学位論文要旨



No 113070
著者(漢字) 苑,志佳
著者(英字) Yuan,Zhi-Jia
著者(カナ) ユァン,ジジャ
標題(和) 中国半導体産業における国際技術移転の実証研究 : 「日本的生産システム」の対中移転を中心に
標題(洋)
報告番号 113070
報告番号 甲13070
学位授与日 1998.01.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第114号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安保,哲夫
 東京大学 教授 中兼,和津次
 東京大学 教授 橋本,壽朗
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
内容要旨 課題と視点

 本研究は日本半導体産業に照準を合わせて、同産業における「日本的生産システム」の実態、特徴及び日本企業の海外進出に伴う生産システムが、いかに海外現地工場へ移転されたのかを中国について明らかにしようとするものである。

 従来、多国籍企業の海外進出に伴う量産技術を中心とした技術移転とその定着は、工場における技術の進化過程の順序に対応して、作業技術、保全技術、現場管理技術、生産技術(IE)、設計技術、研究開発技術へと高次化されていくという考え方が一般的であるが、半導体産業の技術移転に関しては、特別な面がある。日本半導体企業の海外進出に伴う量産技術の現地移転は二つの側面によって示されている。ひとつは「量産体制」の移転である。もうひとつは、「量産効果」の確立である。さらに、そこでは、生産システムの現地移転と定着が量産効果の達成に不可欠である。このように、海外に進出する時、日本半導体企業は競争力を維持するために現地において量産体制を確立するとともに、量産効果の達成を保証する「日本的生産システム」を現地に移転することを必要としている。言い換えれば、日本半導体企業による海外への技術移転に関して、「量産体制の移転・確立→生産システムの移転→量産効果の定着」というセット移転プロセスが必要とされるのである。その中で、「日本的生産システム」の現地移転は、上記のセット移転を左右する最も中心的な位置にあり、日本半導体企業による海外技術移転の要である。ところが、「日本的生産システム」は、日本特有な社会的文化的な環境の中で生まれてきたものであるため、当然ながら、システムの様々な側面には独特の「日本的」な性格がある。制度的社会的な環境ばかりでなく、経済的なルールに関しても異なる中国に進出する日本半導体企業にとって、「日本的生産システム」を現地にいかに持ち込むか、そこにいかに定着させるかが重要な問題点である。

 上記の問題設定は言うまでもなく、技術移転論の範疇に関連するとともに.国境を越えて展開される生産経営活動としての多国籍企業論の分野にも及ぶ。上記の問題設定はおおむね次の問題意識に基づくものである。

 1)日本企業のアメリカへの海外進出に関する「日本的生産システム」移転の実証研究は近年活発になり、すでに結論づけの段階に入っている。ところが、日本企業の対アジア進出に伴う「日本的生産システム」の現地への移転は、それらの進出地域が、まったく新しい生産方式を学習・吸収する過程であり、いわば「後発性的利益」を享受する過程である。ことに中国の半導体産業はまだ「幼稚産業」であるため、移転された特有な半導体産業技術や生産システムは中国の半導体産業の進化や産業技術の形成にどのような役割を果たしているのか。日本企業による対アジアの技術移転は、様々な発展段階にある地域において、多文化性、複数の社会制度を持つ国々や地域を内包する一大経済圏の形成を推進する牽引車として極めて重要な役割を果たそうとしているが、このようにアジアの国々に進出する日本企業の技術移転のパターンは、決して対米移転だけをモデルとすることはできない。おそらく、それぞれの国でかなり異なるパターンを示すのではないだろうか。

 2)今まで、日本企業が進出した多くの地域・国はそれぞれ特性を持ってはいたが、大前提として、資本主義・市場経済は共通であった。ところが、社会的経済的な発展段階だけでなく、社会形態も異なった中国に進出した日本半導体企業内において技術移転の内実、パターンがいかに現れるかは、大変興味深い問題である。今までこの分野における系統的な実証研究は限られていたので、ここで、中国に進出した日本半導体企業による生産システム移転の実態、過程さらにパターンが明らかにされれば、「日本的生産システム」の国際移転の普遍性と特殊性も明らかになるのではないだろうか。

