内容要旨 | | 本論文は,主観的判断の一つである主観的幸福(Subjective Well-Being)を題材に,被験者の心的過程(mental process)を外化する手法,内省に基づく報告(introspective reports,以下プロトコルという)の有効性を検討するものである。加えて,主観的幸福について被験者が外化する認知的構造(cognitive structures)を中心として分析を行い,その構造と実際に下された主観的幸福の評価との関係を明らかにする。 プロトコル・データは実験心理学的データと比べて信頼性に劣るものの,心的過程を直接的に外化できるという利点を持つ。しかし,ShiffrinとSchneider(1977)が指摘するように類似の心的過程が繰り返される際,その過程は自動化されやすく,FreedmanとShaver(1975)の調査が示唆するように主観的幸福の判断も日常的に繰り返されている。本論文が対象とする心的過程が自動化されていないとしても,少なくともSchwarzとStrack(1991)や本論文の一部が示唆するように,短時間で処理が終わるなどの自動化された心的過程と同様の特徴を持っており,信頼性の高い同時プロトコルによって被験者が判断過程で何が行われているかを開示することは困難である。したがって,この種の心的過程の分析にプロトコルを活用するには有効性の検討が必要である。 本論文は8章からなる。 1章では,本論文の問題意識を明らかにする。主観的幸福の研究者の関心が,主観的幸福の説明要因の探求から主観的幸福の形成過程の分析へと移行したことを指摘し,さらに,その形成過程が被験者の主観の領域に属すことを踏まえた上で,この主観性を軽視した従来の研究が持つ問題点を論じる。 2章では,主観的幸福に関する先行研究及びプロトコルの活用に関する先行研究を概観する。 3章では,本論文の目的と枠組みを提示する。初めに,本論文の主たる目的が,被験者の主観的判断過程を外化する手法の理論化,その手法の有効性の評価検討,その応用の3つであることを明らかにする。ついで,被験者の判断過程を外化する手法について議論を行い,外化の枠組みの担い手(被験者,観察者,両者の共同)と外化される対象(判断過程の内容,判断過程の時間的パタンと空間的パタン)の2軸によって,その手法が分類されることを明らかにする。最後に,この分類に基づいて本論文の射程を示す。 4章では,観察者の枠組みを用いて外化されたプロトコルの分析を行う。すなわち,提示された判断要因のセットを用いて自身の判断の枠組みが被験者によって外化され,その内容と主観的幸福の関係が分析される。具体的には,主観的幸福の回答後に選択項目としてあげられたカテゴリを判断基準として主観的幸福を判断したかが被験者に質問され,その回答をダミー変数として導入した重回帰分析が行われる。本章で行う分析は2種類ある。第一は,生活程度を従属変数,収入などの外的変数を独立変数とした分析であり,第二は,生活全般に対する満足度を従属変数,趣味や友人関係における満足度などの内的変数を独立変数とした分析である。前者から,関連するカテゴリが判断基準とされた場合には従属変数として取り上げた変数のほとんどが,そうでない場合に比べて有意に大きく判断過程に影響を与えることが示される。後者では,同様の結果が,趣味における満足度及び被験者の回答時の気分に関してみられる。 ついで,第二の分析と同じ調査のデータを用いて,特定のカテゴリの判断基準を採用した被験者の特徴の分析を行う。分析に用いた特徴は、上記のカテゴリに関連する活動を行う頻度,被験者の生活環境,被験者により採点された各々のカテゴリの重要性である。分析には,データの種類に応じて分散分析及び2検定を用いる。分析の結果,特定のカテゴリを判断基準としている被験者の方が,そのカテゴリの重要性を高く見積もりやすく,また,それに関連する活動を行う頻度も高いことが示される 5-7章では,被験者の枠組みにしたがって外化されたプロトコルの検討を行っている。5章はそのようなプロトコルの比較を行い,6,7章ではこの比較において両極端を示した文章による回顧プロトコルと発話による同時プロトコルを分析する。 5章では,主観的幸福の判断過程に関する4形式のプロトコル,文章による同時及び回顧プロトコル,発話による同時及び回顧プロトコルを比較する。具体的には,生活満足度,プロトコルの情報量,熱中/心配している事項への言及頻度を従属変数とした2要因((文章,発話)×(同時,回顧))の分散分析を行う。その結果,判断された生活満足度自体には4形式の間で差がなく,また,プロトコルの情報量には文章回顧≒文章同時>発話回顧>発話同時の順で表される有意な影響があることが示される。一方,熱中している事項に言及する頻度には差がないものの,心配している事項に言及する頻度は,文章によるプロトコルで有意に高いことが明らかにされる。つまり,信頼性の問題をひとまず棚上げすれば,回顧プロトコルは判断過程の背後にある認知的構造を分析するデータとして多くの意味ある手がかりを提供することが示唆される。 6章では,発話による同時プロトコルを分析する。ここでは,プロトコルや被験者自身による事後的特徴づけによって得られた回答過程の特徴と反応時間や回答時間等を用いたロジスティック回帰による比較分析を行う。その結果,反応時間や回答時間は回答過程の特徴と有意に相関することが示されている。このことは,取り上げた特徴が心的過程の実態を適切に表現することを示唆する。とりわけ重要な点は,直感的に判断したとする被験者において反応時間が有意に短いことである。これは、実際に被験者が綿密な判断過程を経ることなく反射的に判断したことを示唆する。さらに,そのような被験者の数が全体の16/24であることから,多くの被験者にとって主観的幸福を判断する過程を同時プロトコルによって開示することは困難であるといえる。すなわち,発話による同時プロトコルは判断過程の実態をよく外化するものの,判断過程の背後に被験者がもつ認知的構造を外化する手法としては不十分である。 7章では,文章による回顧プロトコルを分析する。まず,プロトコルを一定の規則にしたがってセンテンスに切り分け,そのセンテンスをポジティブまたはネガティブな事項に言及するものとそれ以外(中立的なもの)という3つのカテゴリーに分類し,そのポジティブとネガティブなセンテンスの数を独立変数として,従属変数である生活満足度を回帰する分析を行う。その結果,ポジティブ及びネガティブなセンテンスの数は,許容度(0.925)から判断して多重共線性によるものではなく,生活満足度をよく説明することが明らかになる。また,R2は約0.6であり,従来の研究で用いられた独立変数群と比較しても,少ない変数で高い説明力を示す。この分析結果は,各センテンスが示す事項のインパクトの大小を考慮せずとも高い説明力を示すという点では,日常経験に関するDienerら(1991)の研究とも整合的である。 次に,Maslow(1954)の欲求の5段階説にしたがって分析を行い,プロトコルを用いた分析の応用例を示す。具体的には,上述の分析で切り分けたセンテンスを,生理的欲求,安全の欲求,所属と愛の欲求,承認の欲求,自己実現の欲求の各々に関連するもの,5つに分類し,分析する。最初に各センテンスが分類された欲求の段階の被験者ごとの平均を求めて,それと主観的幸福の判断結果との関係を回帰分析によって検討し,有意な関係がないことを示す。ついで,被験者を,最初のセンテンスでどの段階の欲求に言及するかにより5つのカテゴリに,また最後のセンテンスでどの段階に言及するかの5つのカテゴリに各々分類し,さらに,言及順序との関係を調べるために最初と最後のセンテンスで言及する欲求の段階はどちらが高いか(あるいは等しいか)の3つのカテゴリに分けて,各々の分類に対して生活満足度を従属変数とする分散分析を行う。その結果,前2者の分類においては生活満足度に有意な差はないものの,欲求の段階への言及順序に関わる最後の分類においては有意な差があり,高次の欲求から低次の欲求へと被験者が言及していく場合に生活満足度は他と較べて有意に低いことが示される。このことは,認知的構造における欲求段階の被験者による位置づけが判断結果に影響を与えることを示唆する。 8章では,結論として,プロトコル,特に回顧プロトコルを用いた分析の有効性を議論し,ついでプロトコル分析によって明らかにされる主観的幸福の特徴を検討する。そして最後に,今後の課題を指摘する。 初めに,4-7章までの分析結果をEricssonとSimonの研究と比較しながら,内省に基づく報告が単なる被験者の後付け的説明を示すものではなくて,主観的幸福の判断結果に反映される被験者の持つ判断枠組みを明らかにすること,すなわち主観的幸福研究において有効なアプローチであることを示している。その根拠として,(1)プロトコル・データは客観的な指標と整合的であり,そして(2)そのデータから個々の被験者のみに当てはまる特徴ではなくて,被験者に共通の有意味な関係が導かれること,があげられる。また,プロトコル分析が主観的幸福の研究において有効なアプローチであることの特筆すべき点として,4章と7章にみられるように,自動的とも考えられる判断過程の背後にある特徴が回顧プロトコルを用いて外化できることが,あげられる。ついで,このように有効なアプローチを用いる分析の可能性を示すために,各章で得られた結果から主観的幸福の判断過程の性質を検討し,その認知的構造を明らかにする。さらに,この成果に基づいて主観的幸福研究において課題となっていた因果関係の問題を論じ,判断過程そのものはtop-down的であるものの,その背後にある判断の枠組みがbottom-up的であり,従来の議論がこの両者を混同したものであることを示す。 最後に,今後の課題として回顧プロトコルとDienerら(1991)の手法と組み合わせた分析をすすめることが必要であることを指摘する。 |