学位論文要旨



No 113104
著者(漢字) 酒井,郁子
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,イクコ
標題(和) 脳血管障害患者のうつ状態の把握方法について
標題(洋)
報告番号 113104
報告番号 甲13104
学位授与日 1998.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1254号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
 東京大学 講師 斎藤,正彦
内容要旨 Iはじめに

 脳血管障害患者はうつ状態が出現しやすいことが指摘されている。またうつ状態があることで身体運動機能の維持や活用が困難になることが報告されており、患者の生活を再構築していくうえで、うつ状態があることの影響は重大なものがある。

 しかし脳血管障害患者のうつ状態はアセスメントが困難で見逃されやすく、治療を受けにくいという問題点がある。理由として3点が挙げられる。第一に、言語障害、認知障害および麻痺によるADL障害などのような脳血管障害特有の症状によってうつ状態の把握が困難になりやすいこと、第二に、脳血管障害患者の回復過程にかかわる精神科専門スタッフの不足に関係した、リハビリテーションに関わる医療者のうつ状態に関する知識不足、第三にうつ状態になっている人ほど評価に必要な情報が得られにくいという、うつ状態そのもののアセスメントの困難さ、である。

 以上のような特徴をもつ脳血管障害患者のうつ状態を、看護者がアセスメントすることは重要である。脳血管障害後のうつ状態は、同復過程のどの時期でも起こりうるが、看護職は患者の回復過程において、急性期、回復期、リハビリテーション、地域での在宅生活を継続的に観察できる専門職であるからである。また看護者がケアを通して患者の状態を総合的に把握していくことは、情報量も多く、患者への負担も少ない。

 そのためには精神科専門ではない看護婦が脳血管障害患者のうつ状態を把握する際に活用することのできるアセスメントツールの開発が必要である。アセスメントツールに必要な条件として、以下のことがあげられる。言語障害のある患者のうつ状態の評価も可能であること、麻痺やほかの神経症状とうつ症状が区別できること、使用に際して特別なトレーニングは必要でなく、簡便に使用できること、妥当性と信頼性が確保されていることである。

 以上から、本研究の研究目的は以下の3点である。1)脳血管障害患者の日常生活やケアへの反応の観察から、うつ状態を把握するためのチェックリストの作成2)作成されたチェックリストの妥当性と信頼性の検討3)リハビリテーション専門施設に入院中の脳血管障害患者のうつ状態の変化、および患者属性との関連性の検討

II研究方法1脳血管障害患者のうつ状態を把握するためのチェックリストの作成

 リハビリテーション専門施設における脳血管障害患者の行動の参加観察、及びリハビリテーション病棟勤務経験3年以上の看護者への半構造化面接を通して、脳血管障害患者のうつ症状の非言語的表現や行動、合計270項目を収集しアイテムプールとした。内容妥当性の検討を行い、80項目を選択し、これを使用して、予備調査を行った。その結果を分析し、信頼性、及び妥当性の低い項目を削除し60項目として、構成概念に関する理論的検討を行った。この60項目を、Check List For Post Stroke Depression(CPSD)と命名した。

2CPSDの妥当性、及び信頼性の検討

 調査期間は1995年8月1日から1996年8月31日だった。調査対象は関東地方の2カ所の公立リハビリテーションセンターに入院している脳血管障害患者252人(女性110人43.7%、平均年令64.0才SD10.8)であった。対象についてCPSDを用いてうつ状態を評価した。そして、理論的に検討したCPSDの構成概念を因子分析を用いて確認した。次に精神科医の診断と臨床心理士の評価を外的基準として判別妥当性について検討した。さらに交差妥当性について検討した。また信頼性としてCronbachの信頼性係数の算出を行い内的一貫性を検討し、再テスト法によって安定性の検討を行った。

3入院中のCPSD合計点の変化と関連要因

 対象者について、入院後1カ月(TIME1)と退院前の2回(TIME2)にわたって、CPSDを使用したうつ状態の評価を行った。そして属性、脳神経症状、機能障害の程度などとCPSD合計点の変化との関連を分析した。また入院中のADLおよびその変化とCPSD合計点との関連、CPSD合計点とうつ状態の治療状況の関連を分析した。

III結果及び考察1CPSDの特徴

 CPSDはうつ状態を表している症状のなかでも、行動として表される非言語的な症状、及び観察可能な客観的な症状を他者が評価するためのチェックリストである。また従来では評価が困難であった、失語症患者のうつ状態の評価にも有効であることが示唆された。

2CPSDの妥当性1)構成概念(表)

 理論的にCPSDの構成概念を検討し、かつ確認的因子分析を行った結果、CPSDは8つの構成概念からなる47項目のチェックリストであることが確認された。CPSDの構成概念は「易疲労性」「気力の減退」「抑うつ気分」「コミュニケーションの回避」「焦燥感、こだわり」「引きこもり」「生活意欲の低下」「思考力、集中力の低下」であり、これらの概念はDSM-IVの大うつ病エピソード診断基準とほぼ対応していると考えられた。

2)判別妥当性

 特異度、敏感度ともに十分であると考えられたが、さらに調査時の条件を厳密に設定して検討する必要があると考えられた。

3)交差妥当性

 リハビリテーション専門施設における交差妥当性は十分であると考えられたが、今後性質の異なる調査場所における交差妥当性の検討が必要であると考えられた。

3CPSDの信頼性

 CPSD全体の内的一貫性は充分確保されていた。また安定性はCPSD全体では十分であると考えられたが「コミュニケーションの回避」「焦燥感、こだわり」の2つの構成概念項目群では安定性は低く今後項目の表現を工夫する必要があると考えられた。

