学位論文要旨



No 112973
著者(漢字) 金,光林
著者(英字)
著者(カナ) ヂン,クォンリン
標題(和) 日鮮同祖論 : その実体と歴史的展開
標題(洋)
報告番号 112973
報告番号 甲12973
学位授与日 1997.09.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第124号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 助教授 瀬地山,角
 東京大学 講師 徳盛,誠
内容要旨

 本論文は「日鮮同祖論」と言われて来たものの実体とその歴史的展開過程を総体的に把握をしようとするものである。

 「日鮮同祖論」については、すでに旗田魏・上田正昭・金一勉・工藤雅樹・小熊英二氏らによって先行研究が行われてきたのであるが、それでも「日鮮同祖論]の実体と歴史的展開過程が充分には明らかにされず、未解決の問題が残されている。とりわけ本論文では「日鮮同祖論」のイデオロギー的性格に対する批判に重点が置かれていたこれまでの先行研究の偏向性を克服して、まず「日鮮同祖論」の学説的内容と学説史上の意義を明確にし、「日鮮同祖論」の学説的内容と密接な関連があった同祖論者たちの民族論を新しい視点からアプローチした上で、「日鮮同祖論」の持つイデオロギー的性格を改めて分析してみたい。

 本論文は「日鮮同祖論」の実体と歴史的展開過程を総体的に把握することを研究目的とするために、基本的には歴史学の実証研究の手法を採用した。この方法に基づいて、まず「日鮮同祖論」の原型をなす近代以前の日朝両国間の同祖論言説を検討し、それから近代の日朝関係史の中で「日鮮同祖論」の展開を通時的に検討した。

 次に研究資料の問題である。本論文では同祖論を主張した個々人を幾つかの類型にわけて考察しているために、研究資料は各個人の論著が中心となり、『日本書紀』『古事記』などの史料は所要の目的に沿って副次的に利用した。また、同祖論に関する各個人の論著が多数ある場合は、その全部を資料として使う必要はないので、その中の代表的な論著を選別して資料にした。

 以上の研究課題と方法論に基づいて、本論は五章から構成され、各章は具体的に次の諸点を議論の軸とした。

 第一章では、日朝両国間における近代以前の重要な同祖論言説を検討し、それと近代の「日鮮同祖論」との関わりについて考えた。

 ここでは、まず「記・紀」など古典の朝鮮関連伝承が伝統的に如何に解釈され、理解されてきたかという問題を素戔鳴尊新羅降臨伝説など典型的な幾つかの事例に即して検討した。次に江戸時代の「記・紀」解釈において重要な位置を占めている新井白石の神代史観とそのような神代観に基づいた同祖論言説を検討し、古代日本における朝鮮の影響を重視した江戸時代の考証学者藤貞幹の主張と彼の主張に対する国学者本居宣長の反論の意味を考えた。それから『三国史記』『三国遺事』など朝鮮の古典における日本関連伝承、李朝時代の知識人申叔舟・韓致・柳得恭らの日本文化観などを通して朝鮮側の伝統的な同祖論言説を検討した。

 第二章では、「日鮮同祖論」の学説的内容と学説史上の意義、同祖論者たちの民族論を考える上で重要な意味を持つ古代支配層朝鮮半島起源説について検討した。

 ここでは、まず明治期の日本人種論を概略しながら、古代支配層朝鮮半島起源説及び同祖論者たちの民族論の形成に大きな影響を及ぼす「日本人後来説」と「混合民族説」について考えてみた。それから明治・大正期の古代支配層朝鮮半島起源説の有力な提唱者であった横山由清、三宅米吉、山路愛山らの関連学説を検討した。

 以上の三人の古代支配層朝鮮半島起源説については、彼らの学説的内容を検討すると同時に、その学説と密接な関係がある民族論も合わせて検討した。

 第三章では、星野恒の日韓同域論と久米邦武の日・韓・閑三土連合説を中心に日本の近代歴史学の形成に大きな影響を残した初期官学アカデミズム史学における同祖論の諸相を検討し、それから初期官学アカデミズム史学者の「日鮮同祖論」の影響を受けたと見られる民間史家吉田東伍・田口夘吉・竹越与三郎らの「日鮮同祖論」についても検討した。

 ここでは、以上の人々の同祖論と近代日本の朝鮮植民地支配との関わりに注目すると同時に、彼らの同祖論の学説的内容と民族論を検討し、田口・竹越二人の場合は、黄禍論、脱亜論との関連についても検討した。

