本稿では、日本の律令国家がその支配を正当化するためにどのように天皇の人格を媒介として支配を行う機構すなわち家産制的機構を構想したのかということを明らかにすることを目的とし、素材として、中央財政機構を対象とする。 第一部「家産制的財政機構」では、まず律令国家の財政機構には出給の際太政官符を要し、官僚機構を媒介に財政行為を行う大蔵省などの官僚制的財政機構と、「奉口勅索物」の形で直接天皇の意志を奉って財政行為を行う中務省・宮内省被管の家産制的機構の二元的な構造があったことを示す。その上で後者について、特に内蔵寮を取り上げ、出給手続、出給費目、財政基盤について検討を加え、天皇の人格を媒介として国家の統合を図るという機能を有していたことを明らかにした。 次に第二部「一般財政機構と天皇」では、太政官-大蔵省系列の官僚制的財政機構について、貢納物を中央のクラに上げて政府のストックにする時点や、これをクラから出して再分配する時点の手続き、つまり所有のあり方を転化させる際の政務について検討する。その結果として、カギの管理、出給命令伝達方式、出納立会制の各側面にわたって、奈良時代にはこれら一般の財政機構もその事務遂行の正当性の根拠を天皇の人格が介在することに依存していたが、平安時代初期の改変を経て、十世紀には一応天皇からは自律的に太政官を中心に財政運営を行うことができるようになったことを明らかにした。 最後に終章で、本論で述べたことを踏まえて天皇の家産制的機構の歴史的展開を追う。日本の古代国家が律令制を導入した時の構想として、官僚制的支配のみならず、家産制的支配のあり方も律令の中に組み込まれていた。しかし、八世紀の実態としては官僚制的機構も天皇の人格に依存する側面を払拭できず、家産制的機構の機能も臨時、個別的であり、制度的に確立していなかった。これが平安初期の儀式の整備に伴って制度化され、また蔵人所の機能拡充に伴って、この下に編成されるようになる。そして十世紀には蔵人を通じて天皇に直結し、天皇の人格を媒介に職務を行う蔵人方の政務が確立し、一般官僚機構の側も天皇の人格に依存せずに太政官を中心に業務を遂行する官方として再編成される。この十世紀に確立した蔵人方と官方の体制が以後の国制の基本となるのである。 以上のように歴史的展開をたどることにより、日本古代国家は中国から官僚制を合理的な支配を行うためのものとして継受する一方で、支配を正当化するためにこの律令法の中に天皇の人格に基づく支配を行うための機関やその機能を組み入れていたことを示し、さらにこの家産制的機構は奈良・平安時代を通じて再生産され続けたことを明らかにした。 |