学位論文要旨



No 113054
著者(漢字) 高垣,行男
著者(英字)
著者(カナ) タカガキ,ユキオ
標題(和) 日本企業における環境対策の戦略化過程
標題(洋)
報告番号 113054
報告番号 甲13054
学位授与日 1997.11.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第4015号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 後藤,則行
 東京大学 助教授 橋本,毅彦
 東京大学 助教授 宮山,勝
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨

 世界的な環境問題への関心の高まりとともに「企業の環境問題への対応」が社会的な注目を集めてきている。というのも、企業の経済活動が環境に及ぼす影響度がきわめて大きいからである。公害問題の場合は問題の所在がローカルであり、「企業=加害者」「周辺住民=被害者」という構図が明確であり、加害者である企業が「社会的な責任」のもとで公害対策をいかに実施するかが議論の対象であった。そして企業に社会的責任を果たさせるために、法規制による強制力も効果があった。しかし、より広い意味での環境問題の場合には、一般住民も消費者として企業の経済活動の恩恵にあずかっているだけではなくて、自らが環境悪化を助長している面も否定できない。それゆえ、環境問題の解決には企業だけに責任を負わせるのではなくて、企業が消費者や公共団体と協力して環境対策を行えるような社会システムを構築すべきである。

 このような観点に立つと、現状でも環境対策を積極的に行っている企業があり、その存在にむしろ注目すべきである。その上で、企業が環境対策を行うに至る行動原理やインセンティブについての分析を行う必要がある。そのような分析は企業研究だけでなくて、公共政策上も重要な意味を持つであろう。

 経営学の中心分野である経営戦略論において、これまで環境問題とそれに対する対策は研究対策とはされてこなかった。その最大の理由は、経営学の分野においては、これまで環境問題を公害問題と同じ構図で「企業の社会的責任」という観点からとらえる研究が多く、企業の独自性やインセンティブの観点が著しく欠如していたからである。確かに、最近新しい動向として「グリーン・マーケティング」の研究が活発になりつつあるものの、消費者行動の分析に比重があり企業研究としては不十分である。しかし、環境対策を積極的に経営戦略に取り入れようとする企業が現実に出現してきており、環境対策を経営戦略の中心課題として捉えるべき時期に来ているといえる。すなわち、環境問題に対する対策に関して、これまでの「企業の社会的責任」という観点に経営戦略の観点を加えた新たな研究が必要とされ始めたのである。

 企業とは「社会的制約条件の中で利潤を追求する組織」であるというのが経営学における定義である。この定義にもとづくと、環境対策を考えるときに、社会的責任とともに「それが企業にとってメリットになりうるか」という観点をさけて通るわけにはいかない。企業が、環境対策に「メリットあり」と判断したとき、それは経営戦略に組み入れられ、経営資源(ヒト、モノ、カネ)が投入され、組織を挙げて環境経営戦略になるのである。

 このような観点に立って、本論文は、日本企業の環境対策の戦略化過程を分析することを目的とする。

 本論文は、9章からなる。各章の内容の要旨は以下のとおりである。

 第1章は本論文の導入部であり、以下のような問題提起を行っている。すなわち、技術革新の歴史を振り返ると、それは社会変化に対応すべく企業が行った努力の成果であったといえる。そのような事実を踏まえると、企業による環境対策の進展(とくに環境技術投資:新製品開発、環境対策機器、生産方法の変更など)は、環境技術の研究開発や新たな生産技術の導入を促し、引いてはそれが技術革新を引き起こす事が考えられる。技術革新が起きると新たな経済成長が見込める。このように企業の環境対策は、その直接的な「環境負荷低減効果」だけに止まらず、技術革新を助長して経済成長を推し進める効果も持ちうるのである。この全体のプロセスを検証することは本論文の範囲を越えるが、「環境対策の経営戦略化→企業の技術開発→技術革新と経済発展」という観点を提起し、そのうち特に「環境対策の経営戦略化→企業の技術開発」というプロセスを分析することが本論文の目的であることを、明確にする。

