学位論文要旨



No 113005
著者(漢字) 三戸,陽一
著者(英字)
著者(カナ) ミト,ヨウイチ
標題(和) フレキシブル・チャネル乱流の直接数値シミュレーション
標題(洋)
報告番号 113005
報告番号 甲13005
学位授与日 1997.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3982号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 助教授 谷口,伸行
内容要旨

 従来の壁乱流の制御に関する研究は,リブレット等の受動制御から,吹き出し・吸い込み等の能動制御まで多岐にわたる.近年では,特に,流れ場の変化に応じて効果的な制御を行うフィードバック制御に対する関心が高い.このときの制御アクチュエータには,流れ場によらない,複雑な配管を必要としない等の理由から,壁面変形要素の適用も期待される.近年のマイクロマシン(MEMS)の発達は,より高度な壁面変形アクチュエータを実現するものとして注目される.一方,乱流のフィードバック制御に関する知識は乏しく,アクチュエータの基本作動モードに関する認識も依然限られている.本研究では,変形移動境界を含む流れ場に対しても適用できる直接数値シミュレーション手法を構築することを第1段階の目的とし,壁面変形アクチュエータを用いる乱流制御の準備として,簡単化された壁面変形モードよって誘起される流れ場の解析を計算手法を用いて行うことを第2段階の目的としている.

 本研究で開発した数値シミュレーション手法の概略を以下に示す.

 1.時間的離散化には,フラクショナル・ステップ法を用いる.圧力項についてはデルタ形式,フラクショナル・ステップ法における発展方程式部の時間的離散化には,2次精度陰解法のCrank-Nicolson法を用いる(修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法,Choi & Moin 1994).修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法は,次式に示される非圧縮Navier-Stokes方程式,

 

 を次のように4段階に分解する近似解法である.

 

 

 ここで,qi=Jui(Jは座標変換のヤコビアン)はボリューム・フラックス,は射影スカラ(疑似圧力),Ti(q)は移動座標項,Ni(q)は(非線形)移流項,Gi(p)は圧力勾配項,Li(q)は(線形)粘性拡散項を表す.

 2.空間的離散化には,離散化対象の速度場,圧力場にともに2次精度の分布(C2級)を仮定し,支配方程式系に含まれる微分,補間,積分の全ての演算に対する離散化を2次精度以上の差分法で行っている.格子点配置にはスタガード格子系,壁面近傍における空間的離散化には,コア領域と同じ2次精度の片側差分を用いる.

 3.メトリクスの時空間的離散化には,速度場と同じ2次精度差分を用いる.壁面近傍における空間的離散化には,片側2次精度差分を用いる.

 本計算手法における空間的離散化に対する評価は,1次元チャネル層流の数値シミュレーションにおいて行った.修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法(MCN-FS)においては,計算格子数が極端に少ない場合(NY=45)を除いて,1階の微係数以下はほぼ厳密値を示す(NY=75,97,149).その他の手法,すなわちCrank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法(CN-FS),および移流項にAdams-Bashforth法,粘性項にCrank-Nicolson法を用いた半陰的フラクショナル・ステップ法(SI-FS)では,格子数によらず壁面上での1階,2階の微係数の予測誤差が大きい.修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法による場合にも,壁面近傍での空間解像度を改善するために壁面上格子点分布のストレッチングを大きく取った場合には,壁面上におけるメトリクスの片側差分化の悪影響が速度2回微分に及ぶ.しかしながら,本研究では,計算手法のより一般的な場に対する適用性を重視し,この点については片側差分のまま,以降の層流・乱流に対するシミュレーションを行っている.

 本計算手法における時空間的離散化に対する評価は,蠕動チャネル層流の数値シミュレーションにおいて行っている(Fig.1).移動座標系に拡張した先述の3種類のフラクショナル・ステップ法によって,蠕動チャネル層流の数値シミュレーションを行い,それらの手法の時空間的収束性について検討を加えた.本計算対象場では,蠕動波速度cで移動する固定格子系と,静止系から見た移動(変形)格子系による2種類のシミュレーションを行うことができる.これらの結果の比較によって,時間的離散化に対する評価が行える.

Figure 1 Peristaltic channel.

 本計算対象流れ場の支配変数は,振幅比,波数,レイノルズ数Re,無次元流量Qの4つである.

 

 これらパラメータには,=0.19,=0.21,Re=210,Q=0を取った.

