学位論文要旨



No 113073
著者(漢字) 劉,志宏
著者(英字) Lu,Zhi-Hung
著者(カナ) リウ,チホン
標題(和) 技術移転と経営移転 : 新日鉄の上海宝山製鉄所への技術経営移転に関する事例研究
標題(洋)
報告番号 113073
報告番号 甲13073
学位授与日 1998.01.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第129号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 中兼,和津次
 東京大学 助教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
内容要旨 1.はじめに

 企業経営はどのように形成されるのであろうか、これが本稿の中心課題である。ここでいう経営とは社会構成体としては組織であり、過程概念としては意思決定である。これについては、チャンドラーが経営戦略との関連という視角から、「組織は戦略に従う」という仮説を提出した。その影響は経営史や経営学、経済学など広範囲の研究領域に及ぶ一方、チャンドラーの仮説に対する内在的な批判あるいは外在的な批判が展開されるようになり、その限界性が指摘され、「ポスト・チャンドラーモデル」の必要性が注目されつつある(1)。本稿はこういった動きを踏まえ、国際関係企業史の視角から、企業経営の形成過程において技術が果たす役割を中心に説明する(2)。

 企業経営の形成における技術の役割について、従来の研究では、技術の経営への影響という視点から提示されたものの、まだ緒についたばかりで、理論的には必ずしも十分とは言えない(3)。その客観的原因として、技術は資本や労働とは異なり、量的次元ではとらえられないことがあげられる。また、理論的あるいは方法論的にも、いくつかの原因が考えられる。その一つに経営そのものが技術に含まれるという観点がある(4)。そもそも技術と経営の関係は、経営が技術を媒体にして移転されることが示すように密接であるが、両者は決して同一のものではない。企業が新たに技術を導入する際に、既存の経営方式にこだわって技術のみ導入するか、あるいは新たに経営方式をも導入するか、新たな経営方式の導入を決定したとしても、技術導入先がドイツやアメリカ、日本の企業など複数の場合、その中からどの企業の経営方式を導入するか、あるいはそれらの一部づつを導入するか、といった選択肢のあること自体が示すように、技術と経営にはそれぞれ独立性がある。もし、技術と経営を同一のものと見做して、技術・経営移転による企業経営の形成プロセスを観察する場合、経営そのものは、技術の一部として移転されると見做され、技術と経営の概念が混同し、技術が企業経営の形成において果たした真の役割が曖昧になってしまう。

 もう一つの原因は、技術移転と経営移転という現象は、技術と経営の関係を明らかにする上で格好の研究素材と言えるが、いままでそれに関する研究は、どちらかの一つに絞られている点である。その中でも、ロジャースの社会学的観点から技術革新の伝播現象を分析した技術伝播論や、技術の商品化現象に注目し、その市場構造を分析したバイトソスの技術商品化論など、技術移転に関する研究が比較的多く見られる(5)。一方、経営移転に関する研究は、経営の普遍性および適用性を主張するハービソンとマイヤーズ、経営の特殊性を主張し、適用性を否定するゴンザレスとマクミラン、経営原理と経営実践とを区別することによって、経営原理の移転性と経営の普遍性の程度を検討するという方法論を提示したクーンツなど、1960年頃から主としてアメリカの学者によって行われるようになったが、まだ体系的にまとめた理論として成り立っていない(6)。

2.技術移転と技術発展

 企業が技術を導入する際、何をもって判断基準とするのか。これについては、シューマッハが、先進国において発展してきた「巨大技術」と発展途上国における「土着技術」の中間に位置する技術、いわゆる「中間技術」の開発を、適正技術として提起している(7)。日本では、米山喜久治が適正技術の観点から、新日鉄の前身である八幡製鉄のマレーシアのマラヤワタ製鉄への技術移転を分析している(8)。適正技術のモデルとも言うべきマラヤワタ製鉄と本稿で研究対象とする宝山製鉄所の技術は、ともに新日鉄が提供したものであるが、前者は中間技術、後者は先進技術という相違点があった。マラヤワタ製鉄に移転された「ゴム材木炭高炉技術」という中間技術は、長期的に見て、同社の技術発展のネックとなり、収益の悪化をもたらし、国内市場において不利な立場に置かれる原因にもなった。一方、宝山製鉄所は先進技術を導入することによって、技術水準を飛躍的に向上させ、経済性は中国一、国際市場においても競争力がある企業に成長した。また、宝山製鉄所は中国における飛地的存在ではなく、導入された技術は中国全国の数百社にものぼる企業に移転され、巨大な経済効果をもたらしつつある。本稿では、適正技術論の問題点、すなわち「土着技術」と「巨大技術」との格差を無視していること、対象とする時期が短期間であることを指摘し、両者の比較から導かれる導入技術の適正かどうかの判断の基準は、長期的に見て、導入技術が技術発展そして企業の経済性の向上に寄与し、競争社会において有効に機能できるかどうかである、と指摘した。

