学位論文要旨



No 113049
著者(漢字) 田所,和明
著者(英字)
著者(カナ) タドコロ,カズアキ
標題(和) 北太平洋亜寒帯水域におけるプランクトンおよびサケ属魚類の生産と環境要因の関係
標題(洋)
報告番号 113049
報告番号 甲13049
学位授与日 1997.10.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1843号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 松宮,義晴
 東京大学 助教授 中田,英昭
内容要旨

 北太平洋亜寒帯は基礎生産の非常に高い水域である。この高い生物生産は豊かな水産資源を支えるとともに、人間活動によって排出された二酸化炭素を固定し、地球温暖化を抑制する役割からも重要である。従ってこの水域での生物生産の動態を明らかにし、さらにその要因を究明することは水産資源研究の面からだけでなく、地球環境研究の面からも重要であるといえる。

 本論文では、プランクトンおよびサケ属魚類の資源量変動を既往データの解析から、サケ属魚類をめぐる食物連鎖構造を野外調査の結果から明らかにし、生物量変動の要因について検討、評価した。結果の大要は以下の通りである。

サケ属魚類をめぐる食物連鎖構造

 サケ属魚類(Genus Oncorhynchus)は北太平洋亜寒帯水域の表層において動物プランクトン、マイクロネクトンの重要な捕食者である。そのため、その摂餌生態を知ることによって生態系におけるサケ属魚類の役割を知ることができる。サケ属魚類と餌料生物との関係を明らかにするため、本研究では1991年と1992年に北太平洋日付変更線付近、亜熱帯水域の北緯38度30分からベーリング海の北緯58度30分の間の21調査点において、サケ属魚類の資源量、胃内容物および環境中の餌生物量を調べた。サケ属魚類の資源量を推定するため、夕刻、延縄調査を行った。用いた延縄は30鉢から構成される。1鉢の長さは133.5mで、49本の針を持つ。餌としては塩蔵のカタクチイワシを用いた。サケ属魚類の餌料生物である動物プランクトンは夜間ノルパックネット(目合0.33mm、口径0.45m、全長1.95m)を水深150mから表面まで鉛直曳きして採集した。またマイクロネクトンは夜間、稚魚ネットを水面直下で10分間水平曳網して採集した。動物プランクトン・マイクロネクトンは10%海水フォルマリンで固定した後、分類群毎にソーティングしそれぞれの湿重量を測定した。

 調査水域においてはベニザケ(O.nerka)、シロザケ(O.keta)、カラフトマス(O.gorbuscha)、ギンザケ(O.kisutch)、マスノスケ(O.tshawytscha)、スチールヘッドトラウト(O.mykiss)の6種のサケ属魚類が分布した。その中でシロザケとカラフトマスは1991年に最も資源量の高い魚種であり、それぞれ全漁獲の43%、36%を占めていた。1992年においてもシロザケは全漁獲の85%を占め、主要な魚種であったが、隔年変動の著しいカラフトマスの資源量は大きく減少し全漁獲の1%を占めるすぎなかった。スチールヘッドトラウト、ギンザケの主要な餌生物はマイクロネクトンであり、全胃内容物重量の80%以上を占めた。マスノスケ、ベニザケ、カラフトマス、シロザケは動物プランクトンを中心に食べていた。これらの魚種の胃内容物組成には両年で差違が見られた。特にシロザケは1991年にゼラチン質動物プランクトンを多く食べていたが1992年には、甲殻類・マイクロネクトン類を多く食べていた。シロザケ、カラフトマスは1991年にサケ属魚類の全餌消費量の71%を、1992年に89%を占め、表層生態系における主要なマイクロネクトン、動物プランクトン捕食者であると推定された。1992年にカラフトマスの餌消費量は大きく減少したが、シロザケのマイクロネクトンと甲殻類に対する消費量が増加したため、サケ属魚類全体のマイクロネクトン・甲殻類の消費量は大きな年変動を示さなかった。一方、1992年にゼラチン質動物プランクトンの消費量は1991年の約3分の1まで減少した。調査点毎に比較すると、環境中の甲殻類の動物プランクトン現存量は1991年にカラフトマスのCPUEと、1992年にシロザケのCPUEと有意な負の相関関係を示した。