 3)80年代に入ってから、世界経済の注目点は次第に大西洋からアジア・太平洋地域へと移りつつある。ことに冷戦後、共産主義陣営が崩壊し、冷戦の唯一の勝者は「市場経済」といわれたが、社会主義制度を前提にして、いわゆる「社会主義市場経済」を提唱する中国は90年代以降、急激な経済高度成長を遂げ、世界の注目を浴びている。中国政府は、半導体産業を重要な基盤産業として位置付け、強力的に推進しているとともに、外国半導体企業の対中進出をも積極的に誘致している。こうした経済面で独走している中国においては、「対外開放・改革」というスローガンに基づき外国資本が大量に導入されているが、外資進出によって持ち込まれた様々な生産方式は、中国の半導体産業さらに国全体の経済発展にどのような影響を与えるのだろうか。逆に、中国は様々な「外国版」生産方式の現地進出の結果をいかに受け止めるのか、さらに半導体産業における「中国型生産システム」の形成にはどのような影響があるのか、といった諸点も本研究のもう一つの問題関心である。この後の研究課題について、本研究はこれを正面から解明するわけではないが、日本半導体企業の対中技術移転問題が明らかにされれば、これらの問題解明にも何らかの示唆を与えるのではないだろうか。

 以上の3点が最初の問題設定に関連する問題意識である。本研究は次の方法によりそれらの課題を調査分析する。すなわち、日本半導体企業の活動を主な対象とし、日本企業の国内半導体工場において形成された「日本的生産システム・モデル」を海外進出によって、いかに現地へ持ち込んだかを具体的に追跡する。本研究の分析視点は主に移転する側(日本企業)におくが、さらに移転される側(中国企業)の立場から日本半導体企業による生産システムの移転をどのように受け止めたかという分析視点をも併せてとりあげる。ここで、上記の二つの分析視点の「主・従」関係についてもう少し説明する必要があるであろう。つまり、「主視点」とは、日本半導体工場における「日本的生産システム」モデルが国境を越えて、海外の環境の中でいかに移植され、定着するか、ということに着目するものである。これに対して、「従視点」とは、技術移転先の中国の立場を取るものである。「従視点」をとることによって現地の生産システムが真正面から解明されるわけではないが、半導体産業における「日本的生産システム」が何故変形するかを究明する材料をせめて提供しようとしている。従来、投資側と投資受入側という二つの視点で日本企業の技術移転問題を捉えた先行研究はやはり欧米地域に集中しているものが多かった。これに対して.アジア地域に関するものは比較的少数である。さらに、本研究のターゲットである半導体産業についての研究は皆無である。最も、半導体産業は非常に「若い」産業であるため、同産業の日本企業の海外進出の歴史もまだ浅く、利用可能な先行研究ストック、関連資料も極めて少ない。本研究は、今なお研究成果の十分ではない分野への新しい摸索であり、一定の学術的価値のある考案を見つけようとする試みでもある。

理論的枠組と研究方法

 日本企業の海外技術移転を中心とする代表的な研究は「適用・適応」モデルがある。このモデルでは「日本的生産システム」の強みとその海外への移転の必要性を次のように論じている。

 「工場現場で培われてきた作業の仕組みと技能形成のあり方である」。すなわち「広範な従業員熟練層が職場の運営に参画しつつ現場で発生する様々なレベルの問題に迅速にまた柔軟に対処するという作業組織と工場運営のあり方及びそれを可能にする長期にわたって形成された幅広い技能・熟練、これが日本型システムを構成する人的要素の核心部分である」。さらに「日本企業が海外で経営・生産を行う場合にあっても、競争力を発揮するためにはこうした自分自身のもてる経営資源上の優位性を現地に持ち込む必要がある」。

 さらに、日本企業の海外現地生産で適用される「日本的生産システム」の特質は、次の通りに言われる。

 「第一に、幅広い熟練を身につけた多能工的現場作業員を基礎として,狭い職務区分にとらわれないフレキシブルな現場作業組織の編成システムがあること。第二に,そうした現場作業員自身による自発的な作業改善,改良活動を通して絶え間なく作業及び生産ノウハウが蓄積されること。第三に,生産技術・製造技術体系もそうして現場で蓄積されるノウハウを体化したものに仕上げられ,作業現場のフレキシブルな編成に対応した柔軟で効率的な操業管理の体制が形成されていること。こうした作業現場を核として形成される生産システムの特質こそが,多品種生産のもとで,高い生産効率と品質管理を同時に達成する鍵となっている。しかも,第四に,作業者や管理者が,こうした作業現場の特質を体現して,実作業や工場の操業・管理といった経営の各レベルで積極的に参画している。それがまた,システムが有効に機能する鍵でもある」。

 上記のモデルによって「日本的生産システム」を体現する諸要素は、具体的に次の6グループである。

 1)作業組織とその管理運営のグループは、日本的生産システムの「人の要素」のコアをなす項目から構成されている。ここでは、職務と職務の間の垣根の高低、多能工化の程度、OJTを中心とした体系的な教育や訓練の導入具合い.賃金体系の内容(年功+人事考課か仕事別か)、内部昇進の程度や昇進の決定要因、作業長の役割と採用方法、といった項目の適用が評価される。

