学位論文要旨



No 113110
著者(漢字) 調,麻佐志
著者(英字)
著者(カナ) シラベ,マサシ
標題(和) 被験者の内省的報告を用いた主観的判断過程の分析 : 主観的幸福を題材として
標題(洋) An Analysis of Processes of Subjective Judgment Using Subjects’ Own Introspective Reports : Focusing on Subjective Well-Being
報告番号 113110
報告番号 甲13110
学位授与日 1998.03.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第139号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平澤,れい
 東京大学 教授 永野,三郎
 東京大学 教授 鈴木,賢次郎
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 繁桝,算男
内容要旨

 本論文は,主観的判断の一つである主観的幸福(Subjective Well-Being)を題材に,被験者の心的過程(mental process)を外化する手法,内省に基づく報告(introspective reports,以下プロトコルという)の有効性を検討するものである。加えて,主観的幸福について被験者が外化する認知的構造(cognitive structures)を中心として分析を行い,その構造と実際に下された主観的幸福の評価との関係を明らかにする。

 プロトコル・データは実験心理学的データと比べて信頼性に劣るものの,心的過程を直接的に外化できるという利点を持つ。しかし,ShiffrinとSchneider(1977)が指摘するように類似の心的過程が繰り返される際,その過程は自動化されやすく,FreedmanとShaver(1975)の調査が示唆するように主観的幸福の判断も日常的に繰り返されている。本論文が対象とする心的過程が自動化されていないとしても,少なくともSchwarzとStrack(1991)や本論文の一部が示唆するように,短時間で処理が終わるなどの自動化された心的過程と同様の特徴を持っており,信頼性の高い同時プロトコルによって被験者が判断過程で何が行われているかを開示することは困難である。したがって,この種の心的過程の分析にプロトコルを活用するには有効性の検討が必要である。

 本論文は8章からなる。

 1章では,本論文の問題意識を明らかにする。主観的幸福の研究者の関心が,主観的幸福の説明要因の探求から主観的幸福の形成過程の分析へと移行したことを指摘し,さらに,その形成過程が被験者の主観の領域に属すことを踏まえた上で,この主観性を軽視した従来の研究が持つ問題点を論じる。

 2章では,主観的幸福に関する先行研究及びプロトコルの活用に関する先行研究を概観する。

 3章では,本論文の目的と枠組みを提示する。初めに,本論文の主たる目的が,被験者の主観的判断過程を外化する手法の理論化,その手法の有効性の評価検討,その応用の3つであることを明らかにする。ついで,被験者の判断過程を外化する手法について議論を行い,外化の枠組みの担い手(被験者,観察者,両者の共同)と外化される対象(判断過程の内容,判断過程の時間的パタンと空間的パタン)の2軸によって,その手法が分類されることを明らかにする。最後に,この分類に基づいて本論文の射程を示す。

 4章では,観察者の枠組みを用いて外化されたプロトコルの分析を行う。すなわち,提示された判断要因のセットを用いて自身の判断の枠組みが被験者によって外化され,その内容と主観的幸福の関係が分析される。具体的には,主観的幸福の回答後に選択項目としてあげられたカテゴリを判断基準として主観的幸福を判断したかが被験者に質問され,その回答をダミー変数として導入した重回帰分析が行われる。本章で行う分析は2種類ある。第一は,生活程度を従属変数,収入などの外的変数を独立変数とした分析であり,第二は,生活全般に対する満足度を従属変数,趣味や友人関係における満足度などの内的変数を独立変数とした分析である。前者から,関連するカテゴリが判断基準とされた場合には従属変数として取り上げた変数のほとんどが,そうでない場合に比べて有意に大きく判断過程に影響を与えることが示される。後者では,同様の結果が,趣味における満足度及び被験者の回答時の気分に関してみられる。

 ついで,第二の分析と同じ調査のデータを用いて,特定のカテゴリの判断基準を採用した被験者の特徴の分析を行う。分析に用いた特徴は、上記のカテゴリに関連する活動を行う頻度,被験者の生活環境,被験者により採点された各々のカテゴリの重要性である。分析には,データの種類に応じて分散分析及び2検定を用いる。分析の結果,特定のカテゴリを判断基準としている被験者の方が,そのカテゴリの重要性を高く見積もりやすく,また,それに関連する活動を行う頻度も高いことが示される

 5-7章では,被験者の枠組みにしたがって外化されたプロトコルの検討を行っている。5章はそのようなプロトコルの比較を行い,6,7章ではこの比較において両極端を示した文章による回顧プロトコルと発話による同時プロトコルを分析する。

 5章では,主観的幸福の判断過程に関する4形式のプロトコル,文章による同時及び回顧プロトコル,発話による同時及び回顧プロトコルを比較する。具体的には,生活満足度,プロトコルの情報量,熱中/心配している事項への言及頻度を従属変数とした2要因((文章,発話)×(同時,回顧))の分散分析を行う。その結果,判断された生活満足度自体には4形式の間で差がなく,また,プロトコルの情報量には文章回顧≒文章同時>発話回顧>発話同時の順で表される有意な影響があることが示される。一方,熱中している事項に言及する頻度には差がないものの,心配している事項に言及する頻度は,文章によるプロトコルで有意に高いことが明らかにされる。つまり,信頼性の問題をひとまず棚上げすれば,回顧プロトコルは判断過程の背後にある認知的構造を分析するデータとして多くの意味ある手がかりを提供することが示唆される。

 6章では,発話による同時プロトコルを分析する。ここでは,プロトコルや被験者自身による事後的特徴づけによって得られた回答過程の特徴と反応時間や回答時間等を用いたロジスティック回帰による比較分析を行う。その結果,反応時間や回答時間は回答過程の特徴と有意に相関することが示されている。このことは,取り上げた特徴が心的過程の実態を適切に表現することを示唆する。とりわけ重要な点は,直感的に判断したとする被験者において反応時間が有意に短いことである。これは、実際に被験者が綿密な判断過程を経ることなく反射的に判断したことを示唆する。さらに,そのような被験者の数が全体の16/24であることから,多くの被験者にとって主観的幸福を判断する過程を同時プロトコルによって開示することは困難であるといえる。すなわち,発話による同時プロトコルは判断過程の実態をよく外化するものの,判断過程の背後に被験者がもつ認知的構造を外化する手法としては不十分である。

 7章では,文章による回顧プロトコルを分析する。まず,プロトコルを一定の規則にしたがってセンテンスに切り分け,そのセンテンスをポジティブまたはネガティブな事項に言及するものとそれ以外(中立的なもの)という3つのカテゴリーに分類し,そのポジティブとネガティブなセンテンスの数を独立変数として,従属変数である生活満足度を回帰する分析を行う。その結果,ポジティブ及びネガティブなセンテンスの数は,許容度(0.925)から判断して多重共線性によるものではなく,生活満足度をよく説明することが明らかになる。また,R2は約0.6であり,従来の研究で用いられた独立変数群と比較しても,少ない変数で高い説明力を示す。この分析結果は,各センテンスが示す事項のインパクトの大小を考慮せずとも高い説明力を示すという点では,日常経験に関するDienerら(1991)の研究とも整合的である。

 次に,Maslow(1954)の欲求の5段階説にしたがって分析を行い,プロトコルを用いた分析の応用例を示す。具体的には,上述の分析で切り分けたセンテンスを,生理的欲求,安全の欲求,所属と愛の欲求,承認の欲求,自己実現の欲求の各々に関連するもの,5つに分類し,分析する。最初に各センテンスが分類された欲求の段階の被験者ごとの平均を求めて,それと主観的幸福の判断結果との関係を回帰分析によって検討し,有意な関係がないことを示す。ついで,被験者を,最初のセンテンスでどの段階の欲求に言及するかにより5つのカテゴリに,また最後のセンテンスでどの段階に言及するかの5つのカテゴリに各々分類し,さらに,言及順序との関係を調べるために最初と最後のセンテンスで言及する欲求の段階はどちらが高いか(あるいは等しいか)の3つのカテゴリに分けて,各々の分類に対して生活満足度を従属変数とする分散分析を行う。その結果,前2者の分類においては生活満足度に有意な差はないものの,欲求の段階への言及順序に関わる最後の分類においては有意な差があり,高次の欲求から低次の欲求へと被験者が言及していく場合に生活満足度は他と較べて有意に低いことが示される。このことは,認知的構造における欲求段階の被験者による位置づけが判断結果に影響を与えることを示唆する。

 8章では,結論として,プロトコル,特に回顧プロトコルを用いた分析の有効性を議論し,ついでプロトコル分析によって明らかにされる主観的幸福の特徴を検討する。そして最後に,今後の課題を指摘する。

 初めに,4-7章までの分析結果をEricssonとSimonの研究と比較しながら,内省に基づく報告が単なる被験者の後付け的説明を示すものではなくて,主観的幸福の判断結果に反映される被験者の持つ判断枠組みを明らかにすること,すなわち主観的幸福研究において有効なアプローチであることを示している。その根拠として,(1)プロトコル・データは客観的な指標と整合的であり,そして(2)そのデータから個々の被験者のみに当てはまる特徴ではなくて,被験者に共通の有意味な関係が導かれること,があげられる。また,プロトコル分析が主観的幸福の研究において有効なアプローチであることの特筆すべき点として,4章と7章にみられるように,自動的とも考えられる判断過程の背後にある特徴が回顧プロトコルを用いて外化できることが,あげられる。ついで,このように有効なアプローチを用いる分析の可能性を示すために,各章で得られた結果から主観的幸福の判断過程の性質を検討し,その認知的構造を明らかにする。さらに,この成果に基づいて主観的幸福研究において課題となっていた因果関係の問題を論じ,判断過程そのものはtop-down的であるものの,その背後にある判断の枠組みがbottom-up的であり,従来の議論がこの両者を混同したものであることを示す。

 最後に,今後の課題として回顧プロトコルとDienerら(1991)の手法と組み合わせた分析をすすめることが必要であることを指摘する。

審査要旨

 本論文は、主観的判断の一つである主観的幸福(生活満足度)を題材にして、被験者の心的過程を無制約的に外化した内省に基づく報告(プロトコル)を多様な観点から収集し、その収集手法の有効性について検討すると共に、被験者が外化する判断要素を手掛りにして、その心的過程を明らかにしようとするものである。

 プロトコルによるデータは、一般に実験心理学的データに比し、信頼性において劣ることが指摘されているが、心的過程を直接的に外化できる利点を有する。しかし、本論文が対象とする主観的幸福に関する判断は、本論文においても明らかにされるように、短時間で処理が終わる反射的過程であることが多く、従ってプロトコルデータの収集と分析において様々に工夫が必要となる。

 本論文の価値は、この点に関する多様な検討とその分析結果にある。

 本論文は9章からなる。

 第1章では、本論文の問題意識について述べている。近年、主観的幸福の研究者の関心が、主観的幸福の説明要因の探求から主観的幸福の形成過程の分析へと移行していることを指摘し、さらに、その形成過程が被験者の主観の領域に属すことを踏まえた上で、この主観性を軽視した従来の研究が持つ問題点について論じている。

 第2章では、プロトコルの活用及び主観的幸福に関する先行研究について概観している。

 第3章では、本論文の目的とその枠組みを提示している。初めに、本論文の主たる目的が、(1)プロトコルによる分析手法の新たな枠組みの提示とその内部構造の分類、(2)各手法を主観的判断に適用する場合に各々外化される内容がどのようなものであるかの検討、(3)各々の手法の有効性に関する検討であることを述べている。すなわち、まず対象となる心的過程とその外化の過程との間の時間的関係(同時、回顧)、外化の枠組みの設定者(被験者、観察者)、外化される対象の計測手法(物理的計測、論理的計測)、外化の手段(発話、文章)によって2×2×2×2の16通りに分類されることを明らかにする。さらに、各手法の一般的特性をこの分類にしたがって議論した上で、主観的判断過程を計測する手法として、通常のアンケート調査の延長である"観察者の枠組みに基づく文章による回顧プロトコルの論理的計測(以下アンケートという)"、"被験者の枠組みに基づく発話による同時プロトコルの物理的計測"、"被験者の枠組みに基づく発話/文章による同時/回顧プロトコル(以下各々を「発話による同時プロトコル」のように略称する)の論理的計測"の6つが主たるものとなることを明らかにする。そして最後に、この分類に基づいて本論文で行った分析の構成を示している。

 第4章及び第5章ではアンケートに基づく分析結果について述べている。データ収集に使用した調査票には、通常のアンケート調査で用いられる類の質問項目に加えて、判断要素のカテゴリのセットを提示してそれにしたがって被験者による各判断要素利用の有無について外化が行われる項目が置かれている。ここでは、この項目への回答を利用した分析を中心にして述べている。具体的には、各カテゴリについて、それに関連する情報を判断要素とした場合には1を、そうでない場合には0をとるダミー変数を導入した重回帰分析を行い、被験者による判断要素の利用の有無についての外化が、主観的幸福尺度(被説明変数)と数値化された判断要素(説明変数)との関係と整合的であるかどうかを検討している。

