学位論文要旨



No 113095
著者(漢字) 矢野,明
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,アキラ
標題(和) タバコ培養細胞における過敏感細胞死誘導機構の解析
標題(洋)
報告番号 113095
報告番号 甲13095
学位授与日 1998.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3323号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 助教授 河野,重行
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 生命工学工業技術研究所 室長 進士,秀明
内容要旨 <序論>

 植物は病原体の感染に対する独自の防御機構を備えており、過敏感反応は重要な誘導性の防御機構の一つである。植物は過敏感反応において、活性酸素の生成、細胞壁組成の変化、防御遺伝子の発現などを伴い、速やかに過敏感細胞死をおこして病原体の拡散を防いでいると考えられている。この過敏感細胞死の分子機構は、未だ明らかではない。そこで単純なモデル実験系を用いて、過敏感細胞死を細胞レベルで生化学的、分子生物学的に解析することが有効であると考えられる。本研究では、エリシター及び培養細胞を用いて過敏感細胞死のモデル実験系を確立し、それを用いて細胞死誘導機構の解析を行った。

<結果と考察>1.過敏感細胞死誘導系の確立1-1タバコ培養細胞における過敏感細胞死の誘導

 細胞レベルでの防御応答を解析するには植物培養細胞を用いることが有効である。また植物は感染シグナルとしてエリシター分子を認識し防御反応を誘導していると考えられている。そこで過敏感細胞死を単純な実験系で再現することを目的として、エリシター処理によってタバコ培養細胞に過敏感細胞死を誘導する実験系の確立を試みた。エリシターとしてタバコ(N.tabacum cv.Xanthi)の葉に品種特異的に過敏感反応を誘導することが報告されている、Trichoderma viride由来のキシラナーゼ(TvX)を用い、Xanthi由来の培養細胞株であるXD6Sに対する影響を調べた。XD6S細胞に1g/mlのTvXを24時間処理したところ細胞質及び核の収縮が観察された。この細胞を、死細胞を特異的に染色する蛍光色素、propidium iodide(PI)、と生細胞を特異的に染色する蛍光色素、fluorescein diacetate(FDA)で二重染色したところ60〜70%の細胞が死に至っていた。また細胞死の定量に用いられている色素、Evans blue、で死細胞を経時的に測定したところ処理後3時間から死細胞が増え始め24時間後には、ほぼ定常状態に達することが解った(図1A)。植物の過敏感反応では活性酸素の生成や防御遺伝子発現などの防御応答が起こることが知られており、TvXがXD6S細胞にそれらの防御応答を引き起こすかどうか調べた。培地中のH2O2濃度を測定した結果2〜4時間をピークとしたH2O2の蓄積が見られた(図1B)。また感染防御遺伝子として知られている酸性、及び塩基性キチナーゼ遺伝子の発現誘導がみられた(図1C)。細胞膜のカルシウムチャンネルの阻害剤であるGd3+、La3+をTvXとともに処理したところ、この細胞死が抑制され、過敏感反応の細胞内情報伝達において、細胞外カルシウムイオンの細胞内への流入が重要な役割を果たしているという報告と一致していた。またBY-2細胞がTvXに対して応答しないことから、XD6S細胞に対する細胞死誘導活性は単なる毒性によるものではないことが示された。以上のことからXD6S細胞においてTvX処理に応答して過敏感反応様の現象が起きていることが示唆された。

1-2キシラン分解活性と細胞死誘導活性

 キシラナーゼのタンパク質構造の細胞死誘導活性への影響を調べるため、TvX、TrX(T.reesei由来、大腸菌により生産)、BcX(Bacillus circulans由来)、BsX(B.subtilis由来、大腸菌により生産)の4つのキシラナーゼをタバコ細胞に処理した。TvXとTrX、そしてBcXとBsXはそれぞれ9-8%以上相同なアミノ酸配列を持つが、Trichoderma属とBacillus属のキシラナーゼ間のアミノ酸配列はおよそ50%の相同性を持つ。TvXとTrXは細胞死を誘導したが、BcXとBsXは細胞死を誘導しなかった。このことから単なるキシラン分解活性のみでは細胞死を誘導できないことが明らかになり、TvX及びTrXに極めて特有の酵素活性によって生じるタバコ細胞壁分解産物が細胞死の誘導に関わっている可能性と、TvXおよびTrXのタンパク質構造がタバコに認識されている可能性が考えられた。現在のところ、TvXをタバコ葉あるいはキシランに対して処理しても熱に安定なエリシターが生じないこと、タバコ葉肉プロトプラストに対してもTvXがエリシター活性を持つこと、細胞膜にTvX結合タンパク質が存在することなどが報告されており、TvXタンパク質が直接的に細胞に認識されていると考えられる。

2.p47プロテインキナーゼの過敏感細胞死誘導への関与

 過敏感細胞死は植物細胞にあらかじめプログラムされた機構に従って細胞が死んでいく、いわゆる植物におけるプログラム細胞死の一つであると考えられている。ここでは本研究において確立した過敏感細胞死実験系において、エリシターによる細胞死誘導機構の解析を行った。

 プロテインキナーゼは過敏感反応を含む植物の防御応答において、重要な働きをしているという報告がある。プロテインキナーゼの過敏感細胞死への関与を調べるためにプロテインキナーゼの阻害剤であるスタウロスポリンの効果を調べた。その結果、10Mの濃度において過敏感細胞死が阻害された(図3)。このことからプロテインキナーゼが細胞死誘導に関与している可能性が示唆された。XD6S細胞において、エリシターシグナルに応答して活性化する47kDaのプロテインキナーゼ(p47PK)が同定されている。p47PKの実体は不明であるが、その性質からmitogen-activated-kinase(MAPK)familyに属するプロテインキナーゼであると予想されている。このp47PKが、TvX処理によって活性化されるかどうか調べた。細胞死を誘導しないPhytophthrainfestansエリシターに応答してp47PKは早い、一過的な活性化を示すのに対して、細胞死を誘導するTvX処理ではゆっくりと活性化され、処理後1時間〜4時間にわたって高い活性を持続していた(図4)。またスタウロスポリン処理は細胞死を阻害するとともに、このp47PKの活性化も阻害した。現在のところ、このp47PKの持続的な活性化と、細胞死の誘導との関連は不明である。しかしプロテインフォスファターゼ阻害剤によってp47PKの持続的な活性化を誘導したときにも同様の細胞死がみられることから、この持続的な活性化が細胞死誘導と何らかの関係を持つと考えられる。

3.過敏感細胞死へのセリンプロテアーゼの関与と、活性酸素非依存的過敏感細胞死誘導

 過敏感反応に伴って植物細胞が活性酸素を生成することが知られている。現在この活性酸素は細胞膜に存在するNADPHoxidaseによってO2-として生成され、その後H2O2に変換されて細胞外へ蓄積すると考えられている。このようにして生成したH2O2あるいはO2-がシグナル分子として細胞死誘導に直接的に働いているとする報告がある。そこでXD6S細胞のTvXによる過敏感細胞死誘導における、活性酸素の関与について検討した。

 NADPH oxidaseの特異的な阻害剤であるdiphenylene iodonium(DPI)の効果を調べたところ、TvXによって誘導されるH2O2の蓄積がDPIの同時処理によってコントロールレベルに抑えられた(図5A)。しかしこのとき、過敏感細胞死(図5B)、及びp47PKの活性化は阻害されなかった。同様にO2-のスカベンジャーであるNacetylcysteine(NAC)を処理すると、H2O2の蓄積はコントロールレベルに抑えられたが(図6A)、そのとき細胞死は阻害されなかった(図6B)。また、H2O2をH2OとO2に変換するカタラーゼを処理することによってもH2O2の蓄積は抑えられたが、細胞死は抑制されなかった。以上、TvXによってXD6S細胞に活性酸素の生成が誘導されるが、活性酸素の生成を抑制した場合にも細胞死が誘導されることから、過敏感細胞死が活性酸素を介さない機構によって制御されている可能性が考えられる。

 近年、植物の過敏感細胞死と動物のプログラム細胞死の機構との部分的な類似性が指摘されている。動物のプログラム細胞死ではプロテアーゼが重要な役割を担っていることが示されている。そこで、XD6S細胞のTvXによる過敏感細胞死へのプロテアーゼの関与について検討した。各種のプロテアーゼ阻害剤のTvXによる過敏感細胞死誘導への影響を調べた結果、セリンプロテアーゼの阻害剤が過敏感細胞死を完全に阻害した(図7)。またこのときp47PKの活性化は阻害されなかった。この結果がプロテアーゼ活性の阻害を反映していると仮定するならば、過敏感反応の誘導機構に、プロテアーゼ活性を必要とする細胞死誘導に特有の機構が存在する可能性が考えられる。

<結論>

 本研究では、タバコ培養細胞を用いて過敏感反応死の実験系を確立し、これを用いて細胞死誘導機構の解析を行った。その結果、プロテインキナーゼの持続的な活性化やプロテアーゼが細胞死に関与している可能性、そして過敏感反応時に生成される活性酸素に依存しない細胞死誘導機構が存在する可能性を示唆できた。

 これらの結果は、植物の防御機構の中でも重要な過敏感反応の諸過程を解析するために有用な実験系を提供すると同時に、過敏感細胞死の分子機構の解明に寄与すると考えられる。

図1.Trichoderma virideのキシラナーゼ(TvX)処理によって誘導されるXD6S細胞の過敏感反応A.Evans blue染色による死細胞の定量 B.ルミノールの化学反応によるH2O2蓄積量の測定 C.酸性、塩基性キチナーゼ及びATP synthase遺伝子をプローブとしたノーザン解析図2 XD6S細胞の数種のキシラナーゼに対する反応Evans blue染色による死細胞の定量図3 プロテインキナーゼ阻害剤(Stauroporine)による細胞死の阻害図4 TvX処理によって誘導されるp47protein kinaseの活性化(Myelin basic proteinを基質としたin-gel kinase assay)図5 NADPH oxidase阻害剤(DPI)のTvX誘導性過敏感反応への効果A.DPIによるH2O2蓄積の阻害 B.DPIの過敏感細胞死への効果図6 NACのTvX誘導性過敏感反応への効果A.NACのH2O2の蓄積に対する効果 B.NACの過敏感細胞死への効果図7 プロテアーゼ阻害剤(AEBSF)によるTvX誘導性細胞死の阻害
審査要旨

