学位論文要旨



No 113024
著者(漢字) チェン・ピーター・チーセン
著者(英字) Chen・Peter・Che-Sheng
著者(カナ) チェン・ピーター・チーセン
標題(和) 腐食金属表面形状の解析に関する研究
標題(洋) Analysis of Penetration Depth Profiles on Corroding Metal Surfaces
報告番号 113024
報告番号 甲13024
学位授与日 1997.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4001号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 柴田,浩司
 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 伝統的に、腐食の研究には電気化学的手法が用いられてきた。電気化学的手法が有効であることはすでに証明されているものの、それにも限界がある。すなわち、電気化学的手法はマクロなレベルでの情報しか得られず、局部腐食における腐食速度が観測できないためである。本論文では、画像処理に基づくモアレ法を用いた腐食面三次元計測システム(以下モアレ法システム)で、すきま腐食中の金属表面の実際の腐食深さをその場測定することによって、すきま腐食の溶解挙動を観察し、腐食現象のミクロなレベルでの研究における新しい研究手法の確立を試みた。同様に、孔食腐食は長年多くの注目を受け、多くの研究者により十分研究されてきた一方、すきま腐食は、その複雑さと膨大なバリエーションのために孔食ほどな研究されていなかったのが実状である。当表面工学研究室は1960年代後半からすきま腐食の研究に乗り出し、多くの成功を収めてきた。今日、臨界孔食電位の正確な取り扱いについては議論の余地がまだ多いものの、すきま腐食の再不動態化電位は、ある環境における特定の金属の腐食抵抗を評価する際の標準的な指標として確立している。この研究は、当研究室で伝統的に取り扱ってきたすきま腐食についての研究をさらに深くほりさげ研究している。本研究の目的は、すきま腐食の成長におけるダイナミズム、応力腐食割れにおいてすきま腐食の溶解速度からの影響を解明し、オーステナイト系ステンレス鋼の耐SCC性を評価する際の、競合概念の適用性を検討することである。

 この研究の大部分はすきま腐食の溶解進行を扱っているが、すきま腐食の発生プロセスの要約は、応力腐食割れの初期におけるすきま腐食の役割とともに第一章で最初に大意を記した。モアレ法の原理もまた、読者にこの研究で用いられている実験技術を理解してもらうために第一章で記している。

 すきま腐食挙動は、鉄鋼材料の合金成分のみではなく、バルク溶液濃度あるいは温度といった様々な環境因子にも依存することが知られている。第二章の目的は、すきま腐食の初期段階あるいは発達段階をミクロレベルで調べることである。モアレ法を用いて合金鋼のすきま腐食の深さ方向の溶解進行を測定し、また、すきま腐食の進行に対するバルク溶液濃度や温度、あるいはSO2-4イオン及びこれらの組み合わせの影響を、その場測定した。

 高純度18Cr-14Ni鋼の金属/ガラス-すきまにおいて成長しつつあるすきま腐食の侵食深さ分布をモアレ法システムで、その場測定した。測定した結果から、成長性すきま腐食には臨界深さ、hが存在し、すきま腐食の成長は二つの段階に分けられることがわかった。それは、侵食がhに達していない初期段階(第一段階)と、hを超えた後のすきま腐食が定常的に成長を続ける段階(第二段階)とであり、この間にはすきま腐食の成長が一時的に停滞する段階も存在する。第一段階での溶解速度をVI、第二段階での溶解速度をVIIと表わす。第二段階での溶解速度、VIIは電位依存性が大きい。これに対して第一段階での溶解速度、VIはVIIより大きく、かつ電位依存性が小さい。このような特性は、例えばすきま再不動態化電位より卑な電位域における非成長性すきま腐食の挙動を説明する。第一段階での侵食はさほど小さくない速度で起るが、第二段階での侵食速度はその大きい電位依存性のため卑電位ほど著しく低下し、臨界深さを超え難いからである。