 第四章では、人類学者鳥居龍蔵、歴史学者喜田貞吉、言語学者金沢庄三郎らを対象に、彼らの同祖論の前提になる学説的内容を検討し、合わせてその民族論も検討した。それから彼らが同祖論言説を通して如何に朝鮮植民地支配の正当化を主張したかという問題を考えた。

 第五章では、日本の朝鮮植民地支配の過程で「日鮮同祖論」が社会的に如何に宣伝されたかという問題を多様な資料と人物に即して検討した。ここでは、まず「日韓併合」が行われた際、日本の言論界が併合の正当化のために「日鮮同祖論」を如何に宣伝したかという問題を検討した。次に植民地治下の朝鮮民族に対する同化政策を強化するために一九三〇年代後半から四十年代前半にかけて行われた「内鮮一体」化運動に「日鮮同祖論」が持ち出された意味について、直接「内鮮一体」化運動を推進した南次郎・小磯国昭・津田剛らの言論を中心に検討した。

 そして以上のような論証により、「日鮮同祖論」の実体とその歴史的展開過程がかなり明らかになったと思われる。

 本論文の第一章からは次のような事実が分かってきた。

 近代以前の日本の同祖論言説には、「記・紀」など古典の朝鮮と関連する伝承を観念的に解釈し、そこから日本の朝鮮に対する親近性あるいは優位性を説く場合と、素朴ではあるが「記・紀」など古典の朝鮮関連伝承を合理的・実証的に研究することによって朝鮮との民族的・文化的関係を説く場合があり、以上の両者がいずれも近代の「日鮮同祖論」の源流をなしたのである。

 一方、朝鮮の場合は、古代朝鮮の諸国が日本に多くの文物を伝えたという理解に基づいて日本に対して文化的優越主義を取る傾向が古くから存在していたのである。

 それから本論文の第二・三・四章の内容をまとめて要約と次の通りである。

 第一、同祖論の学説的内容と学説史上の意義の問題である。

 同祖論者たちは明治期の日本人種論における「日本人後来説」を背景に、日本民族を構成する重要な要素と言われた古代支配層が朝鮮半島から渡来したという学説を盛んに提唱し、それが「日鮮同祖論」の主な学説的根拠とされたのである。そして以上の同祖論者たちの学説は、同時代の人類学・考古学の知見に基づく一方、「記・紀」など古典の神話・伝説、特には朝鮮と関連する各種の伝承に依存していたことも一つの大きな特色であった

 ところで、日本人種論において現在弥生人渡来説が有力な点、戦後も江上波夫・岡正雄・水野祐氏らの学説に見られるように、民族学・歴史学などの分野から日本民族の一部の起源を朝鮮半島に求める学説が多く存在する点、「記・紀」など古典の神話・伝説及び各種の伝承に基づいて日朝間の民族関係を論じる研究法は依然行われている点を考えると、「日鮮同祖論」の主な学説的根拠となった古代支配層朝鮮半島起源説の学説史上の意義は依然認められるし、日本民族起源論における有力な仮説として位置づけることができる。

 第二、同祖論者たちの民族論の問題である。

 本論文で取り上げた同祖論者たちは一方では混合民族論者でもあった。そして同祖論者たちの以上のような民族論は思想史的側面からも検討すべき必要がある。同祖論者たちは「記・紀」神話に対して比較的に批判的精神を持ち、混合民族論に基づく天皇制論を提唱し、開放的な国民性を指向していた。この点は単一民族論・国体論者とかなり異なるところである。

 第三、同祖論のイデオロギー的性格に関する問題である。

 「日鮮同祖論」という言説の危険性はそれが単に一部の学者たちによって観念的に提唱されたわけではなく、朝鮮植民地の過程でそれが世界の植民地支配史上でも特異な支配イデオロギーを生み出したという点にある。すなわち異民族に対する明らかな侵略性を復古という名分で隠蔽し、異民族に対する極端的な同化政策も一体化という美名を飾ったことに「日鮮同祖論」のイデオロギー的性格が端的に現れている。

 「日鮮同祖論」は「日韓併合」の際には、当時の言論媒介を通して併合に歴史的正当性を賦与する論理として社会的に広がり、「内鮮一体」化運動に当たっては南次郎・小磯国昭らの朝鮮総督が先頭に立って同祖論を宣伝し、それが実際の同化政策に理念として反映されていく過程で「日鮮同祖論」の持つイデオロギー性も極大化したのである。

