学位論文要旨



No 112975
著者(漢字) 河宮,未知生
著者(英字)
著者(カナ) カワミヤ,ミチオ
標題(和) 北太平洋におけるクロロフィルの季節変動のメカニズム : 海洋大循環モデルに組み入れた生態系モデルを用いた研究
標題(洋) Mechanisms of the Seasonal Variation of Chlorophyll in the North Pacific : A Study Using an Ecosystem Model Embedded in an Ocean General Circulation Model.
報告番号 112975
報告番号 甲12975
学位授与日 1997.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3303号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 教授 高橋,正征
 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 川辺,正樹
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 1はじめに

 温室効果気体を含む物質の海洋中における循環に関し,海洋表層の生態系は大きな役割を果たしている.この海洋生態系に対しては,鉛直拡散,太陽光,水温などが大きな影響を与えている.こうした因子はタイムスケールによらず海洋生態系の振舞いに影響を与えているが,その影響が最もはっきりとした形で現れているのが海洋生態系の季節変動であり,季節変動のメカニズムの理解は海洋生態系の本質を理解するのに欠くことはできない.

 海洋生態系の季節変動パターンは海域によって大きな違いを見せることが知られており,そうした違いはしばしば上述のような物理的因子の違いによって説明される.しかしながら,そうした物理的因子による効果のみで果たして実際の季節変動パターンを生み出し得るのかどうか.はそれほど詳しく調べられているわけではない.そこで本研究では,海洋大循環モデル(OGCM)に組み込んだ生態系モデルを用いてモデル中に現れた季節変動パターンおよびパターンの空間分布について解析を行ない,物理的環境が季節変動パターンの形成にどの程度関わっているかを見ていくことにする.

2モデルの説明2.1生態系モデル

 生態系モデルはKawamiya et al.(1995)によって用いられたものを採用する.モデルを構成する変数は植物プランクトン(クロロフィルと同値なものとして扱う),動物プランクトン,粒状有機窒素,溶存有機窒素,硝酸,アンモニアの6つであり,それぞれに含まれる窒素量でその存在量が示される.モデルの構造の概要を図1に示す.

 各々の変数をCiとするとき,その時間変化は次のように書ける.

 

 移流・拡散項は,次に説明するOGCMで得られる物理場を用いて計算する.また生物過程については,観測・実験から得られた経験式を用いている.

 モデルのキャリブレーションは2つの定点観測点に1次元生態系モデルを適用することにより行なった.これらの定点観測点のうち一方は富栄養海域にあり他方は貧栄養海域にあるにも関わらず,クロロフィル存在量・年間生産量にはそれほど大きな差がないという特徴を,1次元モデルはよく捉えることができた.

図1:モデルの構造.矢印が窒素の流れを示す.
2.2海洋大循環モデル

 OGCMは東京大学気候システム研究センターで開発されたものに手を加えたものである.混合層モデルとしてMellor-Yamada level 2.5(Kantha & Clayson(1994)によって改良されたもの)を組み入れ,等密度面拡散を導入している.計算対象領域としては北太平洋を考え,水平格子間隔は2°×2°とする.また鉛直には45層とってあり,表層〜中層にかけて非常に細かく層を区切っている.表面の境界条件として,風,水温・塩分の月平均気候値を与えている.

2.3時間積分

 物理場のspin-upを十分行なった後,生態系モデルを入れて6年間積分した.その結果,硝酸の場にトレンドが残っているものの生態系モデルのその他の変数についてはほぼ定常的なサイクルが認められたので,6年目の結果について解析を行なった.

3結果

 鉛直平均したクロロフィルの場にEOFをかけた結果と年平均したクロロフィルの場とを基に行なった海域分けを図2に示す.これらの海域はすべて,モデルの結果から得られたEOF各モードの極値あるいは年平均場の極大値に対応しており,若干の主観は入っているものの非常に客観性の高いものである.ここで得られた海域分けは,観測データを基に海洋生態系に関する海域分けを行なったLonghurst(1995)の区分によく対応する.季節変動パターンの特徴を見るため,図2の各海域にわたって平均したクロロフィルの季節変動(表層10mにわたって平均したもの)を図3(a)に示す.また衛星観測による観測データに対し同様の平均操作を行なったものを図3(b)に示す.BOとSPとでは同じ亜寒帯の富栄養域にあって栄養塩環境は非常に似通っていながら季節変動パターンは大きく違う様子などが良く再現されている.この違いは,春先の鉛直混合の強さが両海域で違うために起こるものである.

図2:モデルで得られたクロロフィルの空間分布・季節変動パターンから作成した海域の区分.図3:各海域にわたって平均したクロロフィルの季節変動.(a)モデル;(b)衛星観測.秋から冬にかけての高緯度では衛星観測の信頼度が低いため図からデータを除外してある.モデルの結果については表層10mにわたって平均をとってある.

 鉛直混合は栄養塩の鉛直輸送・植物プランクトンの光環境の規定を通じてクロロフィル量に大きな影響を与えており,従って混合層深度の季節変動はクロロフィル量の季節変動の決定に深く関与している.また鉛直流も栄養塩環境の規定を通じ鉛直拡散に対する植物プランクトンの応答を変え,クロロフィル量の季節変動に大きな影響を与える.すなわち,混合層深度の季節変動振幅と鉛直流がクロロフィルの季節変動を決定する主要な物理的因子であることが分かる.実際,クロロフィルの季節変動パターンの空間分布は,この2つの因子の組合せにより決まっている.このことを示しているのが図4である.図2に示した領域間の境界が2つの物理的因子のコンターラインと非常によい対応を見せることが分かる.