 観測結果で注目すべき点は、1991年と1992年のシロザケの胃内容物組成の違いである。ゼラチン質動物プランクトンと比較すると、甲殻類のマイクロネクトンは、単位重量当たりより高い熱量を持ち、捕食者にとって好適な餌生物であると考えられる。カラフトマスとシロザケは餌料をめぐって競合関係にあると仮定すると、そのシロザケの餌料の変化は、1992年にカラフトマス資源量が大きく減少したためと考えられる。類似度指数の結果から、1992年のシロザケの胃内容物組成が1991年のカラフトマスに近づいていたことから、カラフトマスが減少することによってシロザケがカラフトマスの生態的地位に入り込んだものと考えられる。また、1991年と1992年におけるシロザケとカラフトマスの甲殻類とマイクロネクトンの消費量の和はほぼ一定であったことから、これらの利用可能な量は制限されている状況にあると考えられた。1991年にはカラフトマスは甲殻類の主要な消費者で、調査点毎のカラフトマスのCPUEと環境中の甲殻類現存量との間に有意な負の相関関係が見いだされた。さらに1992年には甲殻類の主要な消費者はシロザケとなり、シロザケのCPUEと甲殻類現存量との間に有意な負の相関関係が見いだされた。このことからサケ属魚類の摂餌は、動物プラントン現存量に有意な影響を及ぼしていることがわかった。

植物・動物プランクトン量の経年変動とその物理環境要因

 動物プランクトン量および魚類資源量の長期データの解析から、北太平洋亜寒帯水域の生物量は数10年スケールで変動することが分かってきた。特に1976〜87年の気候のレジームシフトに関連して1970年代後半から80年代におけるアラスカ環流域で生物量の増大が報告された。しかし、他の水域の生物量の変動については明らかにされていない。そこで本研究では、植物・動物プランクトン量について、長期変動とその水域間比較を行い、その変動要因について検討を行った。

 資料としては1954〜94年に北太平洋亜寒帯水域およびベーリング海において北海道大学練習船おしょろ丸および北星丸が採集したデータを用いた。対象海域は、気候変動に伴う風速や表面水温の変化の地理的分布から西部、中部、東部北太平洋および東部ベーリング海の4海域に区分された。東部ベーリング海を除く各水域で、表面塩分が34.0psu以上の観測点は亜熱帯水域に含まれると考え、資料から除外した。クロロフィルa濃度は透明度との関係を用いて推定した。マクロ動物プランクトン量はNORPACネット(目合0.33-0.35mm,全長180cm,口径45cm)の鉛直曳によって採集された動物プランクトン湿重量から推定した。一般にNORPACネットは水深150mから水面まで鉛直曳網を行うが、調査年や採集地点によって採集層にばらつきが見られたため、水深120〜180mから表面まで鉛直曳網して採集された資料のみを用いた。また現存量が5000mg/m3以上となる資料は小規模の濃密群集と考え、場の代表値として5000mg/m3とした。サルパやクラゲ類などの大型の動物プランクトンを含む資料は解析から除外した。北太平洋亜寒帯水域の環境データとしては、気象庁から1961〜1990年の表面水温、海面風速および日射量の月平均値の提供を受け使用した。

 これらの資料を解析した結果、中部および西部北太平洋において動物プランクトン量とCh-a量は1960年代から1970年代初頭にその前後の年代と比較して数倍高い値を示した。東部北太平洋および東部ベーリング海の動物プランクトン量とChl-a量も1960年代半に増加したが、1980年代の終わりまで高い値を維持した。プランクトン現存量が高い値を示した1960年代半から1970年代初頭は、NHZIが正の値を示した年代と一致し、中位のプランクトン現存量を示した1970年代半から1980年代終盤は、NHZIの値が負の値を示した年代と一致した。10年スケールで比較した場合、東部ベーリング海の動物プランクトン量と冬季の風速との間に有意な正の相関関係が見いだされた。アジア系のカラフトマス資源量と、中部北太平洋の動物プランクトン量の隔年変動成分を比較した結果両者の間に有意な負の相関関係が見られた。さらに中部北太平洋の動物プランクトン量とChl-a量の隔年変動成分の間にも有意な負の相関関係が見いだされた。

 以上からサケ属魚類の利用可能な環境中のマイクロネクトンおよび動物プランクトン量は制限されており、サケ属魚類の補食によってその現存量が影響されることが明らかになった。またカラフトマス資源の隔年変動が、動物・植物プランクトン現存量の隔年変動に影響し、より長いスケールでの動物・植物プランクトン量の変動は十年スケールの気候変動と関連することが明らかになった。