審査要旨

 日本列島と朝鮮半島、それぞれの土地に住まう人びとが共通の祖先をもつとする言説(それを本論文では「同祖論言説」という概念で捉える)がいかに始まり、その後どのようにして広がり、歴史的にどのような役割を演じたか。これらの問に答えるために、同祖論言説の歴史的展開過程を文献資料によって跡付けることを本論文は主要な目的とする。それをもって、近代日本の朝鮮植民地支配を「内鮮一体」の論拠によって正当化しようとした特殊な同祖論言説(これが所謂「日鮮同祖論」)の実体とその背景となった言説空間を解明し、「日鮮同祖論」の内包する問題の学説史的批判を行うこと、それが本論文のもう一つの狙いである。

 「日鮮同祖論」とは、日本列島と朝鮮半島に居住する二つの民族(「日本人」と「朝鮮人」)とが同じ祖先を有するということを前提として、両民族が本来の一体性を回復すべきであると主張する言説であり、それは歴史的には近代日本の朝鮮侵略と植民地支配を正当化することに意図的に利用された、という認識が一般には流布している。それは、「日鮮同祖論」のイデオロギー的側面のみが強調されすぎているからではないかと金光林氏は考える。氏の考えによれば、そのような狭義の「日鮮同祖論」は、それに先行する広範囲にわたる同祖論言説に深く根ざしており、そのことを無視して「日鮮同祖論」を考察することはできない。そこで氏は、本論文において、同祖論言説の系譜を近代以前にまで遡ってさぐり、同祖論言説の多様な在り様を明らかにし、そのうえで改めて「日鮮同祖論」が戦前の日朝関係史に及ぼした影響を検討することを課題として掲げる。

 本論文は、「序論」と「結論」の部を除いて、全体で5章から構成されている。前近代、明治期、大正・昭和期のそれぞれの時期の同祖論言説が、時代と分野を分かって、日本だけではなく必要な場合には朝鮮側文献資料も含めて、広範かつ詳細に分析されている。以下、各章の内容を要約して紹介する。

 第1章「近代以前における同祖論の系譜」では、「記紀」(とりわけ「日本書紀」)や「新撰姓氏録」等の古代文献の記述の解釈を通して、古代の日朝関係が意識され、それに対するイメージがさまざまに織り成されるてゆく経緯が考察される。その考察から二つの大きな言説の系譜、つまり、古代において日朝間の関係の緊密であったことを認めつつ日本の優位性を主張する室町期の忌部正通「神代巻口訣」から近世の国学者に至る流れと、新井白石や藤貞幹を代表とする歴史主義的な解釈によって日朝の交流の歴史を見出そうとする流れが浮かび上がってくる。また、それに対して、朝鮮側では、「三国遺事」等の古典に触発されて古代からの日朝関係の存在には気付いていながら、日本に対する文化的優位感が大勢を占めていたという事情も周到に指摘されている。

 第2章「古代支配層朝鮮半島起源説の展開」と、第3章「初期官学アカデミズム史学における同祖論の諸相」は、日本人の起源を問う明治期の学問的試みのうちにいかなる傾向が構成され、そこから派生する同祖論言説がいかなるものであったかを検証している。ともに、明治の新しい学問形成期に内包される同祖論言説の萌芽を捉えようとするものである。また、この二つの章の分析と考察は、本論文のうちでも特に詳細に行われており、新しい知見に富んでいる。

 まず第2章では、シーボルトやモースら幕末から明治期にかけて日本に滞在した西洋人によって展開された日本人種に関する議論、それを踏まえた横山由清や三宅米吉、山路愛山等の説が考察される。そして、細部における所説の相違にも拘わらず、大陸から朝鮮半島を経て列島に移入した民族が列島の先住民を統合し、そこでの支配層を形成したとする共通認識が成立していたことが論証される。また、それらの説がいずれも近代以前の「記紀」解釈の第二の流れ、つまり歴史主義的解釈の系譜に属することが併せて論証される。

 続いて第3章では、初期官学アカデミズムを担った星野恒と久米邦武の所説が分析され、ここでも「記紀」神話が古代日本と朝鮮の同域性を主張するための根拠として機能していたことが確かめられる。さらに、彼等の学説が1910年の日韓併合を境にして、急速に日本の朝鮮支配の正当化を支える論拠へと変貌して行く様が、彼等の影響下にあった学者・著作家たち、つまり吉田東伍、田口卯吉、竹越与三郎らの主張や単一民族説に基づく国体論との関わりのなかで具体的に描き出される。

