学位論文要旨



No 112976
著者(漢字) 關口,格
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,タダシ
標題(和) 長期的関係における情報構造と効率性
標題(洋) Information Structure and Efficiency in Long-Run Relationships
報告番号 112976
報告番号 甲12976
学位授与日 1997.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第113号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 神取,道宏
 東京大学 助教授 神谷,和也
 東京大学 助教授 松井,彰彦
 東京大学 助教授 柳川,範之
 東京大学 助教授 松島,斉
内容要旨

 繰り返しゲームの理論は、長期的関係に従事する経済主体の行動を描写するモデルとして、経済学の文脈で広く用いられている。そして、繰り返しゲームの理論の最も重要な成果として挙げられるのが、いわゆるフォーク定理である。長期的関係の内部で達成可能ないかなる妥当な利得水準も、それに従事する経済主体が現在の利得のみならず将来の利得も十分に考慮に入れる限り均衡利得として達成できるというこの命題によれば、長期的視野を持つメンバーで構成されている長期的関係においては、効率的な結果が自発的に達成されうることになる。

 このフォーク定理を得る重要な鍵は、他のプレーヤーの過去の行動を観察してそれに応じて自分の将来の行動を変える可能性である。この可能性を利用すれば、いかなる逸脱的行動も以後それに対する報復的行動を引き起こすという脅しをかけることができ、従って様々な結果を均衡として達成させる余地が生じるのである。しかしながらこの方法は、他のプレーヤーの過去の行動を完全に観測できるということに大きく依拠している。そこで、他のプレーヤーの行動が完全には観測できない場合に何が起こるか、あるいはフォーク定理又は上で見た効率性達成命題が、プレーヤーの行動に関する情報の他のプレーヤーへの伝わり方、すなわち情報構造の変化に対してどの程度頑健であるのか、といった問題が生じてくる。本博士論文の目的は、この情報構造と効率性達成可能性との関係を様々な情報構造下にある繰り返しゲームの下で考察し、これらの情報構造下でも効率的な結果が得られるという意味でフォーク定理あるいは効率性達成命題の頑健性を示すことにある。

 本博士論文の主要な結論は二つある。一つは、私的モニタリングと呼ばれる、分析上非常に難しいとされている繰り返しゲームのクラスを考察し、効率的な結果がこのクラスにおいても均衡として達成されうることを示したことである。私的モニタリングとは、プレーヤーが他のプレーヤーの過去の行動を直接観測できず、むしろそれに関する不完全なシグナルを自分以外のプレーヤーには観測できない私的情報として観測する状況のことである。私的モニタリングの状況は、スティグラーのsecret price cutting modelや品質の不確かな財の交換のモデルなど現実の経済において豊富に見られる。しかし、私的モニタリング下の繰り返しゲームについては、(他の標準的な繰り返しゲームのモデルと異なり)ゲームの途中でプレーヤーが共通して観測する情報が不足するために他のプレーヤーの将来の行動の予測が難しくなるという、分析上の困難が存在する。事実、私的モニタリングの繰り返しゲームに関する既存の文献は、効率的な結果が均衡として達成可能かどうかを明らかにしておらず、ここに本論文の第一の結論の意義がある。

 第二に、本論文では繰り返しゲームの枠組みの中でプレーヤーが書面契約を結ぶことができると仮定したときに何が起こるかについて考察した。つまり、契約によって各自の行動を(契約の不完備性のために完全ではないにせよ)部分的に規定できると仮定するのである。もちろん、フォーク定理が成立して効率的な結果が自発的に達成される状況下では、契約によってメンバー間の厚生を高める余地はなく、ゆえに契約の経済的価値は存在しない。しかし、例えばプレーヤーがそれほど将来の利得を考慮に入れずフォーク定理が成り立たないときは、契約の助けを借りてこのままでは均衡として達成できないような効率的な結果を実現させることができるかもしれない。このように、書面契約あるいは明示的な契約が、長期的関係の内部で自発的に達成できる結果、しばしば用いられる表現によれば暗黙の契約を補完してプレーヤー間の協調を促進しうることをある情報構造下で示したことが、本論文の第二の結論である。

 全体の概要と関連したサーベイを行っている第1章(An Overview)の後、本論文の第2章(Efficiency in Repeated Prisoner’s Dilemma with Private Monitoring)、第3章(Repeated Games with Private Improving Signals)、第4章(Existence of Non-Trivial Equilibrium in Repeated Games with Private Monitoring)が上で述べた第一の結論を扱っている。第2章では、私的モニタリングの囚人のジレンマの無限回繰り返しゲームを考察した。そして、利得がある条件を満たし、しかも私的に観測されるシグナルの不完全性が十分に小さい(完全モニタリングに近い)限り、割引率が十分1に近いプレーヤーは近似的に効率的な結果を達成できることを示した。