 本論文では、タバコ培養細胞を用いて過敏感細胞死の実験系を確立し、その系を用いて過敏感細胞死誘導機構を解析している。その結果、過敏感細胞死誘導にタンパク質リン酸化酵素やタンパク質分解酵素が関与している可能性を明らかにしている。

 本論文は3章よりなり、第1章ではまず、エリシターとタバコ培養細胞を用いた過敏感細胞死の誘導機構解析のための実験系について述べている。過敏感細胞死は、過敏感反応においてみられる、植物細胞に備わった機構によっておきる死であると考えられている。過敏感細胞死は、病原体の拡散を防ぐ重要な防御反応であると考えられているが、植物と病原体との相互作用は複雑で生化学的分子生物学的解析が難しいこともあり、その機構は未だ明らかでない。著者は、より単純な実験系で過敏感細胞死を解析することが、その誘導機構の解析に有効であると考え、タバコのキサンチという品種に、特異的に過敏感反応を誘導することが知られているエリシター、糸状菌Trichoderma viride由来のキシラナーゼ(TvX)と、タバコキサンチ由来の培養細胞、XD6S細胞を用いて過敏感細胞死の実験系を確立している。

 本論文以前には、培養細胞を用いて過敏感細胞死を誘導したという報告はなかった。著者は、XD6S細胞にTvXを作用させると、細胞形態の変化を伴う細胞死が数時間のうちに誘導され、さらに活性酸素の発生、酸性及び塩基性キチナーゼ遺伝子の発現誘導といった過敏感反応時に誘導されることが知られている防御反応が起きることを明らかにしている。また、TvXによって引き起こされる細胞死、活性酸素の生成、及びキチナーゼ遺伝子の発現が、細胞膜上のカルシウムチャンネル阻害剤であるGd3+によって抑制され、過去の過敏感細胞死の誘導に細胞外カルシウムイオンの細胞内への流入が重要であるという報告と矛盾しない。またタバコBright Yellow2由来の培養細胞、BY-2細胞がTvXに応答しないことから、XD6S細胞に対する細胞死誘導活性は単なる毒性によるものではないことを明らかにしている。よって、XD6S細胞に過敏感細胞死が誘導されていると考えられる。

 第2章では、第1章で確立した過敏感細胞死誘導系を用いて過敏感細胞死の誘導機構、主にプロテインキナーゼの関与、について解析している。エリシターシグナル伝達において重要な役割を果たしていると考えられているp47プロテインキナーゼの応答を調べた結果、TvXによって持続的な活性化が誘導されることを明らかにしている。また、プロテインキナーゼの阻害剤であるstaurosporineは10Mの濃度において細胞死を阻害し、同時にp47プロテインキナーゼの活性化も阻害した。細胞死が1Mのstaurosporine、にょって促進されるときには、p47プロテインキナーゼは強く活性化されること、また、プロテインフォスファターゼ阻害剤は細胞死とp47プロテインキナーゼの持続的な活性化を誘導することを明らかにした。これらの結果から、細胞死誘導機構におけるp47プロテインキナーゼの役割を論じている。

 第3章では、過敏感反応時に生成される活性酸素と過敏感細胞死誘導機構の関係について解析している。また、過敏感細胞死の誘導にプロテアーゼが関与する可能性を調べている。活性酸素は過敏感細胞死誘導のシグナルの1つであると示唆されている。そこで活性酸素の過敏感細胞死への関与について解析している。活性酸素のスカベンジャーであるNAC、またNADPHoxidaseの阻害剤であるDPI、そして過酸化水素の代謝酵素であるcatalaseは、TvXによって誘導される活性酸素の培地中への蓄積をコントロールレベルに押さえるが、細胞死を阻害しないことが明らかになった。培地中に蓄積する活性酸素は、NADPHoxidaseによって生成されていると考えられるため、DPIは活性酸素の発生そのものをコントロールレベルに押さえていると推定される。従って過敏感細胞死誘導に活性酸素が必要でない可能性が考えられた。また第2章において示したp47プロテインキナーゼの活性化には活性酸素は関与しないことが推測された。プロテインキナーゼカスケードなどの活性酸素を介さない細胞死誘導機構の存在が推測される。また、プロテアーゼの過敏感細胞死への関与を様々なプロテアーゼ阻害剤を使って調べ、セリンプロテアーゼが細胞死の誘導に関与している可能性を見出した。またプロテアーゼはp47プロテインキナーゼの活性化には関与しないことが推測された。これらの結果から過敏感細胞死の誘導機構について論じている。本研究の成果は、今後、過敏感細胞死誘導機構の解明に貢献すると考えられる。

 なお本論文は、鈴木 馨、内宮博文、進士秀明との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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