学位論文要旨



No 113102
著者(漢字) 樫原,英俊
著者(英字)
著者(カナ) カシハラ,ヒデトシ
標題(和) 虚血性心疾患危険因子に関する症例対照研究 : 首都圏総合健診施設継続受診者を対象として
標題(洋)
報告番号 113102
報告番号 甲13102
学位授与日 1998.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1252号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 橋本,修二
 東京大学 助教授 木内,貴弘
内容要旨 はじめに

 わが国における心疾患と脳血管疾患をあわせた循環器疾患の死亡率は総死亡の31.0%(1995年)を占める。特に心疾患死亡率は1965年には人口10万対77.0人だったのが漸増し、1993年には人口10万対145.6に増加した。しかし心疾患は、死亡診断書の書き方の改訂に先立ち、1994年に終末期の状態としての「心不全」を死亡診断書に書かないように周知されて以降減少し、1995年には112.0となった。一方、虚血性心疾患の死亡率は1965年には人口10万対28.5人であったが、1970年頃から約40人でほぼ横這いとなっていたが、死亡診断書の書き方の改訂により、原死因によるよる死亡診断名が記載されることが増えたため、1995年には60.8と増加した。今後、高齢社会を迎えることにより、ますます虚血性心疾患の増加が予測され、虚血性心疾患の予防は重要な課題である。虚血性心疾患の予防には1次予防が重要であり、そのためには危険因子の同定が必要である。

 欧米では虚血性心疾患の死亡率が高かったため、大規模なコホート研究によって危険因子が特定され、高血圧、高脂血症、喫煙が3大危険因子といわれている。しかし、日本においては心疾患死亡率より、脳血管疾患死亡率の方が高率であったため、循環器疾患対策は脳血管疾患に重点が置かれてきた。また、住民検診を基盤とした大規模なコホート研究を行っても、虚血性心疾患死亡率が低かったため、症例数がそれほど大きくならず、研究結果としての発表は少なく、日本人の虚血性心疾患危険因子が欧米と同じかどうかは結論が出ていない。

 わが国では、昭和40年頃から健診が行われるようになり、現在では欧米諸国と比較して総合健診が広く行われていることが特徴となっている。しかし、虚血性心疾患1次予防のための危険因子を同定する研究はあまりされていない。

 虚血性心疾患の危険因子を最も反映していると考えられる発症前直近のデータを用いて危険因子を特定することは、意義が大きいと思われる。また、発症までの危険因子の経年変化についても明かではなく、これを明らかにすることは危険因子管理の上で重要なことと思われる。総合健診継続受診者においては、発症前の経年的な検査データを調査することができるので、これらの研究が可能になるものと思われる。

 また、虚血性心疾患の中で狭心症の危険因子を別個に検討した研究は日本では少ない。狭心症は心筋梗塞の前駆疾患としてその予防の意義はきわめて大きいと考えられるが、疫学的に検討する場合には、狭心症の診断基準が曖昧になりやすいため、あまり研究されていないと考えられる。総合健診受診者では受診後の経過を追跡することができるので、狭心症と診断された者のみを患者群として、狭心症の危険因子の研究ができると考えられる。

 本研究では東京都区部にある総合健診施設の継続受診者を対象とすることによって、東京を中心とした首都圏在住者の心筋梗塞および狭心症発症の直前の危険因子および、危険因子の継続的変化を明らかにすることを目的とした。

方法1.対象

 1987年1月から1994年7月までに東京都区部にある1総合健診施設を受診した男性、延べ159,286人、実人数45,203人を母集団とした。患者群は最終健診受診時に虚血性心疾患の既往がなく、かつ受診後1年以内に心筋梗塞および狭心症を発症した男性受診者とした。心筋梗塞発症者は、心筋梗塞の診断名にて死亡、入院した者、心筋梗塞の発症をその後の安静時心電図で確認した者で46名(59±9才、35〜81才)である。また、狭心症発症者は冠動脈造影検査あるいは心筋シンチグラフィー検査で診断された者、経皮経管的冠動脈拡張術(PTCA)あるいは冠動脈バイパス手術(CABG)を受けた者で狭窄が確認されたもの33名(62±8才、48〜78才)である。発症直前の健診受診時のデータを本研究の発症前1年以内のデータとし、これを用いて対照群のマッチングを行った。対照群は年齢、健診受診年月日、過去の健診受診回数をマッチングして、各患者1人に対して5人設定した。

