本論文の目的は、1949年の新中国成立後における中華人民共和国の政治経済体制の確立期を時代背景に、情報流通関連政策の分析を切り口として、これまでに明らかにされていなかった「もう一つの人民共和国の建国史」、すなわち「情報の建国史」を考察し、その過程を解明し解釈しようとするものである。この論文は、記録された情報メディアの事業、すなわち、社会流通制度としての情報メディアの生産・蓄積・配分・利用に関わる「出版事業-流通販売事業-図書館事業-科学技術情報事業」の展開かかわる政策を中心に分析し、制度面と組織面という両面から、中華人民共和国の情報流通体制の形成過程を検討する。 この論文では、中国の情報政策の問題を、生産・蓄積・配分・利用という四つのレベルで、以下のような八つの情報流通の基本問題として分析枠を設定した。すなわち、1)出版問題、2)図書保護の問題、3)対外情報輸入の問題、4)対外情報輸出の問題、5)出版物取次販売の問題、6)禁書の問題、7)図書館問題、8)科学技術情報問題、である。この八つの問題を検討することによって、中国社会主義体制の確立期とされる1949年から1957年までの7年間に実施された中国の情報政策の実態を解明し、この7年間に、革命以前の情報流通体制から社会主義中国の体制に適合した情報流通体制への改革を実現し、それによって、「情報の建国」が確立したと、本論文は結論づけた。 中国の情報流通体制の成形過程は、以下のような三つの段階を経て展開された。すなわち、 まず第1段階は、中華人民共和国成立から1952年までの時期である。この時期において、朝鮮戦争を歴史背景に、情報輸出入規制政策が全面的に実施された。1950年11月に、「国家機密保護に関する通報」が公表され、中国の出版物の内容公表についての規制が打ち出された。そして、翌年の6月、中国政府は、国の暫定法令として、「国家機密保護暫行条例」を制定した。この条例で、出版物を含む情報メディアの情報公表について全般的に規制した。同じ年の10月と1952年の7月に、国内の出版物の海外への輸出規制を目的とした「わが国の新聞の国外発行に対する意見」、「図書の国外輸出に関する指示」がそれぞれ制定された。一方、海外情報を国内に輸入することを規制する政策は、1951年12月に「印刷品の輸入暫定措置」として制定された。中国政府は、国内情報メディアにおける情報対外公表に対する制限と、海外情報メディアの国内への輸入制限、そして国内情報メディアの海外輸出制限、という三つの柱を中心に、情報の内外流通を全面的に規制し、対外情報流通における国家独占体制を構築した。 中国政府が情報輸出入に対する厳しい制限を実施する一方、ソ連東欧社会主義国家との情報流通の強化を図った。人的交流、技術導入、書物輸入・翻訳などを通して、大量のソ連情報が吸収された。これらのソ連情報が中国の国家建設、経済、科学技術、文化教育の発展を支える重要な海外情報源になったと同時に、ソ連情報に高度に依存する「偏在的な情報構造」が作り上げられた。 第2段階は、1953年から1956年までの時期である。この段階は、中国社会が社会主義計画経済体制と人民民主独裁の政治体制に全面的な転換がなされる時期である。この時期に実施された情報政策は、計画経済体制に適応するための情報の生産、流通、配分、利用の高度計画的な体制の確立と、情報流通分野における社会主義イデオロギーの強化が中心であった。 前者について、まず、1955年5月に通達された中共中央の「私営文化事業と企業に対する管理と改革の指示」によって、民間の情報流通企業と事業に対して所有制度の改革が行われた。この所有制度の改革は1956年末までに完成した。次に、所有制度改革にともない、情報生産流通構造の全体に対する再編成が実施された。その再編成の基本的な手段としては、計画経済の需要に対処するために、情報流通事業を専門化することと、情報生産と処理の中央集中化である。これらの結果、中央政府の各部門に直属する各専門出版社、国営新華書店システム(国内書物取次販売網)、国営国際書店システム(書物の対外輪出入)、国営外文書店システム(国内の外国語書物の流通販売)を組織基盤とする情報流通の国家管理体制が確立された。 後者について、1955年中共中央が全国範囲の大衆禁書運動を推進した。この運動は、出版物市場におけるイデオロギー浄化作戦と同時に、国民文化レベルでの社会主義イデオロギーの普及運動であった。この運動によって、イデオロギーの道具としての情報メディアの機能が全面的に強化された。 