 技術移転の成果をいかにして技術の発展に導くか、が企業が考える次の問題である。宝山製鉄所の事例から次のことが読み取れる。つまり、技術移転は技術の発展を可能にするが、技術の受け手から見た場合、技術を導入するだけでは技術の発展はあり得ない。そしてそのステップアップのために、吸収した技術をベースにし、国際先進技術に照準を当てながら追跡して行かなければならない。さらに、技術革新を絶えず行うことによって、技術の発展を図らなければならない。さもなければ、中国企業の従来のパターンのように、「導入-落後-再導入」の悪循環を繰り返す羽目にならざるを得ないということである。

 宝山製鉄所の技術発展のパターンは、特殊なパターンではなく、両大戦間期の日本企業や、韓国浦項製鉄所などの事例に相似し、普遍性を持つものである。すなわち、技術の吸収・追跡・革新は、後進国の企業の技術発展をもたらす3要素であり、相互不可欠であると言っても過言ではなかろう。

3.技術移転と経営移転

 中国企業が「導入-落後-再導入」という悪循環を繰り返す羽目になってしまった原因の一つに、外国から先進技術を導入しても、「鞍山憲法」など自国の従来の経営管理方式にこだわるあまり、それと同時に外国の経営管理方式を導入しなかったことが挙げられる。いままで多くの中国企業は、外国から導入された先進技術に適合しない中国従来の方式によって経営管理を行っていたため、計り知れない経済的損失を被った。宝山製鉄所の事例も示すように、新日鉄からの経営管理方式の導入が大きな経済効果をもたらすことが目に見えていたにもかかわらず、企業内外の拒絶反応は大きかった。宝山製鉄所の技術の発展の大きな要因は、こうした抵抗との長年にわたる葛藤を経て、新日鉄からの経営管理方式の導入に成功したことである、と言っても良いであろう。

 そもそも企業の経営は、技術を土台にして形成され、技術を媒介にして移転されるものである。近代経営にとって近代技術は不可欠であるが、同様に、近代技術には近代経営が不可欠である。技術に適合する経営の導入は、それ相応の利益をもたらすものである。近代経営が従来の経営に取って代わったのは、それがもたらす生産性やコストさらに利潤において優越しているからである。経営の導入が適正かどうかの最も重要な判断基準は、それが技術に適合するかどうかである。

 経営移転は技術移転とは密接に結びついているが、受け手が技術導入に伴う経営を導入する際、宝山製鉄所の第一期工事の事例が示すように、技術はまるごと導入できても、経営はそのまま導入することはできない。受け手の経営環境に合わせて、若干の修正を加えながら導入される。その修正を必要とさせる要因は、市場以外に、主として現地の政治・経済制度、文化、風俗慣習などである。その導入過程も、技術導入とは同時進行ではなく、それよりは時間がかかり、外来のものと在来のものとが摩擦を起こしながら、「模倣・改善・革新」の段取りを辿って変化していくものである。しかし、宝山製鉄所は新日鉄の経営管理方式に対し、中国流の修正を加えたものの、その核心となる部分は、そのまま導入した。これは新日鉄の経営管理方式が普遍性を示しうるものであることを示唆する事例と見て妥当であろう。

 しかし、見逃していけないのは、それが新日鉄の経営管理方式の普遍性を示していると同時に、その特殊性をも示唆している点である。すなわち、宝山製鉄所が新日鉄の経営管理方式を導入する際に、異なる社会制度、文化、慣習、風俗などによって修正させられた部分である。その特殊性をもたらす要因が、技術・経営導入の過程における「導入意欲」や「導入への抵抗」、「意欲と抵抗の葛藤」の度合いを、そしてその構造を左右しているように思われる。

 先進技術の導入が、企業の管理組織に多大なインパクトを与えたことを、宝山製鉄所の事例は力強く物語っている。先進技術に適応しながら形成された管理組織によって、宝山製鉄所は優れた生産性やコストさらに利潤を実現した。同製鉄所の企業集団化などの成長過程は、組織が技術の発展に適応しながら変化する典型的な事例と言えよう。