 2)生産管理は、日本的生産システムの機能的なコアにあたるグループである。日本と同じ設備が使われているか否か、メンテナンスを行う現場の技能工の養成方式や一般作業者のメンテナンス業務への関わり方、一般作業者や検査要員の品質管理への関わり方と結果としての品質水準、機種の切り替えの頻度・混流生産の度合いや在庫管理の面でスムーズな高低管理が行われているか、等々といった要素から構成されている。

 3)部品調達のグループは、工場内部のコアである1)や2)に対して、工場外部との関係を示す、いわば準コアとして位置づけられている。ローカルコンテントの高低、日本の国内工場や現地の日系工場への依存度、長期継続取引やJITといった部品会社との関係、などに焦点を当てたグループである。

 4)参画意識は、日本的システムのコアをスムーズに現地に持ち込むための土壌とでもいうべき要素から成るグループであり、コアに対してサブ・システムと名づけることができよう。OCサークルに代表される小集団活動の実施具合、各種ミーティングなどによる情報の共有化の程度、様々な従業員間の一体感や平等意識を醸成する方策の有無などがこのグループを構成する項目である。

 5)労使関係では、一般の作業者に至るまで注意深い選別がなされているかなど採用方式の在り方、従業員の定着や長期雇用を促す方策が採られているか、良好な労使関係が築かれているか、職場環境の改善をはじめとする従業員の要望を組み上げる態勢が整備されているか、などが評価される。

 6)親-子会社関係は、日本人出向社員の比率、製品・投資・市場・人事・R&Dなどに関する裁量権が本社にあるか現地工場にあるか、現地会社のなかで日本人と現地人経営者のどちらがより強い権限を持っているか、などを評価する項目から構成されている。

 上記の各グループにおける諸技術要素は基本的に本研究の実証分析の焦点となる。しかしながら、「適用・適応」モデルは日本企業が対米進出した場合、「日本的生産システム」の移転度合いを測るために築かれたものである。対米進出の場合、二つの対極的生産システムが存在していたため、アメリカ現地の日本企業は、日・米方式のどちらかを取り込むしか道はなかったといってよかろう。つまり、日本企業の現地管理運営は、日本的システムか、それともアメリカ的システムか、といった二分的選択に直面したのである。ところが、アジア、中国に進出した日本企業を分析する場合、上記のような二分的な選択に基づく技術移転の度合いを測るのは非現実的である。なぜなら、アジア、中国現地の日本工場での運営・管理方式は日本的なものでもアメリカ的なものでもないからである。そこでは、「日本的生産システム」の「適用」不能の場合、現地の方式しかない。しかし、「現地の方式」とは一体何であろうか。とくにアジアという地域には経済的社会的発展段階の異なる国・地域が多いため、生産方式は多様性・後進性の併存という特徴を持っている。そのため、国ごとの実証分析を行う際、その地域・国に既存する生産システムを明らかにする必要があると考えられる。

 上記の問題を解く方法として、一つの有用な理論的根拠に触れる必要がある。それが多国籍企業論の中の有名な「折衷理論」である。この理論によると、多国籍企業の対外直接投資による国際生産、技術移転の決定要因として、投資側の比較優位を中心とした「企業特殊的要因」(Firm-specific factors)だけでなく、受け入れ側の「立地特殊的要因」(Location-specific factors)も重視して両面からのバランスをとろうとする点に、多国籍企業の重要な特徴がみられる.とされる。さらに、上記の二つの要因の形成は基本的に国民経済単位で決まるもので、技術や経営方式の比較優位も特定の社会制度的枠組みの中で形成されると言われる。本論の分析の狙いは、日本多国籍企業による技術移転であるが、分析の際、上記の「二つの要因」を視野に入れ、日中両国の要因を検討しながら、分析を進めたい。

 こうして、本論は、日本企業による「日本的生産システム」の現地への移転に対して影響を与える側、つまり、中国現地の生産様式もしくは生産システムを明らかにしたうえで、日本企業による技術移転の形態、特徴及び意義を分析するが.日本企業の進出先である中国の「生産システム」に対する検討は.今の段階では、まだ不十分である。いわゆる「適応」の部分がブッラク・ボックスのような存在であるため、「適用・適応」モデルの「五段階評価」(点数付け)は行わない予定である。

調査作業方法

 本研究の調査作業方法は,半導体企業の生産現場見学、関係者とのインタビューをベースにする。調査対象は,日本国内における日本企業の半導体工場(1)とアメリカ半導体企業の本社(1)、中国現地における日本工場(3)、同現地のアメリカ半導体企業の工場(1)、そして中国国有企業の半導体工場(3)、合わせて8工場となっている。

