本論文は、近世以降の日本の「家」の特質を系譜と経営の二重性として捉え、それが、明治の近代法体系との軋轢と矛盾をどのような存続戦略で乗り越えようとしたかを、主として家訓および家憲を資料として用いて論じたものであり、本文は6章と結論からなる。 第1章は序論として、「家」を当事者視点からの概念化に沿って考察するという本論文の研究戦略が論じられ、第2章はこれまでの日本の家族社会学が「家」の系譜と経営の二重性に気づきながら、それを「家族」概念に包摂して均衡論的にしか論じえなかった点を学説史的に明らかにする。 第3章は、経営の拡大に伴って系譜との分離の危機に直面した近世の商家が、「家」を単位とする共同体秩序の規制のもとで複合の「家」としての同族組織と家訓などの規範制定に迫られた経緯を分析して、「家」の二重性を論証する。第4章は近代法制度が「家」の二重性を民法と商法とに分断するとともに、個人主義的所有権の導入によって「家」の系譜性に対しても否定的効果を持ったことを論じ、第5章はそうした危機が継承財としての資本の共同所有を通じて再編されたと論じる。 第6章は、近代の「家」が華族制や婚姻や学歴価値の取り込みおよび家憲の制定を通じてさらに新たな展開をはかったことが明らかにされる。結論では、近代社会における系譜と経営が資本の共同所有と系譜の象徴化によって統合されたとまとめている。 日本の「家」とは何かという問題は、これまで長年にわたって家族社会学の中心テーマの一つであったが、本論文は系譜と経営の二重性という独創的な観点を提示し、それに基づいて明治期の「家」を単に国家的政策の反映としてでもあるいは家族の近代的再編としてでもなく、固有の論理を持った自立した展開として論証することに十分に成功している。ただし本論文を踏まえた上で言えば、なぜ「家」の二重性が守られるべきものと観念されたのか、特筆すべき継承財をもたない階層においては「家」の観念はどのように展開していったのか、あるいは所有と経営の分離はさらに何によって支えられたのかなど、今後の研究課題も残っている。 しかしこれらは、独創性、論理的整合性、実証の手堅さなど本論文の高い完成度をいささかも損ねるものではなく、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論を得た。 |