学位論文要旨



No 113056
著者(漢字) 上坂,友洋
著者(英字)
著者(カナ) ウエサカ,トモヒロ
標題(和) 反応の偏極相関係数測定
標題(洋) Measurement of Polarization Correlation Coefficient for the Reaction
報告番号 113056
報告番号 甲13056
学位授与日 1997.11.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3316号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 市村,宗武
 東京大学 教授 片山,一郎
 東京大学 教授 長澤,信方
 東京大学 教授 大塚,孝治
内容要旨 1.

 重陽子の波動関数は、原子核物理学の最も基本的な研究対象であり、漸近領域(→∞)では非常に良く理解されている。しかし、その高運動量成分、特にD-状態に関してはまだ理解されていない部分が多い。このことは、幾つかの実績ある核力模型によるD-状態波動関数の計算値が、陽子-中性子の相対運動量が数十MeV/cを越えたところで互いに大きく異なっているという事実にも反映されている。これらの核力模型は、電気四重極モーメントや漸近的D/S比といったD-状態波動関数の漸近的振る舞いに敏感な物理量については実験結果を良く再現するので、高運動量成分を研究するには新たな物理量が必要とされている。

 そこで我々はこの主題に取り組む新しい手段として、反応の偏極相関係数測定を提案した。偏極相関係数、、はスピンが並行な場合の散乱断面積と非偏極散乱断面積の比、/unpol、と定義され、通常よく使われる偏極観測量を用いて以下のように書ける。

 

 平面波ボルン近似によると、は重陽子波動関数のD状態密度に強く依存すると予想され、この研究には最適な観測量であると考えられる。または歪曲波の影響を受け難いと予想される。

2.偏極ヘリウム3標的

 この実験を行なうためには、偏極ヘリウム3標的が必要不可欠である。我々は理化学研究所においてスピン交換型の偏極ヘリウム3標的を建設した。

 標的の3Heガスは、少量のルビジウム及びN2ガスと共にガラスのセルの中に封じ込まれる。スピン交換型の偏極ヘリウム3標的において、長い偏極緩和時間を持つセルを作成する事が最も重要な過程である。偏極緩和はセル内の不純物が原因となるので、我々は可能な限り不純物を取り除くことができるセル作成装置を作り、この装置を用いたセル作成手順を確立した。結果として、65時間という十分長い偏極緩和時間を持つセルの作成に成功した(図1)。

図1:テストセルに対する偏極緩和時間の測定結果。T1=65±6.8時間。

 今回実験に用いられた標的の密度は2.2×1020atoms/cm3(0℃で8.2気圧)であり、世界的にみても最も高密度の部類に入る。また、標的セルの荷電粒子が通るウィンドウ部分は、バックグラウンド事象の原因となるが、我々はウィンドウ部を100mまで薄くすることによって、信号雑音比を向上させる事に成功した。実験中の偏極度は約12%であった。

3.測定

 実験は理化学研究所加速器研究施設のリングサイクロトロンによって加速された270MeVの偏極重陽子と、上記の偏極ヘリウム3標的を用いて行なった。lab=4°に散乱された陽子は、標的の2.6m下流で検出された。検出器は径2インチ、厚さ3インチのNaIシンチレータと厚さ2ミリのプラスチックシンチレータよりなる。これらの検出器の前には、重陽子分解反応に起因する膨大なバックグラウンドを取り除くため、エネルギー減衰器が置かれている。このエネルギー減衰器の厚さを調整することによって、バックグラウンドを大幅に取り除き、効率的な測定を可能にした。求めるピーク位置での信号雑音比は8-9であった。検出器は四組用いられ、各々上下左右に置かれている。四組の検出器を用いることとビーム及び標的の偏極の組合せを変えることによって、様々な系統誤差を打ち消し、信頼性の高い偏極観測量の導出を行うことに成功した。

3.結果

 結果として得られた、0.223±0.044(統計誤差)±0.037(系統誤差)、はParisポテンシャルを用いた平面波ボルン近似の予想値(0.695)より大幅に小さかった。歪曲を考慮した計算は計算結果には大きな影響は与えなかった(0.615)(図2)。この実験と理論の不一致は、より複雑な反応機構によるものと考えられる。その中で重要と考えられるものは、3Heおよび4HeのD状態の寄与、重陽子の分解プロセスとのカップリングであるが、がボルン近似計算と大きくずれていることは、がこれらの反応機構に敏感な物理量であることを示している。以上の反応機構を採り入れた理論計算は今後の課題である。

