(C≡CTol)Cp*]のプロトン化によっても生成することなどから、推定される反応機構をScheme2に示す。これらの反応はまず二分子のアルキンをアルキニル/ビニリデン錯体の形式でRu上に取り込み、アルキニル配位子のビニリデン配位子の炭素への移動による両者のカップリングにより生成する架橋ブテニニル錯体を経て、最終的に複核Ru中心上にメタラサイクルを形成すると考えられる。2,3の生成はすみやかであり、反応の中間段階に関する情報は得られていないが、反応基質としてかさ高い置換基を有するHC≡CFc(Fc=(5-C5H4)Fe(5-C5H5))を用いることにより、対応するカチオン性二核ブテニニル錯体4を単離することが出来た(式2)。X線構造解析により、4は二核Ru上に架橋配位したブテニニル基を有することが示され、錯体1上でのアルキンのカップリング反応の中間段階に対応する錯体が得られたという点で興味深い。 Scheme 1aScheme 2[2]複核Ru錯体上でのフェロセニルアセチレンの触媒的二量化・三量化反応 上記の反応(式2)は室温で進行するが、過剰のフェロセニルアセチレン存在下に錯体4をさらに反応させたところ、HC≡CFcを二量化・三量化する触媒として機能することが明らかとなった。すなわち、60℃にて5mol%の4の存在下、HC≡CFcは二量体(Z)-FcC≡CCH=CHFc(62%)及び三量体(Z,Z)-FcC≡CCH=C(Fc)CH=CHFc(32%)へと変換される(式3)。この触媒反応は高度に位置選択的・立体選択的であり、他の幾何異性体は全く観測されなかった。 推定する反応機構をScheme3に示す。触媒錯体上の架橋ブテニニル配位子が外部からのアルキンによりRu-C結合を切断されて二量体を与え、モノアルキニル錯体からアルキニル/ビニリデン錯体を経て元の架橋ブテニニル錯体へと戻る過程により二量体の生成を説明できる。三量体についてはモノアルキニル錯体からのRu-Cへのアルキンの挿入とアルキニル/ビニリデン間のカップリング等により説明できるが、生成する三量体の特異な構造を説明するためには、反応の過程において少なくとも一度のRu-Cに対するアルキンのtrans型の挿入が起こっていると考えざるを得ない。このことは通常単核の錯体上におけるM-C結合への挿入反応がcis型で進行することと異なっており、本反応が二核錯体上において二つの金属中心を同時に利用して進行していることの大きな特徴ではないかと考えている。 Scheme 3[3]二核末端ビニリデン錯体及びアレニリデン錯体の合成と反応性 1はHC≡CH(gas),HC≡CCOOMe,HC≡CCOMeとも反応し、それぞれ対応するカチオン性二核末端ビニリデン錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(=C=CHR)Cp*][OTf](5a,R=H;5b,R=COOMe;5c,R=COMe)を与えた(式4)。また1はHC≡CC(OH)R2(R=Ph,Tol)と反応してカチオン性二核末端アレニリデン錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(=C=C=CR2)Cp*][OTf](6a,R=Ph;6b,R=Tol)を与えた(式5)。5c,6bについてはX線構造解析によりその構造を明らかにした。Cl配位子とビニリデン配位子またはアレニリデン配位子とが各々のRu上に互いにcisの配置を取っている。 次に、複核ビニリデン錯体の反応性を検討した。まず、5a-5cとH2Oとの反応において、5aが架橋アセチル錯体7を与えるのに対し、5b,5cは全く異なる挙動を示し、カルボニル錯体8及びCH3COR’(R’=OMe,Me)をそれぞれ定量的に与えることを見出した(Scheme 4)。後者の反応ではScheme 5に示すようにビニリデン配位子とH2Oとにより生成するアシル配位子が二核上に架橋配位することにより配位子中のC-C結合の切断が促進されていると考えられる。この反応の機構に関する知見を得る目的で、5bとMeOHとの反応をおこなったところ、錯体9を得た(式6)。X線構造解析の結果、錯体9はScheme 5において推定した架橋-ケトアセチル配位子のエノールエーテルに対応する架橋ビニル配位子を有することが分かった。このことはビニリデン配位子の水和反応においても類似の架橋構造を経由していることを示唆しており、Scheme 5の反応機構を支持するものと考える。こうしたカチオン性二核錯体上での特異なC-C結合の切断も二核構造を利用した反応の一例を示していると言える。 Scheme 4Scheme 5 また、[1]において述べたカチオン性複核Ru錯体上でのアルキンのカップリング反応の反応機構の考察から、二核末端ビニリデン錯体5に対して他のアルキン類を導入すれば、二核Ru錯体上での異種アセチレンのカップリング反応をおこなわせることができるものと期待される。そこで5b,5cに対しHC≡CTolを反応させたところ錯体上に一分子のHC≡CTolが導入されてフラン骨格を有するメタラサイクル錯体10a,10bが得られた(式7)。この反応においても、まずアルキニル/ビニリデン錯体が形成され、続く両配位子のカップリングを経て錯体10が生成するものと考えられる。 |