学位論文要旨



No 113058
著者(漢字) 張,和卿
著者(英字)
著者(カナ) チャン,ファキョン
標題(和) 子育ての公的システムの変容 : 戦後日本の保育関連政策の分析を通して
標題(洋)
報告番号 113058
報告番号 甲13058
学位授与日 1997.11.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第127号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見田,宗介
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 助教授 丸山,真人
 東京大学 助教授 瀬地山,角
 和光大学 教授 井上,輝子
内容要旨

 本研究は、公的領域における子育て関連ニーズの充足を社会的パースペクティブから捉える試みである。この試みは社会的再生産メカニズムとして機能する保育関連政策のあり方やその限界についての新たな認識や理解を求める作業であると考える。本研究における子育ての公的システムとは、子育てを公的に支える、すなわち公的保障を政策目標にする一連の具体的制度を指す。戦後日本における子育ての公的システムの変容について、保育関連政策の展開過程とそれによる公的支援の推移を追うことによって考察した。

 保育関連政策は保育所、児童手当、育児休業の三本柱として捉えた。保育所は保育サービスの提供という現物給付を行う児童福祉施設である。家族の養育機能の脆弱化が問題化される中で、保育所は、母親に負わされてきた子育ての社会的意義を問う端緒を提供した。なお、公費による保育所への財政支援は子育てのコスト分担にもつながる。児童手当は子育ての経済的負担を軽減させるための現金給付である。児童手当の受給者は親であるが、子どもを育てる保護者の労働に対する保護ではなく、子どもを支給対象にする子育て支援である。育児休業法においては、労働者が請求権者になることにより、育児の権利性が保障されている。法の理念では子育てを男女の共同の責任としている。所得保障と保育所の整備があってこそ、育児休業はジェンダー中立的な制度として確立できる。

 これらの三本柱政策の展開については、次のようにまとめることができよう。第1期(1945-1966年)には、児童福祉についての社会的関心が芽生える中で、子育ての公的システムは制度化という大事な一歩を踏みだした。1947年、児童福祉法の制定で保育所が公的保育施設として法制化された。保育所政策は家族政策や貧困政策との関連で行われており、保育者と働く親達の自発的な保育運動が保育所づくりを主導した。第2期(1967-1975年)には、子育ての公的保障が施設・財政の両面で積極的に進められ、子育ての公共性の確保という大きな成果をあげた。2回にわたり保育所整備の5ヶ年計画が実施された結果、保育所は全国的に普及した。さらに、1971年に児童手当法が成立した。手当の支給対象は第3子からで、所得の制限付きという限定的ものではあったが、現金給付の制度化による子育てコストの分担の意義は大きい。第3期(1976-1989年)には、既存の制度の枠組は維持されていたが、保育所と児童手当への財政支援が大幅に縮小され、保育関連政策は停滞ないし後退の途に入っていった。「福祉見直し」や「日本型福祉社会論」により、家族責任や私的扶養が強調された。保育所の措置費の国庫負担率は8/10から5/10になり、自治体や保護者の負担が増大した。児童手当は、支給対象は第2子から、義務教育就学前までとなり、また、全額事業者拠出の特例給付が新設された。第4期(1990年-現在)には、福祉の民営化のうねりの中、子育ての公的システムのあり方は大きな転換が予想される。育児休業法は1991年に成立し、翌年から無給で実施された。児童手当法は給付の重点化方針で、支給対象は第1子から、3歳未満になった。そして保育所制度の見直しの論議が本格化した。措置制度を自由契約制に変える案や、民間保育サービスの育成方針が提案された。1997年児童福祉法の50周年を迎えて、福祉システムの再編の一環として児童福祉の法体系の全面改正が進められている。

 これらの三本柱政策が執行された結果を統計データに基づいて検証を行った。

 1.保育サービスの提供について、その推移を見ると、保育所は1960年代後半から著しく増加し、1980年以降は横ばいかわずかに減少傾向を示している(1994年度、22,526ヶ所)。3歳以上児の保育施設通いが普遍化したのは、1970年代後半以降である。1994年度に3-6歳未満児の中で幼稚園児が50.4%、保育所児が30.6%である。そして、3歳未満児の9.53%、0歳児の2.39%が保育所に通っている。保育所の在所率は常に90%台であるが、1980年代に下降カーブが激しくなり、1994年度には86.6%であった。保育所児の年齢別構成比は、1994年度で、0歳児1.74%、1-2歳児18.90%、3-5歳児67.22%、6歳以上児は12.14%である。保育所の定員割れの裏には3歳未満児の入所待機等の状況がある。保育ニーズの多様化により特別保育サービスの需要が増加しているが、認可保育所での実施は低調である。ちなみに、措置制度の枠外に置かれている民間の保育サービスの場合、種類や質、利用料の様々なものが登場しており、今後いっそう活性化することが予想される。