 第2章で示した効率性達成命題のインプリケーションは二つある。一つは上でも述べたように、完全モニタリングの下で成立する効率性達成命題が、ごく少量の私的モニタリングの要素の導入に対して頑健であることを示したことである。なお、過去の私的モニタリングの繰り返しゲームの文献にもフォーク定理又は効率性達成命題を得る試みはすでに存在するが、それらはプレーヤーは将来の利得を一切割り引かないあるいは-合理的であるなど、プレーヤーの利得関数に対する強い仮定の下でなされている。そしてその結論はこれらの仮定に大きく依拠し、ゆえに将来の利得を僅かではあるが割り引くプレーヤーには妥当しない。よってここでの結論は、将来利得を割り引くよりもっともらしいプレーヤー像の下でのフォーク定理の頑健性を示したことになる。

 第二に、ここでの結論は私的モニタリングの状況下でのコミュニケーションの役割に関する議論と関係がある。近年、私的モニタリングの繰り返しゲームにおいて、各プレーヤーが過去の相手の行動に関する情報について公的に観測できるメッセージを送ることができる(コミュニケーション)と仮定して、フォーク定理を証明する研究が現れている。これらの研究は、長期的関係が円滑あるいは効率的に機能するためにはコミュニケーションが重要であることを示唆するが、それはコミュニケーション無しで何ができるかを知って初めて確かめることができる。囚人のジレンマに限られてはいるが、第2章の結論はコミュニケーションが経済的価値を殆ど持たないケースがあることを示している。

 第3章は、第2章で考察した私的モニタリング下の囚人のジレンマのモデルを、モニタリングの構造が時とともに完全モニタリングの状況に近づく、つまりシグナルの正確さが時とともに改善するという追加的仮定の下で分析している。スティグラーのsecret price cutting modelにおいては、これは需要の確率的変動の大きさが時間がたつにつれて小さくなる状況に対応する。第2章の結論すなわち効率性達成命題が特定の利得構造を持つケースに限定されているのに対し、ここではシグナルの改善が十分速い限り一般の利得の下で効率性命題が得られることを示している。

 第4章では、私的モニタリングの有限回繰り返しゲームを分析し、それがステージゲームのナッシュ均衡の繰り返し以外の均衡を持つ条件を明らかにしている。既に述べたように、私的モニタリングの繰り返しゲームの分析上の困難は、ゲームの途中での相手の将来の行動の予測が複雑なものになりやすいことにあるが、ここではその予測が比較的簡潔なものになる戦略を構成する方法について議論し、そのような戦略が均衡になる条件を与えている。また、いわゆるチキンゲームがこの条件を満たすゲームのクラスであることを示し、このケースについて更に分析を進めている。

 第5章(The Role of Contracts in Repeated Games)は、本博士論文の第二の結論について述べている。考えている状況は、複数の企業が長期的な合弁事業を行うことを決め、各期毎に十分訓練された労働者とそうでない労働者のどちらを事業に派遣するかを決めるというものである。訓練された労働者を派遣することは事業全体にとっては効率的だが、各企業には訓練されていない労働者を派遣して訓練費用を節約しつつフリーライドする誘因が存在する。よって、企業が将来利得をある程度割り引くならば、訓練された労働者を派遣するという効率的な結果は均衡として達成できない。また、訓練の内容が立証不可能ならば、訓練された労働者の派遣を契約によって実行させることもできない。

 しかし、一度派遣した労働者がその事業に携わる期間を契約によって定めることは、労働者が実際に事業に参加していたかどうかが立証できる限り可能である。これは、所与の繰り返しゲームにおいて行動を固定する期間を定めることに対応する。そして第5章の結論は、各期毎の合弁事業の収益にある種の不確実性があるとき、将来をある程度割り引く企業でも行動を固定する期間を適切に選ぶことによって効率的な結果を達成できる、というものである。つまり、効率的な結果を均衡として達成するような割引率の範囲を広げるという意味で、契約が長期的関係内部の協調促進に対してプラスの効果を持つことが示されたのである。

審査要旨

 1.本論分は、長期的関係を結ぶ個人の間で成立する協調的な行動を分析する「繰り返しゲーム」の理論を、新しい方向へ発展させようとする研究であり、序章1章と4本の研究報告からなる合計5章で構成されている。第2章から4章は、長期的関係を結ぶ人たちが、相手の過去の行動に対して各人別々の(不完全な)情報を得るケースを分析している。これは、経済分析での応用上は重要でありながら、従来の手法では分析が困難であったため、ほとんど手付かずの状態であった分野である。最後の章は、長期的関係における行動を、頻繁に改定できないように制度を変化させたときに、協調の可能性がどう変化するかを分析したものである。