 本手法中では,修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法と半陰的フラクショナル・ステップ法の有用性が,チャネル内速度分布および蠕動壁上の速度勾配(壁面渦度)において示された(Fig.2,3).一方,Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法においては,収束を得るためには非常に細かい時間刻み幅を必要とすることが壁面渦度分布に示された.さらにこの場合にも,その収束値は他の2法による収束値と若干のずれを生じている.

 なお,ここで用いた半陰的フラクショナル・ステップ法は,Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法に一致することを目的として構成された解法であり,本結果に示されるこの2法間の差は,たとえ半陰的フラクショナル・ステップ法による予測結果が良いものであっても,そこには陰解法部と陽解法部の予測の不一致による位相誤差が含まれていることになる.すなわち,ここで半陰的フラクショナル・ステップ法において得られた良好な予測性能は,流れ場,座標系に依存するものである.

 以上のことを考慮すると,修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法がこの3法の中では非常に優れた解法であることが分かる.ただし,本手法は陰的解法であるため,非定常流れのシミュレーション時には,各タイムステップごと非線形解法を繰り返さなければならない.このことの負担は,3次元の場を解かなければならない乱流のシミュレーション時にはより大きくなる.

 一方,この修正Crank-Nicolson型フラクショナル・ステップ法においても,固定格子系と移動格子系によるシミュレーションの結果間に,座標の時間的離散化精度に基づく系統的誤差が生じる(Fig.2).

Figure 2 Wall vorticity on the peristaltic wall.

 次に,本研究で開発した手法を用いて,壁面変形のあるチャネル内乱流の直接数値シミュレーションを行った(Fig.4).本シミュレーションは,壁面変形をアクチュエータとするアクティブ・フィードバック制御則構築の準備として位置付けされる.

Figure 3 Velocity in the x direction.Figure 4 Flow geometry and coordinate system.

 壁乱流においては,低速ストリークや縦渦構造のように,流れ方向に長く伸びた構造や,流れ方向に長く持続する構造が,壁近傍における乱流輸送機構の中心的役割を担っており,本研究ではこれらの構造と干渉し合う基本モードとして,流れ方向に一定,チャネルスパン方向正弦振動する壁面変形を仮定した(Fig.5).この場合,壁面変形は,時間周期,スパン方向周期(ピッチ),変形振幅の3変数によって整理される.これらのパラメータについては,縦渦構造の平均周期,平均直径,低速ストリークの平均間隔等の壁乱流の準秩序構造に特徴的な値を参照して設定した(Table 1).変形振幅に対しては,粘性底層内での制御を仮定して設定した.

Figure 5 Wall deformation mode.Table 1 Wall deformation parameters.

 

 本壁面変形を加えることにより,摩擦抵抗増大・低減の両ケースを見ることができる(Table 2).以降の議論を,本研究で中心的に調べた変形振幅a+=5.0のケースに限れば,壁面変形時間周期によらず(T+=50,100),変形ピッチs+=45の場合に壁面摩擦抵抗は一様に増大し,s+=90の場合には逆に壁面摩擦は一様に減少している.また,渦構造や,高速・低速領域等の乱流準秩序構造の分布についても,変形ピッチとの相関が最も高くなっている(Fig.7,8,9).変形ピッチの効果は,その大きい場合には変形谷部に小さな渦構造の侵入する頻度が高くなり,その一方で,壁面上に形成される低速領域が大きく保たれるという形で現われる(Fig.8).前者は摩擦抵抗を増加させるモードであり,後者は減少のモードに対応する.一方,変形周期の効果は,T+=50とT+=100の間ではほとんど見られない.しかしながら,壁面変形が時間的に固定されている場合には摩擦抵抗は一様に増加し,ここで観測されているような抵抗低減のケースは見られないことから,抵抗低減には,本壁面振動変形モードにおける変形空間位相が時間的に移動する効果が関連しているものと考えられる.

Table 2 Skin friction coefficients.

 本壁面変形モードを加えた際の壁面摩擦係数の振動は,壁面変形に基づく短周期の振動と,平板チャネル乱流にも見られる乱流瞬時構造分布の変化(励起・減衰状態)に基づく長周期の振動の2成分より成る(Fig.6).本壁面変形モードを加えることにより,壁面摩擦と乱流構造の時系列的な挙動の変化はより大きくなる.特に,本壁面変形モードを加えた場合の,壁面摩擦増大・減少時における乱流構造の差異は,平板チャネル乱流の場合よりも遥かに大きくなっている.このことより,本アクチュエーションのon-demand化,フィードバック化によって,摩擦抵抗の低減も期待できる.

Figure 6 Time trace of skin friction coefficient.

