学位論文要旨



No 113099
著者(漢字) 野中,泰政
著者(英字)
著者(カナ) ノナカ,ヤスマサ
標題(和) Cキナーゼの組織分布
標題(洋)
報告番号 113099
報告番号 甲13099
学位授与日 1998.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1249号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 金ケ崎,士朗
 東京大学 教授 廣澤,一成
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 片山,栄作
内容要旨 [はじめに]

 Cキナーゼ(Protein Kinase C,以後PKCと略す)は細胞内情報伝達系において主要な役割を果たすセリン/スレオニン残基をリン酸化する蛋白リン酸化酵素である.分子生物学的研究によりPKCは少なくとも10数種の異なる分子種からなるファミリーを形成し,分子多様性を有することが明らかにされた.PKCファミリーは分子構造と生化学的性状からcPKC(conventional PKC),nPKC(novel PKC),aPKC(alternative PKC)の3つのグループに分類される.cPKCグループは活性化に細胞膜脂質であるセリンリン脂質(PS),ジアシルグリセロール(DG),Ca2+を必要とし,保存領域C1,C2,C3と非保存領域D1,D2,D3,D4よりなる共通構造をもつ.nPKCとaPKCのグループは,活性化にCa2+を必要とせず.構造的にcPKCのC2領域に相当する領域を欠いている.さらにaPKCグループではcPKCとnPKCグループに共通するC1領域のcystein rich配列が一ヶ所しか存在せず活性化にDGやホルボールエステルを必要としない.我々は角化細胞の分化と増殖の制御メカニズムに関する研究過程で,マウス皮膚cDNAライブラリーから新しいPKC分子種であるnPKCのcDNAクローニングに成功した.これまでにnPKCの酵素学的性質が次第に明らかにされてきているが,生理学的機能に関しては未解明な部分が多い.そこで我々は,nPKC蛋白の組織,細胞分布からその生理的意義を明らかにするためにマウス組織を用いてイムノブロットと免疫染色法により検討した.

[材料・方法]

 6週から7週齢のICRマウスの各種臓器及び胎生16日目のICRマウスの皮膚を用いイムノブロットおよび免疫染色によりnPKC,aPKC,cPKCの発現を検討した.検出には各PKC分子種に特異的なポリクローナル抗体を用いた.イムノブロットは,組織抽出蛋白をBradford法により蛋白定量し,10%SDS-PAGEを施行後,ブロティングし抗PKC抗体にて検出した.抗nPKC抗体の特異性を検討するためにバキュロウイルス発現系による組み換えnPKCを作製しイムノブロットを施行した.免疫染色は4%PFA/PBSで固定後,パラフィン包埋し4m厚の切片を作製した.切片は脱パラし,抗PKC抗体と反応後SAB-PO法にて発色させ顕微鏡観察に供した.

[結果]イムノブロットによるCキナーゼ分子種の組織分布I)nPKCの発現分布

 抗nPKC抗体ではすべて組織において82KDaと約91KDaの2本のバンドがみられた.特に,nPKCは上皮系,主に重層上皮(舌,食道,前胃,気管支,細気管支等)によく発現していた.

II)aPKCの発現分布

 抗aPKC抗体では75kDaと80kDaの二本のバンドがすべての組織で検出された.特に,小腸,大腸,肺で強い発現がみられ.次に脳,前胃,腺胃,腎臓でよく発現していた.50kDaのバンドは腺上皮を有する消化管(腺胃,十二指腸,小腸,大腸)でのみ検出された.

III)cPKCの発現分布

 抗cPKC抗体ではすべての組織で80KDaのバンドが検出された.特に脳,肺,小腸,大腸で濃いバンドがみられた.

免疫染色における抗PKC抗体の特異性の検討

 抗nPKC抗体では胎児表皮の顆粒層が強く染色されたが,基底層ではほとんど染色性はみられなかった.成体では基底上層がよく染色された.基底層では胎児と同様にほとんど染色性はみられなかった.

 抗aPKC抗体では胎児の毛乳頭の細胞と真皮の間質細胞の一部に最も強い染色をみとめた.表皮ではすべての細胞層でほぼ同程度に弱い染色性をみとめた.成体では表皮,特に基底層と毛包がよく染色された.

 抗cPKC抗体では胎児では表皮全層に中等度の染色をみとめた.成体では表皮全層がよく染色され,特に基底層が強く染色された.

免疫染色によるCキナーゼ分子種の組織細胞分布I)内胚葉(endoderm)

 抗nPKC抗体では消化器系では舌,前胃,小腸,呼吸器系では肺胞でよく染色された.

 抗aPKCでは腺胃,十二指腸,小腸,大腸の上皮の先端部により強い染色性がみられた.

 抗cPKCではすべての上皮で中等度以上の染色がみられた.

II)外胚葉(ectoderm)

 抗nPKC抗体ではすでに示したように,表皮では胎児及び成体でよく染色された.大脳の視床や海馬の錐体細胞層,小脳のプルキニエ細胞で強い染色性がみられた

 aPKC抗体では松果体や脳室上皮細胞がよく染色された.

 抗cPKC抗体では胎児及び成体の表皮,大脳では分子層および放線間交織,小脳のプルキニエ細胞がよく染色された.

III)中胚葉(mesoderm)

 抗nPKC抗体では尿管の被蓋細胞がよく染色された.