 論文の中核になるのは第2章であり、ここにおいて関口氏は、永らくゲーム理論家の間で困難な問題として知られていた著名な未解決問題(各人に別個の観測ノイズがある場合の、繰り返し「囚人のジレンマ」ゲームにおける協調の可能性)に、肯定的な解決を与えることに成功した。

 以下ではまず、一まとまりの研究プロジェクトである第2章から4章までの意義と評価を述べ、次にやや独立した内容である5章を論じ、最後に全体に関する審査結果を記すことにする。

 2.第2章から4章は、長期的関係を結ぶ人たちが、相手の過去の行動に対して各人別々の(不完全な)情報を得るケースを分析する、「私的な不完全観測の下での繰り返しゲーム」の研究に充てられている。繰り返しゲームの研究は、過去の相手の行動が確実に分かる「完全観測」のケースから出発し、この条件の下ではかなり広範囲にわたって効率的な結果が均衡として実現できることが明らかとなった。有名な「フォーク定理」である。次に、相手の行動が不完全にしかわからないケースの中で、全員が同じシグナルを得る「公的な不完全観測」という特殊ケースが分析され、この場合についてもかなり一般的な条件の下でフォーク定理が証明されている。関口氏の研究はこれに対して、相手の行動が不完全にしかわからないケースの中で、各人が別個のシグナルを得る「私的な不完全観測」という未開拓のケースを分析し、この分野の研究を大きく進展させた。

 不完全観測の二つのケース(公的と私的)はカルテルの例で考えると分かりやすい。いま、カルテルを結ぶ企業は各期に生産量を独自に決定するとし、他の企業の生産量は直接には観察できが、市場価格は全員が観察できるとしよう。さらに、需要の変動によって生産量と価格には確率的な関係があるとすると、市場価格は相手の生産量の不完全なシグナルとなる。これは、過去の行動(生産量)に関する不完全なシグナルとして、同じのもの(市場価格)を全員が観測するという「公的な不完全観測」の一例で、Green and Porter(1984)以来すでに詳しく分析されてきたケースである。

 しかし、現実を振り返ってみると、生産量を企業が決めて価格が市場で自動的に決まるというケースはあまり見当たらず、より現実的なのは次のような状況であると考えられる。各企業は、製品差別化のある財(たとえば発電機)を作っており、価格を操作して競争している。ただし、公表されている価格と実売価格には差があり、後者は顧客(発電機の納入先)との交渉で決められている。各企業はライバルの実売価格を完全には把握できないが、それと確率的に関係している自らの売り上げを見ることによって間接的な情報を得る。これは、産業組織論で名高い"secret price cutting"という状況で、過去の行動(実売価格)に関する不完全なシグナルとして、各人別々のシグナル(売り上げ)を観測するという「私的な不完全観測」の一例で、本論文の主要な分析対象となるものである。

 私的な不完全観測のケースは上述のsecret price cuttingで代表されるように、さまざまな重要な応用例があるのだが、これまではほとんどフォーマルな分析がなされてこなかった。その理由は、完全観測や公的な不完全観測のケースと比較して、私的な不完全観測のケースは本質的により複雑な数学的構造を持っているためである。完全観測や公的不完全観測の場合には、各時点でプレーヤーが共通に持っている情報をもとにしてこれからプレーする均衡を決めて行く事ができる。このことは、ダイナミック・プログラミングの手法を使ったAbreu-Pearce-Stacchettiの「自己生成条件」という強力な手法を用いて均衡を特徴付けできることを意味し、これまでにこのケースはほぼ完全に分析し尽くされてきた。これに対して、本論文が扱う私的不完全観測のケースは、各時点でプレーヤーが共通に持つ情報が無いために、上述の自己生成条件という手法が使えなくなり、均衡の一般的な特徴づけを与える理論は今のところ何も知られていないのである。

 本論文の2章から4章はこの未開拓の分野の分析を大きく進展させるものとして評価できる。第2章の"Efficiency in Repeated Prisoner’s Dilemma with Private Monitoring"は、囚人のジレンマが繰り返しプレーされるときに、各人が相手の行動に関する別個のシグナルを得るケースが分析されている。これはきわめて自然かつ単純な状況ながら、これまでのところ協調が達成できるか否かということのみならず、「裏切りの繰り返し」という自明な均衡以外にどんな均衡があるかさえまったく知られていなかった、著名な問題である。これに対して第2章は、囚人のジレンマの利得に一定の制限をつけた上で、「情報が完全に近く、各人が将来をあまり割り引かないならば、効率的な利得がほぼ達成できる」ということを証明し、長年の未解決問題にはじめて肯定的な解決を与えることに成功した。