 まず.工場見学を通じては、生産現場における生産設備の配置状況、自動化の程度、ラインの流れ速度、部品・加工済み製品の運搬及び流れ状況、現場作業者の配置状況、作業の熟練程度などを確認することができる。ただし、半導体産業の特性により、生産現場は企業内部の関係者しか入れないという特徴がある。工場調査にとっては一つのハンディとなったが、日本国内工場、中国現地の国有企業の工場、現地の日系と米系工場の間にはやはり違いが見出せた。次に、調査のメイン作業は、工場側の生産管理、人事担当の関係者とのインタビューを行うことである。その場では、生産現場で見た不明な点を確認したほか、事前に用意した質問表をベースにして、「生産現場の組織と管理運営」、「生産管理」、「部品調達」、「参画意識」、「労使関係」及び「親-子会社関係」(海外工場のみ)をめぐって事実を確認し、基礎データを収集した。

 第三に、生産現場及び工場見学により得たデータを整理する。このデータは基本的に本研究の基礎データとなるので、その正確性を求めるために、工場関係者に再び問い合わせたこともしばしばあった。

本論の構成

 本研究は次のような構成になっている。

 日本企業の対中進出に伴う「日本的生産システム」の国際移転という研究課題を解明するために、本研究は三部構成をもって分析を行う予定である

 第一部「序論」では、「研究課題と分析視点」を説明するとともに、設定課題を解明するための「理論的枠組みと研究方法」を論じる。次に、第二章では、日本半導体における代表的な大手企業(JK社)の事例を取り出した事例分析を通じて、同産業における「日本的生産システム」の実態・特徴を明らかにする。この章の分析目的の一つは、二つの石油危機以降、世界の注目を浴び始めた、自動車産業を発信地とした「日本的生産システム」が半導体産業へいかに浸透したか、どのような形態で現れたかを探ることにある。また、もう一つの目的は「日本的生産システム」の海外移転分析の準備作業として、日本国内工場の生産システム・モデルを築こうとすることにある。「日本的生産システム」の諸要素は企業によって形態面で多少違いがありうるが、産業技術の理念としては概ね共通すると考えられる。こうして、この準備作業としての分析に基づいて築かれた工場モデルが、その後の章の比較分析の根拠となる。

 第二部において、本格的な実証分析を行うが、その内容は概ね次のようになっている。

 第三章では、まず,日本企業の進出先である中国の半導体産業のマクロ的環境について検討する。多国籍企業が国際経営活動を展開する際、その企業の比較優位を中心とした「企業特殊的要因」だけでなく、受け入れ国側の「立地特殊的要因」も国際生産の決定要因となる。この「立地特殊的要因」には投資受け入れ国の経営環境などの重要な側面が含まれるため、多国籍企業が国際生産を展開する時にそれは重要な影響を与えるに違いない。第三章は、このような問題意識から出発し、日本半導体企業の進出先である中国の「立地特殊的要因」のいくつかの側面、例えば、現地半導体産業の市場構造、産業構造、技術構造、外資企業の進出現状などを把握し、日本企業が直面する現地のマクロ的環境を明らかにする予定である。

 さらに、「日本的生産システム」の移転客体として「中国型生産システム」を明らかにすることをも目的とする。日本企業の海外直接投資による「日本的生産システム」の現地移転の度合いに対して、現地のマクロ的環境からの影響はかなり大きいが、企業という視点で言うなら、現地のミクロ的環境は上記の移転により大きな影響を与えたに違いないと考えられる。こうしたミクロ的な環境と言えば、とくに現地半導体産業の担い手としての国有企業内部における従来型の組織管理体制、製造技術水準、生産管理、企業間の分業関係、労使関係、従業員の参画意識など、いわば現地の生産システムである。現地企業の生産方式や経営生産システムの在り方は「日本的生産システム」の現地移転度合いを大きく左右するだけでなく、「日本的生産システム」を如何に定着させるか、また変形させるかを決める鍵ともなる。こうして、本章では、日本企業の対中技術移転問題を扱うにあたり中国国有企業の3工場(CA社、CB社、CC社)を取り上げて、進出先のミクロ的な環境を明らかにするとともに、現地側の「日本的生産システム」を受容する条件や可能性をも探る。

 第四章では、まず.日本企業による「日本的生産システム」の現地移転を「平均像」として描き出す。現段階で中国に進出した日本半導体企業は三社しかないが、本研究はこれら三社(JA社、JB社、JC社)全てを取り上げて分析対象とする。中国全土に立地する日本現地工場は様々な地域環境から影響を受けたため、その技術移転の段階、形態、技術要素の定着度などの面は必ずしも一様ではない。「産業」という抽象的概念から考えると、各企業に共通する部分を抽出する分析作業は、とにかく必要である。こうして、本章では、まず、各社に独特な特徴を捨象したうえで、「産業」全体としての共通特徴を探ることにする。分析視点は「序論」で取り上げた二つの視点(日本企業の立場による検証と現地の立場による検証)という両面からなるが.求める目的は共通である。つまり、各企業の技術移転において共通の特徴となった原因を探ることである。この部分の分析を通じて「日本的生産システム」の対中移転の結果は,それらの企業の進出歴史が浅いにもかかわらず、かなり高い移転水準に達していることがわかった。

