現在の素粒子物理学では、核力などの強い相互作用は、量子色力学(QCD)という「クォークとグルオンのゲージ理論」で記述されると信じられている。しかし、QCDは摂動論が使えない物理過程が種々あり、ここで問題にされる高エネルギーの多重発生現象における、ジェット(中間子の束)の中のハドロンの角度分布もそのような現象である。 この論文は9章からなり、1章から4章までは、この過程の理論計算の基礎となる計算技術のレビューである。第1章は論文の主旨と方針を述べた後、計算の基礎となる近似方法であるMLLA(MLLA=Modified Leading Log Approximation)を説明する。QCDでは、グルオンの放出確率を計算する際、漸近的自由性のため有効結合定数は高エネルギーで対数的に小さくなるが(〜1/log→0)、そのグルオンの終状態の位相体積を積分する時、親のグルオンと子のグルオンがなす角が小さい領域(collinear領域)で生じる対数的増加(d〜d/〜log)、とグルオンのエネルギーEがジェット全体に比べ小さい領域(soft領域)で生じる対数的増加(d〜dE/dE〜log)の積のため、グルオンを1つ放出する度に、位相体積が(log)2で増え、グルオン放出確率は(log)2〜logという増加する対数因子を持つ。同様に、グルオンをn個放出する確率は、d〜((log)2)n〜(log)nとなり、確率計算で、結合定数の高次の項は小さいとは言えない。そこでleading logを全て取り入れる計算(DLA=Double Log Approximation)、が開発され、さらにその次の補正項(next to leading log)まで取り入れた計算法が、ここでいうMLLAである。またこの第1章では、高エネルギーで発生した個々の粒子のエネルギーや角度の分布ではなく、発生粒子全体の作るエネルギーの流れに注目して、理論と実験の比較をする際に、多数のグルオンの作るエネルギーの流れが、中間子のエネルギーの流れに比例するという仮定(LPHD=Local Parton Hadron Dualityと呼ぶ)の説明も行っている。 第2章〜第4章では、leading logの近似に必要なangular orderingの説明を行う。これは、多重発生のleading logの寄与は、「ジェット中の個々のグルオンをエネルギーEiがだんだん小さくなる順番、E1>E2>E3…に並べた時、夫々のグルオンがジェット方向となす角iもだんだん小さくなる、1>2>3‥」という条件を満たす積分領域から来るという定理であるが、限られた専門家を除いて一般にはそれほど知られていない定理なので詳しく述べられるている。 第5章〜第6章は、この論文の主要部分の一つで、従来の計算で用いられるMLLAには、加えるべき補正項がある事を指摘し、それを計算している。leading log近似では、グルオンの角度とエネルギーがcollinearかつsoftな領域を取り入れたが、次のおオーダーでは(結合定数がlogで減少する事はもちろん取り入れるとして) 1)collinerだがsoftではない領域と、 2)softだが、collinerでない積分 を取り入れる必要がある。しかし、従来は、1)は考慮されたが、2)が取り入れられていなかったのである。この論文では、2)を取り入れる。そのため、softだが、AOを満たさない領域を取り入れるのである。そして、そのためには、まず、グルオンのうち、最も大きな角度をなす二つの1,2について、1〜2である領域を積分すれば十分であることを示した後、その積分実行した。 その結果、従来発生角が大きい所で放射確率がLorentz boost不変性を破っていたが、この補正を加えることで、Lorentz boost不変性が回復する事も示された。この補正を加えることで首尾一貫したMLLAが得られることになった。 第7章〜第8章では、質量の大きなクォーク(c,b,tクォーク)に対して、従来のleading logの計算では、ジェットの前方角度分布がゼロであった(これは、ジェットの前方では、この近似ではグルオンが縦て波成分しか持てないからである)のに対し、有限質量であることを考慮して補正項を計算すると、前方の分布のゼロが埋まることを示した。重いクォークのジェットの多重度を考える際に興味ある結果である。 第9章は結論を述べている。 本論文は、高エネルギー多重発生の解析に有力なMLLAで従来見落とされていた項がある事を指摘し、正しい補正を与えた。また、従来、重いクォークのジェットの前方に理論が予言したゼロが補正項によって埋められ、むしろ前方にピークがあることを示し実験と理論を近付けた。 なお、本論文の第5章および第6章は、手島久三氏、および、木村久美子氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 このように、この論文は、高エネルギージェット中の多重発生粒子のエネルギーの流れを計算する事で、高エネルギー物理学に新しい知見を与えるものであり、また、著者の学力は博士(理学)にふさわしいものであると判断し、審査委員全員が合格と判定した。 |