学位論文要旨



No 113059
著者(漢字) 柏木,寧子
著者(英字)
著者(カナ) カシワギ,ヤスコ
標題(和) 『平家物語』の倫理思想
標題(洋)
報告番号 113059
報告番号 甲13059
学位授与日 1997.12.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第185号
研究科 人文社会系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,康邦
 東京大学 教授 関根,清三
 東京大学 教授 小島,孝之
 共立女子大学 教授 佐藤,正英
 共立女子大学 助教授 菅野,覚明
内容要旨

 本稿は、『平家物語』を倫理思想として読み解く一つの試みである。

 第一章では、『平家物語』の制作を促した動機とは何であるかを問う。

 第一節から第三節までは、動機を問う手掛かりとして、物語中、滅びゆく当事者の傍らにあって、滅びを見聞する人々の描かれ方を見る。滅びゆく当事者の傍らには、あるいはその従者が、あるいは滅ぼす側の武士が、あるいは滅んだ者の縁故の女性が描かれている。いずれも、当事者の滅びをわがこととして受けとめ、単なる傍観者である以上に当事者に準ずる存在として描かれている。ことに建礼門院は、生起した出来事を六道輪廻になぞらえて語りつつ、出来事の各部分をなす事象についても、出来事全体についても、意味づけをなす。

 第四節では、物語制作の動機とその由来を問う。『平家物語』制作の動機は、人々が平家滅亡を己れの出来事として経験するところに生じた、過ぎ去ったものへの反復衝動であった。人々が動機をもち得た前提には、人々が既に日々、さまざまな仕方で一回的な生への反復をなしていることと、平家滅亡の場合、子孫が絶え、日々自ずからなる反復が不可能となり、反復衝動がことさら際立ったこととがある。

 第二章では、『平家物語』が、その制作を促した動機をいかに実現しているかを問う。

 第一節では、過ぎ去った全体的な出来事の反復の仕方を見る。直線的時間軸を創出し、その上に事象を配列する年代記的叙述を通じて、過ぎ去った事象への確実な回帰をなし得るようになる。また年代記的叙述は、各個人を出来事全体のうちへ位置づける効果ももつ。

 第二節では、過ぎ去った個体的な生の反復の仕方を見る。瞬間的な光輝、あるいは昴揚する情念において、個体の一回的な生が反復され、意味づけられている。

 語は、家の運命の転変をめぐる清盛と重盛の葛藤を通じて理解する。史実からの虚構的逸脱をなしつつ、ともに理想的な人間として二人を描き、かつその二人の共存不可能性を見ることによって、平家滅亡を受け容れる。さらに物語は、建礼門院の往生を伝える叙述によって、滅亡の彼方から滅亡を位置づけ直す。すなわち、この世の時間を超えて、真実の終着点たる浄土往生へと至る過程として、滅亡が位置づけられている。

審査要旨

 本論文は、『平家物語』を倫理思想として読み解く一つの試みである。とはいえ、これは、『平家物語』の中に特定の教義・教説や時代思想を見いだそうとするものではない。論者の狙いは、歴史的事象としての平家没落を題材として、生成・定着・享受された「物語」という営みの全体として『平家物語』を捉え、主体的・実践的な生としてある人間存在構造を、物語という営みがいかに把握し、充足するものであるかを示そうとするものである。

 第一章では、『平家物語』の制作に関与した人々が、物語に対して抱いた根本的な要求のありようを、物語自体がどのようにあらわにしているかを探ることによって、物語において直接明示されていない物語制作の動機が問われる。すなわち、物語の登場人物を、滅亡という出来事の当事者と、滅びゆく当事者の傍らにあって、滅びを見聞する準当事者の二層に区分し、その描かれ方の諸相が精密に分析される。ここから論者は、『平家物語』制作の動機を、滅亡という出来事を己の出来事として経験するところに生じた、過ぎ去ったものへの反復・意味づけの衝動であったと結論する。

 第二章では、『平家物語』が、その制作を促した動機をいかに実現しているかが詳細に論じられる。論者は、物語を、史実に対する第一次的な反復を踏まえて成り立つ、第二次的な反復であると捉える。その上で、第一節では、過ぎ去った全体的な出来事の反復の仕方を検討され、直線的時間軸を創出してその上に事象を配列する年代記的叙述の持つ意義が考察される。第二節では、過ぎ去った個体的な生の反復の仕方が検討される。ここでは、物語の語る個的な生が、瞬間的な光輝、あるいは昂揚する情念において、反復され、意味づけられているさまが明らかにされる。論者によれば、物語において、生の一回性は、家の運命の転変をめぐる清盛と重盛の葛藤を通じて了解されている。史実からの虚構的逸脱をなしつつ、ともに理想的な人間として二人を描き、かつその二人の共存不可能性を見ることによって、物語は平家滅亡を意味付け、受け容れているとされる。さらに物語は、建礼門院の往生を伝える叙述によって、滅亡の彼方から滅亡を位置づけ直してもいる。すなわち、この世の時間を超えて、真実の終着点たる浄土往生へと至る過程として、滅亡が位置づけられている、と論者は捉えるのである。

 全体として論旨は明快かつ緻密であり、『平家物語』の解釈においても新しい視点が提出されている。また、通例、鎮魂という概念で一括されることの多い『平家物語』の内的生成構造の全体を、リクールの物語論などをも視野に入れながら原理的に考察したことの意義は大きい。

 ただ、物語の構造への考察に重点が置かれたため、『平家物語』の実証的諸研究への言及が手薄になっている嫌いがある。また、筆者の用いる分析概念と、物語作者が駆使した諸概念との関連づけが曖昧であるなど、いくつかの課題は残されているものの、それらは決定的な瑕疵となるものではない。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値すると判定する。

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