学位論文要旨



No 113057
著者(漢字) 劉,暁力
著者(英字)
著者(カナ) リウ,シャオリィ
標題(和) 高度成長期における日本の組織と市場 : 組織的競争の相関社会科学的分析
標題(洋)
報告番号 113057
報告番号 甲13057
学位授与日 1997.11.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第126号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 教授 大森,彌
 東京大学 教授 杉浦,克己
 東京大学 教授 松原,望
 東京大学 助教授 高橋,伸夫
内容要旨

 本論文の目的そのものは、相関社会科学的な視点から、高度成長期における政府の市場介入と企業組織の積極的な行動によって、「組織的競争」及びこの競争を生み出した体制、環境の特質を多面的に検討することである。

 戦後、日本経済は特異ともいえるほど急速な成長を実現した。この高度成長の特質とは何かと問う研究成果が多く発表している。しかし、厳密にいうとそれらの研究成果には、何を基準に問題を考えるのかが曖昧になる傾向がある。漠然と、日本にしかないものを取り上げるというところに拡散し、それらを列挙する危険性である。あるいはそれらを各々の論者の基準(その基準はほとんどの場合明示されないし、論者自身が自覚していない価値基準であることが多い)によって取捨選択することになる。したがって何が重要で何が枝葉かということにも、重要性の共通基準がないので有益な議論が成立しない。この点、競争の特質から日本経済に接近するという方法は、日本経済の諸事象に競争形成がいかに関与したのかという視点から一貫して分析の光をあて、競争の構成システムとして日本経済の諸特質を再構成して認識しようとするものであり、以上の欠陥を免れている。

 基準が明確であるべきだという点では、競争以外の基準を立てて日本経済を評価してみるという方法はもちろんありうる。しかし、競争こそが日本経済社会の最大の論理であり、そこで政府と企業の経済活動を律してきた最大の論理も競争力構築の論理にほかならなかった。高度成長期以来に形成した競争の具体的な内実にこそ、政府と企業が構築した全特質が最もよく表現されているのである。したがって、そこから出発し、それとの対応で日本経済の諸事象のなかから最も重要なものを摘出し、それらの現実的な機能・相互関係を明らかにするのが、意味のある方法だと考えられる。この方法による研究は、日本の経済における競争から出発することで背後にある諸事象の取捨選択・関連づけができるばかりでなく、その副産物として、日本経済における競争についてその強さばかりでなく弱さをも含めた体系的認識をもたらすことができる。これは本論文のもっとも大きな意図である。

 その際本論文では「組織的競争」という新概念を提出し、分析を試みる作業が始まった。

 日本で思われている市場概念は実は「組織的市場」と呼ぶべきものである。それは自由市場の概念に組織の原理が浸透したものである。その独特な市場構造(組織的市場)から形成された競争を本論文では「組織的競争」と称する。この組織的競争の定義は、「経済発展や近代化の促進、産業構造の高度化、国際競争力の強化、技術革新の促進、などの経済・社会目的を達成するために、政府指導のもとで、政府及び諸集団(各団体、企業など)に専門分化された役割を与え、その活動を統合・調整する仕組みによって、規制され、保護され、組織され(あるいは管理され)展開された競争」である。

 組織的競争のあり方は、二つの側面であらわれている。一つの側面は、企業組織内部における競争は、組織統一の維持を目標とすることである。個体は組織の発展のために努力することになる。この競争は組織内部の統一と調和を破壊すること決してない。むしろ組織の利益のため、互いに一生懸命に努力して組織の力を強めるように個体各自を導きうるものである。もう一つの側面は、多様なかたちで組織原理が浸透している「組織的市場」における企業間の競争は、政府指導のもとで各企業がある分野で激しく競争し、ある分野でさまざまな取引慣行によって取引することである。