 2.子育てコストの分担として保育所の措置費制度は、サービス形態の現物給与の助成という財政制度上の特殊性がある。保育所の現場では、措置費支弁額だけでは保育所運営にかかる経費をカバーできないという実状がある。措置費の国庫負担金総額の推移には、保育所制度への政策的配慮の変化が反映されている。1960年代後半は保育所の全国的な急増により大幅に増額したが、1981年度に下降カーブに転じた。1986年度を底打ちにして、再び回復に向かっている。措置費支弁額の内訳は、国基準徴収額の上昇と国庫負担額の下降が続いている。自治体の措置費支弁額の規模と女性雇用との関係はある程度正比例の傾向があるが、地域差がある。自治体の超過負担と乳幼児人口の比率とにははっきりした相関関係は見られず、そこで、厚生省の政策方針と自治体レベルの保育行政とのギャップが読みとれる。保育所運営においては自治体の財政が中枢的な役割を果たしている。だから、自治体の保育関連予算の規模により、公的保育サービスの水準や保護者の負担における不公平が生じている。

 次に、児童手当については、支給総額は1981年度の大幅な減額の以降、10年間は緩やかな下降カーブを描いていた。児童手当の歳入予算総額の内訳は、1980年代に拠出金の比率は増加、国庫負担率は減少へ向かい、1994年度には拠出金69.7%、一般会計より受入13.4%であった。このような財政構造は1982年に導入された特例給付に負うところが大きい。1994年度の支給額の内訳は、「本来の児童手当」32.5%、特例給付67.5%であった。全額事業主拠出金の特例給付への依存度の高まりは、手当の給付が給与所得者の子どもに偏っていることを意味する。1994年度の支給額は被用者分72.0%、非被用者分16.4%、公務員分11.6%であった。児童手当の普及状況をみると、支給対象児童は児童手当法の「児童」(満18歳未満)の0.1%前後である。支給対象年齢帯に縮小すると、第3子から、義務教育終了前までの時期は0.1%前後、第2子から、義務教育就学前までの時期は0.3-0.4%、第1子から、満3歳未満の時期は0.6-0.8%である。

 3.育児休業の普及の全体的動向については、育児休業の請求権は認められたものの、法の実効性を確保するための条件が整備されたとは言いがたい。無労働・無賃金の原則は父親の取得をより困難にし、育児を母親の仕事として固定化するような結果になりかねない。

 以上で検討した内容を踏まえて、戦後日本における子育ての公的システムの特徴及び問題点についてまとめてみると、次のようである。

 第一に、子育て支援の範囲が適用条件や子どもの年齢により制限される。1994年度に、認可保育所の子どもは6歳未満児の20.1%であり、児童手当の場合、3歳未満児の0.68%が受けている。育児休業は働く親の1歳未満の子どもに適用される。この支援範囲から、子育ての労力の面は母親に依存し、コストの面は個別家族の責任にすることが分かる。フェミニズム視角の研究では、福祉国家の政策が「ジェンダーによる分業に基づく家族」を前提とすることを明らかにした。日本の保育関連政策は家父長的福祉国家の政策と同様なものと見なされる。

 第二に、子育ての公的保障の面では、保育関連政策の展開は萌芽期、発展期、縮小期を辿ってきて、近年は転換期を迎えている。福祉国家類型論に基づいて政策意図の指向性に焦点を当てると、対照的な二つのモデルに影響されていることがうかがえる。発展期にはスウェーデンのような制度的福祉国家を目指したが、縮小期には新保守主義への方向転換が行われ、転換期にはアメリカのような自由主義的福祉国家に近づく傾向が見受けられる。

 第三に、子育て支援のあり方においては、現金給付より現物給付に重点が置かれてきた。その歴史においても(保育所50年間、児童手当26年間)、コストの分担においても(1994年度の国庫負担額、保育所2,854億円、児童手当281億円)、両者には相当の差がある。児童手当制度にも現物給付が設けられている。なお、国連やILO、EUなどで保育施設の拡充を打ち出す動きが盛んになった1980年以降、日本においては認可保育所の普及が頭打ちの状態になっている。集団的保育サービスを与える社会主義国家を除けば、日本のケースは、子育て支援として現金給付を優先的に実施する西欧の福祉国家と対比される。

 第四に、子育て支援制度の財政構造が複合的であり、公的責任の限度があいまいである。保育所の措置費制度には国と自治体の財政負担を公平にする基準が欠けている。それ故、自治体間に、保育サービスの質を規定する実際の保育単価の格差と保護者の負担の不公平が生じている。児童手当の場合、発足当時は事業主の拠出金より国庫負担が多かったが、近年は国庫と拠出金の比率は3:7である。児童手当の財政構造における公費負担の縮小は、非被用者の子どもに対する非平等な扱いを深化させている。

