はじめに わが国における心疾患と脳血管疾患をあわせた循環器疾患の死亡率は総死亡の31.0%(1995年)を占める。特に心疾患死亡率は1965年には人口10万対77.0人だったのが漸増し、1993年には人口10万対145.6に増加した。しかし心疾患は、死亡診断書の書き方の改訂に先立ち、1994年に終末期の状態としての「心不全」を死亡診断書に書かないように周知されて以降減少し、1995年には112.0となった。一方、虚血性心疾患の死亡率は1965年には人口10万対28.5人であったが、1970年頃から約40人でほぼ横這いとなっていたが、死亡診断書の書き方の改訂により、原死因によるよる死亡診断名が記載されることが増えたため、1995年には60.8と増加した。今後、高齢社会を迎えることにより、ますます虚血性心疾患の増加が予測され、虚血性心疾患の予防は重要な課題である。虚血性心疾患の予防には1次予防が重要であり、そのためには危険因子の同定が必要である。
欧米では虚血性心疾患の死亡率が高かったため、大規模なコホート研究によって危険因子が特定され、高血圧、高脂血症、喫煙が3大危険因子といわれている。しかし、日本においては心疾患死亡率より、脳血管疾患死亡率の方が高率であったため、循環器疾患対策は脳血管疾患に重点が置かれてきた。また、住民検診を基盤とした大規模なコホート研究を行っても、虚血性心疾患死亡率が低かったため、症例数がそれほど大きくならず、研究結果としての発表は少なく、日本人の虚血性心疾患危険因子が欧米と同じかどうかは結論が出ていない。
わが国では、昭和40年頃から健診が行われるようになり、現在では欧米諸国と比較して総合健診が広く行われていることが特徴となっている。しかし、虚血性心疾患1次予防のための危険因子を同定する研究はあまりされていない。
虚血性心疾患の危険因子を最も反映していると考えられる発症前直近のデータを用いて危険因子を特定することは、意義が大きいと思われる。また、発症までの危険因子の経年変化についても明かではなく、これを明らかにすることは危険因子管理の上で重要なことと思われる。総合健診継続受診者においては、発症前の経年的な検査データを調査することができるので、これらの研究が可能になるものと思われる。
また、虚血性心疾患の中で狭心症の危険因子を別個に検討した研究は日本では少ない。狭心症は心筋梗塞の前駆疾患としてその予防の意義はきわめて大きいと考えられるが、疫学的に検討する場合には、狭心症の診断基準が曖昧になりやすいため、あまり研究されていないと考えられる。総合健診受診者では受診後の経過を追跡することができるので、狭心症と診断された者のみを患者群として、狭心症の危険因子の研究ができると考えられる。
本研究では東京都区部にある総合健診施設の継続受診者を対象とすることによって、東京を中心とした首都圏在住者の心筋梗塞および狭心症発症の直前の危険因子および、危険因子の継続的変化を明らかにすることを目的とした。
結果表1.結果の要約(1)単変量解析 発症1年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは白血球数、空腹時血糖、総コレステロール、対数変換後の中性脂肪、血沈1時間値、高血圧の状況、喫煙指数、高脂血症治療の有無、問診における動悸・息切れの有無、胸の痛みの有無、および心電図判定であった。また、狭心症について有意な差が見られたのは収縮期血圧、拡張期血圧、血沈1時間値、問診における動悸・息切れの有無、胸の痛みの有無、および心電図判定であった。
発症6年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは白血球数、総コレステロール、高血圧の状況、心電図判定であった。また、狭心症について有意な差が見られたのは総コレステロール、問診における動悸・息切れの有無であった。
発症11年前のデータで心筋梗塞について有意な差が見られたのは総コレステロールのみであった。また、狭心症について有意な差が見られたのは総コレステロールと対数変換後の中性脂肪であった。
(2)多変量解析 発症1年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロール、胸の痛みの有無、空腹時血糖、喫煙指数、高血圧治療の有無であった。また、狭心症について選択された変数は動悸・息切れの有無、心電図所見、胸の痛みの有無、収縮期血圧、血沈1時間値であった。
発症6年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロール、心電図所見、動悸・息切れの有無であった。また、狭心症について選択された変数は空腹時血糖と動悸・息切れの有無であった。
発症11年前のデータで心筋梗塞について選択された変数は総コレステロールのみであった。
また、狭心症について選択された変数は空腹時血糖のみであった。
考察 本研究においては、虚血性心疾患危険因子を首都圏の男性を対象として抽出した。欧米では、心筋梗塞の危険因子は、Framingham Studyのような大規模なコホート研究やその他多くの研究により、高血圧、高コレステロール血症、喫煙であることが明らかにされてきた。本研究においても、発症1年以内のデータで多変量解析した結果はほぼ同様であった。また、小町らによると、日本人の心筋梗塞の危険因子は一定のパターンにしぼれないとし、農村部では高血圧を長期間持続した結果である場合が多く、都市部では高コレステロール血症が関与している場合が多いと報告しており、本研究でも11年前から総コレステロール高値が多変量解析で危険因子として選択され、都市部の心筋梗塞発症者の危険因子の特徴を示していた。心筋梗塞危険因子の経年的変化では、発症に近い健診時ほど、選択された危険因子の数が多く、複数の危険因子が重なって発症に至ることが示された。
虚血性心疾患の中で狭心症の危険因子を別個に検討した研究は少ない。理由として考えられるのは、患者の選定が難しいということが挙げられるが、本研究の狭心症患者は、方法で述べたとおり確実に冠動脈に狭窄があったことが確認された患者である。発症前1年以内のデータで選択された危険因子は動悸・息切れ有り、胸の痛み有り、心電図判定、血沈1時間値、収縮期血圧であり、検査データと共に問診や心電図判定の方が重要であることが示された。経年的な危険因子の経過についての検討においても、比較的直近の健診においてのみ問診や心電図所見が危険因子として選択され、健診において自覚症状や心電図の変化に注目すべきものと思われた。また、血沈は本邦独自の健診検査項目であるが、狭心症1年前の危険因子として選択されたことは直近におけるフィブリノーゲン上昇の関与が示唆された。