 組織的競争という意識と行動様式の発生は、日本社会がもっている競争に対する意識と緊密的な関係があるから、理解するためには、日本社会における競争理念、競争行動様式及びその源流を認識し、その性格と特徴を明らかにする必要がある。日本社会の競争理念と行動様式の最も重要な特徴とは、協同と競争との混じり合い、激しい競争の中に高い協同一致性が存在するということである。本来、日本社会が集団の調和と統一を重視し、社会生活中のタテの秩序を重んじてきた結果、集団成員間の協同一致の行動様式が構成された。近代初期、競争--西洋文化の重要な要素--が日本社会に導入され、それを適応的に融合させる段階を経て、協同と競争は日本社会の中で新しい均衡をとるようになった。だが、「競争は悪、協調は善」とみる日本の伝統的競争観が根強く支配している政府は、競争は放置すれば悪をなすしくみであり、これを的確に制御する行政的管理と規制の対象にのみ、ときとして善をなす社会的な仕組みとして利用できるにすぎないことになるとみている。だから、政府は、現代日本経済が高度成長になって以来、この競争意識によって、環境の変化に適合しながら、主要産業に仕切を作り、維持して、競争そのものをある分野で規制させ、ある分野奬めさせ、いくつかの過程を経て組織的競争を作った。「組織的競争」は、いくつの特徴を有している。つまり、「仕切られた」競争市場内の競争、見える手による競争、秩序ある有限な競争、階層別競争あるいはヒエラルキー(hierarchy)競争、協力が重視される競争、集中度が低い激しい競争、などである。

 組織的競争に関連して、その競争の外部環境としての官民協調システムと組織的市場にも言及しなくてはならない。通常、企業は環境に規定されながら企業活動を展開している。それゆえ、企業は、与えられた環境に適応しなければ、存続することができない。官民協調システムの特色は官主導的性格である。日本の官民協調システムは製造業の分野においては、自由化、開放化の実績をあげたが、その他の分野、すなわち農業、建設、運輸、通信、流通、金融、サービス等の多くの分野では、程度の差はあるにしても、相対的に自由化がおくれ、既存秩序が根深く温存され、既存権益の擁護が、競争力の阻害をもたらしている。この官民協調システムは、組織的市場及び組織的競争の形成と運営に大きな役割を担当している。「組織的市場」の特徴は、機能的に分割された「寡占的競争」と、中核会社の周辺に多数の関係会社を擁する企業グループの形態をとっていることと、長期的な取引が幅広く定着していることと、中間組織の存在である。日本における企業競争が政府指導のもとで、また「組織的市場」という外部競争環境の中展開されている。

 強い凝集力を持つ企業組織、企業体制、生産システムなどは、組織的競争の力の基礎である。組織的市場における競争の主役は、日本の企業である。日本の企業組織は多数の人間の協働体系である。この組織を構成する人間の一致団結性あるいは凝集性は、強い競争力を現出させるもっとも重要な要因である。日本においては、仕事における関係だけでは冷たい関係とされ、人間と人間との関係として組織は考えられているのである。お互いは仲間であり、単に定められた職務だけを遂行するというより、ともに共同体の一員として協力し合って働くものと考えられた。こうした共同体的な人間からなる組織は、あらゆる面(仕事に関するものだけでなく、精神的にも、生活面でも)での一致団結が志向され、こうした企業組織の強い凝集力は、他の企業との激しい競争意識を生む。日本企業の生産システムの強さは誰の目にも優秀に映り、他国企業の工場に比べても格段に優れているように見える。その強さの内実が、加工組立型諸産業における労働生産性の高さと伸び率、高品質、製品多様性の三つの側面から構成されている。その競争力を支える諸要因は、生産現場の技術と生産方式、労働編成から、企業による働き方の管理、そして労働市場や法律とその執行の特質など企業を越える社会的枠組みや文化にまで大きな広がりをもつ。日本の企業体制は企業の階層的構造をもっている。日本では、少数の大企業ないし巨大企業の対極に多数の中小零細企業が存在している。さらに、法人(会社)企業形態をとらない生業的・個人的な経営体(企業)は膨大な数にのぼる。現代日本の経済経営活動は、それらによって重層的に支えられておる。これらの大企業は、いずれも単一ないしいくつかの産業部門にわたって多数の子会社や関連会社を従属させており、その総体が一つの企業集団(トラスト)をなしている。この企業集団は、狭義では、それら子会社・関係会社を構成範囲とするが、さらに広義では、直接には所有関係のない下請企業ないし系列店をも包含するものといえる。また、膨大な中小零細企業の多くは、大企業への下請化・系列化の形で存在している。

