学位論文要旨



No 112972
著者(漢字) 高木,幸浩
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,ユキヒロ
標題(和) チオラート架橋カチオン性複核ルテニウム錯体上での末端アルキン類の特異な変換反応
標題(洋) A Study on Unique Transformations of Terminal Alkynes on a Cationic Diruthenium Complex with Bridging Thiolate Ligands
報告番号 112972
報告番号 甲12972
学位授与日 1997.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3964号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 講師 石井,洋一
内容要旨

 遷移金属の中でもRuはPd,Rhなどとともに最も広く有機合成に用いられている金属であり、特に三級ホスフィンに代表されるリンを配位原子とする化合物について詳細な研究が行われてきたが、リン以外のヘテロ原子を配位原子とするRu錯体を用いた反応に関してはこれまであまり報告がなされていない。当研究室では、[Cp*RuCl2]2(CP*5-C5Me5)と種々のチオールやチオラート類との反応により一連のチオラート架橋複核Ru錯体を新規に合成し、これら二核Ru反応場を利用して有機分子の単核サイト上での反応とは異なる新しいタイプの変換反応の開発を行っている。本研究では、カチオン性複核Ru錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(OH2)Cp*][OTf](1;OTf=OSO2CF3)上でのアリキン類の変換反応を検討し、アルキンの種類により、以下に示す一連の新規二核Ru錯体が各々高収率・高選択的に生成することを見いだした。

[1]複核Ru錯体上でのアルキンのカップリング反応

 中性錯体[Cp*Ru(Cl)(2-SPri)2Ru(Cl)Cp*]を等モル量のAgOTfで処理することにより、カチオン性複核錯体1がほぼ定量的に得られる(式1)。1の構造に関しては、X線構造解析より固体状態ではClとH2Oとが各々のRu上に配位しているが、溶液状態において室温での1H NMRスペクトルはCp*に由来するシグナルを一種類のみ示すことから、H2O分子の解離・再配位とCl配位子の二つのRu原子間での移動が速い速度で起きているものと考えている。

 1を過剰量のまたはHC≡CR(R=Ph,Tol;Tol=4-MeC6H4)と反応させると、複核Ruサイト上においてアルキン2分子間の特異な炭素-炭素結合生成反応が室温で速やかに進行し、カチオン性複核メタラサイクル錯体2及び3a,3bが各々ほぼ定量的に得られた(Scheme 1)。3bは別途合成した複核ジアルキニル錯体[Cp*-Ru(C≡CTol)(2-SPri)2Ru(C≡CTol)Cp*]のプロトン化によっても生成することなどから、推定される反応機構をScheme2に示す。これらの反応はまず二分子のアルキンをアルキニル/ビニリデン錯体の形式でRu上に取り込み、アルキニル配位子のビニリデン配位子の炭素への移動による両者のカップリングにより生成する架橋ブテニニル錯体を経て、最終的に複核Ru中心上にメタラサイクルを形成すると考えられる。2,3の生成はすみやかであり、反応の中間段階に関する情報は得られていないが、反応基質としてかさ高い置換基を有するHC≡CFc(Fc=(5-C5H4)Fe(5-C5H5))を用いることにより、対応するカチオン性二核ブテニニル錯体4を単離することが出来た(式2)。X線構造解析により、4は二核Ru上に架橋配位したブテニニル基を有することが示され、錯体1上でのアルキンのカップリング反応の中間段階に対応する錯体が得られたという点で興味深い。

Scheme 1aScheme 2
[2]複核Ru錯体上でのフェロセニルアセチレンの触媒的二量化・三量化反応

 上記の反応(式2)は室温で進行するが、過剰のフェロセニルアセチレン存在下に錯体4をさらに反応させたところ、HC≡CFcを二量化・三量化する触媒として機能することが明らかとなった。すなわち、60℃にて5mol%の4の存在下、HC≡CFcは二量体(Z)-FcC≡CCH=CHFc(62%)及び三量体(Z,Z)-FcC≡CCH=C(Fc)CH=CHFc(32%)へと変換される(式3)。この触媒反応は高度に位置選択的・立体選択的であり、他の幾何異性体は全く観測されなかった。

 