図2:の実験結果と平面波及び歪曲波ボルン近似計算。

 簡単な平面波計算によると、反応のテンソル偏極分解能(Ayy)及びベクトル偏極分解能(Cy,y,Cx,x)は、陽子-重陽子の後方散乱と重陽子の分解反応のテンソル偏極分解能と偏極移行係数と比例関係にある。そこで我々はこれらの比較を行い、実験的にこれらの偏極観測量の間の類似性を見出した(図3、4)。ただし、平面波計算からのずれがCy,y、Cx,x0で反対に成っているなどの詳細な議論には、先に述べた反応機構を採り入れた理論計算が必要である。

図3:今回の実験に対するAyyとd+p後方散乱及び重陽子分解反応のT20の比較。比較の為Ayyは-倍されている。図4:今回の実験に対するCy,y及びCx,xとd+p後方散乱及び重陽子分解反応の0の比較。比較の為Cy,y、Cx,xは-1.5倍されている。
審査要旨

 本論文は、重陽子のD状態波動関数の高運動量成分の研究を目的とし、偏極重陽子ビームを偏極ヘリウム3標的に入射して(d,p)反応を行い、(c-parallel)と呼ばれる偏極相関係数を測定した結果をまとめたものである。この研究においては、偏極重陽子源と偏極ヘリウム3標的の建設が必須であるが、論文申請者は、その双方に取り組み、特に偏極ヘリウム3標的の建設では中心的な役割を果たした。

 さて、重陽子の波動関数は、原子核物理学の最も基本的な研究対象であり、陽子-中性子の距離が大きな領域では、非常に良く理解されている。しかし、近距離(高運動量)での振る舞い、特にD状態に関してはまだ理解されていない部分が多い。すなわち、幾つかの実績ある核力模型によるD状態波動関数の計算値が、陽子-中性子の相対運動量が数十MeV/cを越えたところで互いに大きく異なっている。そこで論文申請者はこの問題に取り組む新しい手段として、偏極ヘリウムを標的とし、偏極重陽子ビームを用いた(d,p)反応の偏極相関係数測定を提案した。偏極相関係数()は「スピンが並行な場合の散乱断面積と非偏極散乱断面積の比」と定義される。平面波ボルン近似によると、は重陽子波動関数のD状態密度に強く依存すると予想され、この研究には最適な観測量であると考えられた。

 この実験を行うために、論文申請者が中心となって、理化学研究所にスピン交換型の偏極ヘリウム3標的を建設した。ビームを通すために薄い窓を持ったガラスセルに封じ込んだヘリウム3ガスにルビジウムを混入し、円偏光させたダイオードレーザー光でルビジウム原子を偏極させ、その偏極をヘリウム3原子核に移行させる。ここで最も重要なのが、ヘリウム3原子核のスピン偏極緩和時間を十分に長く保つことであるが、論文申請者は、セル内の不純物除去等により、テストセルで65時間という十分長い偏極緩和時間を達成した。標的の密度は2.2×1020atoms/cm3であり、世界的に見ても高密度の部類に入る。なお,実験中の偏極度は約12%であった。

 実験は理化学研究所加速器研究施設のリングサイクロトロンで重陽子を270MeVに加速し、これを前述の偏極ヘリウム3標的に当てて行われた。前方4°に散乱された陽子を、2.6m下流に置いた上下左右4組の検出器で検出した。各検出器は、径2インチ、厚さ3インチのNaIシンチレーターと厚さ2ミリのプラスチックシンチレーターよりなる。これらの検出器の前には、重陽子分解反応から来るバックグラウンドを取り除くため、エネルギー減衰器が置かれた。このエネルギー減衰器の厚さを調整することによって、バックグラウンドを大幅に取り除き、効率的に測定を行った。4組の検出器を用いることとビーム及び標的の偏極の組み合わせを変えることによって、様々な系統誤差を打ち消し、信頼性の高い偏極観測量が導出された。

 その結果として得られたは、0.223±0.044(統計誤差)±0.037(系統誤差)であり、代表的な核力ポテンシャルを用いた平面波ボルン近似の予想値(0.695)より大幅に小さかった。重陽子と陽子の歪曲を考慮した計算を行っても計算結果はほとんど変化しなかった(0.615)。この実験と理論の不一致は、という観測量が、当初の予想とは異なり反応機構を敏感に反映しているためと考えられるが、その解明は今後の研究課題である。

 論文の最後の部分では、陽子・重陽子の後方散乱、及び重陽子の分解反応における偏極分解能・偏極移行係数と本実験結果との比較を行った。これらの反応は、反応機構が類似であり、偏極測定量にも互いに簡単な関係が成り立つと考えられる。事実、相互のデータには類似性が認められたが、本実験の測定点が、陽子-中性子の相対運動量が230MeV/cの一点のみであるため、確定的な結論を得るには至らなかった。

 以上述べたように、本論文は実験の立案、装置の建設、データの解析を論文提出者が主体となって行い、中間エネルギーの原子核反応機構を偏極測定量を通じて解明する新しい糸口を開くものであり、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク