学位論文要旨



No 113035
著者(漢字) 孔,憲剛
著者(英字)
著者(カナ) コン,シャンガン
標題(和) 馬伝染性貧血の診断に対する単クローン抗体と発現コア蛋白の応用
標題(洋) Application of monoclonal antibody and expressed core protein to diagnosis of equine infectious anemia
報告番号 113035
報告番号 甲13035
学位授与日 1997.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1841号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 助教授 辻本,元
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨

 馬伝染性貧血(EIA)は、持続感染、免疫疾患および種々の臨床症状を特徴とする、馬属にとって重要な疾病である。寒天ゲル内沈降反応(AGID)は、現在のところ世界中で最も普遍的な診断法である。しかし、この方法はp26抗原に対する抗体の検出感度の悪さという限界を持っている。近年、本病の診断のために、可溶化ウイルス粒子を使用したELISAが開発された。この方法は結果が2時間以内に判定可能で、抗原および抗体を高感度で検出できる。そのため、国によってはAGIDと平行して、ELISAが診断に使用されつつある。しかし、AGIDやELISAの抗原は作製が難しいという欠点がある。すなわち、これらの抗原は、EIAウイルス(EIAV)感染培養細胞から部分精製したウイルスを、p26抗原を露出させるために化学的に処理し作製するが、ウイルス増殖用の馬培養細胞を維持するための無血清培地に適当なものがなかったり、ウイルス量も高く上がらない場合が多い。特に、馬血清はしばしばウイルス感染細胞由来の抗原と擬陽性反応を示す。AGIDやELISAの非特異反応はワクチン中の牛血清成分の頻回接種に起因する可能性が報告されている。他方、ロバ白血球弱毒(DLA)EIAワクチンは、20年以上にわたって中国やキューバで疾病防除のために使用されてきている。DLAワクチン接種馬はウイルス感染馬と同様、血清診断上全く同じ反応を示すので、自然感染馬と免疫馬の区別は大きな問題である。

 上記のように、高感度かつ特異性の高い正確な診断法を開発するため、高品質の抗原を得ること。また、周囲への感染源となる自然感染馬をワクチン馬と区別する試験法が必要とされる。そこで、本研究においては上記の背景をふまえて、1)中国のDLAワクチンウイルスと日本の弱毒株であるP337-V26株に対する単クローン抗体の作製。2)バキュロウイルス発現系を用いたEIAVコア蛋白(Gagおよびp26蛋白)の産生。3)ワクチン馬と自然感染馬の区別法の開発。4)発現Gagおよびp26蛋白を用いた抗体検出間接ELISAの確立。5)発現蛋白のAGID抗原としての評価。6)ウイルス検出のための競合ELISAの開発を目的として以下の実験を行った。

 第1章において、まずEIAV P337-V26株に対する13の単クローン抗体(それぞれ、2-2A5,3-1A6,3-1A7,1-2D12,1-1H10,1-1E12,2-3H5,R-3A10,R-6A4,R-6A11,R-7C6,R-7D8およびR-7H6と名付ける)を樹立し、その性状を検討した。13の単クローン抗体のうち、12はコア蛋白に、1つがgp90に対する抗体であった。それぞれのグロブリンとlight chainのクラスは、1-1E12がIgG1,カッパ鎖、R-7H6がIgG2a、カッパ鎖、2-2A5,3-1A6,3-1A7,1-2D12,2-3H5,R-3A10,R-6A4,R-6A11,R-7C6およびR-7D8がIgM、カッパ鎖で、1-1H10がIgM、ラムダ鎖であった。

 DLAウイルスに対しては、7種の単クローン抗体(A4,A6,C4,B4,2C2,2D3A1およびA12H12)を作製した。A4,A6およびC4のハイブリドーマ細胞のクロモゾームはそれぞれ、97.80±3.87,100.93±5.5および98.10±4.47であった。A4,A6およびC6のグロブリンとlight chainのクラスは、IgG1、カッパ鎖であった。EIAV株特異性試験において、強毒とDLAウイルス抗原をニトロセルロース膜に転写し、単クローン抗体A4と反応させた。その後、ペルオキシダーゼ標識抗マウス血清を反応させた。この結果、A4はDLAウイルスに特異的で、強毒株とは反応しなかった。ニトロセルロース膜上にドットブロットしたDLAウイルス抗原のブロッキング試験を、免疫馬陽性血清、自然感染馬血清および正常馬血清を用いて行った。A4に続いて、標識抗体で処理したところ、A4の反応性は免疫馬血清でのみ阻止された。これらの結果は単クローン抗体A4がDLAウイルスに特異的であることを示している。

 第2章においては、gagとp26遺伝子を組み込んだ組換えバキュロウイルスを構築し、その性状を検討した。EIAVワイオミング株の塩基配列から設計したプライマーのセットを用いて、PCR法によってgagおよびp26遺伝子を増幅した。これらの遺伝子を組み込んだベクターを作製し、昆虫細胞にバキュロウイルスDNAとco-transfectした。プラック純化後、SDS-PAGEによってGagおよびp26蛋白を発現している組換えバキュロウイルスを同定した。クマジー染色により、組換えウイルスでは55kDa(Gag)ないしは26kDa(p26)のバンドが検出されたが、ウイルス非感染細胞対照や親株のバキュロウイルス感染対照ではこれらのバンドは検出されなかった。また、精製ウイルス粒子ではp26のバンドが確認された。55kDaないしは26kDaのバンドがそれぞれの遺伝子由来であるかどうかについて確認するため、抗EIAV馬血清を用いてウェスタンブロット法を行った。その結果、55と26kDaの蛋白バンドは抗血清に対し特異反応を示した。また、精製ウイルスではp26蛋白が反応した。しかし、対照群は全く反応しなかった。これらの成績はバキュロウイルス発現蛋白がウイルス由来の抗原と抗原的に一致することを示している。

 大量の発現蛋白を得るため、無血清培地に馴化した昆虫細胞Sf21における発現蛋白産生のカイネティックスを、SDS-PAGEとELISAによって検討した。両発現蛋白産生は、組換えウイルス接種2〜3日後に最高値に達した。発現蛋白は70%硫安沈殿と限外濾過膜によって精製された。1リットルの組換えウイルス感染細胞培養上清から、2mgのGag蛋白と、12mgのp26蛋白が得られた。これらの結果は、バキュロウイルス発現蛋白がきわめて高収量であることを示している。

 第3章第1節においては、DLAウイルスとのみ反応した単クローン抗体A4の特異性が交差反応試験、ブロッキング試験、ウイルス株の特異的同定および種々の実験感染馬の検査によって証明されたので、自然感染馬とDLAウイルス免疫馬の識別のためA4を使ったドットブロット試験(DB)とAGIDを併用した診断法の開発について検討した。DLAウイルス免疫馬はA4を使ったDBによって抗体陽性であった。また、DB陰性馬のうちいくらかがAGID陽性を示し、自然感染と判定された。未免疫の正常馬はDBおよびAGIDとも陰性であった。様々な地域から集めた計10159頭の血清を、ワクチン抗体と自然感染抗体とを区別するためDBとAGIDによって検査した。まず、DBによって検査したところ、9374頭が陽性であった。このため、722頭の陰性馬の抗体をAGIDで検査したところ、184が陽性を示した。DB陽性馬が免疫馬であり、AGID陽性馬が自然感染馬であることを確認するため、106頭のAGID陽性馬と21頭のDB陽性馬の病理組織学的検査を行った。全てのAGID陽性馬で特徴的な病理変化が観察されたが、DB陽性馬には変化がなかった。DBとAGID併用によって得られた成績は、免疫馬と自然感染馬の病理検査によって裏付けられた。さらに、6頭の実験感染馬を臨床症状の検査後、剖検した。1頭はDB,AGIDとも陽性、1頭はDB陽性、AGID陰性、残りは臨床症状を示さなかったがAGID陽性、DB陰性であった。これらの馬から得た材料を10頭の健康馬に接種した。AGID陽性馬の材料を接種された8頭はEIAを発症した。DB陽性馬材料を接種された2頭は、臨床症状を全く示さなかった。これらの結果は、EIA自然感染馬と免疫馬を区別するためにDBとAGIDを併用する方法が、特異性と信頼性が高いことを示している。

 第3章第2節においては、バキュロウイルス発現Gagおよびp26蛋白を用いた抗体検出間接ELISAの確立を検討した。ELISAの結果は、低いバックグラウンド、高い特異性と感度を示した。EIAV P337-V70株を接種された2頭の実験感染馬は、106日の観察期間中、典型的な回帰熱と持続感染を示した。周期的に採取された血清を用い、ELISAを行ったところ、両馬ともELISA抗体は接種後18日(これは最初の発熱後3日目である)に検出された。抗体は、1号馬では接種後22日目に、2号馬では25日目に最高値に達し、その後、1号馬では35〜50日にかけ、2号馬では36〜57日にかけ徐々に低下し、再度上昇に転じた。実験感染馬のELISA抗体価は、発現蛋白と試作標準ELISA抗原を用いた場合、ほとんど差がなかった。さらに、AGIDによって非特異反応を示した76頭の血清材料を用いてELISAを行った。4回の繰り返し実験におけるELISA値の平均は、Gag蛋白を用いた場合0.079で、p26蛋白では0.082、試作標準抗原で0.291であった。持続感染培養細胞上清由来ウイルス粒子より作製された試作標準EISA抗原の非特異反応は、バキュロウイルス発現抗原に比べ3倍の値を示した。

 ELISAに用いた実験感染馬のAGID抗体の消長について検討した。AGID抗体は、1号馬で接種後18日目に、2号馬で22日目に検出された。発現抗原を用いたAGIDの感度は、市販抗原を用いた場合と同様であった。さらに、76例の非特異反応を示した馬血清は、発現抗原には全く反応しなかった。この結果は、バキュロウイルス発現抗原を用いたAGIDおよびELISAの成績が、培養細胞由来抗原のそれよりも優れていることを示している。

 ウイルス感染細胞培養上清中の抗原を検出するため、発現蛋白を抗原とした競合ELISAを試みた。P337-V26株を各種培養細胞に接種し、上清中の抗原を検出し、補体結合反応(CF)の結果と比較した。馬腎培養細胞(HK)培養上清のみが、接種後12日で陽性を示したが、CFでは陰性であった。この方法の特異性を確認する目的で、培養上清中の逆転写酵素活性を測定するためpoly A-linked colorimetric assayを行ったところ、同様の成績が得られた。また、p26組換えバキュロウイルス感染Sf21細胞上清中の抗原の測定を行い、本法の特異性を確認した。この結果、競合ELISAはCFより特異性、感度とも優れており、3時間以内に結果を得ることが出来た。これらのバキュロウイルス発現蛋白を用いた方法は、ウイルス分離、ウイルスの疫学の解明、治療薬の評価および臨床検査法に広く応用可能で、きわめて有用であることが示唆された。

審査要旨

 馬伝染性貧血(EIA)は、持続感染、免疫疾患および種々の臨床症状を特徴とする、馬属にとって重要な疾病である。寒天ゲル内沈降反応(AGID)は、現在のところ世界中で最も普遍的な診断法である。しかし、この方法はp26抗原に対する抗体の検出感度の悪さという限界を持っている。近年、本病の診断のために、可溶化ウイルス粒子を使用したELISAが開発された。この方法は結果が2時間以内に判定可能で、抗原および抗体を高感度で検出できる。そのため、国によってはAGIDと平行して、ELISAが診断に使用されつつある。しかし、AGIDやELISAの抗原は作製が難しいという欠点がある。すなわち、これらの抗原は、EIAウイルス(EIAV)感染培養細胞から部分精製したウイルスを、p26抗原を露出させるために化学的に処理し作製するが、ウイルス増殖用の馬培養細胞を維持するための無血清培地に適当なものがなかったり、ウイルス量も高く上がらない場合が多い。特に、馬血清はしばしばウイルス感染細胞由来の抗原と擬陽性反応を示す。AGIDやELISAの非特異反応は馬用ワクチン中に含まれる牛血清成分の頻回接種に起因する可能性が報告されている。他方、ロバ白血球弱毒(DLA)EIA予防液は、20年以上にわたって中国やキユーバで疾病防除のために使用されてきている。DLA株接種馬はウイルス感染馬と同様、血清診断上全く同じ反応を示すので、自然感染馬と免疫馬の区別は大きな問題である。

