学位論文要旨



No 113106
著者(漢字) 林,慶澤
著者(英字)
著者(カナ) イム,キョンテク
標題(和) 日本の地方都市における商家の家業と社会的関係 : 千葉県佐原市の事例分析
標題(洋)
報告番号 113106
報告番号 甲13106
学位授与日 1998.03.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第135号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 助教授 中村,雄祐
 東京大学 助教授 岩本,通弥
内容要旨

 本論は、日本の地方小都市において家業としての商業を営む商家に注目し、資本主義下における「家」観念および制度、「家」の国家的・社会的意味について、その実態と特質の変遷を解明することを目的としている。それとともに、都市人類学的視点から日本の都市における商家のあり方と都市の地域社会との関係について検討し、そして、家業の変化が求められる厳しい状況の背景として、現代日本資本主義と商業に関するミクロな分析と民族誌的記述を目指している。

 商家のもつ「家」としての特質を把握するためには、生態学的、社会経済的背景との関連についての考察がその前提になる。第一部では、それを念頭に置きつつ、都市性の問題、資本主義の発展と商業・商家との関連、そして国家機構、法体系と商家の関係の有り様を、政策や制度の歴史をも含めて考察する。まず、調査地佐原の民族誌的概観を、単純な事実を寄せ集め、配列するより、商家の生態学的な背景である都市的特性に照準を定め、一般的に都市の主要な特性といわれる中心性、流動性、多様性を中心に描く。都市の形成過程に関する分析からは、日本における都市形成の特徴を覗き見ることもできる。そして、日本的な特徴として、この中心性は孤立主義ではないこと、常に周りとの比較が前提となること、日本のなかの佐原、関東のなかの佐原でなければならないことが明らかになる。次に、人口構成の変遷や人口の移動状況、そして商家の流動的性格を通じて、都市社会特有の流動性について検討する。それから、都市の多様性とその共存のあり方を、地域社会内の集団と組織、空間構成、商家の類型と機能などを通じて記す。

 商家の生態学的背景である都市に関する分析を前提に、商家を論ずる背景として、資本主義の発展がもたらす、商業および商家への影響を解き明かす。商家がその家業である商業を営むに当たって、ぶつからざるを得ない社会経済的環境を、商業政策と諸法令、商業構造や消費動向を中心に、その実態を把握してみる。

 商家における「家」について、国家が家産を含め、「家」を掌握する方式、明治民法における「家」の再編成、戸籍と「家」の結び付きなどを制度史の流れに沿って説き、そのうえ、いまなお廃止されたはずの「家」と家業が、実質上存続できる法律的余地あるいは根拠を探ってみる。そして、日本の資本主義経済と「家」の相互規定関係を眺望する。これによって、「家」に、そのかなりの部分を依存している日本資本主義の特性をみることができる。また、現代日本社会の研究における「家」とりわけ商家研究の意味とその重要性を浮き彫りにするであろう。このことは、これまでの(とりわけ欧米人による)人類学・社会学分野における「家」研究で等閑視してきた、社会単位としての「家」の実体について、多くの示唆を与えるであろう。

 そのために、「家」のアイデンティティを表す事項に関して分析する。それは、社会的単位としての「家」を意味づける諸要素について、社会的慣習・法律的制度・物的基盤・言語と宗教などの側面にわけて考察する。とりわけ、これまでの「家」研究の分野において、副次的事項として扱ってきた、「家」と物との結び付きあるいは「家」の物的な基盤について取り上げる。このことは、物によって規定され、また物によって確認され、あるいは物によって実現される日本人のアイデンティティのあり方を取り上げるためにも、十分分析に値すると考える。