 次に.日本企業の視点によって現地日系工場の類型分析を行う予定である。中国に進出した日本企業は技術移転に関しては、共通の特徴を持っているが、その一方で立地した地域によって「日本的生産システム」の移転パターン、内実、程度が異なる、という特徴が見出された。それについては、現地の「均質性における多様性」という立地特殊的要因による面があるほか、各社の海外経営戦略、企業文化、社風さらに投資規模、進出歴史などの要因によるところも大きい。ここでの分析目的は二つである。一つは、前節で明らかにされた技術移転の一般性から各社の特殊性を探ることである。これによって、現地子会社側と現地側という両方の要因が企業の技術移転に如何なる影響を与えるか、またはその技術移転がどのような方向へ動くかを明らかにする。もう一つは、上記の分析作業に続いて、本研究の対象企業を技術移転性格という視点で類型化する。つまり、企業側と現地側の様々な影響を受けたうえで、上記の技術移転がどのような形態で現地に現れるかを明らかにする。

 第五章は、本論の分析ターゲットである「日」・「中」という両極から少し離れ、中国現地におけるアメリカ企業という「第三極」を分析対象として捉える。半導体産業に限り、中国に進出した外資企業は日本企業だけでなく、米・欧企業もあった。従来、産業における競争優位の争いは主に先進国の舞台で演出されてきたが,90年代以降、潜在的に巨大な中国市場は先進国間のもう一つの競争舞台となりつつある。こうした日、米、欧企業の競合現状を背景にして、各国企業は自らの競争優位を確保するために、それぞれの得意な技術を各自の現地工場へ導入しており、極端に言えば「技術移転合戦」の状態になってきた。日本企業はその得意な「日本的生産システム」を現地に持ち込んでいるが.その技術移転面において欧米企業に比べてどのような特徴があるか、といったことが本章の問題関心である。ここでの分析目的は中国に進出した日本企業以外の米系半導体企業の〔US工場〕の事例を取り上げ、その技術移転実体の分析を通じて日本企業の技術移転の特徴と対比し、その「日本的生産システム」の移転像、特徴を多方位で浮き彫りにすることにある。戦後二つの代表的な生産方式に関する理論的実証的分析は、すでに盛んであり、ことにアメリカ現地に進出した日系企業による技術移転に関する研究は厚い蓄積がある。しかしながら、日米以外の第三国で行われた日米企業の技術移転の比較は新しい視点であり、大変興味深い研究課題でもある。本章では、米系企業の〔US工場〕における生産システムの移転現状を分析したうえで、そこで取り上げられた米系企業の特徴を現地の日系三社と対比する。その後、日本企業の最も代表的な特徴を描き出す。

 第三部では、結論付けというよりもむしろ、本論の要約と位置付ければよい。なぜなら、日本企業による対中技術移転に対する結論付けは、時期的にも理論的にも未熟な点が多く、さらに理論的検証が必要であるからである。第六章では、「総合評価」の手法によって本研究をまとめることにする。まず、「移転結果評価」では、現段階まで日本企業よる半導体量産技術や「日本的生産システム」の対中移転の結果を評価する。次は移転先の中国側の視点で再び日系の現地半導体工場を類型化する。分析を通じて、日本の現地半導体工場はそれぞれ「独立王国型」(JA社)、「供給力補完型」(JB社)、「一社両制型」(JC社)となることが分かり、その技術移転性格が一層浮き彫りになった。そして、「パフォーマンス評価」では、利用可能なデータに基づいて、現地日系企業の総合的パフォーマンスを評価する試みを行う。最後に、終章の「展望」では、本研究に関連するいくつかの問題点及び今後の研究方向について論点を付け加える。

審査要旨

 本論文は、中国半導体産業の発展における国際技術移転の役割を、日本企業を中心とする外国企業による生産システムの移転と、それを受けた中国側企業の対応などの実態調査を通じて、考察しようとしている。中国にとって半導体産業はまだ若い産業であるが、そこで外国からの技術導入がどのような影響を与えているかは、多国籍企業による技術移転論、中国における電子産業発展論などからみて、興味深い重要なテーマである。焦点は日本的生産システムの対中移転にあるが、このシステムが、中国におけるマクロ・ミクロ的環境との関連においてどのような修正を受けながら普及するか、これに日本システムの影響を受けたアメリカ企業による移転との比較をも加えて、立体的な分析が試みられている。以下、各部、章の要点を簡単に記し、その評価をおこなう。

