原子核のスピン励起状態(S=1)の研究は、核力のスピン依存成分を知る上で重要である。このうち、荷電ベクトル(T=1)スピン励起状態であるガモフ・テラー(GT)共鳴励起は、主に(p,n)反応や(p,p’)反応を用いて系統的な研究がなされてきた。それに対して荷電スカラー(T=0)成分は、選択的研究の困難さからこれまで良く知られていない。(p,p’)反応によるスピン励起状態の研究は、スピン励起の良い指標となるスピン反転確率(Snn)の測定を含めて多く行われている。それによれば、20MeV以下の低励起エネルギー領域においては非スピン(S=0)励起強度が強く、スピン励起は抑制(quench)されている。これに対して、l2C,40Ca,90Zrなどいくつかの標的原子核に対して、40MeV程度までの高励起エネルギー領域の連続状態(continuum)についてスピン反転確率Snnの測定が行われた。その結果、30MeV以上の高励起状態においてスピン励起強度比が著しく増大しており、スピン励起強度が高励起エネルギー側ヘシフトしていることがわかった。しかし、(p,p’)反応は荷電スカラー・荷電ベクトル両成分をともに励起するため状況はやや複雑であり、より理解をすすめるためには研究が遅れている荷電スカラースピン励起強度についての知見を独立に得ることが重要である。 荷電スカラースピン励起状態(T=0,S=1)を研究するためには、荷電スカラー状態のみを選択的に励起する原子核反応をプローブとして用いなければならない。そのような反応としては(d,d’)反応が考えられる。また、(p,p’)反応と同様に、(d,d’)反応においても高励起エネルギーの連続状態におけるスピン及び非スピン励起強度の分離のためにスピン反転確率S1などのスピン励起状態の指標となる偏極観測量を測定する必要がある。スピン反転確率を含めた偏極観測量を測定するには、偏極ビーム及び反応後の粒子の偏極度測定のための偏極度計が用いられる。重陽子はスピン1の粒子であり、ベクトル偏極(1成分)のみでなくテンソル偏極(3成分)を持ち、そのためベクトル成分のみの陽子の場合に比べてその偏極移行測定は非常に難しいものとなる。 (d,d’)反応においては、スピン非反転確率S0及びスピン反転確率S1に加えて、スピン二重反転確率S2が定義される。これらの量は、測定によって求められる偏極観測量を用いて次のように表される。 ここで、添字のy及びyyはベクトル及びテンソル偏極を表している。S1の決定にはテンソル偏極能Py’y’及びテンソル・テンソル偏極移行係数が必要であり、したがってテンソル偏極を測定しなければならない。さらに、S2をも決定するためにはベクトル偏極をも測定する必要がある。そのため、(d,d’)反応におけるスピン移行量測定は、ベクトル偏極のみの(p,p’)反応に比べて困難であり、そのような研究は今日までほとんど行われていない。特に、ベクトル及びテンソル偏極成分を同時に決定可能な重陽子偏極度計は、中間エネルギー領域においては存在していない。 Saturneの実験グループは、重陽子偏極度計POMMEを用いて(d,d’)反応の偏極移行測定をいくつかの原子核に対して行った。しかし、POMMEはベクトル偏極度計であり、そのためS2=0及び=Ayyという仮定のもとでS1と一致する量 が測定された。この量は、非スピン励起に対しては0となるべき量であるが、はスピン励起に対してAyyから大きくずれる可能性があり、そのためスピン励起強度を求めるには、の測定は不適当である。 我々は中間エネルギー領域における系統的な荷電スカラースピン励起強度の研究を目的として、理化学研究所リングサイクロトロン実験施設において焦点面重陽子偏極度計DPOLを建設した(図1)。この偏極度計は、中間エネルギー領域において、重陽子のベクトル及びテンソルの全成分を同時に決定可能なはじめての偏極度計である。DPOLは高分解能スペクトログラフSMARTの第2焦点面に設置された。270MeVのベクトル及びテンソル偏極重陽子ビームは標的原子核で散乱されたのち、スペクトログラフを通って第2焦点面に導かれ、DPOLの散乱体でさらに散乱(2回散乱)されてその非対称から散乱後の重陽子のベクトル及びテンソル偏極度を求め、y軸(反応平面に垂直な軸)に関する8個すべての偏極観測量,が決定される。これによって、重陽子非弾性散乱のスピン反転確率S1の系統的研究がはじめて可能になった。