学位論文要旨



No 113085
著者(漢字) 米村,千代
著者(英字)
著者(カナ) ヨネムラ,チヨ
標題(和) 「家」の系譜と経営
標題(洋)
報告番号 113085
報告番号 甲13085
学位授与日 1998.02.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第191号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 助教授 松本,三和夫
 東京大学 助教授 佐藤,俊樹
内容要旨

 明治大正期を生きた人々にとって、「家」とはどのようなものであったのかを、近世社会からの連続性と変化の諸相において捉えることが本論の目的である。明治期以前から以降にかけて作成されている家訓、家憲からは、人々が、それぞれの「家」の超世代的存続を強く願っていたことが伝わってくる。しかし、人々に抱かれていた「家」への想いというものは、これまでの「家」研究で十分明らかにされてきたとは言い難い。その理由は、従来の「家」研究が、個人に外在する所与の制度として「家」を概念化してきたこと、「家」の抑圧性や「封建的」性質を明らかにすることに関心の重点があったことに求められる。その際に、「家」は、家族の歴史的-形態とする視点と、組織文化として連続性において捉える視点の二軸に分断されて概念化される傾向があった。そこで、本論では、まず、家族論と組織論に分断される以前の「家」研究を再考することから、明治大正期の「家」を人々の生きた文脈において理解する枠組みの可能性を探った。有賀喜左衛門、鈴木栄太郎、喜多野清一、中野卓らの「家」に関する研究に共通していたのは、「家」は血縁によって成り立つものではなく、非親族をも包摂する系譜を中核とした同族結合によって成り立つとされたこと、系譜の連続性と経営体の運営の2つの側面が不可分に統合されている均衡状態において「家」が概念化されていることである。この観点をふまえて、本論では、系譜と経営を「家」を分析するための2つの重要な概念とするが、両者が不可分に結びついている状態を前提とするのではなく、両者の結びつきが変容することによって、どのように「家」の像が変化するのかを考察することとした。

 家訓、家憲を通して見出される近世社会の「家」の像は、系譜の連続性と一体化した家業経営体として具現化しており、その担い手によって「家」内外の変化に対応して積極的に作り替えられていくものであった。一体といっても、規模の大きな経営体では、系譜の継承者と経営体の担い手は事実上分離していたのであるが、「株」や「暖簾」として「家」を外側から規制する共同体秩序にも支えられ、「家」は統合体として思念されていた。ところが、明治期以降の法制度は、一体であるべき家業経営体を民法、商法の別々の法体系に分断し、個人所有制度を採用した。同時に、近世社会において家々を結び付けていた複合の「家」の秩序は、幕末からの寄生地主化の進行や株仲間の解散などにより外的支えを失ったばかりか、明治期以降の法体系に組み込まれることはなかった。家々は解体、拡散の危機に瀕することになったのである。このような危機を経て「家」は近代社会に適合する形で人々によって再編されていくのである。近代家憲において「家」の成員として固定されたのは血縁成員であり、この背景には民法や華族制度における血縁重視の観念の影響が見える。しかし、系譜の継承からは遠ざけられたものの、拡大、多角化した経営体では、有能な使用人、経営者の存在なくしては「家」の存続は不可能になっていた。大規模な経営体では、系譜の連続は、家憲に固定された「家」の成員によって、経営は「家」の成員ではない人材によって別個に担われるようになる。両者を統合したのが、経営資本を「家」の成員が共同所有するという持ち株会社の仕組みである。近代的「所有」制度を家産的所有に変換して応用し、系譜と経営の間に介在させることによって、近代社会に適合的な「家」が再編されたのである。所有することによって結合する「家」の成立である。

 「家」の存立を可能にさせたのは、資本という物財だけではない。継承財としては、身分や地位にかかわる象徴財も重要な財であった。このような象徴財が、「家」を社会的な存在たらしめるものであった。近世社会においては象徴財は暖簾や株、家格であったが、近代社会においては、新しい社会に適合的な象徴財の積極的な取り込みが目指された。例えば、資本家層にあっては、爵位や、爵位を持つ旧家との婚姻などの「伝統的」な格と同時に、新しい社会に適合的な学歴資本などの動員が望まれていた。「家」は明治期以降獲得することが可能になった個人の象徴財を「家」の象徴財として取り込むことで象徴性を高め、固定されていったのである。さらには、物財であるところの資本の集中と同様、象徴財の相互共有により形成された界(society)が排他的、固定的性質を持って存続、維持されていくことになった。

 家憲、家訓から観察される明治大正期における「家」は、近世社会から続く家業経営体という意味では連続性を持ちつつ、機構としては、近代的所有制度や新しい象徴財を積極的に取り込み再構築することで、近代社会に適合的な形で再編されていったのである。

審査要旨

 本論文は、近世以降の日本の「家」の特質を系譜と経営の二重性として捉え、それが、明治の近代法体系との軋轢と矛盾をどのような存続戦略で乗り越えようとしたかを、主として家訓および家憲を資料として用いて論じたものであり、本文は6章と結論からなる。

 第1章は序論として、「家」を当事者視点からの概念化に沿って考察するという本論文の研究戦略が論じられ、第2章はこれまでの日本の家族社会学が「家」の系譜と経営の二重性に気づきながら、それを「家族」概念に包摂して均衡論的にしか論じえなかった点を学説史的に明らかにする。

 第3章は、経営の拡大に伴って系譜との分離の危機に直面した近世の商家が、「家」を単位とする共同体秩序の規制のもとで複合の「家」としての同族組織と家訓などの規範制定に迫られた経緯を分析して、「家」の二重性を論証する。第4章は近代法制度が「家」の二重性を民法と商法とに分断するとともに、個人主義的所有権の導入によって「家」の系譜性に対しても否定的効果を持ったことを論じ、第5章はそうした危機が継承財としての資本の共同所有を通じて再編されたと論じる。

 第6章は、近代の「家」が華族制や婚姻や学歴価値の取り込みおよび家憲の制定を通じてさらに新たな展開をはかったことが明らかにされる。結論では、近代社会における系譜と経営が資本の共同所有と系譜の象徴化によって統合されたとまとめている。

 日本の「家」とは何かという問題は、これまで長年にわたって家族社会学の中心テーマの一つであったが、本論文は系譜と経営の二重性という独創的な観点を提示し、それに基づいて明治期の「家」を単に国家的政策の反映としてでもあるいは家族の近代的再編としてでもなく、固有の論理を持った自立した展開として論証することに十分に成功している。ただし本論文を踏まえた上で言えば、なぜ「家」の二重性が守られるべきものと観念されたのか、特筆すべき継承財をもたない階層においては「家」の観念はどのように展開していったのか、あるいは所有と経営の分離はさらに何によって支えられたのかなど、今後の研究課題も残っている。

 しかしこれらは、独創性、論理的整合性、実証の手堅さなど本論文の高い完成度をいささかも損ねるものではなく、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論を得た。

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