第一部序論 研究課題と半導体産業の日本工場像

 「第一章 研究課題と分析枠組み」において、まず本研究の課題が日本半導体産業による「日本的生産システム」の海外技術移転を中国について明らかにすることにあるとしたうえで、その焦点である半導体産業の技術移転の内容と性格について「セット移転プロセス」という観点が示されている。これは、量産技術の移転を、[量産体制移転→生産システム移転→量産効果の確立]とより具体的な概念とプロセスに分解したうえで、半導体技術に限らず量産技術移転一般における一連の生産システム移転の評価について提案したものであり、その理解と調査分析に有効な一つの概念整理の仕方であると思われる。さらに本論文の問題関心として、日本的生産システム移転に関する先行研究である安保らの日本多国籍企業研究グループによる対米移転研究などをとりあげつつ、対中国移転研究の意義が述べられる。それは、1)対先進国移転とは異なり、社会経済的発展段階の後発国におけるまったく新しい生産方式を学習・吸収する過程であり、対米移転のモデルの再検討の機会となる。2)中国の場合、社会(政治)形態も資本主義・市場経済とは異なるため、日本的生産システム国際移転の普遍性と特殊性は一層明らかになる。3)1980年代以降中国は「社会主義市場経済」下での「対外開放・改革」を唱え外国資本を積極的に受け入れているが、それは「中国型生産システム」改革・形成にどのような影響をあたえているか、これの解明に貢献する。

 「二 理論的枠組みと研究方法」では、先行研究の検討を日本多国籍企業研究グループの「適用・適応モデル」を軸におこなっている。特に「適応」面に関して、アメリカなど日本企業の進出先に生産モデルが明確に存在する場合の評価方法を中国のようにそれがなお明確ではない地域にそのまま当てはめることは出来ないという点を基本線としつつ、改良した自らの分析枠組みを提示する。この自らの枠組みを構築するについて、国際経営論などの「段階的技術移転論」、労働経済論、経営学・多国籍企業論における(産業)技術論や「内部化理論」、「折衷理論」、半導体産業・技術に関する諸研究などが批判的に検討・吸収され、結局中国側の生産様式の解明を重視するかたちの修正「適用・適応モデル」の詳細が示される。なお、適応の対象がはっきりしない以上上記グループのモデルのように5段階評価による数量化は適当ではないとされている。

 「第二章 半導体産業の日本工場像」では、第二部以下の技術移転分析に先立って、その対象となる日本親工場の標準的モデルとしてJK社の事例をとり、同産業、特に工場レベルの「日本的生産システム」の実態と特徴が、ほぼ上記「適用・適応モデル」に沿って深く詳細に浮き彫りにされている。これ自体、研究史上貴重な貢献である。ことに異なる社会への移転で一番問題になる、作業組織とその管理運営の仕組みを中心とした生産現場における生産システム・技術の整理とモデル的描写は、半導体産業についてのそれとしては従来の研究水準を超える出来映えになっているといえよう。

第二部生産システムの国際移転に関する実証研究は本論文の基本部分である。

 「第三章 中国における半導体産業と国有企業工場像」では、まず「-中国における半導体産業」において、日本半導体企業の海外進出先のマクロ的環境という意味で、また多国籍企業論でダニングらのいう立地特殊的要因として、中国半導体産業における市場・産業・技術構造などが分析され、著者の強調点である現地「適応」面を規定する諸条件としての中国的経営環境の解明がおこなわれる。そこでは、中国側における政府主導の国家的計画に従った産業発展の実態、特に技術レベルの遅れなどに関連する供給不足と外資導入の必要性、そこで生ずる日米の外資企業の戦略とのずれの問題、さらには日米企業間の違いなどが、主としてマクロ的環境の面から取り上げられている。

 ついで「二 半導体産業の中国国有企業工場像」において、中国半導体産業における生産システムの現状、つまり「中国型経営生産システム」およびそれの日本的システムに対する受容性を明らかにするために、ミクロ的環境として中国半導体企業CA、CB、CCの各社の事例が取り上げられる。3社の工場について、「適用・適応モデル」において日本的生産システムを構成する23項目・6グループのそれぞれを詳細に検討・評価し、「中国型システム」の平均像の摘出が試みられる。その特徴は、職務区分は細分化されてないが固定的であること、品質管理、メインテナンスのやり方は専門家主義であるが内部養成方式であることなど、日本型とアメリカ型が混在していて両者の中間にあるが、結局少品種大量生産で製造と経営管理が分断されている点などでややアメリカ寄りとされている。ただその中で、中国独自とみられるものはほとんどが日本型に類似しているとも指摘されている。こうした検討の結果、ヒトの組織化に関わる作業組織や労使関係の諸項目、グループは日本的な方式に対する受容性が高いのに対して、機械などモノとヒトとの関係や参画意識面ではアメリカ型に近く日本式の導入は難しいと予想している。