 第4章では、生活程度を被説明変数、収入などの外的変数を説明変数とした分析結果について述べている。対象としたほとんどの判断要素のカテゴリについて、被説明変数と説明変数との関係が整合的であることが明らかにされている。

 第5章では、生活全般に対する満足度を被説明変数、趣味や友人関係などの7つの生活領域(EmmonsとDiener(1985)が用いた米国学生用の生活領域のカテゴリを日本人学生用に修正したもの)における満足度および被験者の回答時の気分を独立変数とした分析を行っている。分析の結果、整合的な関係が趣味・娯楽における満足度及び被験者の回答時の気分のカテゴリにおいてみられることが示されている。特に被験者の回答時の気分については、先行研究(SchwarzとStrack(1991))から予想される結果と整合的であることが明らかにされている。

 ついで、同じ調査データを用いて、特定のカテゴリを判断要素とした被験者の特徴の分析を行った結果について述べている。分析に用いた要因は、上記のカテゴリに関連する活動を行う頻度、被験者の生活環境、被験者により採点された各々のカテゴリの重要性であり、データの種類に応じて分散分析及びカイ2乗検定が用いられている。分析の結果、何らかの特定のカテゴリの判断要素を採用している被験者の方が、そのカテゴリの重要性を高く見積もることが多く、また、それに関連する活動を行う頻度も高いことが示されている。

 第6章では、プロトコルを用いる分析手法の総括的な比較と、個別手法によるプロトコルデータ各々の分析結果について述べている。

 初めに、被験者の枠組みに基づく発話/文章による同時/回顧プロトコルの手法上の比較について述べている。具体的には、判断結果である生活満足度、プロトコルがもたらす情報の量、熱中/心配している事項へのプロトコルの言及頻度の各々を従属変数とした2要因((文章、発話)×(同時、回顧))の分散分析を行う。分析の結果、生活満足度自体には手法間で差がなく、また、プロトコルの情報量には文章回顧≒文章同時>発話回顧>発話同時の順で表される有意な差のあることが示されている。一方、「熱中している事項」に言及する頻度には手法間で差がないものの、「心配している事項」に言及する頻度は、発話による回顧プロトコル及び文章による同時プロトコル双方で有意に他の手法と比べて低いことが明らかにされている。

 ついで、唯一物理的計測が可能な発話による同時プロトコルに基づくデータについての分析が行われている。ここでは、プロトコルや被験者自身による事後的特徴づけによって得られた回答過程の特徴と反応開始時間や回答継続時間等を用いたロジスティック回帰による比較分析を行う。その結果、反応開始時間や回答継続時間は回答過程の特徴と有意に相関することが示されている。このことは、取り上げた特徴が心的過程の実態を適切に表現することを示している。とりわけ重要な点は、直感的に判断したとする被験者において反応開始時間が有意に短いことである。これは、実際に被験者が綿密な判断過程を経ることなく反射的に判断したことを示唆している。さらに、そのような被験者の数が全体の2/3であることから、多くの被験者にとって主観的幸福を判断する過程を同時プロトコルによって開示することは困難であるといえる。すなわち、発話による同時プロトコルは判断過程の実態をよく外化するものの、被験者の判断要素を外化する手法としては不十分である。

 最後に、プロトコルデータの収集が最も容易である文章による回顧プロトコルについて分析している。まず、プロトコルを一定の規則にしたがってセンテンスに切り分け、そのセンテンスをポジティブまたはネガティブな事項に言及するものとそれ以外(中立的なもの)という3つのカテゴリーに分類し、そのポジティブとネガティブなセンテンスの数を説明変数として、生活満足度を回帰する分析を行う。その結果、ポジティブ及びネガティブなセンテンスの数は、許容度(0.925)から判断して多重共線性によるものではなく、生活満足度をよく説明することが明らかにされている。また、R2は約0.6であり、従来の研究で用いられた独立変数群と比較しても、少ない変数で高い説明力を示している。この分析結果は、各センテンスが示す事項のインパクトの大小を考慮せずとも高い説明力を示すという点では、日常経験に関するDienerら(1991)の研究とも整合的である。さらに、Maslow(1954)の欲求の5段階説にしたがって分析を行っている。具体的には、上述の分析で切り分けたセンテンスを、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求の各々に関連するものの5段階に分類し、分析する。最初に被験者が示したプロトコルが属す段階の平均値を求めて、それと生活満足度との関係を回帰分析によって検討し、有意な関係がないことを示している。ついで、被験者を、最初のセンテンスでどの段階の欲求に言及するかにより5つのカテゴリに、また最後のセンテンスでどの段階に言及するかの5つのカテゴリに各々分類し、さらに、言及順序との関係を調べるために最初と最後で欲求の段階はどちらが高いか(あるいは等しいか)の3つのカテゴリに分けて、各々の分類について生活満足度を従属変数とする分散分析を行う。その結果、前2者の分類においては生活満足度に有意な差はないものの、欲求の段階への言及順序に関わる最後の分類においては、有意な差があり、高次の欲求から低次の(基盤的な)欲求へと被験者が言及していく場合に生活満足度は有意に低いことが示されている。このことは、被験者が持つ判断要素に関連して、その構造自体も判断結果に影響を与えることがあることを示している。

 第7章では、発話/文章による同時/回顧プロトコルについて特に論理的計測に基づいて得られたデータに関し各手法間の比較を行い、有効なデータが得られるプロトコルの形式について検討している。本章では、第6章と同様の2要因の分散分析によりプロトコルの特徴を比較している。被験者やデータの取扱いは第6章と同様である。分析の対象としたプロトコルの要因は、プロトコルによって外化された判断要素に関する特徴を示すものであり、ポジティブ/ネガティブな要素の比率、Maslowの欲求のモデルにおける各要素の段階、全体として判断要素が言及する生活領域の範囲に関するものである。分析の結果、発話による回顧プロトコルが他とは異なる特徴を示すことが明らかにされた。さらに、この比較の結果、文章による同時プロトコルは判断過程自体の変容をもたらす蓋然性が高いことが示され、結論として、文章による回顧プロトコルが主観的幸福の判断過程の内容分析に最も適していることが明らかにされた。

 第8章では、外化された判断過程の内容について、プロトコルによる結果とアンケートによる結果との比較を行っている。両者から得られるデータの形式的な違いが大きいために比較可能な側面は限られているが、外化された判断要素が属するカテゴリについての分析を行い、アンケートから得られた判断要素が属するカテゴリは、プロトコルから得られるそれとは異質であることが示されている。このことは、観察者の枠組みに基づく測定が、判断過程の外化を歪めていることを推測させている。一方、判断要素間の関係あるいは判断要素と判断結果の関係(例えば、相関関係や因果関係)を検証する際には、アンケートの方が優れていることが論じられ、プロトコル分析とアンケート分析が相補的な関係にあることが確認されている。

 第9章では、総合的な考察が行われている。

 初めに第7章及び第8章の議論に基づいて、各手法の利用について検討を行っている。その結果、主観的判断の心的過程を研究する手法として有効なのは、発話による同時プロトコルを用いた心的過程の物理的特徴の検討、文章による回顧プロトコルによる心的過程の論理的特徴の分析、アンケートを用いた定量的関係の測定の3つの手法の組み合わせであることを結論づけている。先行研究(EricssonとSimon,1993)では、反射的な心的過程の論理的特徴を検討する有効な方法として、発話による回顧プロトコルが推奨されている。しかし、本研究の結果は、主観的幸福に関する限りこれを修正するものである。すなわち、発話による回顧プロトコルは主観的幸福の判断過程の内容を十分に外化していないことを主張している。

 次に、上記の適切な組み合わせによって主観的幸福の判断過程を分析した結果を、従来からの論争点であったtop-down対bottom-upの問題を中心とした観点から改めて検討し、判断過程そのものはtop-down的であるものの、その背後にある判断要素との関係においてその性質はbottom-up的であり、従来の議論がこの両者を混同したものであったことを明らかにしている。

 このように本論文は主観的判断に関し、従来研究の中心であった判断要素の因果関係の分析から、動的な判断過程の分析に視点を移し、心的過程を直接的に外化する手法の開発を、多様な可能性を比較検討することにより総合的に展開し、有効性の高い手法の開発に成功している。その結果、従来唱えられていた主観的幸福(生活満足度)に関する因果モデルを一部修正すると共に、動的モデルからの解釈を加え、主観的判断過程に関する理解を一段と深めることができた。

 よって審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位請求論文に相当するものと認め、合格と判定した。

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