本研究は生理活性脂質の産生過程において重要な役割を果たしていると考えられる細胞質型ホスホリパーゼA2の生体内における機能を明らかにする目的で、発生工学の手法を用いた細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスの作製とその表現型の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスの作成に成功した。脾臓を材料としてmRNA、蛋白質レベルでの欠損を確認し、さらにホスホリパーゼA2活性の著明な低下を確認した。細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスはメンデルの法則に従った割合で誕生し、正常に発育することも明らかとなった。 2.細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスには外見上の異常は認められず、病理組織像では腎において尿細管上皮細胞の中程度の空胞化を認めた(5匹中3匹、4.5カ月齢)が、血液像・血液生化学検査いずれにおいても野性型マウスと顕著な違いを認めなかった。10ヵ月齢の段階でも外見上の異常は認められなかった。 3.生理活性脂質産生量を腹腔マクロファージを材料として測定したところ、カルシウムイオノフォアA23187で刺激した際のプロスタグランジンE2、システイニルロイコトリエン、血小板活性化因子の産生は顕著に減少していた。リポポリサッカライドで刺激したときのプロスタグランジンE2の遅延型の産生もほとんど認められなかった。 4.卵白アルブミン投与により惹起される能動アナフィラキシーにおいて、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスも野性型マウスと同様に15-20秒後より気道内圧の上昇が認められ、総肺抵抗においても2分を最大値とする気道収縮が認められた。最大抵抗値は、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスの方が若干小さかったが、有為な差は認められなかった。総肺抵抗の回復は細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスの方が早く、10分でほぼ刺激前の水準に低下した。卵白アルブミン投与後5-7分の肺の組織切片を鏡険したところ、野性型マウスでのみ気道収縮、肺胞壁の肥厚が認められた。メサコリンエアロゾルの吸入に対し、野性型マウスは過敏に反応したが、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスでは気道の過敏性は認められなかった。5-リポキシゲナーゼ欠損マウスにおいても同様の気道過敏性の消失が報告されており、喘息を初めとする気道過敏性を伴う呼吸器疾患において、細胞質型ホスホリパーゼA2がロイコトリエンの産生を介して重要な役割を果たしていることが示唆された。 5.生殖機能の面では、オスマウスは正常であった。それに対し、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損メスマウスでは妊娠し野性型マウスと同様の体重増加を示すが、通常の妊娠日数(19.5日)を過ぎても出産せず、子宮内胎児死亡をきたすことが多かった。19.5日の時点で帝王切開すると正常に発育した新生児が得られ、その後の発育も正常であった。また、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスはプロゲステロンアンタゴニストによって分娩を誘発させることができ、産まれたマウスは正常に発育した。プロスタグランジン受容体欠損マウスも同様の表現型を示すことが報告されており、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損メスマウスではプロスタグランジンの産生が低下していると推測され、その結果、分娩が遷延している可能性が示された。 以上、本論文は発生工学の手法を用いて細胞質型ホスホリパーゼA2欠損マウスを作製して、その表現型の解析を行い、アレルギー反応と分娩において同酵素が重要な役割を果たしていることを明らかにした。本研究はこれまで個体レベルでは未知の点が多かった、細胞質型ホスホリパーゼA2の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |