土壌細菌のAgrobacterium rhizogenesは植物の傷口に感染し、自身の持つRiプラスミドの一部DNA(T-DNA)を植物細胞に転移することによって毛状根と呼ばれる不定根を多数誘導する。誘導された毛状根からはT-DNAが導入された植物個体が容易に再生することが知られている。再生個体は背丈が低く、葉が波立ち、花の形態が変化するなどの形態異常を示し、毛状根病徴と呼ばれている。この病徴を示す原因遺伝子としては、T-DNA上のrol遺伝子群(Rirol遺伝子群)が主要な役割を果たしていることが知られている。一方、タバコNicotiana属の植物のいくつかの種で上記rol遺伝子と高い相同的塩基配列を有する遺伝子群(Ngrol遺伝子群)が見出だされ、タバコ属の進化の初期に、A.rhizogenesの感染により植物に転移したrol遺伝子群が保持されてきたものと考えられている。今までにNgrol遺伝子群はN.glaucaとN.langsdorffiiの交配によるF1植物に生ずる遺伝的腫瘍での発現が認められているが、実際に機能を有しているかについては知られていない。本研究は、Ngrolの機能を検証しその進化的意義を考察したもので、3章からなる。 第一章では、N.glaucaには、すでに報告されているNgrolB,CのほかにRiORF13,14と80%以上の高い塩基配列相同性を有するORFsが見出だされ、それぞれNgORF13,14と名付けたこと、また、ノーザンブロット解析からNgrolB,C NgORF13,14のいずれもが、N.glaucaの茎で発現していることを見出だしたことが述べられている。NgORF13,14は真核生物の遺伝子のもつ転写、翻訳に重要な配列を有している。また、ORF14の下流に見つかったもう一つのORFは通常一般的に研究室で用いられているアグロピン型のA.rhizogenesには認められず、ミキモピン型の菌がもつ機能が未知のORFと高い相同性を示した。このことから、Ngrol遺伝子群の起源がミキモピン型のA.rhizogenesに系統的に近い菌からの感染によることが推定された。 第2章には、タバコ(N.tabacum)の葉切片を用いて毛状根形成機能の検定を行ない、Rirol遺伝子群が毛状根を形成するのに対し、Ngrol遺伝子群にはその機能が失われていることを見出したことを記載している。NgrolB,C,NgORF13,14,RirolB,C,RiORF13,14を色々な組合せで葉切片に導入する実験から、RirolB単独で毛状根を誘導する機能を示すがNgrolBにはその機能が認められず、NgrolBがNgrol遺伝子群が毛状根形成機能を示さない原因であることを明らかにした。遺伝的腫瘍組織における研究からNgrolBの転写活性はRirolBの1/2〜1/3であることが知られている。そこで、NgrolBが機能を示さない理由がプロモーター活性が低いことによる可能性を検討するために、RirolBのプロモーターとNgrolBのプロモーターとの交換実験を行なったが、結果に違いは認められず、NgrolBの機能の欠失はプロモーター活性の低下によるものではなく、ORFの機能の欠失によることが示された。 NgrolBとRirolBのアミノ酸配列を比較するとNgrolB遺伝子はRirolBと比較して早い段階で終始コドンが出てくるため48アミノ酸残基短い。このため予想されるタンパク質の長さはRirolBが259アミノ酸残基であるのに対し、NgrolBは211アミノ酸残基になる。NgrolBの開始コドンから633番目と723番目塩基Tを部位特異的な塩基置換によって、それぞれCとGに置換することにより2つの終止コドンをRirolBの対応する位置のアミノ酸に戻すと48アミノ酸が回復しRirolBと同じ長さのタンパク質をコードするORFが組める。この修復NgrolBを植物に導入したところ、毛状根誘導機能を示し、その強さはRirolBとほぼ同じであった。また、修復NgrolB機能が回復したことをさらに確認するために、カリフラワーモザイクウイルスの35Sプロモーターによる強制発現を行なったところ、NgrolB導入植物が対照の植物と同様な形状を示すのに対し、修復NgrolB導入植物は葉が上偏成長と湾曲を示し、花が変形する異常形態を示した。その形態変化は子孫に遺伝し、形態異常の程度と修復NgrolBの発現の強さには対応関係が認められたことから、修復NgrolBの機能回復がこの点でも確認できた。これらの結果から、NgrolB遺伝子群が毛状根を形成できないのは、進化の途中においてNgrolBにナンセンス点突然変異がおきたことが原因であると推定した。 第三章ではNgrolC,NgORF13,NgORF14の機能について解析した。第二章で行なった方法でNgrol遺伝子群とRirol遺伝子群の遺伝子それぞれをいろいろな組合せで植物に導入する実験から、RiORF13はRirolBによる毛状根誘導機能を促進する作用を示すが、NgORF13にも同様な機能が見出だされた。NgORF14にも微弱ではあるがNgORF13と同様にRirolBによる毛状根形成を促進する作用が認められた。 NgORF13を35Sプロモーターによる強制発現した形質転換植物では葉の縦方向の伸長が抑制されるため丸くなることが観察された。同様に、萼、花弁、雄しべ、雌しべなどの花葉も縦方向の伸長が抑制され、この方法によってもNgORF13が機能を保持していることが確認された。 NgrolCには毛状根の形成に関しては明確な作用を認めることはできなかったが、35Sプロモーターによる強制発現では、NgrolC導入植物も節間が短く背丈が低く、葉が細長くなった。また、花が小型になり、雄性不稔を示した。NgrolC導入植物が示すこの劇的な形状変化はRirolC導入植物の示す形状と同様で、NgrolCもRirolCと同様な機能を有すると考えられる。これらの結果は、NgrolC,NgORF13,NgORF14はそれぞれRirolC,RiORF13,RiORF14と同様な機能を進化の過程で維持してきたことを示している。 以上の結果から、N.glaucaの祖先には毛状根病徴の形態的特徴を持った植物が存在し、修復NgrolB遺伝子導入で誘導された毛状根が現代の植物において古代の植物が示したであろう形態的特徴の一つを回復したもので、rol遺伝子群の生物間の水平移行が植物の多様性に何らかの影響を与えたことを推論した。 ここで得られた成果は、Ngrol遺伝子群の生理機能を明確に示しただけではなく、遺伝子の水平移行が植物の多様性に影響を与える可能性を提示したもので、系統進化の研究にも寄与できるものであると思われる。この研究は、青木誠志郎氏が主体性をもって行なったものであり、青木誠志郎氏の提出された本論文は東京大学大学院課程による学位、博士(理学)の授与に相応しい内容と判定した。 |