 そして、なによりも、技術移転と技術発展の関係、技術移転と経営移転さらには技術と経営の関係を十分に理解し、それを軸に経営戦略を展開して、企業組織の発展を図った宝山製鉄所の技術者経営管理者集団が果たした役割が大きいことを、指摘しなければならないであろう。中国の企業に蔓延している「導入-落後-再導入」という悪循環のパターンから脱皮できたのは、彼らによるところが大きいことを改めて強調しなければならない。

 注

 (1)チャンドラー=Alfred Chandler,Jr.,著書には、「Strategy and Structure.Chapters in the History of the American Industrial Enterprise,Cambridge(Mass.),1962,三菱経済研究所訳『経営戦略と経営組織』実業之日本社、1967年;The Visible Hand.The Managerial Revolution in American Business,Cambridge(Mass.),1977,鳥羽金欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代(上)(下)』東洋経済新報社、1970年;Scale and Scope.The Dynamics of Industrial Capitalism,Cambridge(Mass.),1990.阿部悦生等訳『スケール アンド スコープ』有斐閣、1993年」などがある。「ポスト・チャンドラー・モデル」の必要性については、工藤章『イー・ゲー・ファルベンの対日戦略』東京大学出版会、1992年、2〜5ページを参照されたい。

 (2)工藤章『日独企業関係史』有斐閣、1992年、4ページ。国際関係企業史の視角と手法については、さしあたり同『イー・ゲー・ファルベンの対日戦略』東京大学出版会、1992年、2〜5ページを合わせて参照されたい。

 (3)技術の経営への影響について、Michael Massouhが1976年に"Technological and Managerial Innovation:The Johnson Company,1883-1898"と題して、経営史の視角から、技術革新が組織の形成に与えた影響について分析している[Business History Review,Vol.L,No.1(Spring,1976)渋谷武夫訳「技術および経営革新--ジョンソン社,1883年〜1898年」『会計学研究』第16号、73〜89ページ。]また、日本においては、1980年代から企業のFAやAI、MEなどハイテクの導入により、それらの経営への影響が注目されるようになった。これに関する研究は、平松茂実「FA化による工場および企業組織の構造変化」(『経済学論集』第29号、1〜26ページ)、野口祐「先端技術連関分析と企業経営の変化」(『三田商学研究』28巻6号、1986年2月、1〜24ページ)、小山和伸「現代企業の技術革新と戦略および組織とのインタラクションについて」(『組織科学19巻4号、61〜73ページ)、森健一「新技術の経営へのインパクト」(森俊治教授退官記念論文集第258・259号、161〜178ページ)などがある。これらの研究は新技術の経営への影響を提示した点では評価できるが、体系的な理論化には至っていない。

 (4)小林達也『技術移転』文真堂、1986年、11〜12ページ。

 (5)ロジャースの技術伝播論については、E.M.Rogers,Diffusion of Immovations,The Free Press of Glencoe,1962.(藤竹暁訳『技術革新の普及過程』培風館、1966年)、E.M.Rogers & F.F.Shoesmaker,Communication of Innovation:A Cross-Cultural Approach,Free Press,New York,1971.を参照されたい。なお、日本における技術伝播論に関する研究は、斉藤優『技術移転論』文真堂、1979年などがある。バイトソスの技術商品化論については、C.V.Vaitsos,The Process of Commercialization of Technology in the Andean Pact a Synthesis,Mineo,Lima,1971.を参照されたい。

 (6)ハービソンとマイヤーズ[Harbison,F.C.& Myers,Charles A:,Management in the Industtrial World,New York:Mcgraw-Hill Book,1959]。ゴンザレスとマクミラン[Gonzalez,R.F.& Mcmillan,C.Jr.,"The Universality of American Management Philosophy",Academy of Management Journal,Vol.4,No.1,(April,1961)pp.33〜41.]クーンツ[Kontz H."A Model for Analyzing the Universality and Transferability of Management",Academy of Management Journal,Vol.12,No.4(December,1969)pp.415〜429.]

 (7)E.F.Schumacher.,Small is Beautiful,Sphere Books,1974(斉藤志郎訳『人間復興の経済』佑学社、1976年).