 中国では、日本のような「組織的競争」を生まれてこない理由は、組織的競争に必要な基本条件である組織的市場がまだできていないことに求められる。組織的競争が良いか悪いかは別として、日本の経験(成功及び失敗)は、中国に対して、極めて重要な意味をもつ。第一に、政府に機能は市場の発育を助けることにあるのであって、職務を超えて取引関係に直接介入するようなことがあってはならない。第二に、市場秩序を確立するために最も大切なことは、ルールを作り、平等な競争を保護し、競争を妨げる各種の行為を防止することである。中国の当面の条件下で、上述の二点は、マクロ管理をともなった市場経済を確立するさいに、注意を払って吸収するに値するものである。

 組織的競争は決して日本の民族性や歴史性に由来する固定的なものではない。戦前から、戦後にかけて作り上げた歴史特殊的な存在にすぎず、国内環境や国際環境の変化に伴って十分に変革可能なものである。時代の感性にアンテナをめぐらし、社会の価値観や環境の変化を的確にキャッチし、常に新たな日本型競争システム(競争市場、競争構造、競争関係など)を作らなければならないことはいうまでもない。

審査要旨

 本論文は、高度成長期における日本の民間企業の組織や活動の特色を、組織内(成員間)および組織間の競争と協力の相互浸透という観点からとらえ、多様な側面にわたる実証的な分析をおこなったものである。この分野はこれまで、経営学、経済学、政治学などによってきわめて活発に研究された領域であるが、筆者は日本的経営、市場と組織、国家と企業などをテーマとする多数の文献を参考としつつも、主として社会学における社会過程論の理論を援用し、成員や企業の行動様式の分析をおこなう方法を採用している。これまで日本的な特質といわれてきた経営・組織・生産システム・産業政策などの様相を、それらが生み出し、あるいはそれらによって生み出された行動様式・行動原理のレベルでとらえ直すことによってこそ、日本の企業社会の活力と脆弱性を総体的に認識することができる、これが筆者の着眼である。筆者の研究の究極的な目的は、他国(特に、筆者の故国である中国)の経済発展の参考となるようなより一般的な視点から、高度成長期における日本の企業社会の活力の源泉(と限界)を実証的・理論的に分析することであり、組織成員や組織の行動様式・行動原理を多様な側面にわたって具体的に明らかにすることを本論文の課題としている。

 本論文は、序論と終章と含めて8つの章から構成されている。

 序章では、本論文の着眼と課題について述べつつ、これまでの主要な研究の流れを概観し、本論文の分析枠組みの提示をおこなっている。戦後日本の経済システムの特質は、これまで「仕切られた競争」「見える手による競争」などと言われてきたように、競争の質にあることは明らかであり、「どのような競争がおこなわれるか」こそを分析の対象としなければならない。筆者が注目するのは、組織の破壊に至らないようにコントロールされ、組織のパフォーマンスを高めるように動機づけられた、特定の質の競争である。筆者はこれを「組織的競争」と命名している。「組織的競争」の意味は二重である。それはひとつには、組織成員間の競争が組織の機能要件達成に対して順機能的であるという意味であり、もうひとつは、こうした特定の質の競争は自然に存在するものではなく、組織されたもの、すなわち、内から(自己組織的)であれ、外からであれ、学習や規制によって作り出されたものという意味である。

 このような基本的な概念装置を用いて、第一章「組織的競争の源流と特徴」では、高度成長期の日本の経済システムに特徴的であった競争の質の特定と、その形成過程の分析をおこなう。特徴的な競争の質として筆者は、(1)協力が重視される競争、(2)階層別競争、(3)秩序ある有限な競争、(4)「仕切られた空間」内の競争、(5)見える手による競争、(6)集中度が低い、激しい競争の6点をあげる。このような競争文化(行動様式としての競争)は、これまで、集団の調和や統一を重視する日本人の国民性や固定的な伝統などの静態的な属性によるとされることが多かったが、本論文では、動態的・歴史的な視点をとり、明治期に競争という概念が西欧から導入された際に、伝統的な協調の観念と融合しつつ新たに生み出されたという観点から示唆に富む分析をおこなっている。

 このような基本的な視点に立って、第二章から第四章では、日本企業の競争力を生み出した源を、組織文化(第二章)、生産システム(第三章)、企業体制(第四章)の三点に求め、それらについて、具体的に検討している。

 第二章「競争力の基礎(上):企業組織による強い凝集力」では、企業社会の単位となる各集団の凝集力がどのようにして作り出され、他の集団との競争意識を生み出すかを分析の中心としている。日本企業が集団主義の性格を有する「共同体」であるという指摘はかねてより繰り返されているが、筆者はこれを各種の意識調査によって裏付けつつも、自動車産業を例に「従業員の見えざる出費」すなわち若年層従業員に対する過小支払いの実態を分析し、これが企業のリスクと従業員のリスクを一体化させ、労働の「内部化」を促すとともに、従業員間の激しい昇進競争を生み出す点を指摘している。また、日中合弁の自動車企業の比較分析をおこない、収集した組織構成や人事政策の資料から、それが「人材の養成」を重視する日本的な雇用方式を採用し、会社の凝集力と従業員間の競争意識を高めるに至ったことを明らかにしている。

 第三章「競争力の基礎(中):日本的生産システムの強さ」は、職場の生産過程における協力と競争の組織化の分析に当てられている。ここでアメリカ的な生産方式と対比して検討されるのは、ジャストインタイム(JIT)方式と呼ばれる生産方式である。筆者はこの詳細を、包括性、汎用性、集団性といった日本的な労働編成とあわせて論じつつ、(1)JIT方式と日本的労働編成成立の背景、(2)「習熟による技術進歩」の生産性効果、(3)製品多様化への対応、(4)国際競争力と生産システムの関連、などの論点についての膨大な研究を分析・検討している。こうした分析をとおして、後工程引き取り、生産の平準化、U字型ライン=多工程持ちなどを特色とするこのシステムが、工程作業員間の多重の依存と相互的な管理、すなわち、職場における協力と競争を具体化する生産方式であることが明らかにされる。

 第四章「競争力の基礎(下):企業体制の構造」では、日本の特徴的な企業体制、すなわち多様な形態の企業間の階層的構造を分析している。本章では、大企業/中小企業/零細企業、企業/子会社/関連会社、下請け会社、系列企業/提携企業など、さまざまな業種にわたる企業間の水平的・垂直的な重層構造を明らかにしている。本章で強調されるのは、本論でいう競争と協力が、成員間や企業間といった個々のレベルで組織化されるのみならず、それらが幾重にも重なって同時に組織化される点である。このような重層的構造の考察をふまえて、第二節以下では、自動車産業を事例として、日本における下請け企業の横の組織である「協力会」の構造と機能、二次・三次の下請け企業の主体性と隷属の実態を明らかにするとともに、中国の計画的商品経済の発展に伴って1970年代以降に形成された「横経済連合」について興味深い分析をおこなっている。すなわち、中国の企業集団は社会主義公有制を基礎としつつも、多様な所有制の上に立つ諸企業の集団であり、水平的な競争・協力関係を活性化することをねらいとしている。また、所有と経営の分離という原則に基づいた経営請負制についても紹介しつつ、これが縦方向の硬直的な従属を作り出す例もあることを分析している。