 次に、第2章においては「環境問題に対する企業の対応」に注目して、従来の経営戦略論の立場から、これまでの環境対策に関する議論を検討する。従来、経営戦略論の枠組みの中では、環境対策は対象外であった。しかし今後は、環境対策をうまく経営戦略に取り入れた企業、すなわち、環境を考慮した商品の開発や廃棄物処理などの環境対策を行いながら、それをビジネスに結び付けることに成功した企業のみが生き残っていく。このような状況の下で、企業が環境問題にどのように対処する事が可能であるかについて検討した結果、それを経営戦略の中の重要な要素であると位置付けることが必須であるという結論を得る。

 第3章では、環境対策を環境経営戦略に高めるために、経営戦略論で議論される事業の使命・機会と脅威・企業組織という3要素にもとづいて環境対策を議論する。そして、これら3要素にもとづく経営戦略の一般的命題が環境対策にも当てはまる事から、既存の経営戦略論が環境対策にも適用可能である事を示す。その上で、企業アンケート調査の結果の分析から、現状では環境対策に積極的な企業と消極的な企業とが存在することを示し、それは企業の戦略としての取り上げ方の程度、すなわち経営戦略化の進捗程度の差異によるものであることを明らかにする。

 第4章では、環境経営戦略を取り入れている企業の事例から、対象企業を(1)「先駆企業」(先駆的経営者によるトップダウンによる経営戦略化)と、(2)「先進企業」(理解ある経営者のもとでの経営戦略化)に分類する。そして、大企業の中には、競争市場のもとで先駆企業に誘発され追随する先進企業が増えつつあること、中小企業においてもベンチャービジネス的な先駆企業が出現してきていることを示す。この事実にもとづくと、今後は中小企業の中でも生き残りをかけて先進企業になる企業が増えてくることが予想される。

 第5章では、企業が環境対策を戦略化する時点に注目をして、費用構造の変化という形で経営戦略の変化が認められることを明らかにする。また、本章の結果は、財務データを用いたこのような分析はこれまで経営学の分野では殆ど行われておらず、事例研究と併用すれば、今後、経営戦略研究のツールとして用いることが可能であることも示している。

 第6章において、企業の環境対策の意思決定の要とも言える「環境対策費」について分析する。その予備的分析の結果として、会計制度上の不備もあって、日本企業は環境対策としての設備投資や費用の把握とその開示が十分にできていないという事を問題点として指摘する。これは、必ずしも日本企業の環境対策が不十分であるというわけではなくて、むしろ戦略的意識の低さを示しているといえよう。その上で、アンケート調査のデータから、「3年後の環境対策費の増減率」は「環境対策専門組織の有無」、「現状の環境対策費の(対3年前)増減率」、「3年後の環境対策で設備投資を伴う項目」、「現在の売上高利益率」、そして「現在の売上高」によって説明されることを明らかにする。

 第7章においては、環境運動の高まりと共に環境負荷の小さい商品(ここでは、それを環境適合商品と呼ぶ)が注目されてきていることから、消費者の購買意欲や企業の供給意欲に影響する要因について検討する。そのため要因の絞り込みを行った上で、アンケート調査データに基づく仮説検定を行う。その結果、消費者行動については、「環境運動の高まり」「消費者意識の高さ」「商品への環境適合の表示」「くちこみ情報」があると環境適合商品への購買意欲が高まる事を示す。なおこの場合、「マスコミ情報」は影響しない。また、企業の供給者としての行動については、「環境運動の高まり」「法規制の動向」「消費者意識の理解度」「商品開発力」が、企業の環境適合商品への供給意欲に影響することを明らかにする。ただしこの場合には、「過去のトラブル経験」はさほど影響しない。