 「第四章 中国における日本企業の半導体工場」では、「-中国における日本企業の平均像」において、現地3工場JA,JB,JCを「適用・適応モデル」を使ってそれぞれ評価したうえで、まずそれらの平均像を「日本企業の立場」と「現地側の立場」の両面から描いてみせる。後者は、ややあいまいながら、現地人の経営者や従業員に直接アクセスしやすい自らの立場を利用して明らかにしようとした著者自身のアイデアによるものである。日本企業の立場からの技術移転の度合いをみると、主に次のことがわかる。(1)ヒトに関わる作業組織など日本方式のコアになる部分が「意外に」高い移転度合い(高適用)を見せ、(2)現地経営者の地位、役割など親子会社関係を示す項目が「意外に」現地化(高適応|している。(3)一番移転しにくいのが小集団活動など参画意識グループである。これを中国側からみれば、(1)、(2)については、中国社会がアメリカなどにと比べて日本に近い面もみられるが、それだけでなく後進社会としての制度の未成熟、高賃金など現地の事情も指摘する必要がある。(3)については、もともと個人主義的傾向の強い中国人の意識が社会主義の経験を経て強められており、これはなかかな簡単な問題ではない、とされる。

 「二 中国における日本企業工場の類型分析」においては、上記日系3工場が個別に取り上げられ、それらの間の相違点とその理由が分析されている。それによれば、「低賃金利用・消極適用型」(JA)、「本格生産拠点型・一般適用型」(JB)、「実験的進出・積極適用型」(JC)などに類型化され、それらの背後には歴史、社風、戦略、投資規模などの違いが相互に関連しながらみられる、という。

 「第五章 中国における米系企業の技術移転実態と日米特徴比較」では、90年代に入り先進国間の新たな潜在的競争市場となりつつある中国に進出したアメリカ企業の工場が比較の材料として取り上げられる。このアメリカ企業は、日本にも工場を持ち日本方式に近い経営スタイルを持っていることで知られているが、その中国工場がどのような経営方式になるか、こうした多面的な比較の視点は極めて興味深いものである。その結果次のような特徴がみられる。(1)やはり作業組織に関係する諸項目、職務区分、賃金体系、教育訓練、昇進、作業長などは、日本的要素も含みつつもアメリカ寄り、(2)現場主義的品質管理、全員参加型の小集団活動や長期雇用制といった労使関係などは日本企業以上に"日本的"(アメリカにおける工場自体がかなりそうである)であり、(3)こうした現地経営方式をアメリカ多国籍企業に典型的にみられる親子会社関係-極めて少数の本社からの経営者派遣(対従業員比0.1%-日系工場では1〜2%台)-のもとで管理運営している。こうしてこれを「多重要素混在」の「マルチファクトリー」と呼んでいる。

第三部総合評価と展望

 「第六章 日本企業による対中技術移転の総合評価」では、以上の多面的分析を受けて、「適用・適応度」評価の全体的なとりまとめと現地工場のパフォーマンス評価を試みている。「-移転結果評価」においては、さきの「セット移転プロセス」の評価方式に沿って、まず量産体制については、工場規模は企業によってばらつきがあるが日本と並ぶ本格的なものもあり、設備は各社ほぼ最新鋭、生産機種は日本より1〜2世代遅れ、稼働率はかなり高いなどと評価され、全体として日本国内工場の水準には及ばないものの中国の実情からすれば相当の競争力を有する体制が確立されている、と結論づけている。次に量産効果について、労働生産性は、日本工場に比べて1/2-1/4とかなり格差があるが、これには操業歴、操業率などの違いに起因するラーニングカーブ効果の不十分さとともに、生産システム移転そのものの問題に関係している。歩留まりという重要指標では、各社とも相当高い水準を実現しているが、比較の厳密さという点からいうと2社は後工程だけ、他の1社は機種の世代遅れなど、日本とのずれはなお存在する。

 そこでポイントは、前述のような生産システムの移転評価になり、各社それぞれ特徴を見せつつも、全体として比較的高い水準に達しており、それが量産効果にもまた次のようなより広いパフォーマンスの高さの実現にも大きく貢献したとされる。「三 パフォーマンス評価」では、労働生産性、市場シェア、雇用、製品技術についてさらに検討が加えられ、上記の点が確認される。