 (8)米山喜久治『適正技術の開発と移転-マレーシア鉄鋼業の創設-』文真堂、1990年。

審査要旨

 本論文は,現代中国における大型技術導入の代表的な事例である上海宝山製鉄所について,1970年代末における成立から1990年代初頭までの発展の過程を跡づけたケーススタディーである.分析にあたって著者は,国際関係史および企業経営史という複眼的な視角を採用し,新日本製鐵(新日鉄)からの技術および経営組織・経営管理方式の移転に焦点をあてている.論文は序章を入れて全6章から成り,図表,注,文献リストを含めて260ページ(400字詰め原稿用紙換算780枚)の力作である.

 まず,本論文の内容を紹介しておこう.

 序章では,研究対象である宝山製鉄所の沿革と概要,そして中国鉄鋼業における宝山プロジェクトの意義を指摘し,それを受けて本論文の課題と視角を提示している.

 中国鉄鋼業は「改革・開放」の過程で急速な発展を遂げ,1996年には粗鋼年産1億トンを突破して世界最大規模となったが,その中核をなす企業が国有の宝山製鉄所である.同社の粗鋼生産高は1995年には850万トンに達し,中国最大の銑鋼一貫企業となった.同社の設立は,1978年に発表された「国民経済発展10カ年計画」において最重要プロジェクトとされたことに始まる.同社はこの計画のシンボルとなり,それゆえにその設立と発展は,中国における政治的な路線対立の重要な争点となった.同社は,その中心技術および経営管理方式を世界のトップメーカーである新日鉄から導入し,周辺技術の一部については欧米の複数のメーカーからも導入した.それは世界的にも希な規摸での技術・経営移転であった.

 このような新日鉄から宝山への技術・経営移転の過程および成果の分析が,本論文の課題とされる.その際の視角は,企業経営史と国際関係史という複眼的なそれである.契約交渉から契約の締結を経て,プラント建設,操業にいたる全過程が視野に入れられ,経営環境,当該各社の戦略と組織,そして技術・経営導入の成果が分析される.このような視角を設定するにさいして,著者は周到に内外の企業経営史の研究動向をサーベイし,複眼的視角の必要性,技術と経営との関連,あるいはまた技術移転と経営移転の関連に注目する必要性を示している.

 第1章「中国鉄鋼業と新日鉄」は,宝山製鉄所が新日鉄から技術と経営を導入するにいたった要因を明らかにしている.

 第1に,宝山製鉄所の設立にあたって外国技術の導入に踏み切ったのは,中国政府が一貫して鉄鋼業を重視してきたにもかかわらず独自の鉄鋼技術を確立できなかったためであり,その原因として,冷戦下の戦争準備や文化大革命の影響のみならず,中国政府および企業が単純に量的拡大を追求したこと,設備の導入のみを重視して技術吸収を軽視したこと,そのために技術発展・経済性を軽視ないし無視したことが挙げられ,詳細に分析されている,外国技術の導入に踏み切った直接の契機は文化大革命の終焉であり,それにともなって政策転換がなされ,これが宝山の先進技術導入への意思決定を可能にした.この経緯も詳細に分析されている.

 第2に,中国側が導入先として新日鉄を選択した要因が考察される.とくに新日鉄側の要因として,その技術水準の高さ(そしてそれをもたらした諸要因),経営環境の変化にたいする対応として展開されたエンジニアリング事業への多角化戦略,同事業の海外展開,稲山嘉寛の中国政府との信頼醸成努力,中国市場開拓の努力,そして日本政府のバックアップが指摘され,分析されている.

 第2章および第3章は,交渉から操業開始にいたる技術移転過程の分析を内容とする.その際,このケースにあっては交渉・契約段階において中国政府が主導的な役割を果たし,プラント建設段階にいたって初めて企業としての宝山製鉄所が主たるプレイヤーとして登場したことを考慮し,全過程を契約交渉段階とプラント建設・操業段階に2分し,それぞれの段階に各1章をあてている.

 第2章「技術移転過程--(1)契約交渉段階」では,まず,新日鉄との契約交渉の主体たる中国政府が,どのような意思決定の過程をたどったのかが解明され,政府最高首脳の動向,小平の決定的役割,担当官庁である冶金工業部の役割などが立ち入って分析されている.とくに,契約交渉の途上での契約破棄問題などの一連の紆余曲折の原因は,最高首脳間の意見対立よりもむしろ「財政難,インフレ,外貨不足を正すための試行錯誤」にあったと結論づけている.さらに,中国側が新日鉄を技術導入先として選定した要因として,第1章で明らかにした点を踏まえ,中国側技術陣による技術選択の過程に立ち入った検討を加えている.

