本論文は、高度成長期における日本の民間企業の組織や活動の特色を、組織内(成員間)および組織間の競争と協力の相互浸透という観点からとらえ、多様な側面にわたる実証的な分析をおこなったものである。この分野はこれまで、経営学、経済学、政治学などによってきわめて活発に研究された領域であるが、筆者は日本的経営、市場と組織、国家と企業などをテーマとする多数の文献を参考としつつも、主として社会学における社会過程論の理論を援用し、成員や企業の行動様式の分析をおこなう方法を採用している。これまで日本的な特質といわれてきた経営・組織・生産システム・産業政策などの様相を、それらが生み出し、あるいはそれらによって生み出された行動様式・行動原理のレベルでとらえ直すことによってこそ、日本の企業社会の活力と脆弱性を総体的に認識することができる、これが筆者の着眼である。筆者の研究の究極的な目的は、他国(特に、筆者の故国である中国)の経済発展の参考となるようなより一般的な視点から、高度成長期における日本の企業社会の活力の源泉(と限界)を実証的・理論的に分析することであり、組織成員や組織の行動様式・行動原理を多様な側面にわたって具体的に明らかにすることを本論文の課題としている。 本論文は、序論と終章と含めて8つの章から構成されている。 序章では、本論文の着眼と課題について述べつつ、これまでの主要な研究の流れを概観し、本論文の分析枠組みの提示をおこなっている。戦後日本の経済システムの特質は、これまで「仕切られた競争」「見える手による競争」などと言われてきたように、競争の質にあることは明らかであり、「どのような競争がおこなわれるか」こそを分析の対象としなければならない。筆者が注目するのは、組織の破壊に至らないようにコントロールされ、組織のパフォーマンスを高めるように動機づけられた、特定の質の競争である。筆者はこれを「組織的競争」と命名している。「組織的競争」の意味は二重である。それはひとつには、組織成員間の競争が組織の機能要件達成に対して順機能的であるという意味であり、もうひとつは、こうした特定の質の競争は自然に存在するものではなく、組織されたもの、すなわち、内から(自己組織的)であれ、外からであれ、学習や規制によって作り出されたものという意味である。 このような基本的な概念装置を用いて、第一章「組織的競争の源流と特徴」では、高度成長期の日本の経済システムに特徴的であった競争の質の特定と、その形成過程の分析をおこなう。特徴的な競争の質として筆者は、(1)協力が重視される競争、(2)階層別競争、(3)秩序ある有限な競争、(4)「仕切られた空間」内の競争、(5)見える手による競争、(6)集中度が低い、激しい競争の6点をあげる。このような競争文化(行動様式としての競争)は、これまで、集団の調和や統一を重視する日本人の国民性や固定的な伝統などの静態的な属性によるとされることが多かったが、本論文では、動態的・歴史的な視点をとり、明治期に競争という概念が西欧から導入された際に、伝統的な協調の観念と融合しつつ新たに生み出されたという観点から示唆に富む分析をおこなっている。 このような基本的な視点に立って、第二章から第四章では、日本企業の競争力を生み出した源を、組織文化(第二章)、生産システム(第三章)、企業体制(第四章)の三点に求め、それらについて、具体的に検討している。 第二章「競争力の基礎(上):企業組織による強い凝集力」では、企業社会の単位となる各集団の凝集力がどのようにして作り出され、他の集団との競争意識を生み出すかを分析の中心としている。日本企業が集団主義の性格を有する「共同体」であるという指摘はかねてより繰り返されているが、筆者はこれを各種の意識調査によって裏付けつつも、自動車産業を例に「従業員の見えざる出費」すなわち若年層従業員に対する過小支払いの実態を分析し、これが企業のリスクと従業員のリスクを一体化させ、労働の「内部化」を促すとともに、従業員間の激しい昇進競争を生み出す点を指摘している。また、日中合弁の自動車企業の比較分析をおこない、収集した組織構成や人事政策の資料から、それが「人材の養成」を重視する日本的な雇用方式を採用し、会社の凝集力と従業員間の競争意識を高めるに至ったことを明らかにしている。 第三章「競争力の基礎(中):日本的生産システムの強さ」は、職場の生産過程における協力と競争の組織化の分析に当てられている。ここでアメリカ的な生産方式と対比して検討されるのは、ジャストインタイム(JIT)方式と呼ばれる生産方式である。筆者はこの詳細を、包括性、汎用性、集団性といった日本的な労働編成とあわせて論じつつ、(1)JIT方式と日本的労働編成成立の背景、(2)「習熟による技術進歩」の生産性効果、(3)製品多様化への対応、(4)国際競争力と生産システムの関連、などの論点についての膨大な研究を分析・検討している。