葉緑体は光合成をおこなう細胞小器官であるが、それ以外にも生体高分子の生合成や、栄養分の貯蔵の場として重要な役割を担っている。植物は様々な外的環境に応じて葉緑体の機能をコントロールしながら生育している。光のシグナルが葉緑体の機能をどのようにコントロールしているのかについてこれまでに多くの研究が行われてきた。しかし、それらのほとんどが光合成関係の遺伝子に関する研究で、光によるポジティブな遺伝子発現調節に係わるものに集中している。植物は成長の過程で、十分な光合成を行うことができないような光環境にさらされることがある。例えば、下位の葉が上位の葉によって被陰され、十分に光合成を行うことができなくなったり、回りの植物の生長にともなって被陰されたりする場合である。このように光環境が悪化した場合に、葉緑体でどのような適応が起こるのかについては遺伝子レベルでほとんど解析が行われていない。 本研究では、この光環境悪化のモデルとして、ハツカダイコン子葉を24時間暗処理する系を用いた。この暗処理時に特異的に発現する葉緑体タンパク質をコードするcDNAをクローニングしてその機能を推定し、光環境の悪化に対する葉緑体の応答反応の一端を明らかにすることを目的として研究を行った。 (1)暗処理特異的に発現する葉緑体タンパク質のcDNAのスクリーニング 葉緑体の全ゲノムシークエンスが多くの研究グループによって報告されたのに比べて、核にコードされる葉緑体タンパク質に関する情報は十分ではない。その理由は、核コードの葉緑体タンパク質遺伝子を選択的にクローニングする効果的な方法が存在しないからである。そこで、本研究では新しい「核コード葉緑体タンパク質のcDNAスクリーニング法」を開発し、その方法を利用して暗処理を行った時に特異的に発現するcDNAをクローニングすることにした。 24時間暗処理した子葉からpoly(A)+RNAを抽出してcDNAを合成し、T7ブロモーターを持つプラスミドベクターに約3万クローンからなるcDNAライブラリを作製した(図1A)。このライブラリから新規葉緑体タンパク質のcDNAクローンを効果的にスクリーニングするために、光合成関連遺伝子のcDNAクローンをライブラリから除外するためのプレスクリーニングを行った。ビオチン-アビジンを用いたサブトラクションにより、暗処理特異的cDNA断片を濃縮した。このcDNAをプローブとして上記cDNAライブラリをハイブリダイゼーションでスクリーニングし、ポジティブなシグナルを与えた約500個のクローンを選抜した。次に、これらのcDNAクローンを10個程度のcDNAクローンのグループに分けて、in vitroでラベルしたタンパク質として発現させて単離葉緑体へ輸送し、SDS-PAGEで分離してImaging Analyzerで解析することにより、ラベルしたタンパク質が葉緑体へ取り込まれるかどうかを調べた。グループの中に葉緑体へ取り込まれるものがある場合には、さらに個々のクローンについてこの実験を繰り返した(図1B)。このスクリーニングで得られたクローンが、LHCPなど既知の葉緑体タンパク質をコードすることから、実験系の有効性を確認できた。約10個ずつのcDNAからin vitroで[35S]メチオニンの存在下でを用いてタンパク質を合成した結果の例を図2Aに示す。様々な分子量のタンパク質がin vitroで合成できたことがわかる。これを単離葉緑体とインキュベートし、葉緑体へ輸送されるものをスクリーニングした結果を図2Bに示す。約200クローンのcDNAをスクリーニングした結果、既知の葉緑体タンパク質LHCPや既知の葉緑体タンパク質とホモロジーのないcDNAクローンを単離することに成功した(表1)。特にdin1遺伝子とホモロジーのあるクローンが重複して高い頻度で単離されたため、その1つであるS2D12クローンについてさらに解析を進めることにした。din1は安積らが暗処理、エチレン処理、ヒートショックなどによって強く発現が誘導される遺伝子としてハツカダイコンから単離した遺伝子である。この遺伝子の発現は主に細胞内の糖のレベルの低下によって起こることが明らかにされ、また、緑葉の老化にも関与していると推定されているが、その機能や細胞内の局在性についてはこれまで不明であった。 (2)S2D12クローンの解析 S2D12クローンの全塩基配列を決定したところ、din1遺伝子とアミノ酸レベルで96%の相同性があることがわかった。安積らの研究からdin1は単コピー遺伝子であることがわかっているので、S2D12はdin1遺伝子をコードしていると結論した。アミノ酸残基の分布からN末端側は水酸基を持つアミノ酸(Ser,Thr)や正電荷を持つアミノ酸(Lys,Arg)などに富んでおり、典型的なトランジットペプチドの特徴を有していることがわかった。また、C末端は強い負電荷を持っており、親水性ブロットの結果から水溶性のタンパク質であることが予想された。 S2D12クローンから[35S]メチオニンの存在下でタンパク質を発現させると約22kDaのタンパク質が合成された(図3レーン1)。このタンパク質を単離した無傷葉緑体とin vitroでインキュベートすると、トランジットペプチドが切断されて約17kDaの成熟型タンパク質となることがわかった(レーン2〜4)。この葉緑体への取り込みは単離葉緑体に光をあてたときにのみ起こり、葉緑体内のATPエネルギーに依存して起こることがわかった(レーン5)。単離葉緑体への取り込み効率は約3%で、コントロールとして用いたトマト由来のRuBisCO小サブユニットとほぼ同等であった。また、この17kDaのタンパク質は葉緑体を分画したところストロマの画分にとどまることがわかった(レーン6〜7)。これらの結果からdin1タンパク質はストロマ画分に局在する葉緑体タンパク質であることが強く示唆された。 din1タンパク質のC末端部分を大腸菌で大量発現させ、それを精製してウサギを免疫し抗血清を調製した。この抗血清を用いて、発芽約2週間目のハツカダイコン地上部から調製したタンパク質抽出液に対してウエスタンブロットを行った。その結果、17kDaのタンパク質が免疫後の血清で特異的に認識されることがわかった。このことから調製した抗血清が、din1タンパク質を特異的に認識することが確認できた。検出される17kDaのシグナルは葉緑体可溶性画分に濃縮されることから、成熟din1タンパク質は葉緑体の可溶性画分に局在することが確認された。また、タンパク質の蓄積は植物体を暗処理することよって、促進された。これらの結果から、din1タンパク質は暗闇に植物が置かれたときに蓄積してくる葉緑体タンパク質であると結論した。このようなタンパク質の存在はこれまで知られておらず、暗所に置かれた植物のどのように環境に応答し、葉緑体機能を調節しているのか興味深い。 (3)din1タンパク質の特徴 これまでの研究で、din1遺伝子は成熟したハツカダイコンの子葉を暗処理した時や、老化を起こした葉で発現することが知られていた。そこで、ハツカダイコン子葉の老化段階や、成熟した子葉を暗処理して全タンパク質を抽出し、din1タンパク質の蓄積をウエスタンブロットで調べた。予想に反して、これらの組織ではdin1タンパク質は蓄積してこないことがわかった。そこで、発芽3日目、9日目、14日目の子葉をそれぞれ24時間暗処理し、このタンパク質の蓄積を調べたところ、発芽3日目の子葉では暗処理にともなってタンパク質の蓄積が誘導されることがわかった(図4レーン1、2)。この暗処理によるタンパク質蓄積の誘導は9日目の子葉ではほとんど起こらず、14日目の子葉はタンパク質蓄積能力が全くなかった(レーン3〜6)。このことから、din1タンパク質はこれまで考えられてきた緑葉の老化段階ではなく、非常に若い葉で光環境が悪化した時に葉緑体において働くことが示唆された。発芽14日目の子葉では、暗処理によって翻訳可能なmRNAの蓄積が誘導されることから(安積ら、1991)、翻訳可能なRNAが転写された後の段階でタンパク質蓄積の制御が行われていると予想される。核由来の葉緑体タンパク質の遺伝子発現は転写の段階で行われていることが知られており、このような翻訳後の調節の存在は極めて珍しい。なぜこのような調節が必要とされているのか非常に興味深い。 これまでdin1遺伝子は既知の遺伝子との間で有意なホモロジーが見いだされなかった。本研究でN末端部分がトランジットペプチドであることが示唆されたため、この部分のアミノ酸配列を除いてホモロジー検索を行った。その結果、大腸菌のヒートショックタンパク質をコードするpspE,glpEやショウジョウバエのヒートショックタンパク質をコードするhsp67b2など3つの遺伝子とホモロジーがあり、生物界に広く保存されている新しい低分子ストレスタンパク質のファミリーを形成していることが示唆された(図5)。これらのタンパク質はヒートショックや細胞内のエネルギー不足に応じて発現してくるという共通の特徴を持ってる。din1のN末端側をトランジットペプチドとみなすと、これらはいずれも約100アミノ酸からなるタンパク質で、それぞれお互いに30%以上の相同性を持っている。