2.検討項目

 発症前1年以内、6年前、11年前の各種検査データ、心電図異常の有無、高血圧の状況、糖尿病および高脂血症の治療状況、問診項目を検討した。検査データは、安静時収縮期血圧(SBP)、安静時拡張期血圧(DBP)、血清総コレステロール(TC)、中性脂肪(TG)、空腹時血糖(FBS)、赤血球数(RBC)、白血球数(WBC)、ヘモグロビン(Hb)、ヘマトクリット(Ht)、血沈1時間値(ESR)、尿酸(UA)、BMIである。問診項目は胸の痛み、動悸・息切れ、喫煙状況、アルコール摂取頻度について検討した。胸の痛みは「みぞおちや胸板の後ろが重苦しく、しめつけられるように痛む」、動悸・息切れは「坂や階段を昇ると動悸・息切れがはげしい」という質問項目で調査した。喫煙状況は、喫煙指数により、0、400未満、800未満、1200未満、1200以上の5水準に分類した。アルコール摂取頻度は、「飲まない」「月に1〜2回程度」「週に1〜2回程度」「ほぼ毎日」の4水準で調査した。喫煙状況およびアルコール摂取頻度は発症前約1年の健診時の問診を用いた。

統計分析単変量解析

 各年毎に、患者群と対照群で数値データの比較には対応のないt検定を用いた。また、カテゴリーデータで水準が3つ以上の場合にはウィルコクソンの順位和検定を行った。データが2つの場合にはオッズ比の点推定と有意性検定のために1対5のマッチド解析をMantel-Haenszel法を用い行った。

多変量解析

 単変量解析で有意確率20%未満であった変数を独立変数とし、患者群か対照群かを従属変数として探索的に条件付き多重ロジスティック回帰分析をステップワイズ法で行った。解析はWindows版SAS Release6.11を用いて行った。

結果表1.結果の要約(1)単変量解析

 発症1年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは白血球数、空腹時血糖、総コレステロール、対数変換後の中性脂肪、血沈1時間値、高血圧の状況、喫煙指数、高脂血症治療の有無、問診における動悸・息切れの有無、胸の痛みの有無、および心電図判定であった。また、狭心症について有意な差が見られたのは収縮期血圧、拡張期血圧、血沈1時間値、問診における動悸・息切れの有無、胸の痛みの有無、および心電図判定であった。

 発症6年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは白血球数、総コレステロール、高血圧の状況、心電図判定であった。また、狭心症について有意な差が見られたのは総コレステロール、問診における動悸・息切れの有無であった。

 発症11年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは総コレステロールのみであった。また、狭心症について有意な差が見られたのは総コレステロールと対数変換後の中性脂肪であった。

(2)多変量解析

 発症1年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロール、胸の痛みの有無、空腹時血糖、喫煙指数、高血圧治療の有無であった。また、狭心症について選択された変数は動悸・息切れの有無、心電図所見、胸の痛みの有無、収縮期血圧、血沈1時間値であった。

 発症6年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロール、心電図所見、動悸・息切れの有無であった。また、狭心症について選択された変数は空腹時血糖と動悸・息切れの有無であった。