 学問的論説が政治的イデオロギーへと転化される経緯を、学説に内在する論理構造と三・一独立運動等の当時の政治状況との絡み合いのなかで解明しようとしたのが、第4章「同祖論言説に見られる両義性」である。民族の雑種性とそれを統合する万世一系の天皇という理念を核とする政治性の強い日本民族論、合理的客観性を標榜するさまざまな学説、部落差別解消という現実的問題に直結した問題意識など、複雑な側面を示すこの時期の同祖論言説が朝鮮に対する植民地支配と民族的抑圧を正当化する主張に連結されてゆく様態と動因が、大正期を活躍の中心とする人類学者鳥居龍蔵、歴史学者喜田貞吉、言語学者金沢庄三郎の所説を素材として、詳細に論述される。

 最後の第5章「朝鮮植民地支配と日鮮同祖論」では、日韓併合以後、昭和期の「内鮮一体」に至る政治過程において、それまで主として学問あるいは言論の場に置かれてきた同祖論言説が、政治的イデオロギー的歪曲を受けつつ、日本の植民地政策にいかに利用されたかが、南次郎等の歴代朝鮮総督の施策と発言、当時の政治家や研究者の主張のうちに分析される。特に、本章第3節「独立の理論と親日の理論--朝鮮の側から」は、朝鮮側からの議論を同祖論言説と関係する側面に焦点を絞りつつ紹介し、併合以後の日朝関係をめぐって交錯する言説空間の実態を立体的に照らし出している。そのなかから、併合後の朝鮮において、文化的対日優越感を発条にする抵抗運動が生まれる一方、日本と同一化する「神国」論の肯定的承認、脱中国化の模索、さらには朝鮮民族の発展的解消の提唱にまで至る多様な併合肯定論が、さまざまな同祖論言説を根拠として行われたことが、文献資料に基づいて具体的に分析される。

 以上の考察を踏まえて、結論部において、1)明治以後、日本人の起源あるいは古代日朝関係史について蓄積されてきた学問的成果には今日においても評価すべきものが少なくないことが認定され、その一方で、2)そうした諸要素から形成された「日鮮同祖論」自体は、記紀神話の歴史主義的解釈という学問的系譜が当時の国内的・国際的政治状況に媒介されつつ変容した極めて特異な植民地支配イデオロギーであり、さらに、3)その植民地支配イデオロギーは日本・朝鮮双方の民族意識にも、その後の日朝関係にも深刻で複雑な影響を及ぼしていることが確認される。

 本論文は、以上見てきたように「日鮮同祖論」に関して従来展開されてきた主としてイデオロギー批判的視点の狭隘さを克服し、それを同祖論言説の歴史的展開のなかにおいて再検討したという点、また従来断片的に言及されてきた文献資料を前近代にまで遡って同祖論言説という統一的な視点から全体的に検討した点などにおいて、既存の研究に新しい学問的貢献を成すものと評価されよう。また、従来十分に研究対象とされてこなかった朝鮮側資料を掘り起こし、「日鮮同祖論」が引き起こした政治社会的な影響の深刻さを、朝鮮側において検証した点も十分に評価されてよい。

 金光林氏は朝鮮族中国人であり、自らの民族的アイデンティティにおいて複雑な状況に置かれているのだが、そのことを学問的問題意識へと高めることによって本論文の主題に取り組んできた。そのことによって、日本または朝鮮的視点に偏りがちであった「日鮮同祖論」をめぐる議論を、いっそう学問的な「同祖論言説」空間に移すことに成功し、新しい比較文化研究の地平を切り開いたことは、本論文に独自の価値を与えるものである。

 一方、文献調査の方法、論述の形式などに関して若干の疑義が審査委員から指摘された。つまり、文献の読みと分析が全体を通じて同じ周到さと深さを以て行われていないこと、日本の記紀研究の研究史の知識と理解においてやや浅いところがあること、論述が安易に流れる(日本語表現能力の問題でもあろうが一般的に見て金光林氏の日本語は大変優れたものである)個所が散見される、などが審査員のなかから指摘された。しかし、調査すべき文献資料の数の多数に上ること、外国人留学生であるという点を考慮すれば、これらの点が本論文において大きな瑕疵となるものではないとの判断を得た。

 それらの点は、今後の課題として残されているとはいえ、金光林氏の研究の価値を損なうものではなく、審査委員会は論文審査の結果として、本論文が博士(学術)の学位を授与するに値するものと判定した。

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