審査要旨

 北太平洋亜寒帯水域は、夏季には亜寒帯性魚類および北上回遊する温帯性魚類・頭足類の索餌場として利用されている低次生物生産の非常に高い水域である。また、北太平洋亜寒帯はその高い基礎生産により、人間活動によって排出された二酸化炭素を固定する機能の大きな場所として注目され、JGOFS(全球的オーシャンフラックス共同研究)やGLOBEC(地球規模海洋生態系変動気候研究)などの国際共同研究が展開されようとしている。したがって、この水域での生物生産の季節および経年的変動、およびそれらの東西、南北分布構造の実態を明らかにすること、さらにその要因を究明することは、水産資源研究の面だけからだけでなく、地球環境研究の面からも重要であると云える。こうした状況を背景にして、本研究は、サケ属魚類をめぐる食物連鎖の構造を調査船による現場観測に基づいて明らかにするとともに、動植物プランクトンと海洋環境の季節・経年変動の実態とそれらの海域による差異およびそのメカニズムについて、歴史的データの解析から解明を試みたものである。研究の方法と成果の大要は以下の通りである。

1.サケ属魚類をめぐる食物連鎖構造

 サケ属魚類の生態系における役割を明らかにするため、水産庁の傭船に同乗して、1991年と1992年に北太平洋の日付変更線に沿う、38°30’Nから58°30’Nにわたる21地点で、サケ属魚類の資源量、胃内容物および環境中の餌生物量を調査した。その結果、アジア系のカラフトマス資源の隔年変動に伴って、亜寒帯海流系以北を中心に分布するサケ属魚類の胃内容物組成が変化し、シロザケはアジア系カラフトマス資源の多い年にゼラチナス・プランクトンを、カラフトマス資源の少ない年には甲殻類を主食にしていることが見い出した。また、環境中の甲殻類の現存量は、主要な捕食者であったカラフトマス(1991年)とシロザケ(1992年)のCPUEと負の相関関係を示し、環境中の甲殻類の現存量はローカルスケールでは捕食圧によってトップダウン制御されることを示した。

2.親潮水域における低次生産の季節変動特性

 親潮水域におけるクロロフィル濃度(透明度)と物理的環境の平年的な季節変動のパターンを歴史的資料を用いて解析し、東側のアラスカ環流中の観測定点パパや大西洋亜寒帯の定点のものと比較した。その結果、親潮水域では4月に珪藻を主とするブルーミングが生じるが、その理由は、P点に比べて1カ月早い4月に表層の塩分が低下して密度成層が始まり植物プランクトンの増殖が始まるが、この時期動物プランクトンの密度はまだ少ないことによることを初めて見い出した。また、6月以降に植物プランクトンが減少するが、その理由は栄養塩類の枯渇によるものであることを示した。

3.北太平洋亜寒帯の各水域のプランクトン量の経年変動特性とその要因

 北太平洋亜寒帯水域の生物量は数10年スケールで変動することが、動物プランクトン量および魚類資源量の長期データの解析から分かってきた。そこで本研究では、亜寒帯全域のプランクトン量および物理環境要因について長期変動とその水域間比較を行い、その変動要因を検討した。資料としては、北大練習船おしょろ丸および北星丸が採集した1954〜94年の透明度とNORPAネット(目合0.33-0.35mm)データ、および気象庁発行の1961〜90年の表面水温、海面風速および日射量の月平均値のデータを用いた。その結果、いずれの水域においても、動植物プランクトン現存量が1960年代後半から1970年代半ばにかけて高く、10年スケールでの風速とクロロフィル濃度、および、クロロフィル濃度と動物プランクトン現存量の間には正の相関関係があること、また隔年スケールでのカラフトマス資源量見の変動成分およびクロロフィル濃度と動物プランクトン現存量の間には負の相関関係が見い出された。さらにこれにより、隔年スケールではトップダウン制御、10年以上のスケールではボトムアップ制御が働いている可能性を示唆した。

 これらの研究成果は、大洋規模の海洋生態系の変動過程の実態とその地理的な差異およびそれらに対する物理環境変動等の影響を明らかにし、また植物プランクトンから、動物プランクトン、マイクロネクトンおよびサケ属魚類の間の食物連鎖構造を解明する上で、大きな寄与を収めたものとして高く評価される。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与する価値があるものと認めた。

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