 第3章「技術移転過程--(2)プラント建設・操業」では,まず,技術選択にさいしての「先進技術か中間技術か」という中国側での論争,そして「先進技術」を推す主張が,政府内部にあった「中間技術」論を押さえ込む過程が生き生きと描写されている.著者はここで,新日鉄のマレーシア・マラヤワタ製鉄にたいする「中間技術」の移転との比較を試み,技術選択の基準は企業の経済性・競争力への貢献に置かれるべきであると結論づけている.

 従来の中国企業がたどった「導入--落後--再導入」という悪循環に陥ることのないよう,宝山製鉄所は「導入--国産化--追跡」という戦略を立てた.この戦略は一定の成果を挙げたが,その要因としては買い手市場から売り手市場への市場環境の転換のほかに,上記のような戦略を立案し,かつ実行した経営者の存在が重視されている.さらに上記の戦略を実行に移すさい,宝山の経営陣は新日鉄の経験を学習し,プラント建設に主体的に加わる[共同設計・共同製造]という方針を打ち出し,かつ実行した.この方針は中国鉄鋼業史上画期的な意義を持っていた.宝山経営陣はまた,主導権の確保を狙いとして,個別プラントの導入先の選定にさいして,「3社引合い方式」を適用した.これはまた,彼らの懸念する「近親技術間の繁殖」を避けて健全な技術発展を狙うためでもあった.その後,宝山はさらに「共同設計・製造中心」という方針を打ち出し,プラントの国産化,さらに自力での技術革新を展望した.

 プラント建設と操業の過程については,まず設備検査が,技術吸収の手段としての側面に即して詳細に跡づけられる.さらに生産準備から操業にいたる過程が,製品・製法両面にわたる技術の吸収過程として詳細に分析される.その成果は,一部部品の国産化,製品改良,技術トラブルを解決する能力の蓄積であり,このようにして形成された宝山の技術能力は,中国国内の他の企業に普及した.ただし,なお世界のトップメーカーの技術水準にたいしては格差が存在していることも指摘される.

 第4章「経営移転過程」は,技術移転と並んで重要な経営移転の過程が対象とされる.

 宝山は,新日鉄の技術を調査するにさいして経営管理をも対象とし,その集中一貫管理体制の確立の歴史を学習した.そこから,経営は技術を土台にして形成され,技術を媒介にして移転されることを正しく認識し,経営組織・経営管理方式も導入した.それは組織の簡素化・効率化を狙いとするものであった.しかし,政府や宝山内部での抵抗もあって,経営の導入は技術導入よりも困難であった.その背後には文化的異質性が伏在しており,導入にさいしての摩擦は技術の場合よりも大きい.それだけに,宝山への新日鉄からの経営移転の成果は,重大な意義を有するものであったとされる.

 経営組織の移転は新日鉄の組織の全面的な導入・模倣から出発した.宝山は,職能性や集中一貫体制の徹底を図った.それとともに子会社の設立などの組織の多様化を追求し,その延長線上に企業集団化を進めた.ただし,その軌跡は必ずしも一貫したものではなかったとされる.

 経営管理方式の移転については,とくに人事管理および生産管理に焦点があてられている.人事管理では,従業員の採用・訓練・育成方式や作業長制が,修正を加えつつ導入された.生産管理では,導入技術のハードウエアの設計に集中一貫管理に適合的な方法・手段が体化されていたから,集中一貫体制の導入が必然であった.コンピューターシステムの導入も同様である.ここでも,経営移転が技術移転に劣らず画期的な意義を有していたことが明らかにされている.

 「技術移転と経営移転」と題された第5章では,これまでの章の要約が与えられるとともに,本論文で明らかにされたことがらの含意が示されている.すなわち,技術移転と経営移転との密接な関係,前者の後者にたいする規定性が指摘され,宝山経営者がその点を認識していたことが,技術・経営導入における成功の基本的要因であったとされる.

 以上に要約した内容をもつ本論文の最大の特長は,日中双方の接触の開始からプラントの稼働,そして技術革新の展望にいたるまでの,新日鉄から宝山への技術・経営移転の全過程を,国際関係史と企業経営史にまたがる分析枠組みを用いて,政府間関係,企業経営者間の接触,そして工場現場でのインターフェイスという各レベルに即して詳細に跡づけたところにあるといってよいであろう.