 第8章において「企業の環境経営戦略と持続的発展」との関係を議論する。これは、企業の環境経営戦略から持続的発展までの全プロセスを明らかにすることをめざしたものではなく、企業の環境経営戦略がもつ中長期的な社会的意義を強調するためのものである。すなわち、環境を重視する消費者の出現によって、環境対策を熱心に推進する経営者がいる企業では環境経営戦略を取り入れるようになり、それが企業間で普及し、環境投資が増大する。そうすると、企業の環境投資による環境技術の革新は、国内だけではなくて海外に普及し経済発展を誘引する可能性を持ち、「環境対策を行いながら、かつ経済発展を行う」という新しいタイプの経済発展が実現するという一連のつながりを整理したものである。さらに海外の環境対策との関係において、日本企業は従来批判される事が多かったが、環境監査の普及等によって経営管理方法の同一化が進行し、海外工場進出に件う環境技術の海外普及は今後広まるという事も重要な点として指摘している。

 最後に第9章では、全体の分析をまとめたうえで、現代の最も大きな社会問題は環境問題であること、同時にそれは企業にとっては重要な戦略課題であり、公共政策上も重要である事を指摘している。さらに、環境対策を戦略課題として捉える企業が出てきており、これに追従する企業が大企業のみならず中小企業においても広がりつつある現状から、企業の環境対策の戦略化の過程に関する研究が今後ますます必要になると結論付けている。

 以上のように、本論文は、環境問題に対する企業の対策に関して、企業の社会的責任という観点だけでなく経営戦略の観点を加えて、日本企業の環境対策の戦略化過程を分析することを目的として各々の章で分析を加えたわけである。

 論文全体の導入部である第1章につづいて、第2章では環境問題と企業の関わりの検討から経営戦略の重要な要素として環境問題を位置づける必要性を示し、そして第3章では、経営戦略論で議論される一般的命題が環境対策の戦略化にも適用できることから既存の経営戦略論が環境問題にも適用可能である事を示した。

 環境経営戦略を実際に取っている企業を対象とした第4章の事例研究では、環境経営戦略を他に先駆けて行う企業がおり、その企業に誘発され追随する企業もあることを示した。第5章は事例研究を数値データで補強しようとするものであり、環境経営戦略の導入期における費用構造の変化の分析を行った。第6、7章では、企業アンケート調査の結果に基づいて、環境対策費(環境投資と費用)および環境適合商品についての企業の取り組みについて、影響要因をそれぞれ分析した。第8章では企業の環境経営戦略から持続的発展に至るプロセスを整理することで環境経営戦略の重要性を示し、第9章で本論文全体の総括と結論を述べた。

 環境問題は現代社会の大きな問題であると同時に企業にとっても重要な戦略課題であり、さらに、環境対策を戦略課題として捉える企業が出てきており、これに追従する企業が大企業のみならず中小企業においても広がりつつある現状から、本論文で分析したような、企業の環境対策の戦略化の過程に関する研究が今後ますます必要になるというのが本論文全体の結論である。

審査要旨

 本論文は、企業が社会的制約の下で、環境問題に対する対策を単なる受動的な対応から、戦略的課題と認識して経営戦略の重要な要素に高めるまでの過程を研究したものである。特に、その過程について、企業組織・費用構造・研究開発などの多面的な視点から現状を把握し、分析している点に本論文の特徴がある。

 本論文は全9章からなる。論文全体の導入部分である第1章につづいて、第2章では環境問題と企業の関わり、第3章では環境経営戦略の実行段階で検討すべき項目について述べ、第4章では環境経営戦略を実際に取っている企業を対象として事例分析を行っている。さらに第5章では、第4章の事例研究を補強するために環境経営戦略の導入時における費用構造の変化の分析をしており、第6、7章では、企業アンケート調査の結果に基づいて、環境投資および環境適合商品に関する企業の取り組みについて、それぞれ分析している。第8章では企業の環境経営戦略から経済全体の持続的発展に至るプロセスについて論じている。そして、最後の第9章で、本論文全体の総括と結論を述べている。

 具体的な内容は以下の通りである。

 第1章では、上で述べた問題意識を提示したうえで、本論文の主たるアプローチと構成を明らかにしている。

 第2章では、経営戦略論の立場から環境問題を検討している。すなわち、環境問題が企業に与える影響を検討した上で、廃棄物処理や環境を考慮した商品の開発といったような環境対応を行う企業のあり方を分析し、それが今後、経営戦略として重要な位置を占めるようになると結論づけている。

 第3章では、これまで経営戦略論で用いられてきた事業の使命・機会と脅威・企業組織という3要素からなる枠組みを環境経営戦略に適用して、既存の経営戦略論が環境経営戦略を検討するときにも適用可能であることを明らかにしている。そして、企業アンケート調査の結果から、現状では環境対策に積極的な企業と消極的な企業が存在し、それは企業の経営戦略化の進捗程度によるものであると結論づけている。

 第4章では、環境経営戦略を取り入れている企業の事例分析から、対象企業を(1)大企業型先駆企業、(2)中小企業型先駆企業、(3)大企業型先進企業、(4)中小企業型先進企業に分類している。そして、それにもとづいて、大企業の中では先駆企業に追随する先進企業が増えつつあること、中小企業においてもベンチャービジネス的な先駆企業が出現してきており、先進企業が増えつつあることを指摘している。

 第5章では、第4章の事例研究で取り上げた企業が環境対策を戦略化した時点に焦点を当て、財務データにもとづいて費用構造の変化という形で経営戦略の変化が認められることを明らかにしている。

 第6章では、まず、現在会計制度上の不備もあって、環境対策を行っていてもその費用や投資の把握とそれに関する情報開示が不十分である企業が多いことを示し、それは主として企業の戦略的意識や意欲の低さによるという問題提起を行っている。このような制約はあるものの、実際のアンケート調査のデータから「3年後の環境対策費の増減率」は、「環境対策専門組織の有無」「現在の環境対策費の(対3年前)増減率」「3年後の環境対策で設備投資を伴う項目」「現在の売上高利益率」そして「現在の売上高」によって説明されることを明らかにしている。

 第7章では、環境負荷の小さい商品(環境適合商品)を分析対象として、それに関する消費者の購買意欲に影響を与える要因とともに、企業の供給意欲に影響を与える要因についても分析している。そして、消費者ついては「環境運動の高まり」「消費者意識の高さ」「商品への環境適合の表示」「マスコミ情報」「くちこみ情報」があると環境適合商品への購買意欲が高まることを証明している。一方、企業が環境適合商品を供給するときには、「環境運動の高まり」「法規制の動向」「消費者意識の理解度」「商品開発力」が影響し、「過去のトラブル経験」はさほど影響しないことを証明している。

 第8章では、企業の環境経営戦略から経済全体の持続的発展に至るプロセスを論じている。すなわち、環境対策が経営戦略化され、環境技術に関する研究開発が積極的に行われるようになると、それによって新たな技術革新が誘発され、持続的な発展を可能にする道が開けると主張している。ただし、このプロセス全体を論証することは本論文の範囲をこえるため、主として企業の環境対策の経営戦略化の社会的意義という立場から、上述の論点を強調している。さらに、環境経営戦略を行おうとする企業が出現している現状を前提とするならば、公共政策としてこのような企業の動きを助長させる政策が今後望まれることを提唱している。

 最後に第9章では、以上の分析をまとめて、現代の最も大きな社会問題は環境問題であること、同時にそれは企業にとっては重要な戦略課題であり、公共政策上も重要な課題であることを結論として述べている。そして、環境対策を戦略的に捉えている企業が既に出てきており、追従する企業が大企業のみならず中小企業においても広がりつつある現状から、企業の環境経営戦略は今後ますます重要性を増し、それにともなってその戦略化の過程に関する研究が今後ますます必要になることを指摘したうえで、それを今後の課題と位置づけている。

 本論文の分析結果およびそれにもとづく議論に関しては、2回のアンケート調査相互間の関係、それらと事例研究との関連性、さらには提唱している公共政策の有効性の吟味など、改善すべき点も多い。

 しかし、本論文は、企業組織・費用構造・研究開発などの広い視点から、企業が環境対策を経営戦略化していく過程をとりあげ、アンケート調査結果や事例分析を用いて総合的に考察し、論じており、高く評価できる。

 よって本論文は、博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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