 「終章 展望」では、以上の分析結果を踏まえて、日本企業側、中国側それぞれについて今後の課題をあげそれの達成にむけて次のような論点を検討しているが、その多くは著者自身のこれからの研究課題でもある。1)半導体産業における日中の技術移転は短期間に相当な成果を上げたが、双方が互いに「適応」する経験蓄積の過程はなお時間をかけて重ねていく必要がある、2)異文化環境のもとでの「人的要素」にからむ「技術移転摩擦」問題への配慮の重要性、3)中国国営企業改革問題への貢献の期待、4)「中国型生産システム」(論)の形成への「思案」として、中国経済社会論との接続の必要性、などである。

 以下、本論文のメリットと問題点について述べる。

 まずメリットとして次の諸点があげられる。

 第1に、本論文が、日本的経営・生産システムの国際移転研究の分野において、中国と半導体産業、また日本・アメリカと中国企業による技術の移転と吸収といったいくつかの新しい組み合わせを多面的に取りあげて、実地調査を含むかなり丹念な実証研究としてまとめられている点は高く評価できる。

 第2に、そのさい、「適用・適応モデル」といった先行の調査研究枠組みを本研究の課題設定にあわせて利用しつつも、半導体産業における日本企業の親工場と中国国営企業の工場について事業と工場の管理組織と生産技術およびパフォーマンスの内容に関する詳細な知識・情報に基づき、かなり完成度の高い二つの半導体工場像を構築している点で、既存の研究水準を超えているといってよい。

 第3に、この技術の国際移転分析を通じて、日本およびアメリカ型の生産システムという基準からみて「中国型生産システム」の特徴付けを試みた成果は、著者自身指摘しているようになお多くの検討の余地を残しているとはいえ、極めて興味深く、今後のこの分野における研究の発展に大きく貢献するであろう。

 第4に、本研究では、既存の調査分析方法に加えて、いくつかの新しいアイデア、手法を編み出す工夫がなされ、一定の成功を収めている。その一つが、「適応」面を重視した中国側からの観点の導入であり、著者の母国における現地調査であるという立場を利用して、現地社会サイドの経営者、従業員の双方を含むパーセプション調査を試みている点で、現地工場における制度、慣行などの実質的な機能について通常はなかなか得がたい情報を入手し、その評価内容に厚みと説得力を加えている。この国特有の党組織の影響力がときに労使紛争の抑制など日本企業における組織内協調機能に代替する面があるといった指摘は、こうした観点から出てきたものであろう。さらに、既述の「セット移転プロセス」のような分析概念の整理も、半導体産業ではむろんのこと、より広い有効性をもつものとして評価されよう。

 他方、次のような諸点が問題として指摘されよう。

 第1に、まず一般的に指摘される疑問点は、本研究の評価結果に対する検証可能性の問題である。アンケート調査などと比較して、日系企業の場合3工場においてそれぞれ現場担当者数人程度へのインタビューと工場観察から得た情報・データにどの程度の信頼性をおくことが出来るかという点である。もちろん、日本多国籍企業研究グループによる同様の方法が一定の通用性をえているように、このような方法に有効性があることは認められるが、本論文の場合、調査の具体的な進め方やデータの解釈の仕方などの説明において説得力をもたせようとする努力が必ずしも十分ではない。評価結果の有効性の範囲についてより明確な説明がなされるべきであろう。

 第2に、本論文は、操業期間のまだ浅い日系工場におけるシステム移転の成果についてかなり楽観的な評価を下しているが、その妥当性についてである。著者は、類型分析など具体的な説明のところでは「多能工化」、「参画意識」など重要な要素移転の難しさをむしろ強調しながら、全体的なまとめや結論部分では「相当な水準に達している」といった表現が目立つ。それには「多能工化」、「職務区分」といったキー概念必ずしも明確されてないこと関係があるかもしれない。総括的な評価へのいま少し慎重な配慮が望まれる。

 第3に、日本の半導体親工場のモデルはJK社,中国の日系工場はJA、JB、JCの各社というように、日中間で企業のずれがみられるが、ことにJKとJBは日本国内ではかなり対照的な企業であることがよく知られているので、その比較の妥当性について説明が必要である。

 第4に、終章における「量産体制」、「量産効果」およびパフォーマンス評価の内容の相互関係について若干の不整合がみられる。一方で最新鋭の設備が導入されているとしながら他方歩留まりが高い理由に設備が国内で使い慣れている理由をあげたり、現地工場の稼働率は概して高いとしながらラーニングカーブ効果の低さの理由を操業度の低さに求めている、などである。

 最後に、経営方式や技術の移転をとりあげる際には、経営戦略も併せてとりあげた方がよいという意見が、複数の委員から出された。

 以上、本論文は、なお修正や改善を要する問題点を残しているとはいえ、先行研究の検討・利用を通じて充実した調査研究の成果をあげ、新しく魅力的な研究領域を切り開いており、本著者が今後自立的な研究者として研究を進めていくのに十分な能力を持っていることは疑いない。審査委員会は全員一致で本著者が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいとの結論に達した。

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