 40、50、60および80℃の0.03-20%NaCl溶液中およびこれらにSO2-4イオンを共存させた18Cr-14Niオーステナイトステンレス鋼試料の腐食挙動がモアレ法システムによってその場評価された。温度が高くなると、VIおよびVIIはともに増大するが、V*IIはほとんど影響を受けない。NaCl濃度が増大すると、VIおよびVIIの電位依存性は大きくなるが、V*IIへの影響はほどんど見られない。また、NaCl溶液にSO2-4イオンを加えると、溶解速度は減少するが、塩化物とSO2-4イオンの両方を含む溶液ではV*effへの影響はほどんど見られない。このことは、臨界腐食溶液の化学成分、すなわちすきま腐食が発生する時のすきま内溶液の臨界組成は、塩化物およびSO2-4イオンのどちらにも依存しないことがわかった。

 オーステナイト系ステンレス鋼の塩化物応力腐食割れ(Cl-SCC)はこの鋼の最たる弱点であった。当研究室は合金化技術によって耐SCC性を向上させたオーステナイト系ステンレス鋼の研究開発に注力してきた。そのため、個々の元素、P、Mn、Si、Cu、Alの合金効果が検討された。第三章の目的は、耐すきま腐食性および耐応力腐食割れ性についてすでに検討されている高純度18Cr-14Ni鋼、14Cr-16Ni鋼についてモアレ法測定を行い、これらのすきま腐食溶解挙動におよぼすP、Si、Mn、CuおよびAlの単独添加の影響を調べた。侵食深さ分布の測定により、すきま腐食の溶解進行、特にh、VI、VIIに対する合金の効果を客観的に決定するために解析を行った。

 P、Si、Mn、CuまたはAlを単独添加した18種類の鋼について、80℃の3%NaCl水溶液中におけるすきま腐食挙動を、モアレ法システムによりその場測定した。測定結果をもとに、h、VIおよびVIIを求めた。これらにおよぼす各合金元素の影響は以下のようにまとめられる。

 1)hとVIは保持電位が貴になるとやや大きくなるが、これらに及ぼす合金元素の種類およびその添加量の影響は小さい。また、再不動態化電位直上でのそれらの値、h*とV*Iに及ぼす合金元素の影響も小さい。このように、すきま腐食の初期段階での腐食挙動におよぼす合金元素の影響は小さい。

 2)これに対して、VIIは電位および添加元素に大きく依存する。ERは、臨界深さ(h)をこえて第二段階に入った成長性すきま腐食に関して定義される再不動態化電位であり、合金元素の種類とその量に大きく依存した。このようなERと上述のVIIにみられるすきま腐食挙動の電位および合金元素に対する大きな依存性は、第二段階の大きな特徴である。

 304鋼の耐SCC性の研究によって、PとMoが耐SCC性に有害であり、CuやAlがこの有害な効果を打ち消えることが分かった。第四章では、すきま腐食の溶解進行に対するこれらの合金の効果を調べることである。応力腐食割れの初期段階におけるこれらの影響を競合概念に基づいて調べた。特にPとMoが耐SCC性に有害で、CuとAlの添加は耐SCC性に有益である理由を明らかにすることを試みた。

 Cu、Al、PおよびMoの複合添加による耐SCC性の評価への影響が競合概念に基づき分析された。Cuの添加は、すきま腐食の定常的な成長段階における溶解速度を増大することにより耐SCC性を改善する。2%のCuを含むステンレス鋼にアルミニウムを添加した場合、Alの添加が溶解速度をさらに増大させ耐SCC性を高める。この現象は高Pステンレス鋼に特に著しい。ステンレス鋼の耐SCC性がPとMoの添加により低下するのは、これらの元素の添加によるすきま腐食の溶解速度の低下が原因と考えられる。また、SCC臨界温度、TCとV*IIとの間には、TCはV*IIが増大するにつれて高くなるという、相対関係が確認されたが、この関係は、競合概念からも主張される。鉄鋼材料の耐SCC性は、すきま腐食の定常的な成長段階での溶解速度を増大させる元素を添加することにより改善される。