 以上の三章における企業組織内および組織間の競争・協力関係の分析をふまえて、第五章、第六章では国家と企業、企業と市場というより広い文脈の分析をおこなう。というのも、上の三章で分析された水平的・垂直的な関係は、一方においては、長期にわたる経験の積み重ねから内生的に発展した創発的な性格を有するともに、他方では、その外部たる環境との緊密な相互作用なしには考えられないからである。

 第五章「競争の外部環境(上):官民協調システム」では、国の産業政策に焦点をあてて論じている。この分野では自由主義-多元主義者と国家主義-官僚主導論とが従来から対立し、多様な主張が交錯しているが、筆者は、その関係は決して一様ではないという理由から、中間的な立場を採っている。第一節、第二節では、国のおこなう産業政策の主要な領域と手法を検討した後、60年代から70年代における産業政策の流れを述べている。要言すれば、それは、当初の戦略的産業政策から補正的産業政策へ、直接介入的政策手段から誘導的政策手段へと変化したのである。成長産業の分野では、資本や労働などの生産要素の供給を確実にしつつ、関税などの障壁と外資規制によって国内産業に市場を確保する政策はおおむね一貫しており、成功したと言えるが、指定産業の集中化・寡占化をはかる介入的な政策は多くの場合失敗におわった。筆者はこれらの産業政策の効果として、「仕切られた競争」が優位となり、業界ごとの競争と協調が顕著になったと結論づけている。第三節では、自動車産業政策を特に検討している。外国からの資本や製品の排除によって、自動車産業の基調は価格競争ではなく、投資競争の性格を強くもつようになり、このことが新規参入を促す結果となり、業界内の競争をいっそう激しいものとしたのである。第四節では80年代中葉以降の中国の産業政策を、自動車産業に関する具体的な考察をまじえて検討しており、その問題点として、計画経済と産業政策の概念的区別が曖昧であり、その反面、いずれにも一貫した政策の整合性がないこと、介入と裁量のジレンマが各所にみられることなどを指摘しており、興味深い分析となっている。

 続く第六章は「競争の外部環境(下):組織的市場」と題されている。機能的な業界分割、業界内の寡占的競争、大企業と中小企業の系列化は政治学でいう「組織された市場」であるが、その形成と機能については、国家の役割(第五章)と同時に、市場との関係を深く分析する必要がある。本章では、このような観点から、制度派経済学のいわゆる「中間組織」の分析に準拠して、市場と組織の相互作用を論じている。自由市場でおこなわれる取引のもつ限界を理論的に考察しつつ、「見える手による競争」「退出と抗議」などの議論を参照して、継続的取引をはじめとする多様な取引慣習の合理的な基礎および、そこでの競争の特質を明らかにしている(第一節、第二節)。第三節では、再び自動車産業における部品供給体制の分析をおこない、限定された環境における競争が持つメリットとリスクに即して、組立メーカーと部品メーカーの間の相互作用を鋭く分析している。その一例として、競争者が少ないほど組立メーカーは競争の質を管理しやすくなるが、このことは少数の部品メーカーへの依存を高めてしまう危険がある。この危険に対する対処として、組立メーカーは「オーバーラップ供給体制」を確立して、潜在的な競争者の数を確保しようとするのである。

 以上の多元的な分析の蓄積をふまえて、終章「組織的競争を問い直す」では、(1)「仕切られた空間」、(2)組織的市場、(3)生産性、(4)下請けシステム、(5)競争意識の5点について、現在における実践的な観点を加味して、日本的な形態における組織的競争の批判的な吟味をおこなっている。まず産業政策の批判的検討にあたっては筆者は石油化学産業の例を検討し、産業の育成が保護を基調とした場合には資本の集約化にも競争力の強化にも失敗することを述べ、競争を促進し市場の機能を生かす方向への産業政策の転換を説いている。また、組織的市場についても、これが組織の欠点である閉鎖性と、市場の欠点である抑圧性を併せ持つ危険があることを指摘する。筆者は日本経済が産業構造高度化の時代から成熟の時代へと至った今日、これまでの組織のあり方や政策の役割、競争観を含めて世界的な視野から日本の産業システム総体を見直す必要があると主張する。また、最後に、江鈴自動車工業(第二章第四節)が当時(1984年)の中国政府の強い反対に抵抗して設立され、後に成功をおさめたことを紹介しつつ、かつて日本にもあったように、健全な企業家精神の発揚があるならば必ず中国の経済発展の道も開かれることを確信すると述べて、本論の考察を結んでいる。

