現在わが国の電力供給量の約30%を担っている原子力プラントの中には、運転開始後すでに20年を経過したものもあり、今後とも安定的に運転を継続させることと正確な余寿命評価が求められている。このような原子力プラントの長寿命化の流れに伴い、原子炉圧力容器鋼には非破壊的手法によって健全性を監視・診断するシステムの必要性が近年高まっている。一般に、硬さ・延性-脆性遷移温度(DBTT)・その他すべての非弾性特性といった材料の広い範囲の機械的特性は構造敏感性を有する。一方、電磁気的特性もまた材料の微細構造に対する敏感性を有するため電磁気的特性の変化を通して機械的特性変化を間接的に求められる可能性がある。これはすなわち電磁気的非破壊診断に等しい。本研究では、強磁性材料に適用可能な磁気的非破壊診断手法を提案する。これは、磁気的特性と材料の微細構造変化との相関は磁区と格子欠陥との相互作用によって生じるという事実に基づいている。本研究では特に強磁性材料における磁気的特性の、疲労損傷・焼きなまし・塑性変形に対する感度に着目した。また実験には、軽水炉圧力容器の典型的材料であるA533B低合金鋼を用いた。 本論文では次の4つを研究目的とした。 ・疲労を加えた材料及び熱処理条件の異なる材料における磁気特性(B-H曲線)を測定し、材料の機械的特性とB-H特性の相関関係を解明する。 ・実用体系条件においても高感度な磁気特性測定手法を提案し、その実験的検証を行なう。 ・Wavelet-Galerkin法における剛性マトリックス係数解析手法を提案し、同次ディノクレ境界条件と四角形状を有する問題に対しラグランジェ乗数法を適用することによる新しいWavelet-Galerkin解法を開発する。また、任意形状、ディリクレまたはノイマン境界条件を有する電磁気的境界値問題へ本手法を拡張する。 以上のことを目的とし、本論文は6つの章から構成されている。 第1章においては、まず研究の背景・目的と方法論が述べられている。磁気的特性と機械的特性との相関は、材料の微細構造を通してみつけられるものである。また、核分裂炉・核融合炉に用いられる構造材の種類とそれぞれの事故時に発生すると考えられる損傷モードについてのレビューをまとめている。さらに電磁気的NDE(Non Destructive Evaluation:非破壊評価)手法と、実際の原子力プラントでの照射損傷・疲労損傷検出への応用に関するレビューの要約を行なっている。 第2章は本研究の理論的背景である。第1節ではまず、金属材料の微細構造について述べている。現実の結晶格子における格子欠陥の中で点欠陥、転位、面欠陥の3つを挙げ、それぞれの特徴について考察している。またこれらの格子欠陥生成の重要な原因としてクエンチ、照射損傷、塑性変形、焼きなましを挙げ、それぞれの影響について述べている。第2節では材料特性、とくに合金の強度について述べ、合金の降伏応力を上昇させる5つの方法について言及している。第3節では材料の電磁気的特性についてまとめている。まず強磁性特性については、軟磁性体および硬磁性体における保磁力Hcの重要性について述べ、材料の微細構造の変化が及ぼすHcの変化について考察している。また材料の微細構造が強磁性体の磁化Mに与える影響について、特に疲労により強磁性体内部に発生する非磁性析出物の影響を考察している。電気的特性に関しては、その電気抵抗率の温度依存性・格子欠陥依存性について言及している。 第3章では本研究で行った実験手法の説明であり、第4章ではその実験結果の解析及び考察を行なっている。 第3.1節は熱処理を加えた試験片に関する実験手法の説明、第4.1〜4.3節はその測定結果と考察である。ここではA533B低合金鋼とSUS410マルテンサイトステンレス鋼のトロイダル形状試験片に数種類の熱処理を加え、その磁気的ヒステリシスループとビッカース硬さの測定を行なっている。この測定結果より、保磁力Hcと機械的硬さの間には強い相関があることが分かった。A533B,SUS410ともに保磁力はビッカース硬さに対して線形の依存性を有していることから、保磁力Hcが非破壊診断の実用にとって最も有効なパラメータであることの確証を得るとともに、Hcの測定値からビッカース硬さを予測することが可能であることが分かった。また、B-HマイナーループはB-Hメジャーループと相似であり、そのアスペクト比は熱処理温度に依存しないという知見が得られた。このことより、本手法を実際の非破壊診断に応用する際にも、測定に用いる磁場は微弱磁場で十分であるということが分かった。さらに、試料に作用する電磁力変化測定のNDEへの応用方法を提案するとともに、この手法の妥当性の検証を行なった。その結果、本手法は磁気開ループや微弱磁場という条件下においてさえも材料の磁気的特性変化に対して高感度性を有することが分かった。よって本手法を用いることにより、熱処理によってできた各試料間の材料的な差異を明確かつ体系的に区別することが出来る。 第3.2節ではサイクル疲労を与えた試験片に関する実験手法について述べ、第4.4,4.5節ではその測定結果の解析と考察を行なっている。本研究では高サイクル疲労による微細構造変化を検出する手法として磁気的非破壊診断手法を応用した。この手法を用いた測定により、応力レベルが降伏応力以下の場合にも磁気的NDE手法は、疲労損傷に対して十分な高感度性を有するということが分かった。またTEM観察により、繰り返し荷重によるフェライト相中の転位密度の増加と析出物の分割を確認することが出来た。これにより、材料の微細構造の変化は、ヒステリシス曲線の変化や残留磁束密度Brの急激な減少など、磁気的特性との強い相関を示すことが分かった。 第3.3節では塑性変形したA533B試験片の磁気特性変化の測定結果について考察している。B-H曲線は材料の塑性変形により大きく変化し、保磁力Hcも、残留歪みが限界値(ここで転位の飽和が起こったと考えられる)に達するまで、残留歪みの上昇とともに系統的に増加した。また降伏応力以上の領域においては、試料の微弱な磁化変化をSQUIDの走査によって検出してLuders帯を求めた。 第5章では、Wavelet-Galerkin法を用いた数値解析を行なっている。Wavelet-Galerkin法は電磁気的境界値問題を解く際に有効であると考えられる。本章ではまず、Wavelet-Galerkin法における剛性マトリックス係数の解析的導出法を述べている。次に、ラグランジェ乗数法を同次ディリクレ境界条件および四角形状を有する問題へ適用することにより、新しいWavelet-Galerkin解法を開発した。さらにこの手法を拡張し、任意形状とディリクレまたはノイマン境界条件を有する電磁気的境界値問題にも適用可能とした。また、他に連続条件を満たすための手法の開発も行なった。 最後に本論文の結論が第6章にまとめられている。本研究によって得られた重要な結論を以下にまとめる。 ・A533B原子炉圧力容器鋼の磁気的特性は、焼きなましや降伏応力もしくは塑性変形以下での疲労による微細構造の変化に対して非常に感度が高く、磁気測定に基づく非破壊診断は有望な手法であると考えられる。 ・磁気力測定に基づく非破壊診断は、微弱磁場の条件下でも感度が高く、磁気非破壊診断を実用体系に適用する場合の有力な候補であると考えられる。 ・本研究で開発したWavelet-Galerkin法は、ディリクレまたはノイマン境界条件を有する電磁気的境界値問題に対する有効な解法である。 |