 推定する反応機構をScheme3に示す。触媒錯体上の架橋ブテニニル配位子が外部からのアルキンによりRu-C結合を切断されて二量体を与え、モノアルキニル錯体からアルキニル/ビニリデン錯体を経て元の架橋ブテニニル錯体へと戻る過程により二量体の生成を説明できる。三量体についてはモノアルキニル錯体からのRu-Cへのアルキンの挿入とアルキニル/ビニリデン間のカップリング等により説明できるが、生成する三量体の特異な構造を説明するためには、反応の過程において少なくとも一度のRu-Cに対するアルキンのtrans型の挿入が起こっていると考えざるを得ない。このことは通常単核の錯体上におけるM-C結合への挿入反応がcis型で進行することと異なっており、本反応が二核錯体上において二つの金属中心を同時に利用して進行していることの大きな特徴ではないかと考えている。

Scheme 3
[3]二核末端ビニリデン錯体及びアレニリデン錯体の合成と反応性

 1はHC≡CH(gas),HC≡CCOOMe,HC≡CCOMeとも反応し、それぞれ対応するカチオン性二核末端ビニリデン錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(=C=CHR)Cp*][OTf](5a,R=H;5b,R=COOMe;5c,R=COMe)を与えた(式4)。また1はHC≡CC(OH)R2(R=Ph,Tol)と反応してカチオン性二核末端アレニリデン錯体[Cp*RuCl(2-SPri)2Ru(=C=C=CR2)Cp*][OTf](6a,R=Ph;6b,R=Tol)を与えた(式5)。5c,6bについてはX線構造解析によりその構造を明らかにした。Cl配位子とビニリデン配位子またはアレニリデン配位子とが各々のRu上に互いにcisの配置を取っている。

 

 次に、複核ビニリデン錯体の反応性を検討した。まず、5a-5cとH2Oとの反応において、5aが架橋アセチル錯体7を与えるのに対し、5b,5cは全く異なる挙動を示し、カルボニル錯体8及びCH3COR’(R’=OMe,Me)をそれぞれ定量的に与えることを見出した(Scheme 4)。後者の反応ではScheme 5に示すようにビニリデン配位子とH2Oとにより生成するアシル配位子が二核上に架橋配位することにより配位子中のC-C結合の切断が促進されていると考えられる。この反応の機構に関する知見を得る目的で、5bとMeOHとの反応をおこなったところ、錯体9を得た(式6)。X線構造解析の結果、錯体9はScheme 5において推定した架橋-ケトアセチル配位子のエノールエーテルに対応する架橋ビニル配位子を有することが分かった。このことはビニリデン配位子の水和反応においても類似の架橋構造を経由していることを示唆しており、Scheme 5の反応機構を支持するものと考える。こうしたカチオン性二核錯体上での特異なC-C結合の切断も二核構造を利用した反応の一例を示していると言える。

Scheme 4Scheme 5

 また、[1]において述べたカチオン性複核Ru錯体上でのアルキンのカップリング反応の反応機構の考察から、二核末端ビニリデン錯体5に対して他のアルキン類を導入すれば、二核Ru錯体上での異種アセチレンのカップリング反応をおこなわせることができるものと期待される。そこで5b,5cに対しHC≡CTolを反応させたところ錯体上に一分子のHC≡CTolが導入されてフラン骨格を有するメタラサイクル錯体10a,10bが得られた(式7)。この反応においても、まずアルキニル/ビニリデン錯体が形成され、続く両配位子のカップリングを経て錯体10が生成するものと考えられる。

 

審査要旨

 複数の金属中心を隣接した位置に有する多核錯体は、従来の単核錯体をこえる新しい反応場を提供するものとして興味深い。本論文は、架橋チオラート配位子を補助配位子として有するカチオン性二核ルテニウム錯体を、隣接する二つの反応中心を有する反応場として利用した末端アルキン類の特異な変換反応に関する研究について述べたものであり、以下の4章より構成されている。

 第1章は序論であり、遷移金属錯体を用いた有機合成の有用性およびこれを多核金属錯体という多中心反応場へ展開することの意義を述べ、また本研究の背景について説明したものである。

