学位論文要旨



No 113040
著者(漢字) 金子,真隆
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,マサタカ
標題(和) キャッソンの結び目不変量とゲージ理論
標題(洋) CASSON’S KNOT INVARIANT AND GAUGE THEORY
報告番号 113040
報告番号 甲13040
学位授与日 1997.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第91号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 落合,卓四郎
 東京大学 教授 松本,幸夫
 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 河野,俊丈
 京都大学 教授 深谷,賢治
 京都大学 助教授 古田,幹雄
内容要旨

 この論文の目的は、CassonとWalkerによって定義された(整係数)ホモロジー3球面(整係数のホモロジー群がS3のそれに一致する3次元多様体)の中の結び目に対する不変量と、その結び目に沿ったホモロジー球面の0/1Dehn手術のFloerホモロジー群との関係を明らかにすることである。

 周知のように、任意の3次元多様体はS3のフレーム付きリンクに沿ったDehn手術により得られる。従って、3次元多様体の位相不変量の計算には、Dehn手術に対する振る舞いが決定的に重要である。ホモロジー球面の位相不変量としては、Casson不変量とFloerホモロジー群が知られている。

 ホモロジー球面のCasson不変量のDehn手術に対する振る舞いは、いわゆるCassonの結び目不変量を用いて記述されることが知られている。ホモロジー球面に対するCasson不変量の場合と違い、結び目不変量の定式化には結び目に付随したHeegard分解M=W1W2をとる必要がある(ここでW1とW2は互いに同相なハンドル体、は2つのハンドル体の共通の境界となる曲面で結び目をBounding simple closed curveとしてもつもの)。一方、ホモロジー球面のFloerホモロジー群のDehn手術に対する振る舞いは、Floerの三角形とよばれる完全系列により記述されることが知られている。具体的には、Mをホモロジー球面、KをM内の結び目、M’,M"をそれぞれMのKに沿った1/0,0/1Dehn手術として、次のように書ける(M’はホモロジー球面、M"はホモロジーS1×S2になる)。まずCasson不変量については、をホモロジー球面のCasson不変量、’を結び目のCasson不変量として、

 

 がなたつ。Floerホモロジーについては、Dehn手術から標準的にきまる同境によって誘導される系列

 

 が完全系列になる。これがFloerの三角形とよばれるものである。

 いずれの結果についても、多様体にはホモロジー球面という制限がつくが、Casson不変量に対する結果はWalkerにより、有理ホモロジー球面(有理係数のホモロジー群がS3のそれに一致する3次元多様体)に対するDehn手術公式に一般化されている。この論文の結果は、Floerの三角形の有理ホモロジー球面への一般化、及びそのFloerホモロジーの具体的な計算への応用の第一歩を与えるものである。

 ホモロジー球面のCasson不変量とFloerホモロジー群の間には、つぎのような関係

 

 のある事がTaubesにより示されている。ここで右辺はMのFloerホモロジー、HF*(M)のEuler数と見るべき量で、M上のSU(2)束の接続全体のなす無限次元空間を使い、Atiyah-Hitchin-Singer複体の指数を計算して得られる。一方、左辺は1()のSU(2)表現全体のなす有限次元空間を使い、交点数の計算をして得られる。

 この論文ではTaubesの方法を変形して、結び目のCasson不変量の場合に適用する。結果を定理の形に書くと、

定理1(本文定理2.4.2)

 Mをホモロジー球面、KをMの結び目、M"をMのKに沿った0/1Dehn手術、PM"をM"上の非自明なSO(3)束とする。この時、PM"上でChern-Simonsゲージ理論が定式化できて、PM"上のChern-Simons勾配ベクトル場fのEuler数(f)を定義でき、等式

 

 が成り立つ。ただし、ホモロジーS1×S2上のFloerホモロジーは、ある特別な束を用いてFloer及びBraam-Donaldsonにより定式化されていて、(f)はHF*(M")のEuler数と見るべき量である。

 Taubesの論文のケースでは自明接続を平坦接続全体の基点としてとれるので、絶対値のない形の等式が成り立ったが、結び目不変量の場合には非自明な束を考えなくてはならないので、基点となるべき平坦接続が存在しない。このため、この論文の結果には絶対値を含む等式が現れている。

 定理1の証明には、次の2つのステップを踏む。

 1.結び目Kに対応するEuler数(f)を定義するために適切なChern-Simonsゲージ理論をみつける。(第1章、第2章1節)