4脳血管障害患者のうつ状態の変化、および患者属性との関連性1)治療状況

 CPSD高得点群に対する抗うつ剤の投与率は低かった。とくに失語症患者がほとんどうつ状態の治療を受けていなかった。

2)退院時のBarthel Index得点とCPSDの関連性

 入院時のCPSD合計点が退院時のBarthel Index得点に影響していた。うつ状態の存在がリハビリテーション施設における長期的な機能の再獲得を阻害している可能性が示唆された。

3)入院中のCPSD合計点の変化、および患者属性との関連性

 発症からの期間、座位保持機能、うつ病既往歴、虚血性心疾患既往歴、コミュニケーション能力とCPSD合計点は関連が見られた。

 また脳損傷部位とCPSD合計点との関連については、TIME1もTIME2もともに、右半球損傷患者のCPSD得点が有意に高かった。加えて認知障害のあるもののCPSD合計点はTIME1、およびTIME2ともに有意にCPSD得点が高かった。

 逆に失語症のあるものはTIME2に有意にCPSD得点が低下していた。

5研究の限界と今後の課題

 本研究では、判別妥当性のための基準として、ほかのうつ判別スケールを使用して比較していない。また精神科医の診断を基準とした判別妥当性については完全にブラインドテストとして設定できなかったため、調査方法の設定を工夫してから、再検討する必要がある。またCPSDの妥当性のさらなる洗練を行う必要がある。とくに構成概念を再検討し、認知障害を測定してしまう項目がないか詳しく分析する必要がある。

 リハビリテーション専門施設での交差妥当性は十分であるが、急性期病棟や、一般病棟、地域での交差妥当性は不明であるため今後検討していく必要がある。因子によって安定性が低いものもあった。看護者の評価のしかたについての説明が不十分であった可能性があるため今後工夫していく必要がある。

 以上のようにCPSDを洗練したうえで、CPSDを使用して、今まで研究対象からはずれていた失語症患者のうつ状態に関する研究を行っていくことは重要である。

 つぎに血管障害患者のうつ状態について、特徴や、タイプ、さらなる関連要因の分析が必要である。特に自己の障害の意味付け、ソーシャルサポート、障害に対するコーピングや態度、希望、など患者の心理社会的な背景についても検討していく必要がある。

 また脳血管障害患者の看護に携わる看護者に対して、CPSDを使用したうつ状態のアセスメント能力の教育プログラムの開発および教育効果の検証も必要である。

表 CPSD(47項目)の因子分析結果
審査要旨

 本研究は把握が困難であると指摘されている脳血管障害患者のうつ状態を、看護者が患者の日常生活の観察やケアへの反応から把握するためのチェックリストの作成を行い、その信頼性および、妥当性の検討を試みたものであり、また作成されたチェックリストを使用して実際の脳血管障害患者のうつ状態の変化および、患者属性と関連性との検討を行ったものである。研究結果として以下の結果を得ている。

 1 作成された脳血管障害患者のうつ状態を把握するためのチェックリストCheck List for Post Stroke Depression(CPSD)の特徴は、うつ状態を表している症状の中でも、行動として表される観察可能で、かつ非言語的な症状を他者である看護者が評価することが可能であるということである。また言語による症状の訴えの項目が含まれていないことから、従来では評価が困難であった失語症患者のうつ状態の評価にも有効である。

 2 理論的にCPSDの構成概念を検討し、その項目群に対して確認的因子分析を行った結果、CPSDは8つの構成概念からなる47項目のチェックリストであることが確認された。CPSDの構成概念は「易疲労性」「気力の減退」「抑うつ気分」「コミュニケーションの回避」「焦燥感、こだわり」「引きこもり」「生活意欲の低下」「思考力、集中力の低下」であった。

 また判別妥当性は特異度、敏感度とも十分であると考えられた。

 交差妥当性もリハビリテーション専門施設においては十分であることが確認された。

 3 CPSD全体の内的一貫性、および安定性は十分であることが確認された。しかし構成概念のうち「コミュニケーションの回避」「焦燥感、こだわり」では安定性が低く今後表現を工夫するなどの対策が必要であると考えられた。

 4 リハビリテーション専門施設に入院中の脳血管障害患者のうち、CPSD高得点群の患者に対する抗うつ剤の投与率は低かった。とくに失語症患者はほとんどうつ状態の治療が受けられていなかった。また入院時のCPSD合計点が退院時のADL状況に影響していた。うつ状態の存在がリハビリテーション専門病院における、長期的な機能の再獲得を阻害している可能性があり、脳血管障害患者のリハビリテーションの効率を低下させていることが示唆された。

 次に患者の脳血管障害発症からの期間、座位保持機能、うつ病既往歴、虚血性心疾患既往歴、コミュニケーション能力とCPSD合計点は関連が見られた。脳損傷部位とCPSD合計点との関連については入院時も退院時もともに右半球損傷患者のCPSD合計点が有意に高かった。加えて認知障害のあるもののCPSD合計点は入院時、退院時ともにCPSD合計点が有意に高かった。失語症のあるものは退院時に有意にCPSD合計点が低下していた。

 以上、本論文は脳血管障害患者のうつ状態を看護者が患者の日常生活の観察やケアへの反応から把握するためのテェックリストを作成し、その信頼性および、妥当性の検討を行ったものであり、かつ作成されたチェックリストを使用して、脳血管障害患者のうつ状態の変化および患者属性との関連性の検討を行ったものである。

 本研究はこれまで十分に信頼性および妥当性が検討された測定用具がなかったために看護援助だけでなく研究も困難であることが指摘されてきた脳血管障害患者のうつ状態の把握方法の開発にとって重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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