固形がん内部では血管形成が不十分なため、低酸素状態・栄養飢餓状態など特有の環境が形成される。こうした環境は、がん細胞にストレス応答を誘導し、ストレスタンパク質GRPの合成を促す。ストレス応答したヒトがん細胞は細胞周期のG1期停止を介して抗がん剤耐性を示すことが明らかになってきており、ストレス環境下でのG1期停止の機序解明は薬剤耐性の克服など固形がんの治療研究の基礎として重要な課題である。本研究は、ストレスタンパク質GRP78が増殖制御に関与することを初めて見い出し、ストレス環境下でEGF・EGFレセプターによる増殖シグナルを抑制することを明らかにしたものである。 以下、研究結果の要旨を記す。 ストレス環境下で産生される低糖鎖型EGFレセプター ヒト扁平上皮がんA431細胞を2-デオキシグルコース(2DG)あるいはグルコサミン(GlcN)で24時間処理すると、GRP78および94が誘導されストレス応答が確認された。細胞周期解析の結果、増殖因子(血清)が十分に存在するにもかかわらずG1期停止が起こることが明らかになった。そこで、ストレス環境下でのEGFレセプターの発現変化を調べた。EGFレセプターは、130kDaのペプチドに糖鎖付加され、170kDaの成熟レセプターとして細胞膜表面に発現される。ストレス環境下では、l70kDaの成熟型EGFレセプターは減少し、代わりに150kDaのEGFレセプターが増加した。この150kDaのEGFレセプターは、1)成熟型EGFレセプターの糖鎖に対する抗体によって認識されないこと、2)糖鎖付加の阻害によって合成される130kDaのレセプターと明確に区別されること、3)2DGなどのストレス誘導化合物が糖鎖合成を阻害することから、低糖鎖型のEGFレセプターであると結論された。 EGFレセプターは、リガンドEGFの結合により活性化されレセプター自身及び特定の細胞内タンパク質のチロシンをリン酸化しシグナル伝達する。事実、A431細胞をEGF処理すると、170kDaの成熟レセプターの顕著なチロシンリン酸化が認められた。一方、ストレス応答した細胞をEGF処理した場合には、150kDaの低糖鎖型レセプターのチロシンリン酸化は検出されなかった。しかし、細胞を破砕後そのlysateにEGFを添加すると、150kDaレセプターは顕著にチロシンリン酸化され、EGFによって活性化され得ることがわかった。EGFは細胞膜を透過できないことから、低糖鎖型150kDaレセプターは細胞内に存在し、細胞外のEGFと結合できないためにEGFによる活性化(チロシンリン酸化)が起こらないものと考えられた。 GRP78と低糖鎖型EGFレセプターの細胞内複合体形成 ストレスにより誘導されるGRP78は、小胞体内腔に局在し、合成途中のタンパク質に結合し正常なフォールディングを補助したり、異常な構造のタンパク質や未成熟なタンパク質に結合し小胞体外への分泌を防ぐなど分子シャペロンとして機能する。GRP78と低糖鎖型150kDaレセプターの複合体形成を免疫沈降法により検討した。2DG処理によりストレス応答した細胞の抽出液を用い、抗GRP78抗体によって免疫沈降すると、GRP78とともに150kDaレセプターが共沈した。抗EGFレセプター抗体で免疫沈降した場合にもレセプターとともにGRP78が共沈した。このGRP78/150kDaレセプター複合体は、ATPの添加により解離することから、複合体形成にGRP78の分子シャペロン機能が関与することが示唆された。 GRP78/EGFレセプター複合体形成と細胞周期停止 ストレス応答したA431細胞ではEGFからの増殖シグナルが遮断されるが、この経路の遮断が直接G1期停止に関与することが示された。すなわち、G1期からS期の進行に関与するサイクリンD3の発現はEGF刺激によって増加するが、ストレス環境下ではサイクリンD3の発現が顕著に低下することが見い出された。さらに、細胞をストレス環境下より解放すると、GRP78/EGFレセプター複合体の解離、レセプターの成熟および細胞表面での発現、レセプターのチロシンリン酸化の回復に引き続き、サイクリンD3の発現も回復し、細胞周期がG1期からS期へ進行することが明らかにされた。 以上のように、ストレス環境下で誘導されるGRP78は、EGFレセプターを細胞内にとどめ、EGFからサイクリンD3への増殖シグナルを遮断し、細胞増殖制御に関与することが分子レベルで示された。本研究は、固形がん内部での癌細胞の増殖制御機構という新たな研究領域を開拓したものであり、がん生物学、治療研究に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。 |