 抗aPKC抗体では糸球体,卵巣の夾膜ルテイン細胞がよく染色された.

 抗cPKC抗体では尿細管,糸球体,卵巣の夾膜ルテイン細胞,膣がよく染色された.

[考察]

 nPKCは,イムノブロットにより上皮系組織全体によく発現し,さらに免疫染色により上皮の分化した細胞でよく発現していた.増殖する基底細胞ではほとんど発現してないことが示され,nPKCは上皮細胞の分化に関与することが推測された.nPKCがクローニングされた皮膚では最も特徴的な発現パターンを示し,終末分化した顆粒層にのみ発現し,基底層などの他の細胞層にはほとんど発現していなかった.最近,nPKCの活性化にコレステロール硫酸(CS)も関係していることがわかった.

 CSは皮膚をはじめ舌,食道,前胃,気管支,細気管支等の重層上皮の分化した細胞に多く分布している.nPKCとCSは皮膚の分化だけでなく,重層上皮全般の分化に関与することが示唆される.

 CSで活性化されないcPKCは皮膚で発現がみられるがnPKCと異なり,角化細胞の分化段階に関係なく,細胞の恒性維持に関与する機能に関与することが示唆された.最近の報告では,種々の細胞の核機能や細胞骨格制御に関与する結果が得られている.

 cPKCとaPKCのイムノブロットでは低分子量バンドが出現した.これはPKCの限定分解産物であり,一般にはカルパインによると報告されている.cPKCではカルパインの組織分布と相関していたが,aPKCでは相関せず,消化管の腺上皮組織でのみ見られ,特異的な別の分解過程の存在が示唆された.さらにaPKCは免疫染色でこれらの上皮の分化した細胞に特異的に強く発現しており,これらの組織に特異的な生理機能に関与している可能性が考えられる.aPKCのin vivoでの活性化機構は現在のところ不明であるが,in vitroで限定分解されることで活性化することが示されており,消化管腺上皮において類似した機構で活性化し機能を発現している可能性が考えられる.

 nPKCでは低分子量バンドはみられず,蛋白分解酵素に対してcPKCとaPKCに比して抵抗性が高いと考えられた.これはPKCに特異的に結合し活性化するホルボールエステルを培養ヒト角化細胞に添加した実験においてc-PKCはダウンレギュレートされるが,nPKCはダウンレギュレートされないことと関連し.nPKCがホルボールエステルによるマウス皮膚化学発癌実験系において持続的に活性化し種々の蛋白基質をリン酸化し,腫瘍発生において重要な役割を演じていると考えられた.

[まとめ]

 nPKCは上皮の分化,特に皮膚をはじめ重層上皮の分化に関与し,その活性化因子としてCSが重要であることが示唆された.

 aPKCは腺上皮,特に消化管においては特異的な限定分解による活性化機構が存在し,その生理機能に関与している可能性が示唆された.

 cPKCはすべての組織に普遍的に分布し,細胞の恒常性維持に関与していることが示唆された.

審査要旨

 本研究は,細胞内情報伝達系において主要な役割を果たす蛋白リン酸化酵素であるCキナーゼ(Protein Kinase C,PKC)のファミリーとして,新たにクローニングされたnPKCの生理的機能をその組織細胞分布を検討し,組織細胞の機能との相関性において解析を試みたものであり,下記の結果を得ている.

 1.nPKCは皮膚では最も特徴的な発現パターンを示した.終末分化した顆粒層にのみ発現し,基底層などの他の細胞層では発現せず,nPKCの活性化に関係するコレステロール硫酸(CS)の細胞分布と一致していた.このことからnPKCがCSを介し,角化細胞の分化に関与する可能性が示された.

 2.nPKCはCSが多く分布している組織で多く発現していることが示された.さらに,CSは上皮では重層上皮の分化した細胞に多く分布するが,それに一致してnPKCが多く発現していることから重層上皮の分化に関与する可能性が示された.

 3.CSで活性化されないcPKCも皮膚で発現がみられたがnPKCと異なり,角化細胞の分化段階に関係なく発現していることが示された.さらに,検討したすべての組織細胞でほぼ一様に発現していることから細胞の恒常性維持に関与する可能性が示された.

 4.cPKCとaPKCのイムノブロットでは限定分解産物に相当する低分子量バンドがみられた.cPKCではカルパインの組織分布と相関したが,aPKCでは相関せず,消化管の腺上皮組織に特異的にバンドがみられた.さらにaPKCは免疫染色でこれらの上皮の分化した細胞に特異的に強く発現しており,カルパイン以外の特異的な分解過程を伴い,消化管の腺上皮に特異的な生理機能に関与する可能性が示された.

 5.nPKCのイムノブロットでは低分子量バンドはみられず,蛋白分解酵素に対してcPKCとaPKCに比して抵抗性が高いことが示された.培養ヒト角化細胞でTPAによりnPKCがダウンレギュレートされないことと関連しており,TPAによるマウス皮膚化学発癌実験系において持続な活性化を生じて種々の蛋白基質をリン酸化し,腫瘍発生に関与している可能性が示された.

 以上本論文はnPKCのマウス組織細胞における分布からその生理的意義を明らかにした.本研究はこれまで未知に等しかったnPKCの生理的機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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