こうした分析をとおして、後工程引き取り、生産の平準化、U字型ライン=多工程持ちなどを特色とするこのシステムが、工程作業員間の多重の依存と相互的な管理、すなわち、職場における協力と競争を具体化する生産方式であることが明らかにされる。 第四章「競争力の基礎(下):企業体制の構造」では、日本の特徴的な企業体制、すなわち多様な形態の企業間の階層的構造を分析している。本章では、大企業/中小企業/零細企業、企業/子会社/関連会社、下請け会社、系列企業/提携企業など、さまざまな業種にわたる企業間の水平的・垂直的な重層構造を明らかにしている。本章で強調されるのは、本論でいう競争と協力が、成員間や企業間といった個々のレベルで組織化されるのみならず、それらが幾重にも重なって同時に組織化される点である。このような重層的構造の考察をふまえて、第二節以下では、自動車産業を事例として、日本における下請け企業の横の組織である「協力会」の構造と機能、二次・三次の下請け企業の主体性と隷属の実態を明らかにするとともに、中国の計画的商品経済の発展に伴って1970年代以降に形成された「横経済連合」について興味深い分析をおこなっている。すなわち、中国の企業集団は社会主義公有制を基礎としつつも、多様な所有制の上に立つ諸企業の集団であり、水平的な競争・協力関係を活性化することをねらいとしている。また、所有と経営の分離という原則に基づいた経営請負制についても紹介しつつ、これが縦方向の硬直的な従属を作り出す例もあることを分析している。 以上の三章における企業組織内および組織間の競争・協力関係の分析をふまえて、第五章、第六章では国家と企業、企業と市場というより広い文脈の分析をおこなう。というのも、上の三章で分析された水平的・垂直的な関係は、一方においては、長期にわたる経験の積み重ねから内生的に発展した創発的な性格を有するともに、他方では、その外部たる環境との緊密な相互作用なしには考えられないからである。 第五章「競争の外部環境(上):官民協調システム」では、国の産業政策に焦点をあてて論じている。この分野では自由主義-多元主義者と国家主義-官僚主導論とが従来から対立し、多様な主張が交錯しているが、筆者は、その関係は決して一様ではないという理由から、中間的な立場を採っている。第一節、第二節では、国のおこなう産業政策の主要な領域と手法を検討した後、60年代から70年代における産業政策の流れを述べている。要言すれば、それは、当初の戦略的産業政策から補正的産業政策へ、直接介入的政策手段から誘導的政策手段へと変化したのである。成長産業の分野では、資本や労働などの生産要素の供給を確実にしつつ、関税などの障壁と外資規制によって国内産業に市場を確保する政策はおおむね一貫しており、成功したと言えるが、指定産業の集中化・寡占化をはかる介入的な政策は多くの場合失敗におわった。筆者はこれらの産業政策の効果として、「仕切られた競争」が優位となり、業界ごとの競争と協調が顕著になったと結論づけている。第三節では、自動車産業政策を特に検討している。外国からの資本や製品の排除によって、自動車産業の基調は価格競争ではなく、投資競争の性格を強くもつようになり、このことが新規参入を促す結果となり、業界内の競争をいっそう激しいものとしたのである。第四節では80年代中葉以降の中国の産業政策を、自動車産業に関する具体的な考察をまじえて検討しており、その問題点として、計画経済と産業政策の概念的区別が曖昧であり、その反面、いずれにも一貫した政策の整合性がないこと、介入と裁量のジレンマが各所にみられることなどを指摘しており、興味深い分析となっている。 続く第六章は「競争の外部環境(下):組織的市場」と題されている。機能的な業界分割、業界内の寡占的競争、大企業と中小企業の系列化は政治学でいう「組織された市場」であるが、その形成と機能については、国家の役割(第五章)と同時に、市場との関係を深く分析する必要がある。本章では、このような観点から、制度派経済学のいわゆる「中間組織」の分析に準拠して、市場と組織の相互作用を論じている。自由市場でおこなわれる取引のもつ限界を理論的に考察しつつ、「見える手による競争」「退出と抗議」などの議論を参照して、継続的取引をはじめとする多様な取引慣習の合理的な基礎および、そこでの競争の特質を明らかにしている(第一節、第二節)。第三節では、再び自動車産業における部品供給体制の分析をおこない、限定された環境における競争が持つメリットとリスクに即して、組立メーカーと部品メーカーの間の相互作用を鋭く分析している。その一例として、競争者が少ないほど組立メーカーは競争の質を管理しやすくなるが、このことは少数の部品メーカーへの依存を高めてしまう危険がある。この危険に対する対処として、組立メーカーは「オーバーラップ供給体制」を確立して、潜在的な競争者の数を確保しようとするのである。 