学位論文要旨



No 113001
著者(漢字) ハッサン,ハニー
著者(英字)
著者(カナ) ハッサン,ハニー
標題(和) 諏訪湖及び天竜川流域の水量と水質に対する将来の気候変化の影響評価
標題(洋) Water Quantity and Quality Assessment Suwa Lake and Tenryu River Basin Regarding the Impact of Future Climate Change
報告番号 113001
報告番号 甲13001
学位授与日 1997.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3978号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 助教授 古米,弘明
内容要旨

 地球の気候は確実に変化している。それは長い間変化せずにいたことはないし、人為的に加速された、近い将来における気候変動の見通しは確実なものとなってきた。普遍的に信じられているのは、人間及び産業活動に起因する大気中の温暖化ガスの急速な蓄積が、地球温暖化を煽りうるということである。気候が全ての水資源に影響を与えることはわかっているが、気候変動の方向性・強さ・速さ・地域的な関連についてはわかっていない。その上、将来の気候が水の分布と水質の形態をどのように変えるかを描いた最近の試みでさえ、地球温暖化に起因する多くの悪影響については依然よくわかっていない。気候と生物圏の変化は、現在のモデルによって予測されるよりもより穏和なものかも知れず、100年スケールで起こるのかも知れない。一方、数十年のうちに、現在のシナリオによる予想よりもはるかに強烈な変化が起こるかも知れず、それが水資源と生態系に不幸な結果をもたらすかもしれない。

 河川や湖沼などの淡水系は、いくつかの点で気候に密接に関係している。淡水系は、気候に作用する地球大気のプロセスに影響を与えうるし、それを動かすことすらありうる。例えば淡水湿地における生物由来のガス放出が挙げられる。また、気候変動の敏感かつ早期の指標にもなりうる。集水域で起こる大気や大地のできごとを統合しているからである。また、もちろん、質量両面において、気候変動自体からも影響を受ける。

 淡水域の水文・生物・生態系は、歴史的にみて気候の変化に対応してきたし、またそうあり続けるだろうと確信している。気候由来の変化は、水温・表流水・栄養塩のフラックス・水質・覆氷・懸濁物負荷・一次及び二次生産・栄養動力学・生物範囲・移動パターンを変化させるであろう。

 本論文における研究は、気候変動、及びその淡水域への影響のいくつかの分野における現状の知識を、個別のものと総合的なもの両方について明確にすることを目指して行われている1つのステップである。本研究において解明しようとする問題は、将来の気候、すなわちGCMsのような大型気候モデルによって定義される気候が変化したならば、ある淡水系、すなわち河川や湖沼の水量と水質の将来予想はどうなるのか、ということである。このような質問に答えるため、2つの主要な水系である河川と湖沼における水量水質と、気候変動とを関係づけることに努めた。2つのケーススタディーとして日本の天竜川流域と諏訪湖を選んで、数学的関係の応用可能性について調べた。

 はじめに、本研究では、統計学的小規模化の手法を用いて、スケールの大きいGCMs(経度2.5°、緯度3.75°)から、本ケーススタディーの地域スケール(諏訪湖)に、気候変量を再構築した。この手法は、気流の3つの指標、全剪断速度Z(hPa)、合成気流速度F(hPa)、気流方向角D(度)を用いている。GCMsの将来及び現在のシナリオ、HadCM2SUL-1980-1999・HadCM2SUL-2089-2099と、1979年から1995年のNCEP再解析シナリオを用い、7つの日単位の気候変量をスケールダウンした。7つの変量とは、降水量(mm)、気温(℃)、風速(m/sec)、雲量(%)、相対湿度(%)、太陽放射量(MJ/m2)、蒸発量(mm)である。

 これらのスケールダウンした気候変量を、諏訪湖の温度と富栄養化の将来予測に用いた。天竜川流域には、別にGCM-GFDL将来気候シナリオを用いて流量・水温・水質の将来予測を行った。

 水量及び水質についての現状の記述と将来の予測に、数学的モデルは必要である。現存するモデルにより、現状の問題の解析のために合理的で記述することのできる枠組みが提供されている。この現存のモデルは将来の予想能力に限界があり、将来の予想評価をおこなうことはできない。それ故、現存するモデルを再検討すべきであり、将来の気候の挙動に基づいた新しいモデルの構築重点を置くべきである。

 水文学的モデルについては、将来の影響評価の点でより良い開発がなされている。文献によれば、非常に多くの研究がなされていて、それぞれ異なる将来気候のシナリオに基づいて、流出予測の新しい枠組みが開発されている。これらのうちの一つ、Wat-Balモデルを本研究では用いた。将来における流出量が、いくつかの地域において気候要素によりどのような影響を受けるかを予測するために、世界的に用いられているからである。このモデルにいくつかの修正と改良を加えて、現在及び将来におけるより良い流出予測が得られるようにした。修正版のWBMモデルには、月毎の気候変量・全降水量・気温・風速・相対湿度・晴天時間・雲量を入力する。そうすれば、表面流出・表面下流出・直接流出・基底流量に基づく月毎の全流出量を出力できる。加えて、実際の蒸発散量・積雪量・純放射量も主な出力である。

 原型のWat-BalモデルとWBMモデルを照合解析したあと、日本の天竜川に沿ったいくつかの地点における流出量の将来予測を、GCM-GFDL将来シナリオを用いて行った。

 起こりうる範囲での自然の気候変化が、水質評価にどのくらい影響を及ぼしうるのかを知るため、いくつかの研究を行って、気候変化が河川及び湖沼の水質要素に与える影響を予測した。不幸にも、現存する水質モデルの大半は、将来の水質予測に応用するには限界がある。それ故、本研究では、3つの水質モデルを考案し、数字的にシミュレーションを行った。

1. 水温分布シミュレーション1.1. 河川の流れ方向の水温分布:WATEMP-Stream1.2. 湖沼における水温の垂直分布と層別動力学:WATEMP-Lake2. 河川の流れ方向の水質要素分布:STREAM3. 溶存酸素及び植物プランクトン量に基づく湖沼富栄養化の動力学:LEM

 これらの水質モデルは質量保存則に基づいている。質量収支式(移流-分散方程式)を用いてモデルを構築した。これらのモデルの出力は溶存濃度の時間的・空間的分布であり、方程式の解法には有限差分法に基づく数値解法を適用した。

 水温の計算には熱の流入・流出収支を用いた。水質シミュレーションには、生化学-物理学的動力学反応を考え、それぞれの要素がどのように相互影響を及ぼすかという物理的な視点で考えた。

 河川水中の9つの主要な要素の濃度について、STREAMを用いモデリングを行った。これはAQUAL2Eモデルによる物理化学の上での数理的関係に基づいている。9つの水質要素変量は、3つの有機指標(炭素・窒素・リン)と、5つの無機指標(溶存酸素・アンモニア・亜硝酸・硝酸・リン酸)、1つの生物量、藻類からなっている。また水温と太陽光放射量に加え、3つの栄養塩(アンモニア・硝酸・リン酸)が藻類の増殖速度に直接的に影響すると考えた。大気の再曝気は、水理学的パラメータとしてx方向深さと流速に基づいた単純なものでモデル化した。飽和溶存酸素は、水温と気圧の関数で決定した。

 WBMとWATEMP-Streamによる流量と水温の計算は、STREAMモデルと合わせ、6つの水質濃度についての現状及び将来における結果を天竜川流域の3つの地点について解析した。ここでいう6つの水質要素とは、溶存酸素・BOD・アンモニア・硝酸・亜硝酸・全窒素・全リンである。3つの地点とは、諏訪湖出口(最上流)、天竜地点(流域の中間点)、鹿島地点(最下流)である。将来予測の結果は、GCM-GFDL気候シナリオを用いることで導出した。

 STREAMモデルで用いた物理化学上の数理的関係を再検討し、湖沼富栄養化プロセスのモデルを改良した。2つの水質要素、植物プランクトンと溶存酸素を、富栄養化を表す指標とみなした。このモデルでは、7つの水質パラメータ、溶存酸素・BOD・有機態窒素・アンモニア態窒素・硝酸態窒素・有機態リン・リン酸態リンと、1つの生物要素、植物プランクトンについて、移流と変化反応を考えた。これらの変量は、4つの相互作用群、溶存酸素収支・窒素循環・リンの循環・植物プランクトンの動力学、にグループ分けした。

 LEMを用い、現在と将来における日毎の溶存酸素と植物プランクトンの分布を、諏訪湖湖心について予測した。日毎の出力結果を3つの季節、春(3-5月)・夏(6-8月)・秋(9-11月)に分けた。ここで冬については、湖に氷が張るため除外した。将来におけるシミュレーション結果を得るために、小規模化したGCM-HadCM2SUL気候シナリオを用いた現在と将来の溶存酸素と植物プランクトンの結果は、実際の溶存酸素とクロロフィル-aの測定値と比較した。