また、スピン二重反転確率S2などのスピン移行量をも決定可能であり、様々な情報を得ることができる。 図1:焦点面重陽子偏極度計DPOL。 DPOLは2回散乱の散乱体にプラスチック検出器及びCH2板を用い、12C(d,d0)反応及び1H(d,2He)反応の2つを同時に測定し、それによって散乱重陽子の偏極の全成分を決定する。散乱粒子は、散乱体の後方約4mの位置にあるプラスチック検出器からなるカウンターホドスコープによって測定される。また、粒子のエネルギー識別のため、ホドスコープの後方に厚さ1.35cmの鉄板とプラスチック検出器からなるカロリメータが設置されている。較正実験は270,250,230MeVの偏極重陽子の弱いビームを直接DPOLに入射することによって行い、その検出効率及び有効偏極分解能についての基礎的データを得た。それによって、12C(d,d0)反応によってベクトル偏極成分が、一方1H(d,2He)反応によってテンソル偏極成分が決定可能であることが確認された。 DPOLを用いた最初の非弾性散乱偏極測定実験は、12Cを標的とし、Ed=270MeVの偏極重陽子ビームを用いて、励起エネルギー3<Ex<25MeV、散乱角度2.5°<lat<7.5°の範囲について行われた。12Cは、この励起エネルギー領域では2+(Ex=4.4391MeV),0+(7.654MeV),3-(9.641MeV)などの非スピン励起状態(natural parity)、及び1+(12.71MeV),2-(18.3MeV)などの荷電スカラースピン励起状態(unnatural parity)を持ち、それらの励起状態に対してスピン反転確率S1を測定することによって、(d,d’)反応におけるS1がスピン励起状態の良い指標となるかどうかを知ることができる。測定された励起エネルギースペクトル及びそれに対して得られたS1の値を図2に示した。S1は、非スピン励起ではすべて0付近の値であったのに対して、スピン励起、特に1+状態については大きなスピン反転確率が得られた。このことは、このような測定が荷電スカラースピン励起状態の研究に有効であることを示している。また、20-25MeVの高励起エネルギー領域においてもS1は大きな値を持っていることが確認された。この結果は、20MeV以上の連続状態に、(p,p’)反応と同様に強いスピン励起強度が存在する可能性があることを示している。 図2:励起エネルギースペクトル、スピン反転確率S1及びスピン二重反転確率S2。 また、スピン二重反転確率S2も同様に全測定励起エネルギー範囲にたいして求められた。これは、広い励起エネルギー範囲に対してS2を測定した初めての例である。得られた値は、測定したすべての範囲について0付近の値であった。 さらに、S1以外のスピン励起の指標となりうるいくつかの観測量が決定された。(p,p’)反応においては、Snn以外に-Ayがスピン励起に対して0から大きくずれることが知られている。我々は(d,d’)反応における同様の観測量として、の4つの量を測定した。図3にの結果を示した。いずれのスペクトルにおいても、スピン励起1+状態がはっきりと強調されている。 図3: 結論として、12Cのいくつかの既知のスピン、非スピン励起状態についての測定結果では、スピン励起状態に対して大きなスピン反転確率S1が得られた。このことはS1が(d,d’)反応におけるスピン励起強度の良い指標であることで示している。また、測定された励起エネルギー範囲全体については、17MeV以下の領域ではS1は1+を除いてすべて0付近の値の値であり、低励起エネルギー領域では非スピン励起強度が強いという(p,p’)反応での結果と一致している。また17MeV以上の高励起エネルギー領域に対しては、S1は正の値を持ち、20MeV以上の連続状態領域において強いスピン励起強度が存在する可能性があることが示唆された。また、S1以外のスピン励起の指標となるなどのいくつかの量も測定した。これらの観測量においても、特にスピン励起1+状態について0からの大きなずれを得た。以上の結果より、荷電スカラースピン励起強度の探索においては、高励起エネルギーの連続状態でのスピン反転確率測定が重要であると考えられる。我々は、現在さらにDPOLの改良をすすめており、今後12C以外の標的原子核、またそれらの高励起状態までの測定を系統的に行うことによって荷電スカラースピン励起強度の研究を行っていく予定である。 |