 発症11年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロールのみであった。

 また、狭心症について選択された変数は空腹時血糖のみであった。

考察

 本研究においては、虚血性心疾患危険因子を首都圏の男性を対象として抽出した。欧米では、心筋梗塞の危険因子は、Framingham Studyのような大規模なコホート研究やその他多くの研究により、高血圧、高コレステロール血症、喫煙であることが明らかにされてきた。本研究においても、発症1年以内のデータで多変量解析した結果はほぼ同様であった。また、小町らによると、日本人の心筋梗塞の危険因子は一定のパターンにしぼれないとし、農村部では高血圧を長期間持続した結果である場合が多く、都市部では高コレステロール血症が関与している場合が多いと報告しており、本研究でも11年前から総コレステロール高値が多変量解析で危険因子として選択され、都市部の心筋梗塞発症者の危険因子の特徴を示していた。心筋梗塞危険因子の経年的変化では、発症に近い健診時ほど、選択された危険因子の数が多く、複数の危険因子が重なって発症に至ることが示された。

 虚血性心疾患の中で狭心症の危険因子を別個に検討した研究は少ない。理由として考えられるのは、患者の選定が難しいということが挙げられるが、本研究の狭心症患者は、方法で述べたとおり確実に冠動脈に狭窄があったことが確認された患者である。発症前1年以内のデータで選択された危険因子は動悸・息切れ有り、胸の痛み有り、心電図判定、血沈1時間値、収縮期血圧であり、検査データと共に問診や心電図判定の方が重要であることが示された。経年的な危険因子の経過についての検討においても、比較的直近の健診においてのみ問診や心電図所見が危険因子として選択され、健診において自覚症状や心電図の変化に注目すべきものと思われた。また、血沈は本邦独自の健診検査項目であるが、狭心症1年前の危険因子として選択されたことは直近におけるフィブリノーゲン上昇の関与が示唆された。

審査要旨

 本研究は、東京を中心とした首都圏在住者の心筋梗塞および狭心症発症の直前の危険因子および、危険因子の継年的変化を明らかにすることを目的として、東京都区部にある総合健診施設を1987年1月から1994年7月までに受診した男性、延べ159,286人、実人数45,203人を母集団として、最終健診受診時に虚血性心疾患の既往がなく、かつ受診後1年以内に心筋梗塞および狭心症を発症した受診者を患者群として、症例対照研究を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.心筋梗塞

 心筋梗塞危険因子は11年前では単変量解析および多変量解析ともに総コレステロール値のみであり、5年前では単変量解析では白血球数、総コレステロール値、高血圧の状況、心電図所見であり、多変量解析では総コレステロール値、心電図所見有り、動悸息切れ有りであった。さらに心筋梗塞発症前1年以内では、単変量解析では白血球数、空腹時血糖値、総コレステロール値、対数変換後の中性脂肪、血沈1時間値、高血圧の状況、高脂血症、動悸息切れ、胸の痛み、心電図所見、喫煙状況、アルコール摂取頻度であり、多変量解析では、総コレステロール値、胸の痛み、空腹時血糖値、喫煙状況、高血圧の状況であった。

2.狭心症

 狭心症発症の危険因子は11年前では単変量解析では総コレステロール値、中性脂肪であり、多変量解析では空腹時血糖値であり、6年前では単変量解析では動悸息切れ有り、総コレステロール値であり、多変量解析では動悸息切れ有り、空腹時血糖値であった。心筋梗塞と比較して、空腹時血糖値の関与が危険因子として大きいものと考えられ、日本人の狭心症の特徴を示していると思われた。さらに狭心症発症前1年以内では、単変量解析では動悸息切れ有り、胸の痛み有り、心電図判定、血沈1時間値、収縮期血圧、拡張期血圧であり、多変量解析では、動悸息切れ有り、胸の痛み有り、心電図判定、血沈1時間値、収縮期血圧であった。

 以上、本論文は首都圏総合健診継続受診者を対象として虚血性心疾患に関する症例対照研究を行うことにより、今まで行われていない東京を中心とした首都圏在住者の虚血性心疾患危険因子を発症前の検査データを参照して特定することができ、今後の虚血性心疾患1次予防に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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