図4:海域区分と鉛直流・混合層の季節変動振幅との間の関係.赤い線が年平均鉛直流の0m/dayのコンターラインを示す.青い線は混合層季節変動振幅の100mのコンターラインである."U"は湧昇流,"D"は沈降流をそれぞれ表す.また"H"は混合層季節変動振幅が100m以上である領域を示している.
4結論

 混合層深度の季節変動振幅と年平均鉛直流という2つの物理的因子がモデル内のクロロフィル季節変動を強く規定している.モデル内の季節変動および変動パターンの分布が観測で得られたものとわりあいによい対応を示したことは,現実の海洋でもこうした物理的因子によって季節変動・分布パターンが大まかに決まっていることを示唆するものである.

 数十年規模の気候変動にともなって,海洋生態系にも変動が起こっている可能性が示唆されている(e.g.,Venrick et al.,1987).今後,こうした問題に対してもここでのモデルを適用した研究を行なっていきたい.

審査要旨

 大気中の炭酸ガス濃度の増加に伴う地球温暖化は、人口増加に伴う食糧不足の問題とあいまって、21世紀前半の社会的な重要課題として危惧されている。この問題に対処するために、国際的にはCLIVAR(気候変動とその予測計画)やJGOFS(全球的オーシャンフラックス共同研究)、GLOBEC(地球規模海洋生態系変動機構研究)などの国際共同研究が展開されている。これらを背景にして、本研究は大気・海洋の炭素循環に大きな役割を演じている海洋生態系の数値モデルを開発し、上部混合層が詳細に再現できる海洋大循環モデルに組み込んで、北太平洋における植物プランクトンの季節変動とその地域的差異のメカニズムの解明を試みた。その具体的方法と成果は以下の通りである。

 研究の方法:海洋大循環モデルに組込んだ生態系モデルを用いて季節変動パターンとその空間分布を解析し、既往の観測結果と比べて、栄養塩類の鉛直移流拡散、太陽光、海洋上部混合層深度、水温等の物理的環境因子の重要性を調べた。生態系モデルを構成する変数は、植物プランクトン、動物プランクトン、粒状有機窒素、溶存有機窒素、硝酸、アンモニアの6つであり、移流項には大循環モデルの流れを用いた。北太平洋全域に適用する前に、富栄養および貧栄養海域の定点観測点に1次元生態系モデルを適用することにより、生物学的素過程の諸パラメータ値と定式化の検証を行っている(第2章)。使用する海洋大循環モデルは、東京大学気候システム研究センターで開発されたものに、海洋上部混合層と等密度面拡散が導入されている。水平格子間隔は2°×2°、鉛直に45層とってあり、表・中層を非常に細かく区切っている。海面条件は、既往資料の風速、水温・塩分の月平均気候値に同化させている。そして、物理場のスピン・アップを十分に行った後、生態系モデルを組み入れて時間積分し、ほぼ定常的な季節変動が認められた6年目の結果を用いて、支配メカニズムの解析を行っている(第3、第4章)。

 研究の成果:まず、北太平洋全域を対象とした海洋大循環モデルにより、混合層深度や鉛直流などの空間分布、それらの季節変動といった物理的環境因子の現実的な結果を得、この海洋大循環モデルに生態系モデルを組込むことにより、海洋上層の栄養塩とクロロフィルの濃度、および基礎生産量と動物プランクトン密度について、絶対量と季節変動およびその空間分布のパターンを再現した。この生態系諸量の絶対値の大きさと空間分布の再現性は、Sarmiento et al.(1993)等の世界の第一線級のモデルに匹敵するものである。次に、北太平洋の季節変動の地域分布特性を調べるため、鉛直平均クロロフィル濃度の水平分布に経験的直交関数(EOF)をかけて得た各モードの極値と年平均濃度場をもとに7海域に区分した。これらは、風の応力、混合層深度、そしてクロロフィルに関する観測データをもとに海域区分されたLonghurst(1995)の結果ともよく対応する。

 さらに、モデルで計算された各海域の栄養塩収支の季節変動を解析し、鉛直混合と鉛直流が、栄養塩の鉛直輸送と植物プランクトンの光環境を通じてクロロフィル濃度に大きく影響すること、すなわち、上部混合層深度の季節変動の振幅と鉛直流速の正負がクロロフィル濃度の季節変動とその海域による違いを決める重要要因であることを明らかにした。また、親潮水域の春季のブルーミングは、密度成層の開始に伴う植物プランクトンの増殖が4月に急速に進み、動物プランクトンの捕食圧が追いつかないことによること、32°N-38°N付近の植物プランクトンの高生産海域の形成には、栄養塩濃度と水温の積の南北分布における極値が対応していることを示した。

 以上のように、申請者は北太平洋の大循環モデルに生態系を組込んだ数値モデルを構築してシミュレーション実験を行い、クロロフィル濃度の季節変動と空間分布が観測値とよく対応する結果を得た。さらに、植物プランクトンの現存量と生産速度の季節変動、および地域的変化を解析し、それらの支配因子として、上部混合層深度の季節変動の振幅、鉛直流速の大きさ、および環境水温の緯度変化の重要性を定量的に示した。これらの点に加え、本研究のような地球環境問題に関わる物理、化学、生物分野にまたがる学際的な研究課題に挑戦して、海洋における物質循環と生態系変動のダイナミックス解明の基礎となる結果を得たことは高く評価される。よって、審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に値するものと認めた。なお、論文の一部は指導教官等との共同研究の成果であるが、その主要部分は申請者自身によってなされたものである。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53996