 公的責任と公的費用による子育ての支援のあり方は、子どものいる家庭と子どものいない家庭との間の負担の公平性、そして、地域間のバランスが十分考慮された上で、形づくられるべきである。要するに、子育ての公的システムには、社会構造の変化が内包されており、そこから「子どもを健やかに育てる」ための、個人・家族・地域社会・自治体・国家の新たなリンケージ・メカニズムが生まれると考えられる。

審査要旨

 本論文は,戦後期から現代に至る時代の日本における,子育てをめぐる公的なシステムの変遷を主題として,その社会的な背景と実態的な帰結にも目を配りながら,歴史的,総合的なサーヴェイを行ったものである。

 本論文は,5つの章と,序章,終章,補論とから構成されている。序章は問題意識と,具体的な研究課題の設定であり,公的領域における子育て関連ニーズの充足を社会的なパースペクティブから捉えようとする筆者の企図と,戦後から現代に至る日本における,子育ての公的システムの変容を,保育関連政策の展開過程とそれによる公的支援の推移を追うという課題が提示される。第一章は先行研究の成果と,論点の整理に当てられ,福祉国家論の流れと,フェミニズムの視角からの福祉国家研究の流れとを踏まえた上で,子育てをめぐる社会的分業に関する論点が整理される。第二章では,子育ての背景としての,戦後日本の社会の変容が,人口構造の側面(第一節),家族構造の側面(第二節),女性の就労の側面(第三節)から概観される。第三章では,戦後期から現代に至る時代の日本の保育政策の変遷が主題化される。保育所(第一節),児童手当(第二節),育児休業(第三節)の「三本柱」について,それぞれ,政策化の意義,国際的動向が簡潔に概観された上で,日本における法制化の経過と,制度の展開が詳細に跡づけられている。第四章は,この第三章の成果(政策,法制,制度展開)を、第五章(社会的な効果,帰結と実態)に媒介するための用意として,保育関連政策の時期的な動向が小括される。第五章では,子育てにおける公的な支援の推移が,その社会的な実態において主題化される。第三章の「三本柱」は,それぞれ,保育サービスの提供(第一節),子育てコストの分担(第二節),権利としての育児の保障(第三節)という,より一般的な視点から捉え返され,その社会的な実態が詳細に跡づけられ,考察される。終章では,以上のサーヴェイと考察が簡潔に要約された上で,戦後期から現代に至る日本の,子育てをめぐる公的システムの特質と問題点について,(1)「ジェンダーによる分業に基づく家族」を前提とする福祉政策であること。(2)政策意図の指向性としては,保育関連政策の発展期における,北欧型の「制度的福祉国家」から,新保守主義的な転換期以後の,アメリカ型の「自由主義的福祉国家」への接近が見られること。(3)子育て支援の形態からみると,国際的な動向としての現金給付の優先性とは対照的に,圧倒的に現物給付の形態をとっていること。(4)子育て支援制度の財政構造が複合的であり,公的責任の限度があいまいであるということが,実態面での帰結として,諸々の不平等を形成していること。等が,それぞれ実証的な根拠に基づいて指摘され,子育てをめぐる社会的分業のあり方が,国家,家族,市場等の関わりの再編成と,男女役割の分業構造等を含めた社会構造の再検討をとおして,新しく構築されてゆくことの可能性が展望されている。補論では,筆者自身が参画してオリジナルに行った,中野区民を対象とする,「乳幼児の親の意識と実態に関する調査」(有効回収票で,276組の父母)の,結果が報告され分析されている。

 本論文は,特にその実質をなす第三章,第五章において見られるように,現代日本の保育に関する上記3つの分野についての,このように総合的な,かつ,政策・制度形成の過程と社会的な実態とを両面から把握した研究は,これまで,日本人自身によってもなされていないものであり,筆者の故国にとってはもちろん,日本人研究者たちにとっても,大きな意義をもつ基礎的な業績であるといえる。

 このことの基本的な評価の上で、本論文の問題点(批判,および疑問)として,審査委員会において提起された主要な論点は,次のようなものであった。

 第1に,大量の資料を丁寧に用いた労作であることの結果,時に資料集を読んでいるような感じを与えることがある。理論的にオリジナルなものであるという感じが少ない。特に第三章の「3本柱」の内,保育所と育児休業に関しては,専門家なら知っていることばかりではないのか。

 第2に,筆者は全体として,保育について国が前面に出ることを積極的に評価しているが,労働力の再生産に関するコストの非個人的な分担主体としては国だけでなく,地方公共団体,または市場という選択もあり得,その方が財政資源の配分の視点から見ても,また,いわば保育内在的な理由からも,合理的であることもあるのではないか。特に,児童手当を所得制限を解いて支給すべきとの主張には,専業主婦世帯や裕福な世帯にまで支給することは税金の無駄遣いではないか,等の反対論もありうる。