 2.Taubesの方法を適切に変形して、上で定式化されるEuler数(f)が結び目のCasson不変量に等しい事を示す。(第2章の残り)

 ステップ1では、Braam-Donaldsonの方法を使う。簡単にいうと、彼らが呼ぶところのadmissibleなSO(3)束を使い、結び目Kに沿って特異性を持つようなSU(2)平坦接続を考える。これらの平坦接続(のゲージ同値類)全体の空間を計算して(第1章3節)、1()のSU(2)表現空間の中でみた時に、結び目不変量’(K)を与えるいわゆるdifference cycleに一致する事を証明する。(系1.3.1)一般にホモロジー球面のCasson不変量の、ある結び目に沿ったDehn手術に対する振る舞いを考える時には、その結び目に対応するHeegard分解を1つ固定し、Dehn手術によって2つのハンドル体のはりあわせ写像がその結び目に沿ったDehn twistの分だけずれる事を利用するが、0/1Dehn手術の場合にはこの方法は通用しない。そこでこの論文では、基本群の表現空間と平坦接続全体の空間との同一視にもとづいて、必ずしもHeegard分解には固執せずに証明を行っており、この点がこの論文の1つの大きな特徴である。ステップ2では、M"上の非自明なSO(3)束にTaubesの方法の変形を適用する。Taubesの方法の変形は、横断正則性の議論、及びChern-Simons HessianというべきFredholm作用素の指数の計算で最も顕著である。これは、第2章3節で扱う。第2章4節では、系1.3.1で集合としての一致が示された各平坦接続(表現)からのEuler数(f)、及び結び目のCasson不変量’(K)への寄与が等しい事を証明する。上の2つの平坦接続に対し、それらを結ぶ上の接続の道であって、上では常に平坦であるようなものをとる。この道に付随して、Chern-Simons Hessianの族をとれる。この作用素の族のスペクトル流により、端点の2つの平坦接続に対して、Chern-Simons Hessianの行列式の相対的な符号を決められる。ここで注意すべきは、Chern-Simons Hessianは接続全体のなす無限次元空間上の作用素なので、その行列式自体を定義するのは難しい事である。一般に3次元多様体のシリンダー上では反自己双対方程式がChern-Simons汎関数の勾配方程式に一致する事に留意すれば、このスペクトル流の計算は上記のAtiyah-Hitchin-Singer複体の指数の計算に相当する。一方、この接続の道のへの制限をとる事により、端点の2つの平坦接続に対して、difference cycleと1(W2)の表現空間との交点数の相対的な符号を決められる。Chern-Simons勾配ベクトル場の2つの零点(平坦接続)に対して相対的な符号を決めるこれら2つの方法が一致する事を証明する。(定理2.4.1)

 定理1はFloerの三角形の帰結としても得られるが、Floerの三角形の証明には非線型のPDEが用いられるのに対し、ここでの証明は線型のPDEしか用いない分、より簡単な証明になっている。さらに、次の有理ホモロジー球面の場合への一般化は新しいものである。(第2章5節)

定理2(本文定理2.5.1)

 Kを、有理ホモロジー球面Mの中の0ホモロガスな結び目とする。M"をMのKに沿った0/1Dehn手術、PM"をM"上の非自明なSO(3)束とする時、PM"上でChern-Simonsゲージ理論が定式化できて、適当な摂動を加えることによりPM"上のChern-Simons勾配ベクトル場fのEuler数(f)を定義できる。(f)は摂動によらずに定まり、等式

 

 が成り立つ。ここで、’(K)は、Kの正規化されていないCasson-Walker結び目不変量を表す。(即ち、通常のCasson-Walker結び目不変量に、H1(M:Z)の位数をかけたもの)

 定理2の、結び目Kが0ホモロガスという仮定は、Walker結び目不変量の定義に必要である事を注意しておく。定理2の等式の右辺は、やはりHF*(M")のEuler数と見るべき量である。

 有理ホモロジー球面に対しては、Floerホモロジーはここで必要な形では定義されていない。Floerホモロジーを定式化するための主な困難は、可約なSU(2)平坦接続の存在に起因する。有理ホモロジー球面のWalker不変量の定義で既に明らかなように、適当な摂動を加えてChern-Simonsベクトル場の零点を非退化にする事はできる。よって、摂動を1つきめれば、Euler数(f)を定義できる。しかし、このEuler数は摂動の取り方によって変わってしまう。一方、結び目のWalker不変量とそのゲージ理論的意味付けを考える時には、可約な平坦接続に起因するこのような困難を回避できる事を示せる。即ち、1()のSU(2)表現空間の中でみた時、上に現れたdifference cycleが可約表現の空間から離れているので、Chern-Simons勾配ベクトル場の零点を非退化にするための摂動は、その台が可約接続の空間と交わらないようにとれる。この考察によって、Euler数(f)は、摂動の取り方によらず、M"の微分多様体としての構造のみによって定まる事がわかる。これが、定理2の主張の核心である。以上の事がわかってしまえば、あとは定理1と同様のステップを踏んで定理2を証明できる。