 そのような同一性を帯びている「家」の家業の経営に関して分析する。1947年の民法改正によって、法律上の「家」の廃止が行われ、「家」が夫婦を単位とする家族や世帯を意味するようになった現在でも、日本人のうちには、先祖から子孫へと繋がるものが「家」だという感覚はどれほどが生きていると思われる。しかも、改正民法の妥協的な諸規定、とりわけ氏および戸籍制度の存置、祭祀継承に関する規定などによって、実体としての習俗上の「家」が存続しうる余地が残された。そのなかで、「家」を事実上存続せしめる契機になっているもの、実体としての「家」を成立せしめるものの一つが家業である。近世時代の身分制度によって固定化された家業は、勿論、その時代の経済的政治的影響を受けて没落あるいは新たに成立してきたことは近世以来の歴史のなかで明らかにすることができよう。そのような家業の歴史的変容と現況を分析することによって、「家」の本質を明らかにし、現在におけるその実態を究明しようとするのが本部の目的の一つでもある。つまり、家業の担う累代性と重層性の現代的存在構造の一端を明らかにしようとするのである。

 つぎは、商家における「家」の相続と家業の承継について、各「家」の過去帳や家系図の内容を参考にしながら、聞き取りによって追求した実態的な把握を加えて、そのあり方を再検討する。まず、商家は、土地を主たる家産とする農家とは違う家産を持っている。その家産のあり方を分析し、相続されるものが何かを明らかにする。また、家系と家業の承継が分離したり、長男相続の理想から逸脱した事例などをも分析することによって、商家相続の本質を究明しようとする。そして、商家は家産のあり方から家業である商業の持つ営業的な流動性のため、相続の際、問題が生ずるのがしばしばであり、法的処理を受ける場合もある。このような事例をも含めて、商家の「暖簾を継ぐ」ということの意味を把握しようとする。そこには「家意識」や「家業意識」などが克明に現れるであろう。

 商家の経営は、これまで述べてきたような商家内部の組織ややり方だけでは成り立たないものである。商家にとって、その生活の手段となる生業としての商業は、彼らのように物を売る側のほか、まず物の造り手の生産者と物の買い手の顧客があってはじめて成立するものであり、だからこそ社会一般すなわち世間の評判や信用に依存するところが多いのである。ただ良い品を揃えただけで、顧客が集まるとは限らない。土地を耕し自然を相手に生活する農家に対して、人間を相手に生計を立てているのが商家である。したがって、その経営は世間との関わりのなかで、すなわち生産者であるメーカー(製造元)や職人、仕入先である問屋をはじめとする同業者、とくに職商人の場合には原料の供給地でもあり、買い手にもなる農家、そして一般顧客等々、地域社会の多種多様な人間関係が介在することによって維持されるのである。このような根拠から、商家をめぐって生ずる社会関係やその関係のなかで行われる社会的交換について分析する。

 最後に、商家が社会的に結んでいる関係を分析する。まず、問屋の流通機能から発生する関係、すなわち、地元佐原で卸売を営んでいる問屋としての商家が、小売業者といかなる関係を結んでいるかを分析することによって、日本全体の流通体系のなかで全国的な組織網をもっている大型流通店とは違って、地域社会に基盤をもつ流通業者のあり方に関してもみることにする。つぎに、顧客との関係を考察する。

 そして、商家と地域社会の関係を商家同士での近隣関係や、「旦那衆」と呼ばれる商家の当主が中心となる町内の活動と運営を分析する。これを通じて、「家」と人との社会単位としての町内、相互認知の生活集団としての町内の本質を明らかにする。そして、各商家の共通の利害関係に立って形成される商店会という独特な地域社会を分析する。

 このような社会的関係の分析を通じて、日本における地方都市において、「家」がその基本単位になっている点を浮き彫りにする。それは日本の都市のなかに内在する構造的特性を明らかにすると同時に、そこから「家」研究と都市研究を結ぶ結節点が見出されるであろう。そして、社会的諸関係の変化に対応して、商家がどのような戦略を採っていくのかを集中的に分析する。これは、佐原の商家が、利用可能な資源をいかに利用して変化に対処するのかを分析しようとする。そこには、新たな商品開発や販売方式の開発、そして古くから住んできた自分たちの家屋を「町並保存」という名目のもとに、観光資源化していく姿が浮き彫りになってくる。そのような商家の活動が、地域活性化運動として、行政とも係わってくることから、地域社会における商家の位置づけがわかるであろう。

 前述した過程を通じて、結論的に次のようなことが言えると考えられる。1947年の新民法により、確かに「家」制度自体は廃止されたものの、家業によって実体化される「家」は、現在でも日本の都市社会に生きていることが判った。商家の取引が、「家」同士で長い関係を結んでおり、顧客との関係も時代の変遷とともに、変質してきてはいるものの、「家」間の関係を解体するまでは至らなかった。そして、都市における生活集団である町内は、徹底的に「家」をその単位としており、その「家」のかくによって、生活集団内の秩序がつくられている。このように、「家」が近代資本主義体制下の都市のなかで、実体として存在しうるのは、もっとも封建的家業の維持がその根拠となっているのである。

 また、その家業経営の状況は、年々厳しくなっているが、地方都市の場合では、中央からの大型店との差別化戦略(専門化)、新しい商品開発、地域活性化運動等々、様々な方法で解決していこうとする。その背景には、家業を守ろうとする意識が強く存在していることを忘れてはならない。

審査要旨

 本論文は、日本の地方商業都市における家業と町内組織を、文化人類学における民族誌の手法によって記述と分析を行ったものであり、千葉県佐原市における四年におよぶ現地調査に基づいている。

 本論文は序章に続いて、第一部(第一章〜第二章)第二部(第三章〜第五章)第三部(第六章〜第八章)の三部で構成され、結論と今後の課題で結んでいる。

 序章では、はじめに日本社会研究における従来の「家」研究の流れと論点の整理がなされ、家業経営としての側面の重要性が主張されてきたにも係わらず、家業そのものに対する具体的な分析がなされていないことを指摘しており、次いで、日本の都市に関するこれまでの研究においても、商家の商業活動や社会関係の具体的な記述と分析が不十分であったため、「家」研究と都市研究が結びつかなかった事を指摘して、本論文における課題と研究展望が示されている。

 第一部では、佐原における商家をとりまく諸環境として、水路および陸路交通の発達と新田開発にともなう都市の形成過程と、幕藩制から明治期および戦前戦後を経て今日に到る商業の変遷と都市の発展について、商圏の変遷、町家と町並みの形成と都市の空間構造、行政と商業の関連に焦点をおいて歴史資料と統計資料によって跡付けており、佐原における人口流動と商家の変遷を記述している。その上で、こうした歴史性と地域性によってもたらされた都市の空間構成の多様性と秩序について町家と町並の様式に着目して記述している。

 第二部では、佐原における「家」と家業経営の実際について、その「店」と「奥」の空間区分に対応した内部成員の性別・役職別分化のあり方、家訓に表出された経営理念の分析を通して、家業経営の自律性と閉鎖性が示されている。また、家業ごとに特異な知識や技能が家業に内部化している一方では、経営の長である旦那に求められる教養として家業に直接関わらない歴史などのような一般的教養が求められるという指摘も貴重である。次いで、家業の伝統や信用と結びついた物的基盤として、店舗、門構え、看板、屋根、梁、敷居や、暖簾、印半纏、提灯、道具類などの物の象徴的・社会的意味が分析され、家業およびその「家」の成員のアイデンティティ-において、人と物との連続性が指摘されている。また家業の継承においては、こうした物的な象徴以外にも屋号と襲名、先祖に対する観念と位牌祭祀、神棚や屋敷神の祭りなどを通して家業の連続性が表現されていることを分析しており、実際の家業の相続と暖簾分けによる分家の過程については、これに関わる諸要因を具体的な事例に即して記述している。そして消費動向や流通体系の変化にともなう近年の新しい状況のもとでの商家の家業経営についても、顧客の変化に応じた顧客管理や商品開発等の具体的な戦略の分析を通してその適応性を指摘している。

 第三部では、社会単位としての「家」とその社会的諸関係について、国家における「家」の位置づけと統制、資本主義経済の発展過程における「家」の位置づけ、商家の家業経営の変化と「家」の法人化、流通制度と取引関係、地域社会としての町内の自治的組織、利害と互助、旦那衆と威信構造をとりあげている。その中でも、「家」が地域社会において担う公的な役割と結びついた「株」と「家格」という概念は、これまで具体的に取り上げられてこなかったものであり、その分析によって、今日なお「家」が役割と威信を担う社会単位として存続し機能していることを明らかにしている。従来の都市研究が町内における共同性と調和の側面を提示してきたのに対して、本論文では互助性や協調性と同時に明確な威信体系と位階的な構造が存在すること、それが個々の「家」に止まらず町内どうしの威信や位階的な地位にも反映しているという指摘は説得力がある。こうした「家」と町内における威信と位階的な伝統がとりわけ祭礼の場で儀礼的に表現されているという指摘も、「家」研究と地域組織(町内)研究における儀礼研究(祭礼研究)の有効性という観点からも注目される。また近年の住民や行政による地域振興においてもこうした文化的・社会的が深く影響を及ぼしているという指摘も貴重である。

 本論文は、日本の都市社会においてもっとも基本的であるにも係わらず、これまで文化人類学的研究において軽視されがちであった商業組織の伝統的特質について、集約的な現地調査によって具体的かつ綿密に論じた点で高く評価される。

 これまで歴史学や経営史学においては商家の研究として豪商や旧財閥経営の事例研究があり、また一般の商家については社会学における商家同族団の研究があるが、地域社会における多様性と流動性を踏まえ、社会経済的な状況の変化の中で動的に扱った研究は前例がない。また、伝統都市における町内などの地域組織の民俗慣行については民俗学における近年の研究があるが、「家」研究を商業・都市との関連において捉え、しかも特定の家業の事例に留まらずに現代の地方都市における全般的な脈絡をふまえながら具体的かつ詳細な民族誌に基づいて分析した研究はこれまでに前例がない。日本社会の構成単位としての「家」についての研究は数多いが、従来の研究が主として農家の事例について、主としてその内的な構造を論じてきたのに対して、本論文では商家の家業に注目して、外的な状況と関係性を踏まえて「家」の柔軟性と適応性を浮き彫りにしており、資本主義の発展のもとで現代なお「家」が商家経営の上で、また都市の自治的組織である町内においても基本的な構成単位として機能している実態を明らかにしているのは、文化人類学による現代日本研究の成果として高く評価される。本論文はまた、古文書等の歴史資料の活用による通時的視点と、参与観察による共時的観察・記述の総合に成功している点、国家や地域の巨視的な視点と「家」における微視的な視点とを総合している点、柳田国男らの都市-農村連続論を踏まえつつも農村とは異なる多様性と適応性を前提とした都市的な地域社会の特質を明らかにしている点、また行政や法制史と地域社会における文化社会的伝統との相互関連を論じている点、社会研究においても物質文化研究を重視した点など、文化人類学の視点と方法を充分に発揮した民族誌として高く評価される。

 こうした密度の高い包括的て研究を可能としたのは、外国人としてのハンデを克服した抜群の言語能力と、四年間にわたる住民としての参与研究に対する地元の人々からの全面的ともいえる支援によるものであることを付言しておく。

 その一方で、具体的資料による論証がやや不十分な箇所と、図表にもう少し詳細な説明を要する箇所が審査委員から指摘されており、出版に際してはこうした点に配慮する必要がある。しかし、細部においてはこうした難点があるにせよ、それは本論文の高い学術的評価をなんら損なうものではない。

 以上のとおり、本論文は現代の日本社会を対象とする文化人類学における優れた学術的な成果であり、審査委員会は本論文が博士の学位授与に相応しいものと認める。

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