 壁面摩擦増大時には,渦構造,高速領域の時空間的な生成頻度が非常に高くなっており,この影響により低速ストリークにも揺らぎや屈曲(meandering)の効果が至るところで観測される(Fig.7).一方,壁面摩擦減少時には,壁面上では渦構造,高速領域は大きく抑えられており,低速ストリークは比較的安定に流れ方向に発達している(Fig.9).この乱流諸構造が減衰した状態から壁面摩擦が上昇する際には,壁面上にスイープに伴う高速領域の発達過程を見ることができる(Fig.10).渦構造の発達は,この後,高速領域が発達し,壁面摩擦がある程度大きくなった時点より始まる.本結果より,壁面摩擦抵抗低減を目的とする場合には,渦構造を制御対象とするより,壁面近傍におけるスイープ・高速領域を抑えることの方が,抵抗増大初期過程からの時間的位相遅れもなく,摩擦抵抗をより効果的に低く保つことができると予想される.

Figure 7 Turbulent coherent structures on the oscillating walls at large skin-friction instants shown in figure 6.Cases (a) to (d) correspond to the phase of the maximum displacement for each wall oscillation mode.White:p+=-2.5,light gray:u+=-3.5,dark gray:u+=3.5.Figure 8 Low-speed streaks and velocity vectors on the oscillating walls in the cross sections shown in figure 7.Black to white:u+=-3.5 to 3.5.Figure 9 Turbulent coherent structures on the oscillating walls at small skin-friction instants shown in figure 6.Cases (a) to (d) correspond to the phase of the maximum displacement for each wall oscillation mode.White:p+=-2.5,light gray:u+=-3.5,dark gray:u+=3.5.Figure 10 Turbulent coherent structures on the oscillating wall on a time trace in figure 6 (s+=45,T+=100,a+=5.0).Cases (a),(c) and (e) correspond to the phases of zero displacement,whilst cases (b),(d) and (f) correspond to the phases of maximum displacement,respectively.White:p+=-2.0,light gray:u+=-3.5,dark gray:u+=3.5.文献Choi.H.,and Moin,P.,1994,"Effects of the Computational Time Step on Numerical Solutions of Turbulent Flow,"Journal of Computational Physics,Vol.113,pp.1-4.
審査要旨

 本論文は,「フレキシブル・チャネル乱流の直接数値シミュレーション」と題し,5章より成っている.

 工学的に重要な壁乱流の制御法は,リブレット等の受動制御から,吹き出し・吸い込み等の能動制御まで多岐にわたる.近年,マイクロマシン技術の開発発展に伴って,流れ場の変化に応じて応答的な制御を行うフィードバック制御に対する関心が高い.しかし,乱流のフィードバック制御に関する基礎知識は乏しく,最適なアクチュエータの基本作動モードに関する知識も限られている.本論文は,直接数値シミュレーション手法によって,壁面変形アクチュエータを用いるフィードバック制御法の開発の前段階として,単純な壁面変形モードによる壁乱流の能動制御に関する研究を行ったものである.

 第1章は序論であり,従来の乱流制御手法,複雑形状流路内流れに対する数値解析手法,および乱流の直接数値シミュレーション手法に関する研究を概観し,本研究の目的を述べている.まず,乱流制御に関する従来の研究を,受動制御と能動制御に大別し,それぞれに対する代表的な研究例を挙げている.特に,近年では乱流制御のアクティブ・フィードバック化に対する関心が高いことを指摘し,この分野の直接数値シミュレーションや実験による研究例を挙げている.また,従来の複雑形状流路内流れに対する数値解析について,計算目的・計算対象に応じて様々な手法が試みられていることを例示している.次に,本研究で行う乱流の直接数値シミュレーションに対し,従来用いられている時空間的離散化手法を概説し,フラクショナル・ステップ法・差分法の適用性が高いことを示している.このような背景から,本論文では,移動境界を含む流れ場に対しても適用可能な直接数値シミュレーション手法の開発を行うことを第一の目的とし,壁面変形をアクチュエータとする乱流制御手法構築に対する基礎研究として,乱流準秩序構造を意図した壁面変形モードの効果を直接数値シミュレーションによって検討することを第二の目的としたことが述べられている.