 第2章では、カチオン性二核ルテニウム錯体上での末端アルキン類のカップリング反応について述べている。まず電気的に中性の二核ルテニウム錯体から誘導されるカチオン性二核ルテニウム錯体とシクロヘキセニルアセチレン、アリールアセチレン、およびエチニルチオフェンとの反応を検討し、それぞれ二核ルテニウムサイト上においてアルキン二分子間の特異な炭素-炭素結合生成反応が室温で速やかに進行し、対応するカチオン性二核メタラサイクル錯体がほぼ定量的に得られることを見い出している。その反応機構として、二分子のアルキンが二核ルテニウム錯体のおのおのの金属サイト上にてアルキニル配位子およびビニリデン配位子に変換され、次いでアルキニル配位子とビニリデン配位子とのカップリングにより架橋ブテニニル錯体を生成し、最後に架橋ブテニニル配位子の環化によって生成物のメタラサイクル錯体に至る機構を提案している。さらに反応基質としてかさ高い置換基を有するフェロセニルアセチレンを用いることにより、上記のアルキンのカップリング反応の中間段階に対応するカチオン性二核ブテニニル錯体を単離することに成功している。

 第3章では、カチオン性二核ルテニウム錯体上でのフェロセニルアセチレンの触媒的二量化・三量化反応について述べている。すなわち、架橋ブテニニル配位子を有するカチオン性二核ルテニウム錯体が、フェロセニルアセチレンを位置選択的・立体選択的にシス型の二量体および直線状の三量体へ変換する触媒として機能することを見い出している。また、反応液から触媒として用いた二核錯体をほぼ定量的に回収し、本触媒反応が二核構造を保持したまま進行する数少ない例であることを示し、カチオン性架橋ブテニニル錯体がフェロセニルアセチレンの触媒的二量化反応の直接の反応中間体であることを明らかにした。さらに、触媒錯体と生成物である三量体との構造の考察から、三量化反応の過程においては少なくとも一度の金属-炭素間結合に対するアルキンのトランス型の挿入が起こっていることを見い出した。この点は、通常の単核錯体上における金属-炭素結合への挿入反応がシス型で進行することと異なっており、二核錯体上において二つの金属中心を同時に利用する本触媒反応の大きな特徴であると述べている。

 第4章では、二核末端ビニリデン錯体およびアレニリデン錯体の合成と反応性について述べている。すなわち、カチオン性二核ルテニウム錯体とプロピオール酸メチル、3-ブチン-2-オンおよびアセチレンとの反応により、それぞれ対応するカチオン性二核ビニリデン錯体が、一方プロパルギルアルコール類との反応ではカチオン性二核アレニリデン錯体が得られることを見い出した。次いで、二核ビニリデン錯体と水との反応において、ビニリデン配位子が無置換の場合には架橋アセチル錯体を与えるのに対し、メトキシカルボニル基またはアセチル基を有する場合にはビニリデン配位子が水和されると同時に炭素-炭素結合の開裂を起こし、カルボニル錯体および酢酸メチルまたはアセトンをそれぞれ定量的に与えることを明らかにした。さらにプロピオール酸メチルから誘導されたビニリデン錯体とメタノールとの反応の検討から架橋-ケトビニル錯体の単離に成功し、上記のメトキシカルボニル基、アセチル基を有するビニリデン錯体と水との反応においても、ビニリデン配位子の水和で生成する-ケトアシル配位子が二核ルテニウム上に架橋配位することにより配位子中の炭素-炭素結合の切断が促進されていると結論した。ここで見い出されたアセチレンの水和反応は、二核構造を利用した有機基質の活性化として興味深い例と言える。また、二核ビニリデン錯体とトリルアセチレンとの反応によりフラン骨格を有するメタラサイクル錯体が得られることも見い出し、この反応に対してアルキニル配位子とビニリデン配位子の二核錯体上でのカップリングを経る機構を提案している。

 以上、本論文では架橋チオラート配位子を有するカチオン性二核ルテニウム錯体を取り上げ、その多中心反応場における末端アルキン類の反応性について検討し、そのうちのいくつかの場合には錯体の二核構造に由来すると考えられる基質の特異な変換反応が起こることを見い出している。このように、本論文は多核金属錯体の持つ特徴を明らかにし有機合成化学における利用の可能性を示した点で、有機金属化学の発展に対して大きく貢献するものと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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