以上の多元的な分析の蓄積をふまえて、終章「組織的競争を問い直す」では、(1)「仕切られた空間」、(2)組織的市場、(3)生産性、(4)下請けシステム、(5)競争意識の5点について、現在における実践的な観点を加味して、日本的な形態における組織的競争の批判的な吟味をおこなっている。まず産業政策の批判的検討にあたっては筆者は石油化学産業の例を検討し、産業の育成が保護を基調とした場合には資本の集約化にも競争力の強化にも失敗することを述べ、競争を促進し市場の機能を生かす方向への産業政策の転換を説いている。また、組織的市場についても、これが組織の欠点である閉鎖性と、市場の欠点である抑圧性を併せ持つ危険があることを指摘する。筆者は日本経済が産業構造高度化の時代から成熟の時代へと至った今日、これまでの組織のあり方や政策の役割、競争観を含めて世界的な視野から日本の産業システム総体を見直す必要があると主張する。また、最後に、江鈴自動車工業(第二章第四節)が当時(1984年)の中国政府の強い反対に抵抗して設立され、後に成功をおさめたことを紹介しつつ、かつて日本にもあったように、健全な企業家精神の発揚があるならば必ず中国の経済発展の道も開かれることを確信すると述べて、本論の考察を結んでいる。 本論文には次のような長所が認められる。第一に、企業内(成員間)および企業間に見られる行動様式を個別に取り出すのではなく、体系的な視点から、競争と協調の相互浸透、すなわち「組織された競争」として概念的にとらえるという独自の観点を打ちだし、この観点から日本の企業に顕著に見られる特徴的な様相を具体的に分析したことがあげられる。これまでの経営学、経済学、政治学、社会学の多数の成果をたゆみない努力によって吸収し、それらを独自の相関社会科学的な視点から再構成し、様々なレベルでの競争と協調の独自の様相を浮き彫りにした本研究には十分な独創性と学問的な意義があるといえる。 第二に、競争と協調の相互浸透という行動様式について、単に文化による静態的な説明を与えるのではなく、雇用や職場の多様な慣行、生産技術、政府の指導や規制などの具体的で多様な要素から重層的な解明をこころみ、その生成や変遷の過程をも分析の俎上にのせたことがあげられる。この行動様式の組織化には、成員や組織の学習や適応による自己組織的なものと、より上位の組織からの指示や規制によるものとがあり、政府の産業政策は後者の最も重要な事例であるが、本研究は多様な組織化のチャンネルを明らかにしたばかりか、多様なチャンネル間の葛藤や相補性をも分析の対象としており、その組織化の様相を重層的に明らかにした点に十分な説得性がある。 第三に、比較研究と事例研究の巧みな組み合わせに成功している点があげられる。本研究では、比較の視野に立って、大局的な観点から日本企業の特徴的な諸側面を浮き彫りにするとともに、各章において自動車産業を事例として取り上げ具体的な分析をおこなうという手法を採用している。本研究の分析・記述が大胆な理念型を提示しつつ、一貫した具体的記述としても成功しているのは、バランスのとれた比較研究と事例研究の組み合わせによるところが大であり、この点でも周到に準備された研究であるといえる。さらに、筆者は中国江西省の江鈴自動車について独自のインタビュー調査と資料収集をおこない、貴重な事実を報告している。このような長年にわたる周到な研究活動によって一貫性のある厚みをもつ研究を完成させた功績は大いに評価に値するといえる。 本論文にも、問題点がないわけではない。まず、「組織された競争」という広範な現象を分析するにあたって、競争と協力の相互浸透という概念の含意を十分に展開しているとはいえず、第二章以下の分析が十分に掘り下げられていない憾みがある。また、両国の自動車産業を中心的な事例としたのは評価できるが、この産業の特殊性を他業界との関連で詳細に分析する作業が不足している面は否定できない。さらに、国家と企業の関係についてもこの関係の特質の把握が十分でなく、あるいは国家と官僚とが等値されるなど、いっそう精緻な分析が必要であったと思われる箇所が散見される。終章では、日本の産業政策について分析的な結論を導くよりは、将来にむけた提言をおこなうことに力点を置いており、博士論文の結論としてはやや物足りない結びになっている。 しかしながら、このような疑問や注文も、本論文の基本的な価値を損なうものではない。11年前に日本に留学し、日本のバブル経済の高揚から近年の構造的な調整期までを間近に観察し、他方で中国の急激な市場経済化とそれにともなう社会的混乱をも視野に入れながら、日本の経済システムの功罪についてのさまざまな言説に振り回されることなく、冷静に経済社会の基本的な構造の研究をおこない、日本という困難な対象について学問的な成果をあげた本論文の功績は高く評価でき、学界に対する貢献は十分であることは疑いがない。以上の理由により、本論文は、博士(学術)学位を授与されるに値するものと結論する。 |