 上記のように、高感度かつ特異性の高い正確な診断法を開発するため、高品質の抗原を得ること。また、周囲への感染源となる自然感染馬を弱毒株接種馬と区別する試験法が必要とされる。そこで、本研究においては上記の背景をふまえて、1)中国のDLAウイルスと日本の弱毒株であるP337-V26株に対する単クローン抗体の作製。2)バキュロウイルス発現系を用いたEIAVコア蛋白(Gagおよびp26蛋白)の産生。3)弱毒株接種馬と自然感染馬の区別法の開発。4)発現Gagおよびp26蛋白を用いた抗体検出間接ELISAの碓立。5)発現蛋白のAGID抗原としての評価。6)ウイルス検出のための競合ELISAの開発を目的として以下の実験を行った。

 第1章において、まずEIAV P337-V26株に対する13の単クローン抗体(それぞれ、2-2A5、3-1A6、3-1A7、1-2D12、1-1H10、1-1E12、2-3H5、R-3A10、R-6A4、R-6A11、R-7C6、R-7D8およびR-7H6と名付ける)を樹立し、その性状を検討した。

 第2章においては、gagとp26遺伝子を組み込んだ組換えバキュロウイルスを構築し、その性状を検討した。

 第3章第1節においては、DLAウイルスとのみ反応した単クローン抗体A4の特異性が交差反応試験、ブロッキング試験、ウイルス株の特異的同定および種々の実験感染馬の検査によって証明されたので、自然感染馬とDLAウイルス免疫馬の識別のためA4を使ったドットブロット試験(DB)とAGIDを併用した診断法の開発について検討した。

 第3章第2節においては、バキュロウイルス発現Gagおよびp26蛋白を用いた抗体検出間接ELISAの確立を検討した。ELISAの結果は、低いバックグラウンド、高い特異性と感度を示した。

 ウイルス感染細胞培養上清中の抗原を検出するため、発現蛋白を抗原とした競合ELISAを試みた。P337-V26株を各種培養細胞に接種し、上清中の抗原を検出し、補体結合反応(CF)の結果と比較した。馬腎培養細胞(HK)培養上清のみが、接種後12日で陽性を示したが、CFでは陰性であった。この方法の特異性を確認する目的で、培養上清中の逆転写酵素活性を測定するためpoly A-linked colorimetric assayを行ったところ、同様の成績が得られた。また、p26組換えバキュロウイルス感染Sf21細胞上清中の抗原の測定を行い、本法の特異性を確認した。この結果、競合ELISAはCFより特異性、感度とも優れており、3時間以内に結果を得ることが出来た。この方法は、ウイルス分離、ウイルスの感染感の解明、薬剤感受性および臨床検査法にしよう可能で、有用であることが示唆された。バキュロウイルス発現蛋白は、ウイルス感染馬血清中の抗体の検出や、ウイルス感染細胞培養上清の抗原の検出に広く応用可能であろう。

 本研究はわが国では撲滅されたとはいえ、今だ世界中に広く分布している馬伝染性貧血の診断技術を遺伝子工学的手法を用いて改良したものである。特に従来血清反応上の問題点となっていた非特異反応を軽減し、診断の確度をあげるなど重要な知見を得た。従って本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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