 証明は二つの独創的なアイデアに基づいている。一つは、比較的初期にさえ協調が成立すれば(将来協調が崩れても)高い平均利得が得られるような、比較的低い割引因子に着目し、その下でうまく機能する均衡をまず設計しておいて、次に割引因子が1に近いケースにこれを変形するという手法である。もう一つは、不均衡状態においてきわめて複雑になる利得を、単純な上限と下限を使ってラフに評価する"path dominance"という新しい手法を開発することによって、この種のゲームの困難さの原因である戦略設計の複雑さの問題を乗り越えたことである。

 第3章"Repeated Games with Improving Private Signals"は第2章の拡張になっている。第2章では、囚人のジレンマの利得に一定の制限を設けた上で効率的均衡の存在を証明したが、ここではそうした利得の制限をはずして、代わりに情報の精度が時間とともに上がるという仮定の下に効率的な均衡の存在を証明している。非常におおざっばに言えば、情報が日々改善されてゆくと、過去に得たさまざまな情報にあまりこだわらずに、最新の情報のみを見ればよいことになり、均衡の構成が容易になるのである。

 第4章"Existence of Non-Trivial Equilibria in Repeated Games with Private Monitoring"は、無限回繰り返しゲームを取り扱った前の二章と異なって、有限回の繰り返しゲームに私的不完全観測のあるケースを取り扱っている。ここでは、「チキン・ゲーム」を含むあるクラスのゲームにおいては、繰り返しの回数を十分長く取ると、各期のゲームのナッシュ均衡の繰り返しでとは異なった、自明でない均衡が構成できることが示されている。

 第2章から4章に対する審査委員会の評価は次のようである。第2章は応用上重要であり、なおかつ理論的に困難な未解決問題に独創的な手法で解決を与え、経済理論を進展させた重要な結果と認められる。第3章は自ら得たアイデア(2章)を敷延・拡張するという研究者として重要な能力を顕したものとして評価できる。第4章は、一般的な均衡の特徴づけが知られていない中で、ある種のクラスのゲームに適用できる比較的一般的な(自明でない)均衡の構成法を示した点に意義が認められる。

 一方で、次のような課題も審査委員から指摘された。全体として、個別のゲームに対してうまい均衡を構成するというアプローチがとられているが、これから一般の私的不完全観測ゲームに妥当する理論をどのように構築したら良いかということがまだ明確でないということが第一点である。次に、第3章と4章に関しては、そこで展開されているモデルの具体的な応用例をより明確にする必要があることが指摘された。また、4章に関しては、構成された均衡の効率性を上げる方法が無いかを検討する方向で研究を深化させるよう要望が出された。

 3.第5章"The Role of Contracts in Repeated Games"は、やや独立した内容を持ち、長期的関係における行動を頻繁に改定できないように制度を変化させたときに、協調の可能性がどう変化するかを分析したものである。たとえば、繰り返しゲーム的な状況で競争する鉄道会社の運賃が、規制によって1年に1度しか改定できないとしたときは、そのような制限が無くいつでも運賃の改定ができるケースに比べて、カルテル的な価格の釣り上げが容易になるかどうかというのが、この章で扱う問題の一例である。くり返しゲームで行動の改定が頻繁にできなくなると、大きく言って二つの影響がある。一つは、相手が裏切ったときにすぐには仕返しができないという、協調成立に対する負の影響である。一方で、各期の状況(上の例では月々の需要)が確率的に変化する場合は、各期の状態にあわせたきめの細かい裏切り方ができなくなり、裏切りから得られる利益が減るという、協調成立に対する正の影響も存在する。第5章は、後者の影響が強いケースが分析されている。

 この章は、応用上十分な意義のあるケースについて、これまでの理論を拡張したものとして評価できる。また、より一般的には、くり返しゲームの戦略の一部(ここでは戦略の改定のタイミング)が明示的な契約で決まり、残りが暗黙の契約(均衡)で決まるという、契約理論で比較的未開拓な分野に分析を拡張したものとしてその意義が認められる。一方で、この章の内容は抽象的な理論を論ずる現在のスタイルを変えて、鉄道運賃改定のような具体的な応用問題の研究として結果に肉付けをするほうが良いのではないかという意見も出された。

 4.全体として、本論文は永年の未解決問題の解決を通じてわれわれの知見を前進させる、特別に優れた内容を持つものと評価でき、博士(経済学)の学位授与に値するものであるという結論に、審査委員全員が一致して到達した。なお、私的観測下の繰り返し囚人のジレンマ問題の肯定的解決(第2章)はすでに1996年の国際ゲーム理論学会(Stony Brook)で本人により公表され、Journal of Economic Theory誌に掲載が決定している。

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