 そのさい著者は,未公開のものを含む日中双方の膨大な資料,そして当事者の体験記録を含む多数の文献を渉猟し,また多数の関係者にたいする筆者自身によるヒヤリングの成果を駆使している.とくに中国側の動きについては,未公開政府資料を駆使し,『宝鋼現代化管理叢書』全12冊をはじめとする各種文献を,方法・視角および信頼性を批判的に吟味しつつ全面的に利用している.そして,企業内部の意思決定過程を扱うさいに不可避の資料的な制約と格闘しながら,双方の認識・主張・評価を突き合わせ,比較し,吟味することにより,それぞれの偏りを是正し,双方の戦略・戦術の交錯を中心とする移転の全過程を立体的に描き出すことに成功している.

 日中双方で,これまで宝山製鉄所に言及した文献は多数にのぼる.だが,その成立から現在までの全過程を,技術・経営移転に着目しつつ跡づけたものは,他に見あたらない.とくに第1章の前半での,接触の開始から交渉妥結を経て契約締結にいたる過程の歴史は,詳細であり,信頼しうる.この過程をこれほど全面的かつ説得的に跡づけた研究は,本論文をもって嚆矢とするといってよいであろう.

 また,宝山における生産技術体制および経営管理組織・万式の現状を,その形成の歴史を分析することにより理解しようと試み,その意義と問題点を摘出した点も高く評価しうる.とくに,技術移転のみならず経営移転をも視野に入れた点,少なからず発生した技術的トラブルと(価格,入札方式,契約破棄,建設計画の変更,第3者への技術移転の可否などをめぐる)日中間の紛争を格好の素材として分析した点が注目される.

 さらに,歴史分析とあわせて,技術導入における「模倣・吸収・追跡・改善・革新」戦略の意義と可能性,「中間技術」論の評価,「近親技術間の繁殖」問題,技術移転と経営移転の関係など,いくつかの興味深い理論的論点の提起とそれにたいする解答の提示の試みも,評価しうる.技術の出し手としての新日鉄と西ドイツ・デマーク社との比較など,国際比較に意欲的に取り組んだことも同様である.

 分析と記述はおおむね一貫しており,重厚かつ明晰である.構成も,各章ごとに要約を付すなど,堅固である.本論文は,宝山製鉄所という一つのケースに深く沈潜することをつうずる,国際関係史,経営学,経営史,現代中国経済論などにまたがる学際的な貢献であると評価することができる.

 ただし,若干の問題点をも指摘しておかなければならない.まず,日中双方の認識・主張・評価に潜む偏りを是正する作業が,より執拗に追求されるべきであったと思われる.とくに,資料的な限界は大きいと思われるにせよ,技術的なトラブルや紛争についてより立ち入って分析することにより,日中双方の戦略や移転過程の特徴をいっそう明確に把握することが可能ではなかったかと惜しまれる.

 また,移転の成果の分析については物足りなさが残る.さらに踏み込んだ分析,明確な主張があってよかった.他の企業との生産性格差,技術吸収の程度,国内他企業への技術普及,企業集団化の展開などの諸点について,この思いが残る.意欲的に提起された論点についても,例えば「近親技術間の繁殖」問題などについて,よりいっそう立ち入った説得的な分析が望まれる.経営成果の分析も,マーケティング,財務,さらには企業統治(コーポレイト・ガヴァナンス)に及んで欲しかった.もっとも最後の点は望蜀の嘆であるかもしれない.

 さらに,経営移転については,いわば経営組織図の背後にある生身の経営者への肉薄が不十分である.技術や経営の移転を現場で担った宝山の経営者たちの認識や行動が,十分には分析されていない.なぜ従来の中国の大半の企業と異なって,宝山は「導入--国産化--追跡」という好循環を描きえたのであろうか.この疑問に答えるためには,従来のソ連型・中国型企業経営の分析,それとの比較検討のみならず,経営権をめぐる経営者層と政府との関わりのより立ち入った検討が要請される.それはさらに,中国における経営者の権限・役割・能力如何という問題,要するに中国における経営者の誕生というより大きな問題へとつながっているのである.

 このような問題点を残すものの,すでに指摘した本論文の特長と学界にたいする独自の貢献の意義は,それによって打ち消されるものではない.以上の理由から,審査委員会は,本論文の執筆者である劉志宏が博士(学術)の学位を授与される資格があると認める.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54605