 本論文には次のような長所が認められる。第一に、企業内(成員間)および企業間に見られる行動様式を個別に取り出すのではなく、体系的な視点から、競争と協調の相互浸透、すなわち「組織された競争」として概念的にとらえるという独自の観点を打ちだし、この観点から日本の企業に顕著に見られる特徴的な様相を具体的に分析したことがあげられる。これまでの経営学、経済学、政治学、社会学の多数の成果をたゆみない努力によって吸収し、それらを独自の相関社会科学的な視点から再構成し、様々なレベルでの競争と協調の独自の様相を浮き彫りにした本研究には十分な独創性と学問的な意義があるといえる。

 第二に、競争と協調の相互浸透という行動様式について、単に文化による静態的な説明を与えるのではなく、雇用や職場の多様な慣行、生産技術、政府の指導や規制などの具体的で多様な要素から重層的な解明をこころみ、その生成や変遷の過程をも分析の俎上にのせたことがあげられる。この行動様式の組織化には、成員や組織の学習や適応による自己組織的なものと、より上位の組織からの指示や規制によるものとがあり、政府の産業政策は後者の最も重要な事例であるが、本研究は多様な組織化のチャンネルを明らかにしたばかりか、多様なチャンネル間の葛藤や相補性をも分析の対象としており、その組織化の様相を重層的に明らかにした点に十分な説得性がある。

 第三に、比較研究と事例研究の巧みな組み合わせに成功している点があげられる。本研究では、比較の視野に立って、大局的な観点から日本企業の特徴的な諸側面を浮き彫りにするとともに、各章において自動車産業を事例として取り上げ具体的な分析をおこなうという手法を採用している。本研究の分析・記述が大胆な理念型を提示しつつ、一貫した具体的記述としても成功しているのは、バランスのとれた比較研究と事例研究の組み合わせによるところが大であり、この点でも周到に準備された研究であるといえる。さらに、筆者は中国江西省の江鈴自動車について独自のインタビュー調査と資料収集をおこない、貴重な事実を報告している。このような長年にわたる周到な研究活動によって一貫性のある厚みをもつ研究を完成させた功績は大いに評価に値するといえる。

 本論文にも、問題点がないわけではない。まず、「組織された競争」という広範な現象を分析するにあたって、競争と協力の相互浸透という概念の含意を十分に展開しているとはいえず、第二章以下の分析が十分に掘り下げられていない憾みがある。また、両国の自動車産業を中心的な事例としたのは評価できるが、この産業の特殊性を他業界との関連で詳細に分析する作業が不足している面は否定できない。さらに、国家と企業の関係についてもこの関係の特質の把握が十分でなく、あるいは国家と官僚とが等値されるなど、いっそう精緻な分析が必要であったと思われる箇所が散見される。終章では、日本の産業政策について分析的な結論を導くよりは、将来にむけた提言をおこなうことに力点を置いており、博士論文の結論としてはやや物足りない結びになっている。

 しかしながら、このような疑問や注文も、本論文の基本的な価値を損なうものではない。11年前に日本に留学し、日本のバブル経済の高揚から近年の構造的な調整期までを間近に観察し、他方で中国の急激な市場経済化とそれにともなう社会的混乱をも視野に入れながら、日本の経済システムの功罪についてのさまざまな言説に振り回されることなく、冷静に経済社会の基本的な構造の研究をおこない、日本という困難な対象について学問的な成果をあげた本論文の功績は高く評価でき、学界に対する貢献は十分であることは疑いがない。以上の理由により、本論文は、博士(学術)学位を授与されるに値するものと結論する。

UTokyo Repositoryリンク