審査要旨

 人為的な温室効果ガスの増大により気候変化が生じることが不可避ではないかと考えられるようになり、その影響を評価することが重要となっている。水環境に関する影響については、IPCCの1995年の報告書においても未だ定量的な検討が十分にされておらず、とりわけ特定の地域に対する評価が遅れている。本論文は、わが国の諏訪湖及び天竜川流域を対象にして、水量及び水質への気候変化の影響を評価しようとしたものである。

 本論文は「Water quantity and quality assessment for Suwa Lake and Tenryu River basin regarding the impact of future climate change」と題し、全8章からなる。

 第1章は「Introduction」で、本研究の背景、目的、意義について述べている。

 第2章「Literature review」では、まず水資源に対する気候変化の影響に対する既往の研究をIPCCの1995年の報告書を中心にしながらレビューしている。次に本研究で扱う水収支や水質のモデルについて、本研究への応用を念頭におきながら既往のモデルに関する研究をレビューしている。

 第3章は「Statistical downscaling of GCMs climate variables using airflow indices」である。気候変化の水資源への影響評価に当たって、大きな障害になっているのは、将来の気候変化の予測の根拠となっている大循環モデル(GCMs)が与える結果の空間的解像度が数百キロ四方と粗いという問題である。実際の水文流出予測では、対象地域の降水量が必要で、またそれも月間平均ではなく極値を含むものでなければならない。そこで、水文流出に対する気候変化の将来予測のこのようなきめ細かい値を求めるために統計的なdownscalingの手法を用い、これを対象流域に適用した。GCMの出力として与えられる気流に対する主たる指標(気圧など)と対象地域各地点の降水量、気温、雲量、などの気象パラメータとの関係を対象地域の過去17年間の毎日の地上観測データを元に統計的に求め、GCMによる将来予測値を元に将来の各地点の気象パラメータを求めるた。この結果は、現在最も必要性が高いと考えられている部分であり、先進的な成果を示している。なお、この作業はイギリスDerby大学との共同研究の成果である。

 第4章は「Water balnce model」である。従来から提案されている水収支のモデルを改良した上で、天竜川に適用している。ダムなどの人工物の影響と自然の流出が峻別されていないという点が今後の課題として残るが、月毎の流量と降水量、気温などとの関係がこのモデルで表現でき、GCMの月間平均値を入力して将来の流量を推定した結果、地点と既設による流量の増加または減少を予測している。

 第5章は「Heat balance and water temperature modeling」である。湖沼については、夏季の成層期間とその強度が水質に大きな影響を与える。ここでは熱収支のモデルを改良し、それを諏訪湖に適用している。その適用に当たっては第3章で行ったdownscalingによる対象地点の日毎の将来気候の予測値を用いた。このような気候予測値を用いることによって、より現実的な推定が可能になり、また日単位で起きる成層期間の変化を捉えることに成功している。成層期間が前後にそれぞれ半月程度伸びるという結果が得られている。天竜川沿いの水温分布については、別のモデルを改良して適用しており、夏季の上昇が著しいことを示している。

 第6章は「In-stream water quality modeling」である。河川においては溶存酸素が生物の生息にとって最も重要な因子になり、その減少に最も関連するのが有機物であるBODである。これらの変化をモデルによって表現している。4章で求めた天竜川各地点の流量と5章で求めた水温をモデルに入力することによって月毎の平均的な水質変化を求めている。その結果、年間を通じて溶存酸素が減少すること、BODが増加することが示されている。

 第7章は「Lake eutrophication model」であり、諏訪湖の成層構造について第5章で求めた結果を元に植物プランクトンの働きなどを組み込んだ生態系モデルによって、諏訪湖の水質変化を予測している。その結果、夏季の溶存酸素の低下が見られることを示している。

 第8章は「Conclusions and recommendations」であり、成果を総括すると共に、今後の課題を抽出している。

 本研究は、気候変化が水環境に与える影響という、未だ十分に評価されていない課題に挑戦したものである。個々のモデルは既存のものを改良したものであり、またその改良と適用にはさらに改善の余地もあろうが、それらを総合して実際の湖沼と河川流域に適用した点は、気候変化の影響評価の具体化への重要な貢献として評価される。よって本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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