 上述の結果から、第五章では、Cl-を含んだ溶液中のオーステナイト系ステンレス鋼の応力腐食割れ挙動を決定する競合概念の適用性を確かめることを試みた。また、競合概念を用いて、観察されるSCC発生電位域やSCC臨界温度について説明することも試みた。

 オーステナイト系ステンレス鋼、あるいはPやCuを添加したオーステナイト系ステンレス鋼で観察されたSCC発生電位域及びSCC臨界温度を競合概念がよく説明しうることがわかった。SCC発生電位域はすきま腐食の再不動態化電位、ERと、割れ成長速度と溶解速度が等しい電位、EVとの間の電位域であり、SCC臨界温度、TCは、アレーニウスプロットで、割れ成長速度と溶解速度に等しい温度である。

審査要旨

 中性塩化物水環境におけるオーステナイトステンレス鋼の応力腐食割れ(Cl-SCC)は、局部腐食を防止すれば回避できるのであるが、汎用ステンレス鋼においては、局部腐食中すきま腐食の回避が困難でその生起を前提とせざるをえない。このときのCl-SCC発生条件は、すきま腐食溶解速度(V)<割れ速度(C)なる競合則によって与えられる。

 本研究は、各種合金元素を系統的に添加したステンレス鋼の溶解速度(V)の測定を通じて、競合則に基づく耐Cl-SCC抵抗の改善を目的としたもので、全6章から成る。

 第1章は緒論で、すきま腐食の機構・応力腐食割れにおける役割を文献調査し、また、ステンレス鋼/ガラス-すきまにおいて侵食深さの経時変化を光学的に追跡するモアレ法の測定原理と本研究の方針を述べている。

 第2章では、高純度18Cr-14Ni鋼(基本鋼)を用いて、すきま腐食の進行が臨界深さhまでの初期段階I(速度VI)、遷移段階Trおよび定常段階II(速度VII)の3段階から成ることを示し、VIとVIIとについて電極電位依存性とNaCl濃度・共存SO42-濃度の影響、および温度依存性を調査した。

 第3章では、基本鋼にP,Si,Mn,CuおよびAlを単独添加した鋼のすきま腐食溶解速度を80℃の3%NaCl水溶液中で調べ、電位の貴化と合金元素の添加との影響が初期段階(VI,h)では無視できるほど小さく、定常段階(VII)では大きいことを示し、このような特徴をもつVIIが、競合則における溶解速度として適当であるとしている。

 第4章では複合添加合金元素の影響を同様に調べた。ステンレス鋼成分中Cl-SCCに有害でやっかいな元素はPとMoである。Pは通常200-300ppm含まれ、その工業的除去方法は確立していない。Moはスクラップを使う経済的な溶製法では304鋼にも0.3%以下の混入は避けられない。これら成分の「害」がCuの単独添加さらにCu+Alの複合添加によって緩和されることを見出し、すきま腐食再不動態化電位ER直上のすきま溶解速度(VII*)を1m/h以上に上げることによりSCC臨界温度(TC,Cl-SCCが起らない上限温度)を110℃以上に改善しうることを見出した。

 第5章は競合則:溶解速度(VII)<割れ速度(C)の確認である。すなわち、溶解速度VIIは電位に依存するので、VII(ER直上)=VII*R超の一定の電位範囲でSCC領域が存在し、その上限電位EVはVII(EV)=Cを満たす電位である。またCII*であれば上述のようなSCC電位領域は存在しない。

 これらを基本鋼(20ppmP)、300ppmP添加鋼および1%Cu添加鋼において確認し、またVII,Cの温度依存性データに照らして、VII*=Cを与える温度がSCC臨界温度TCの実測値とも一致することを明らかにした。

 第6章は総括である。

 以上のように本論文は、従来は稀有のすきま腐食溶解速度の実測を各種合金元素を系統的に添加した多数のステンレス鋼に展開し、割れ速度との競合概念に基づいてすきま腐食臨界電位直上での溶解速度を高めることをSCC抵抗改善の指針として、Cl-SCC抵抗の高い汎用ステンレス鋼開発の指針を示した。これらの成果は金属表面工学の発展・鉄鋼材料学の充実に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク