本論は、日本の地方小都市において家業としての商業を営む商家に注目し、資本主義下における「家」観念および制度、「家」の国家的・社会的意味について、その実態と特質の変遷を解明することを目的としている。それとともに、都市人類学的視点から日本の都市における商家のあり方と都市の地域社会との関係について検討し、そして、家業の変化が求められる厳しい状況の背景として、現代日本資本主義と商業に関するミクロな分析と民族誌的記述を目指している。 商家のもつ「家」としての特質を把握するためには、生態学的、社会経済的背景との関連についての考察がその前提になる。第一部では、それを念頭に置きつつ、都市性の問題、資本主義の発展と商業・商家との関連、そして国家機構、法体系と商家の関係の有り様を、政策や制度の歴史をも含めて考察する。まず、調査地佐原の民族誌的概観を、単純な事実を寄せ集め、配列するより、商家の生態学的な背景である都市的特性に照準を定め、一般的に都市の主要な特性といわれる中心性、流動性、多様性を中心に描く。都市の形成過程に関する分析からは、日本における都市形成の特徴を覗き見ることもできる。そして、日本的な特徴として、この中心性は孤立主義ではないこと、常に周りとの比較が前提となること、日本のなかの佐原、関東のなかの佐原でなければならないことが明らかになる。次に、人口構成の変遷や人口の移動状況、そして商家の流動的性格を通じて、都市社会特有の流動性について検討する。それから、都市の多様性とその共存のあり方を、地域社会内の集団と組織、空間構成、商家の類型と機能などを通じて記す。 商家の生態学的背景である都市に関する分析を前提に、商家を論ずる背景として、資本主義の発展がもたらす、商業および商家への影響を解き明かす。商家がその家業である商業を営むに当たって、ぶつからざるを得ない社会経済的環境を、商業政策と諸法令、商業構造や消費動向を中心に、その実態を把握してみる。 商家における「家」について、国家が家産を含め、「家」を掌握する方式、明治民法における「家」の再編成、戸籍と「家」の結び付きなどを制度史の流れに沿って説き、そのうえ、いまなお廃止されたはずの「家」と家業が、実質上存続できる法律的余地あるいは根拠を探ってみる。そして、日本の資本主義経済と「家」の相互規定関係を眺望する。これによって、「家」に、そのかなりの部分を依存している日本資本主義の特性をみることができる。また、現代日本社会の研究における「家」とりわけ商家研究の意味とその重要性を浮き彫りにするであろう。このことは、これまでの(とりわけ欧米人による)人類学・社会学分野における「家」研究で等閑視してきた、社会単位としての「家」の実体について、多くの示唆を与えるであろう。 そのために、「家」のアイデンティティを表す事項に関して分析する。それは、社会的単位としての「家」を意味づける諸要素について、社会的慣習・法律的制度・物的基盤・言語と宗教などの側面にわけて考察する。とりわけ、これまでの「家」研究の分野において、副次的事項として扱ってきた、「家」と物との結び付きあるいは「家」の物的な基盤について取り上げる。このことは、物によって規定され、また物によって確認され、あるいは物によって実現される日本人のアイデンティティのあり方を取り上げるためにも、十分分析に値すると考える。 そのような同一性を帯びている「家」の家業の経営に関して分析する。1947年の民法改正によって、法律上の「家」の廃止が行われ、「家」が夫婦を単位とする家族や世帯を意味するようになった現在でも、日本人のうちには、先祖から子孫へと繋がるものが「家」だという感覚はどれほどが生きていると思われる。しかも、改正民法の妥協的な諸規定、とりわけ氏および戸籍制度の存置、祭祀継承に関する規定などによって、実体としての習俗上の「家」が存続しうる余地が残された。そのなかで、「家」を事実上存続せしめる契機になっているもの、実体としての「家」を成立せしめるものの一つが家業である。近世時代の身分制度によって固定化された家業は、勿論、その時代の経済的政治的影響を受けて没落あるいは新たに成立してきたことは近世以来の歴史のなかで明らかにすることができよう。そのような家業の歴史的変容と現況を分析することによって、「家」の本質を明らかにし、現在におけるその実態を究明しようとするのが本部の目的の一つでもある。つまり、家業の担う累代性と重層性の現代的存在構造の一端を明らかにしようとするのである。 つぎは、商家における「家」の相続と家業の承継について、各「家」の過去帳や家系図の内容を参考にしながら、聞き取りによって追求した実態的な把握を加えて、そのあり方を再検討する。まず、商家は、土地を主たる家産とする農家とは違う家産を持っている。その家産のあり方を分析し、相続されるものが何かを明らかにする。また、家系と家業の承継が分離したり、長男相続の理想から逸脱した事例などをも分析することによって、商家相続の本質を究明しようとする。そして、商家は家産のあり方から家業である商業の持つ営業的な流動性のため、相続の際、問題が生ずるのがしばしばであり、法的処理を受ける場合もある。このような事例をも含めて、商家の「暖簾を継ぐ」ということの意味を把握しようとする。そこには「家意識」や「家業意識」などが克明に現れるであろう。 商家の経営は、これまで述べてきたような商家内部の組織ややり方だけでは成り立たないものである。商家にとって、その生活の手段となる生業としての商業は、彼らのように物を売る側のほか、まず物の造り手の生産者と物の買い手の顧客があってはじめて成立するものであり、だからこそ社会一般すなわち世間の評判や信用に依存するところが多いのである。ただ良い品を揃えただけで、顧客が集まるとは限らない。土地を耕し自然を相手に生活する農家に対して、人間を相手に生計を立てているのが商家である。したがって、その経営は世間との関わりのなかで、すなわち生産者であるメーカー(製造元)や職人、仕入先である問屋をはじめとする同業者、とくに職商人の場合には原料の供給地でもあり、買い手にもなる農家、そして一般顧客等々、地域社会の多種多様な人間関係が介在することによって維持されるのである。このような根拠から、商家をめぐって生ずる社会関係やその関係のなかで行われる社会的交換について分析する。 最後に、商家が社会的に結んでいる関係を分析する。まず、問屋の流通機能から発生する関係、すなわち、地元佐原で卸売を営んでいる問屋としての商家が、小売業者といかなる関係を結んでいるかを分析することによって、日本全体の流通体系のなかで全国的な組織網をもっている大型流通店とは違って、地域社会に基盤をもつ流通業者のあり方に関してもみることにする。つぎに、顧客との関係を考察する。 そして、商家と地域社会の関係を商家同士での近隣関係や、「旦那衆」と呼ばれる商家の当主が中心となる町内の活動と運営を分析する。これを通じて、「家」と人との社会単位としての町内、相互認知の生活集団としての町内の本質を明らかにする。そして、各商家の共通の利害関係に立って形成される商店会という独特な地域社会を分析する。 このような社会的関係の分析を通じて、日本における地方都市において、「家」がその基本単位になっている点を浮き彫りにする。それは日本の都市のなかに内在する構造的特性を明らかにすると同時に、そこから「家」研究と都市研究を結ぶ結節点が見出されるであろう。そして、社会的諸関係の変化に対応して、商家がどのような戦略を採っていくのかを集中的に分析する。これは、佐原の商家が、利用可能な資源をいかに利用して変化に対処するのかを分析しようとする。そこには、新たな商品開発や販売方式の開発、そして古くから住んできた自分たちの家屋を「町並保存」という名目のもとに、観光資源化していく姿が浮き彫りになってくる。そのような商家の活動が、地域活性化運動として、行政とも係わってくることから、地域社会における商家の位置づけがわかるであろう。 前述した過程を通じて、結論的に次のようなことが言えると考えられる。1947年の新民法により、確かに「家」制度自体は廃止されたものの、家業によって実体化される「家」は、現在でも日本の都市社会に生きていることが判った。商家の取引が、「家」同士で長い関係を結んでおり、顧客との関係も時代の変遷とともに、変質してきてはいるものの、「家」間の関係を解体するまでは至らなかった。そして、都市における生活集団である町内は、徹底的に「家」をその単位としており、その「家」のかくによって、生活集団内の秩序がつくられている。このように、「家」が近代資本主義体制下の都市のなかで、実体として存在しうるのは、もっとも封建的家業の維持がその根拠となっているのである。 また、その家業経営の状況は、年々厳しくなっているが、地方都市の場合では、中央からの大型店との差別化戦略(専門化)、新しい商品開発、地域活性化運動等々、様々な方法で解決していこうとする。その背景には、家業を守ろうとする意識が強く存在していることを忘れてはならない。 |