第3の段階は1956年から1957年までの時期である。この時期は、中国の国民経済計画の制定に伴う科学技術事業の計画と振興という背景で、国の知的情報資源の全体計画と整備が取り上げられた。1956年に、中華人民共和国成立後のはじめての全国図書館工作会議、全国大学図書館工作会議がそれぞれ開かれ、図書館振興策が提出された。1957年に、全国の図書館資源の調整と協力を促進するための「全国図書協調方案」が発表された。この「方案」では、北京、上海の大規模図書館を中心とした「中心図書館」制度を発足させ、国の図書館情報資源を重点的に確保することが意図されている。それと同時に、1956年に、ソ連邦科学技術情報研究所をモデルに、科学技術情報を収集、処理、分析、提供する中国科学技術情報研究所が発足し、1957年に、はじめて国家科学技術情報政策である「科学技術情報工作の発展に関する方案」が制定された。この政策文献は、中国の科学技術情報体制の基本枠組み、事業展開の方針、組織構造、運営基準などについての基本大綱として、中国科学技術情報政策の基盤を作り上げた。そして、翌年に第1次科学技術情報の国家会議が開かれた。これらの施策は、図書館資源の全体統合と計画、科学技術情報事業体制の発足を中心に展開され、中国の経済、科学技術、文化教育の活動を支える国の知的情報資源体制が構築された。 本論文は以下のような特徴、すなわち、強いイデオロギー性、高度な国家独占性、印刷メディアに依存する閉鎖性という3点から、中国の情報流通体制の特性についての分析が行われた。 中国情報流通体制におけるイデオロギー性については、以下のような3点から見ることができる。まず、情報政策の課題形成において、党の中心的な政策課題の枠組みに従うことである。党の政策転換あるいは、新しい政策に取り組む時、党が情報政策サイドに新しい政策視点と課題を提供し、そして情報政策に党の政策を反映させる。次に、情報流通活動を政治化することである。あらゆる情報流通活動をイデオロギー価値と結び付け、その活動に政治的な意義を与え、情報流通活動の従事者に政治的な自覚を促すことは、情報流通活動を政治化するための措置である。第三に、情報流通事業が党のイデオロギー関係部門(党の宣伝部門)によって直接管理指導されることである。これは、思想統制の大前提とされる情報統制が情報流通事業において極めて重要な役割を果たす制度的な措置と考えられる。 情報流通活動に対するイデオロギー化あるいは政治化の結果、情報流通体制においてイデオロギーが強く現れ、さまざまな問題を発生させている。その中で、最も大きな問題点として、情報流通に対する過度の規制によって情報資源に対する社会的な利用が十分に展開されなかったことと、情報の生産、輸入、流通活動における情報の需要と供給との矛盾が常に発生していることが挙げられる。 中国の情報流通体制における高度な国家独占性は、情報資源の高度集中と情報国家占有という二つの形態に反映されている。この特徴は、中国政治、経済体制の確立と共に形成された。まず、情報の高度集中は中国政治制度の権力集中の基本条件として機能し、国家の独占によって保障されている。次に、中国の計画経済体制下において、情報はほかの経済資源と同じように国及び政府によって提供され、情報資源は中央および政府の各部、委員会が直轄する情報流通機関に高度に集中化されている。 高度な国家独占性の問題点として、情報資源の地域格差が拡大されたことと、地方及び企業の情報力が非常に弱いことと、情報資源の横断的な共有にとって障害になることと、情報需要と情報生産と流通との調整がされにくいことが挙げられる。 第三の特徴は印刷メディアに依存する閉鎖性である。この閉鎖性は、印刷メディアにおける情報伝達の特性、すなわち、文字解読力、接触機会を前提としている。印刷メディアが一元化され,非識字者率が高かった1950年代の中国社会において、ネットワークを組織基盤とした情報伝達の仲介者としての中国共産党の役割は極めて大きく、さらに、情報の「接触機会」をコントロールすることも容易であった。しかし、情報化が進み、情報伝達の多元化時代の到来にともない、閉鎖的な情報流通体制を維持することは困難になっている。 本論文の最後で、今日の中国情報流通体制の改革に関連して、1950年代の情報流通体制が依存する制度的、技術的な基盤が崩れていることを結論づけ、中国の情報流通体制の改革の方向についていくつかの提言を行った。 |