本論文は、マイクロマシン技術を応用して小型BODセンサーを製作することを目的として微小酸素電極を製作し、その上に固定化された微生物膜によって構成される使いすて型BODセンサーの開発に関するもので、6章より構成される。 バイオセンサーは、生体物質の有する高い分子識別機能を利用して目的化学物質を選択的かつ高感度に定量することができるデバイスである。1962年アメリカの研究者Clarkらが世界で初めてバイオセンサーの学術論文を発表して以来、その有用性が認識され極めて数多くの研究がなされている。バイオセンサーは特に医療検査、食品の品質管理や製造プロセス制御、環境保全などへの応用が期待されており、これまでに多種多様のバイオセンサーが報告されており、血糖値やBOD値モニタリング用のバイオセンサーが既に実用化され、いくつか商品化されている。 近年バイオセンサーの有用性が広く認識され、様々な用途で使われるようになるにつれ、誰でも手軽に使える使いすて型のバイオセンサーが要望されるようになった。使いすて型バイオセンサーを製作するためには、一体成形が有利である。一体成形されたバイオセンサーチップは、取り扱いが容易であり、故障が少なく、品質が安定しているので保守の必要がなく、かつ安価で大量生産できる。 本研究は小型酸素電極の開発と、それを用いる生物化学的酸素消費量(BOD)の測定を行った。酸素電極は直接酸素濃度の測定が可能であり、トランスデューサーとして多くのバイオセンサーに用いられている。したがって小型酸素電極の大量生産技術は将来的にはセンサーデバイス開発の基盤技術となりうる技術であり、バイオセンサーの応用に大きな影響を与える。 BODは有機物質による水質の汚染の度合を示す代表的指標である。日本工業規格(JIS)により規定された測定法は5日間を必要とし、操作が煩雑で、信頼性の高いデータを得るには経験を要する。河川の水質管理や下水処理プロセスの制御にはBOD値を迅速に把握することが重要である。より迅速にBODを測定する装置が1980年代以降いくつか発表された。これらはほとんどデスクトップ型であり、また通常用いられている酸素電極は、数週間に一度のメンテナンスが必要となる。 本研究の目的は、半導体加工技術を用いることにより大量生産が可能な小型酸素電極をトランスデューサーとした、一体成形可能な使いすて型BODセンサーチップの作製と、それを用いるBOD測定方法の開発である。開発にあたり、一体成形で均一な特性を持つ電極を大量生産し、装置全体として携帯化を可能にすることを目標とした。 第1章は、緒論であり、本研究の行われた背景、及びその位置付けを述べ、本研究の意義と目的を述べた。 第2章では、一体成形された使いすて型BODセンサーの開発を行った。BODセンサーの測定対象認識素子としてTrichosporon cutaneumという酵母を選んだ。この酵母は雑食性で、長期的使用に耐え、栄養状態の変動が起きても代謝が安定であるのでBODの認識素子として適している。 酸素電極は富士通製MOE05型を用いた。この電極はシリコンウエハーを基板として、マイクロマシーニング技術で製造され、長さ15mm、幅2mm、厚さ0.4mmの大きさである。電極の表面は気体を選択的に透過させるシリコンゴムによって被履されており、測定溶液が電解液と分離しているので、多種多様の溶液に対して使用が可能である。酵母の固定化は関西ペイント製光架橋性ポリマーENT-3400を用いる包括法で行った。培養した酵母と感光性ポリマーを混合して、上記の微小酸素電極表面に塗布した。窒素ガス雰囲気中で、紫外線を両面に3分間ずつ照射した。出来上がったBODセンサーチップは0.1Mリン酸緩衝液(pH7.0)中に保存した。 小型酸素電極には-1021mVの電圧を印加して、バッチ方式で電流の測定を行った。測定セルに0.1Mリン酸緩衝液(pH7.0)を入れ、20℃に保ち、酸素電極の電流値が安定になった後、試料を添加した。再び電流値が安定したところで、電流の減少値を測定し、この値からBODs値を計算した。このセンサーの応答は、ノイズが非常に低く、BOD値0.2ppmが検出下限であった。これまでに報告されたBODセンサーの検出下限は4-10ppmであることを考えると、本センサーは高感度である。酸素を飽和させた緩衝液に対する本センサーの応答電流は100nA程度で、市販の酸素電極を用いたBODセンサーと比べて30分の1程度であった。標準BOD溶液を測定したところ0-16ppmの範囲でBOD値と電流減少値の間に直線的な相関が得られた。 