特に保存性の高い領域domainIとIIが存在し、domainIbを除いて、硫黄細菌の一種であるWolinella succinogenesのsulfide dehydrogenase(sud)遺伝子ともホモロジーがあることがわかった(図5)。さらに、domainI,IIのコンセンサス配列はミトコンドリアに局在する硫黄化合物の代謝酵素であるRhodanese(thiosulfate cyanide transferase)とその遺伝子ファミリーのメンバーにも保存されていた(図6)。din1ファミリーのdomainIIはRhodaneseの反応中心周辺領域に相当し、domainIはRhodaneseの基質結合領域に相当する。また、Rhodaneseの反応中心であるCysは全てのタンパク質に保存されていた。Rhodanese familyのメンバーはいずれも約300アミノ酸からなるポリペプチドで、硫黄化合物の代謝に関与していると考えられているが、Rhodaneseを含めて生理的役割については明らかにされていない。これらアミノ酸配列の類似性から、din1が含硫化合物の代謝に関与している可能性が示唆された。 図1 cDNAライブラリの構造と、葉緑体タンパク質をコードするクローンのスクリーニング手順A、Not I リンカーを持つようなオリゴdTプライマーを用いてcDNAを合成し、Not Iで切断してからプラスミドベクターpBluescriptにクローニングし、cDNAライブラリを作製した。全てのcDNAがT7promoterからRNAに転写され、Not Iの位置で転写終了できるようにデザインした。B、cDNAの混合物からT7RNA polymeraseとwheat germ systemを用いて[35S]メチオニン存在下でタンパク質を合成し、それをin vitroで単離した無傷葉緑体に取り込ませる。中に入るものをSDS-PAGEとradioluminographyで検出する。図2 cDNAの混合物からin vitroで合成したタンパク質とそれを葉緑体へ取り込ませた例A、8-12個のcDNAの混合物からin vitroでタンパク質を合成し、12.5%のSDS-PAGEとradioluminographyで検出した。B、Aで得られたタンパク質を無傷葉緑体とインキュベートし、外側をプロテアーゼで処理して洗ってから同様に検出した。表1 無傷葉緑体へのタンパク質取り込みによるスクリーニングの結果図3 S2D12クローンから発現させたタンパク質の無傷葉緑体への取り込みS2D12クローンからT7RNA polymeraseとwheat germ systemを用いて[35S]メチオニンの存在下でタンパク質を合成し、サーモライシン処理の前(レーン1)と後(レーン2)でSDS-PAGEとradioluminographyで分析した。翻訳産物を無傷の葉緑体と明所で30分インキュベートし、サーモライシン処理の前(レーン3)と後(レーン4)で分析した。暗所で葉緑体とのインキュベーションからサーモライシン処理までを行ったもの(レーン5)。明所でインキュベーションとサーモライシン処理を行った後に葉緑体を破裂させ、可溶性画分(レーン6)と膜画分(レーン7)に分離してから分析を行ったものを示す。図4 暗処理にともなうdin1タンパク質の蓄積発芽後3日目(レーン1、2)、9日目(レーン3、4)、14日目(レーン5、6)のハツカダイコン子葉を切り取り、シャーレの中で24h明処理(レーン1、3、5)又は暗処理(レーン2、4、6)した。それぞれのサンプルから可溶性タンパク質を抽出し、特異的抗体を用いてウエスタンブロットを行った。図5 din1タンパク質とそのホモログのアミノ酸配列の比較din1タンパク質のアミノ酸配列をE.coli由来のphage shock protein E(pspE)、glpE、Drosophila melanogaster由来のhsp67B2および、Wolinella succinogenes由来のsulfidedehydrogenese(sud)と比較した。din1と一致するアミノ酸残基を黒地白抜きで、相同性のあるアミノ酸残基を網掛けで示した。図6 din1ファミリーのコンセンサス領域とrhodanseファミリーのアミノ酸配列の比較din1ファミリーのコンセンサス領域とrhodaneseファミリーの相同領域を抜き出してアミノ酸配列を比較した。3つ以上のタンパク質に共通するアミノ酸残基を図6と同様に示している。sysAはSaccharopolyspora erythraea由来,rhdAはSynechococcus PCC7942由来,rhodanese(rhd)はBos taurus(bovine)由来 |