 第2章では,移動境界を含む乱流場の直接数値シミュレーションにおける時空間的な離散化に関する詳細が述べられている.時間的離散化については,解法のコンパクト性および収束性から,フラクショナル・ステップ法が優れていることが示されている.さらに,ここでは,移動境界問題に対応するため,フラクショナル・ステップ法中の各オペレータの演算タイムステップを明示することにより,移動座標系にも対応できる定式化を行っている.空間的離散化については,時空間的にバランスの取れた離散化を行うことを目的として,2次精度差分が仮定されている.このときにも,従来の離散化において配慮の欠けていた補間・積分演算に対しても当該精度を実現していることが示されている.格子系については,計算の安定性と計算負荷の軽減を目的として,スタガード格子系が用いられたことが述べられている.

 第3章では,第2章で開発した移動座標系に拡張したフラクショナル・ステップ(FS)法の1次元チャネル層流および2次元蠕動チャネル層流に対する検証結果が示されている.FS法として,2次精度陰解法のクランク・ニコルソン型のもの(クランク・ニコルソン型フラクショナル・ステップ法,CN-FS),これに圧力項のデルタ形式を併用したもの(修正クランク・ニコルソン型フラクショナル・ステップ法,MCN-FS),非線形項に2次精度陽解法のアダムズ・バッシュフォース法,線形項に2次精度陰解法のクランク・ニコルソン法を用いた半陰的解法(半陰的フラクショナル・ステップ法,SI-FS)の3種類が考慮されている.1次元チャネル層流のシミュレーションにおいては,解法全体の空間的収束性に対する検討が行われており,計算格子が極端に少ない場合を除いてMCN-FS法によって良好な収束性が得られることが示されている.一方で,壁面近傍の座標計量の片側差分が,計算格子点のストレッチングを大きく取った場合に速度場の高次微分量に悪影響を及ぼすことも示されている.2次元蠕動チャネル層流のシミュレーションにおいては,上記3種類のFS法の時空間的収束性に対する評価が行われている.本検証より,MCN-FS法の良好な収束性が引き続き示され,解法内には時間的位相誤差が内在するものの,SI-FS法の良好な予測性能も示されている.一方,CN-FS法については,時間的収束に過度に小さい時間刻みを要することが示されている.

 第4章では,第3章において優れた数値予測性能の示されたMCN-FS法を用いて,乱流のアクティブ・フィードバック制御の準備として行われた,振動変形する壁面上の乱流の直接数値シミュレーション結果が示されている.なお,移動境界を含む乱流場のシミュレーションに先立ち,平板チャネル乱流を対象として,計算時間刻み幅に対する見積もりがなされている.フレキシブル・チャネル乱流のシミュレーションは,ここで適切と判断された時間刻み幅を用いて行われている.壁面の振動変形には,壁乱流の力学機構に深い関連を有すると考えられる,流れ方向に長く伸びたストリーク構造や,長く持続する縦渦構造やスイープ構造に干渉する基本モードとして,流れ方向に一定の形状が仮定されている.また,その時空間的分布を正弦振動とし,時間周期,スパン方向波長,変形振幅の3つの壁面変形パラメータを定義している.これらのパラメータは,縦渦構造を中心とした乱流準秩序構造の時空間的スケールを基に決められ,それらのパラメータの乱流準秩序構造や,各種平均挙動に対する影響が検討されている.本研究のパラメータ範囲では,摩擦抵抗が低減,増大する二つの現象が得られ,それらは壁面変形のピッチと大きく関係することが示されている.瞬時場の乱流準秩序構造のスケールにも,時間周期よりもピッチの効果が強く反映されることが示されている.また,本壁面変形モードを加えた場合,壁面摩擦の時間変化が,壁面変形に基づく短周期振動と,乱流準秩序構造の変化に基づく長周期振動の2つの成分より成ることが示されている.この長周期振動の振幅は,平板チャネル乱流の場合より大きく,瞬間的には,壁面摩擦増大側にも,低減側にも,遥かに大きく変化することが示されている.また,本シミュレーションにおける乱流準秩序構造の時系列解析より,壁面摩擦長周期振動における低減時より増大に移る過程においては,渦構造の発達に先立ち,スイープの持続に伴う高速領域の発達があることが示されている.この事実より,乱流壁面摩擦の制御に当たっては,この高速領域の成長を抑制することによってより効果的な制御を実現できる可能性が述べられている.

 第5章は,結論であり,本論文で得られた成果をまとめている.

 以上要するに,本論文は,移動境界問題に対しても高精度を実現する直接数値シミュレーション手法を提案し,それを用いて,乱流のアクティブ・フィードバック制御実現に向けての知見を得ることを目的として,振動変形するチャネル乱流の直接数値シミュレーションを行い,壁乱流の力学機構およびその制御に関する新たな知見を示している.従って,本論文は流体工学及び乱流工学の上で寄与するところが大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53999