本センサーを各種排水の計測に適用し、未処理及び処理済みの食品工場廃水と食堂の排水などの合計5つのサンプルについて、BODセンサー法のBODs値と従来法によるBOD5値を比較したところ、いずれも良好な相関関係が得られた。 第3章では酸素濃度非依存型BODセンサーを製作するためにデュアル酸素電極を製作した。水の中に溶けている酸素の濃度は低く(10ppm程度)、しかもよく変動する。酸素電極を用いるBODセンサーはその変動に非常に敏感なので、測定する際、緩衝液、サンプル溶液の両者を空気で飽和しなければならない。通常、空気ポンプを使って空気を通し、溶存酸素を飽和させるので、その周辺設備を含めて測定装置が複雑になってしまう。センサーの携帯化を考えると部品を減らすことが重要であり、酸素濃度に依存しないBODセンサーが望まれる。そこで本研究では、差動型BODセンサーを開発するためにデュアル酸素電極を製作した。基本的な半導体加工技術の一つであるフォトリソグラフィ法で、スライドガラス基板の上に5組の酸素電極を作成した。この酸素電極のサイクリックボルタモグラムを測定した。電極電位は50mV/sの掃印速度で変化させた。拡散分極効果によって、電流値が一定になる電位領域が現れた。-885mVの定電位を印加して、Na2SO3をセルに加えた場合の応答を測定した。90%応答時間は56秒であった。酸素電極の印加電圧-885mVでの電流値を測定し、検量線を作製したところ良好な直線性が認められた。 第4章ではデュアル酸素電極を用いて酸素濃度非依存型BODセンサーの開発を行った。第3章で製作した5組の酸素電極のうち、1つの酸素電極の上に酵母Trichosporon cutaneumを固定化して、もう1つには固定化しなかった。その2種類の電極の電流値の差からBODs値を計算した。すなわち、酵母を固定化していない酸素電極を溶液酸素濃度の補正用として用いた。電流値はサイクリックボルタンメトリー法で測定した。2本の酸素電極のサイクリックボルタモグラムの-885mVにおける電流値の差からBODsを計算した。15ppm BOD標準溶液に対する応答再現性を調べた。酸素飽和状態で12%の相対誤差(n=7)を示した。 次に27℃で酸素濃度を変化させた場合の検量線を測定した。試料の溶存酸素濃度が6と8ppmの場合、応答はほとんど変化せず0-35ppmの範囲でBOD値と2本の酸素電極の電流値の差に直線的な関係が得られた。溶存酸素濃度が4ppm以下の場合は、BODが測定できなかった。 本センサーで食堂からの排水と2種類の人工合成排水を、酸素濃度を調整せずに測定し、本法によるBODs測定値と従来法によるBOD5測定値を比較したところ、いずれも良好な相関関係を示した。 第5章においては、紙製酸素電極を用いたBODセンサーの開発を行った。環境問題は先進国、発展途上国を問わず、全地球的規模で関心が高まっている。できるだけ多くの場面でセンサーを利用するために、単にメンテナンス不要であるだけでなく、より一層の低価格化と環境に害を与えないことが要求される。このような使いすて型センサーを作製するために、新しい材料と作製方法を検討した。基板にはシリコンやガラスなど固い材料ではなく、加工し易い紙を用いた。それによって、切断・形成に高価な専用装置を必要とせず、汎用カッターで十分加工が可能になる。しかも紙は使いすて型としてもっとも環境に負荷を与えない材料であり、使用後焼却することも可能である。まずプラスチックマスクにより作用電極のパターンを製作した。加工精度がフォトリソグラフィー法に比べやや低いが、フォトレジストや高価な露光装置が不要であるため、コスト削減が可能であり、作製時間も短縮される。マイクロマシーニング関連技術により作製された小型酸素電極の場合は、作製に1週間程度を要したが、この紙タイプの場合は1日で全工程が完了した。この点からも低価格化が期待できる。酸素電極の基板にはろ紙を使用し、絶縁膜にはポリイミド、ガス透過膜としてシリコンゴムを用いた。銀電極はスパッタリング法を用いて形成させた。 まず紙タイプ酸素電極のサイクリックボルタモグラムを測定した。酸素に対して特徴的な、拡散分極効果に由来する電流値が一定である電位領域が観察できた。 この酸素電極に-885mVの定電位を印加して、Na2SO3を加えた場合の応答性を調べた。溶液中の酸素濃度の減少に対応した応答が得られた。90%応答時間は20秒であった。この時開はガラス基板を用いる場合に比べ半分に短縮されており、BODに対する迅速な応答が期待できる。 第6章は総括であり、本研究を要約し、得られた結果をまとめた。 |