近年、図学教育において学生の空間認識力を評価する研究がいくつか行われてきている。それらの研究の中で、空間認識力を評価する方法として最も広く用いられているのが切断面実形視テスト(Mental Cutting Test、以降MCT)である。MCTはCollege Entrance Examination Boardによって大学入学試験用に開発されたペーパーペンシルテストである。問題は立体とその切断面を透視図で示し切り口の実形を5個の選択肢の中から選ばせるものである。そのような問題が全部で25題あり、25点満点である。解答時間は20分である。MCTの問題は、切り口のパターンが判るれば正解できるパターン判別問題(19題)と、パターンだけでなく稜線の長さや角度といった量に関する判断が必要と思われる量判別問題(6題)に大別される。 MCTに関する研究は鈴木らによって始められ、その後国内外で広く行われるようになった。本研究はMCTの研究が始まった初期の頃より行われており、その間、さまざまな調査が行われている。主な結果を以下に示す。 (1)図学関連の授業の前後でMCTを行うとグループ平均得点が上昇する。その得点上昇は対称調査の結果よりも大きく、図学関連の授業によって学生の空間認識力が向上したと考えられる。 (2)大学によってグループ平均得点が異なる。理工系男子学生に限れば大学入試偏差値とグループ平均得点の間には正の相関が見られる。 (3)間違えて選ばれやすい選択肢の形状からは、立体図があたかも平面的な図であるかのように誤答する傾向が見られる。 MCTは、透視図で書かれた立体を切断して切り口の実形を求めるという問題の形態から、なんらかの空間認識力を評価していると思われる。しかしながら、現在までに報告されている調査では誤答選択肢の分布が分析されているものの、具体的にどのような空間認識力がMCTで評価されているのか、ことに被験者がどのようにMCTを解答しているのか、明らかにはなっていない。またMCTで評価される空間認識力と図学教育の関係では、図法幾何学に関しては授業期間の前後で空間認識力が向上するなどの調査が行われているものの、空間認識力と機械製図に関しては明確にはなっていない。 本論文では、MCTで評価される空間認識力については、ペーパーペンシルMCTの誤答分析を得点層別に行うのに加えて、被験者の解答過程と誤答原因を注視点分析法、プロトコル分析法、切断線描画法、立体模型MCT実験で分析することから明らかにした。またさらに、図学教育(図法幾何と機械製図)における空間認識力の育成効果および空間認識力と図学成績との関連を、ペーパーペンシルMCTの前後テストと対照調査から明らかにした。 MCTによって評価される空間認識力を明らかにするために、ペーパーペンシルMCTを多人数(1359名)に対して行い、誤答を分析した。その結果、以下に示されることが明らかになった。 (1)正解率の低い問題の誤答選択肢の分布を分析した結果、立体図の特徴的な形状を2次元の図そのままに捉えたような形状の選択肢に誤りが集中する傾向が見られた。このことから誤答原因の一つは立体図から正しく3次元形状を読み取れないことと推測された。すなわちMCTでは立体図から3次元形状を正しく読み取る能力が反映されている。 (2)誤答選択肢の分布をMCTの低得点者と高得点者で比較した結果、量判別問題において低得点者は正解の量違いの選択肢ではなくパターン違いの選択肢で間違えることが高得点者よりも多いことが判明した。このことから、低得点者は量判別問題であっても量判断以外の理由で誤答している場合があると考えられる。パターン判別問題では高得点者は正解と似通った選択肢で誤答することが多いのに対し、低得点者では形状のより異なった選択肢で間違える傾向が見られた。このように高得点者と低得点者の誤答にさまざまな異なる傾向がみられる事から、高得点者と低得点者の間には解答過程になんらかの差異があると考えられる。 MCTによって評価される空間認識力をより詳細に明らかにするために、注視点分析法、プロトコル分析法を用いて解答過程の分析を行った。その結果、以下に示されることが明らかになった。 (1)MCTの解答過程にはイメージを主に用いた解答過程と、特徴抽出による分析的考察による解答過程があることが判明した。 (2)低得点者の解答過程を分類した結果、低得点者はパターン判別問題であっても量判別問題であっても、冗長かつ不正確なイメージを用いて誤答することが多く、一方、高得点者はパターン判別問題や簡単な量判別問題では高速かつ正確にイメージを用いて正解していた。 (3)高得点者は量判別問題の難しい問題では適宜イメージを用いた解答から特徴抽出を用いた分析的考察に切り替えて解答していた。低得点者は分析的考察を用いないことが多い。 解答過程の分析で明らかになったMCTによって評価される空間認識力を更に詳しく分析するために、さらに切断線描画法と立体模型MCT実験の結果を加え、MCTの誤答原因を分析した。その結果、以下に示されることが明らかになった。 (1)パターン判別問題の誤答原因は(a)切断面の位置の認識の誤り、(b)切断形状の認識の誤り、の2点に集約された。(a)は二次元に書かれた図から三次元立体を読み取る際の問題が原因と言える。また(b)は三次元立体に対し切断、という加工処理を加える際の問題が原因と言える。 (2)量判別問題では誤答原因は高得点者と低得点者で異なった傾向を示した。高得点者の誤答原因は量の判断の誤りが多い。一方、低得点者の誤答原因の半数以上が量の判断に至る前の段階であることが判明した。前述の解答過程の分析結果では、量判別問題では、高得点者が分析的考察を用いて解答するのに対し、低得点者は分析的考察を用いずに間違えていることが示されており、それは、この量判別問題の誤答原因における分析的考察の有無と適合する。 以上の解答過程分析および誤答原因分析の結果をまとめると、パターン判別問題はおもにイメージを用いて解答されており、誤答は二次元に書かれた図から三次元立体を読み取る際、および三次元立体に対し加工処理を加える際におきている。MCTはパターン判別問題が25題中19題と多いことから、MCTは主に、2次元で示された図からの3次元立体のイメージの生成とその加工処理、のような3次元イメージの操作能力を反映しており、これに加えて、量判別問題では分析的考察能力も反映しているといえる。 MCTによって評価される空間認識力の図学(図法幾何と機械製図)教育による育成効果を調査するため、ペーパーペンシルMCTを図法幾何と機械製図の授業期間の前後に行い、また対照調査も行った。その結果、以下に示されることが明らかになった。 (1)図法幾何および機械製図の授業期間の前後で行ったMCTの得点は有意な上昇を示した。この得点上昇は対照調査でのそれよりも有意に大きく、図法幾何学および機械製図の授業期間における得点上昇はそれらの授業によって空間認識力が向上したためであると考えられる。またどちらの授業においても得点上昇はMCTの低得点者ほど大きかった。この結果は、図法幾何および機械製図の授業によって、MCTの低得点者ほど空間認識力が大きく向上することを示している。 (2)図学(図法幾何学,機械製図)でのMCTの得点上昇は主にパターン判別問題によるものであった。パターン判別問題はイメージの操作能力を反映していることが本論文で明らかになっており、この結果は図法幾何および機械製図での空間認識力の向上が、おもにイメージの操作能力の向上によることを示している。高難度の量判別問題は図学授業の前後で正解率が上昇していない。高難度の量判別問題は分析的考察能力を反映していることが本論文で明らかになっており、図学授業はそれらの問題を正解に導く程度の分析的考察能力の向上をもたらしていないことが判明した。 MCTによって評価される空間認識力と図学の成績の関連を調べるために、図法幾何および機械製図の授業の期末試験得点とMCT得点の関連を分析した。その結果、以下に示されることが明らかになった。 (1)図学授業前のMCT得点と図法幾何の期末試験の得点には弱い相関が見られる。これはMCTと図法幾何の期末試験が3次元のイメージを扱うという点で共通しているためと考えられる。 (2)MCTの得点と機械製図関連の期末試験の得点には相関は見られない。機械製図関連の期末試験が製図に関する知識を問う問題であったためと考えられる。 (3)MCT得点の低い学生ほど図学授業の期末試験で成績不良に陥る可能性が高い。一方、MCTの得点と機械製図関連の期末試験での成績不良に関連は見いだせない。MCTの得点により図法幾何の期末試験の成績不良を予測し対処することはある程度可能であり、他方、機械製図の期末試験の成績不良を予測することは困難であると思われる。 本研究ではMCTによって測られる空間認識力を明らかにすると共に、空間認識力と図学(図法幾何、機械製図)の成績との関連を調査し、以下のことが明らかになった。 (1)MCTは主に、2次元で示された図からの3次元立体のイメージの生成とその加工処理、のような3次元イメージの操作能力を反映している。またこれに加えて、分析的考察能力も反映している。 (2)図学(図法幾何、機械製図)教育によってMCTで測られる空間認識力は低得点者ほど向上し、それは主にイメージの操作能力が向上するためである。また、図学授業前のMCT得点と図法幾何学の成績には関連が見られる。 |