 その他詳細の点としては,(3)第四章の時代区分の根拠が明確でない。特に,第1期と第2期の境が「67年」であるのはなぜか。等。(4)本論文でいう「現物給付」は,むしろ「サービス給付」というべきものを多く含むのではないか。(5)筆者は子育てコストの分担主体を,公的/私的の2分法で考えており,結論部も「国家か市場か」という問題の立て方になっているが,いわばその中間の,communalなものの可能性も視野に入れるべきではないか。(6)福祉国家の類型論として,筆者はエスパイン-アンデルセンを踏襲して,カナダをアメリカ合衆国と同じ類型としているが,これはエスパイン-アンデルセンの誤りで,カナダはアメリカとは別の類型と考えられるべきである。等の指摘,あるいは意見が出された。

 これらに対し,審査の過程では,次のような肯定的な指摘,あるいは証言がなされた。

 第1に,個々の記述の内容を立ち入って見ると,この分野の専門家にとっても新しい知見を幾つか見ることができる。たとえば第三章においてすでに,育児休業の法制化過程における審議会の経過など,日本人の研究者にとっても新鮮な情報が含まれている。更に第五章は,財政構造分析にオリジナルな観点がみられ,しかも各自治体の内部資料など,未公開の財政行政データにも足を運んで行った実態分析は,充実している。その結果,国の基準と,実際の経費とのズレの補填をめぐって,どのような実態的な不公平,不都合が生じているかなど,理論的にも意味のある結論を引き出している。

 第2に,保育コストの分担をめぐる,国,自治体,市場,共同体,等の役割については,専門家の間でも大きく見解の分かれる所であり,筆者は,故国での福祉政策の充実に資するという抱負もあって,国の果たすべき役割を積極的に評価しているが,単にイデオロギー的な主張はしておらず,それなりの根拠と説得力とをもって記述されている。(費用の自治体等への転嫁の政策が帰結する実態的な問題点の指摘等。)最も反論の多かった,児童手当の支給制限条項への批判的検討も,筆者の企図は,専業主婦の子育てもまた社会的意義をもつものとする考え方に立つものであり,また,少数富裕層への支給の弊害よりも,中間層への(3歳以降の)拡大の意義を考慮するものであり,賛否は別として,1つの見識に立つものと考えられる。

 第3に,前項の主題と関連して,本論文の,政府/自治体/企業/保護者の,分担状況の現実の推移の追跡を基礎とした,法制の制定当初の状況とその後の社会の変動とのズレの帰結する,現実の保育ニーズと保育行政とのズレの実態とその原因の分析は,いわば相関社会科学的な考察の成果の1つとして評価しうる。

 前記「問題点」の(3),(4),(5),(6)に関して見ると,(3)第4章の時代区分に関しては,研究者の問題意識によっては異見もあり得るが,たとえば第1期/第2期の境に関しても,「保育所緊急整備5か年計画」の開始による,「社会保障の対象としての子育て」の実態的な充実化など,筆者としての根拠は示されている。(4)物でなくサービスの給付を含めて「現物給付」とすることは,筆者自身疑問を感じているものであるが,本論文が膨大に引用せざるを得なかった日本の官庁統計の分類に便宜上従ったものである。(5)communalなものの可能性への目配りは,たしかにあまりされていないが,「子育てをめぐる社会的分業」についての本論文の基本スキーム等をみても,全く考慮されていないわけではない。(6)カナダの位置づけは,指摘の通りであるが,本論文の全体の流れの内では,極めて枝葉の欠陥であり,また,エスパイン-アンデルセンの論文自体に問題があることは,国際的な専門家の間でも必ずしも認識の共有されていない水準の問題点であるということを示すとも考えられる。

 以上を総合するならば,本論文は,けっして絢爛たる理論的独創性を誇るタイプの業績ではないが,戦後期から現代に至る日本の保育に関する政策,法制とその社会的,実態的な帰結,展開に関して,広範な第1次資料に当たって辛抱強くこれを整理し,総合的に事実を記述した初めての業績であると同時に,この過程で幾つかの独自の発見を行い,また幾つかの問題点の指摘を,事実に裏打ちされて行ったものということができる。このような基礎的な実証の蓄積を土壌として初めて,後日筆者自身による,あるいは後続の研究者による,一層先端的な理論的展開もまた可能となると考えられる。と同時に,また本論文自体として直接的に,現場の保育,市民運動,政策立案,行政実務,等に携わる人々にとって,必要な情報資料を体系化して提供し,視点と問題意識とを整理する上で大きく役立つものであり,本論文の学界内・外に対する貢献は大きいものということができる。

 以上の理由から,本論文は,博士(学術)学位を授与されるに値するものと結論する。

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