審査要旨

 金子真隆の論文「Casson’s knot invariant and Gauge theory」は、3次元多様体のゲージ理論を用いて得られる不変量に関するものである。

 1985年キャッソンはホモロジー3球面Mの重要な不変量を発見したが、それは基本群のSU(2)への表現の「符号付きで数えた」個数である。タウベスは1990年このキャッソンの不変量がM×R上のゲージ理論を用いて再構成できることを証明した。このタウベスの仕事は、フレアーによる3次元多様体のフレアーホモロジーの発見にいたる中心的なステップをなしている。(フレアーホモロジーのオイラー数の半分がキャッソンの不変量である。)

 キャッソンは彼の発見した不変量を計算する方法を同時に与えているが、それは、結び目についてのデーン手術で不変量がどう変わるかを決定したことに基づいている。ここで登場するのがキャッソンの結び目不変量である。

 フレアーは、結び目についてのデーン手術でフレアーホモロジーがどう変わるかを記述する完全系列を示している。この完全系列を用いると、キャッソンの結び目不変量は、その結び目に沿ってホモロジー3球面をデーン手術して得られる(S2×S1と同じホモロジーを持つ)多様体のフレアーホモロジーのオイラー数であることがわかる。

 フレアーの完全系列は、結び目がホモロジ-3球面である場合にだけ証明されていて、より一般の3次元多様体に対してそれに当たるものが何かはよく分かっていない。深谷等によれば、おそらく、全く同じ完全系列は成り立たないだろうと言われている。

 一方で、キャッソンの不変量はウォーカーによって、有理ホモロジー球面に対して一般化され、デーン手術との関係も明らかになった。他方は、深谷等によってフレアーホモロジーはより一般の3次元多様体にも(いろいろなやり方で)一般化されている。

 従って、フレアーの完全系列をより一般の3次元多様体に対して、証明しようとしたとき、どのような理由でどのような場合に破綻が起こるかを知ることは3次元多様体のゲージ理論の中心的な問題の一つである。

 金子真隆の論文はこの問題にアタックするための最初の手がかりを与えるものである。

 金子は、まずキャッソンの結び目不変量とホモロジーS2×S1のフレアーホモロジーに対する上記の事実の、フレアーの完全系列によらない証明を与えた。フレアーの完全系列は非線形偏微分方程式に基づいて証明されているのに対して、金子の証明は線形偏微分方程式の族の指数を用いて成されており、より簡明である。また、この証明は、上記のタウベスによるキャッソンの不変量のM×R上のゲージ理論を用いた再構成の自然な一般化である。

 次に、金子はこの結果をウォーカーの有理ホモロジー球面の中の結び目の不変量とホモロジーS2×S1のフレアーホモロジーに対するものに一般化した。金子は結び目の表すホモロジー類が0であると仮定している。(この仮定がないと結果そのものが成り立たないと考えられる。)この結果は、例えば、フレアーの完全系列の類似がホモロジー類が0である結び目までは成り立つのではないかということを強く示唆しているように思われる。

 このように金子の結果はデーン手術とフレアーホモロジーの関係を研究する確実な第一歩を与えるもので、より進んだ重要な研究への出発点を与えるものである。

 金子の研究している問題は、ドナルドソン、フレアーを含む、多くの著名なゲージ理論の研究者が、研究していた問題である。サイバーグ・ウィッテン理論の副産物としてモノポール方程式が4次元トポロジーにもたらされて以来、ヤンミルズ理論に基づくゲージ理論を研究している研究者はあまり多くない。しかし、特に3次元ゲージ理論についてはヤンミルズ理論に基づくフレアーホモロジーは(サイバーグ・ウィッテン理論に比べて)平坦接続との関係が自然につくなど、明白な利点を持っている。従って、流行にとらわれず重要な問題を研究し、着実な一歩を与えた金子の研究は高く評価される。

 よって本論文提出者金子真隆は博士(数理科学)の学位を授与されるに十分な資格があるものと認める。

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