学位論文要旨



No 113113
著者(漢字) 青木,誠志郎
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,セイシロウ
標題(和) Ngrol遺伝子群の機能の解析 : タバコ属の進化における水平移行遺伝子の機能
標題(洋) Analysis of Functions of Ngrol Genes : Functions of horizontally transferred genes in the evolution of the genus Nicotiana
報告番号 113113
報告番号 甲13113
学位授与日 1998.03.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博総合第142号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄野,邦彦
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 助教授 池内,昌彦
内容要旨

 生物の示す特徴の1つはその多様性にある。多様性は生物のもつ遺伝情報の違いから生じる表現型の差としてあらわれると考えられる。そのような形質の差は祖先の持っていた遺伝子にさまざまな突然変異が付け加えられることにより生み出されてきたと推測できる。本論文はこの様な推測をもとに、細菌からタバコ属植物へのNgrol遺伝子群の水平移行と、その後のNgrolB遺伝子への点突然変異が植物の進化の過程でその表現型に何らかの影響を与えた可能性について一連の解析を行った。

 Ngrol遺伝子群はAgrobacterium rhizogenesのRirol遺伝子群に対する相同的塩基配列として、菌に未感染の植物Nicotiana glaucaより発見された(図1)。A.rhizogenesは植物の傷口への感染の際、自身の持つRiプラスミドのtransfer-DNA(T-DNA)領域を植物ゲノムに遺伝子導入し、毛状根を誘導する。誘導された毛状根からは、T-DNAが導入された植物個体が頻繁に再生されることが知られている。再生植物は葉が波打ち、矮化し、花の形態が変化するなどの形態異常を示し、毛状根病徴と名付けられている。T-DNAの配列のなかで毛状根の誘導に最も重要な役割を持つのがRirol遺伝子群である。Ngrol遺伝子群はNicotiana属のうちいくつかの種にのみ存在することが知られており、Nicotiana属の進化の初期にA.rhizogenesより遺伝子水平移行により導入、保存されてきたと考えられている。

 本研究の目的は次の2つの疑問への答えを探すことにある。

 (1)Ngrol遺伝子群は植物で機能しているのだろうか?

 (2)Ngrol遺伝子群を持つにもかかわらずN.glaucaが毛状根病徴を示さないのはなぜか?

 (1)の問いには第3章で(2)の問いには第2章で主に解析を行っている。

本文

 本論文は3章の構成になっている。

第1章

 Ngrol遺伝子群にはこれまでにNgrolB、NgrolC遺伝子の配列が知られている。私は未解析部分の塩基配列決定を行った。その結果新しく3つのORFが見つかった。このうち2つはA.rhizogenesのRiORF13とRiORF14に高い相同性を示した。両遺伝子は真核生物の遺伝子の持つ転写、翻訳に重要な配列を有していることが示された。この遺伝子群をNgORF13、NgORF14と名付けた。残りのORFはNgORF14の下流に位置しミキモピン型のA.rhizogenesのもつ機能が未知のORFに高い相同性を示した。これらの結果はNgORF13とNgORF14が植物で発現、機能している可能性を示している。またNgrol遺伝子群の起源がミキモピン型のA.rhizogenesに系統的に近い菌からの感染導入であることを示唆している。

第2章

 第1章の結果よりNgrolB,NgrolC,NgORF13,NgORF14の4つのORFがN.glaucaゲノムに存在することがわかった。この領域に対応するRirol遺伝子群は毛状根の誘導に重要な役割を果たすことが知られている。Ngrol遺伝子群の転写をノーザンブロット解析により調べたところ、4つのORFすべてがN.glaucaの茎で発現していることが示された。次に遺伝子導入による毛状根誘導実験をN.tabacumとN.debneyiiの葉の切片で行った。RirolB,RirolC,RiORF13,RiORF14遺伝子群の導入では両者の葉に顕著な毛状根誘導が見られたのに対しNgrolB,NgrolC,NgORF13,NgORF14遺伝子群の導入では発根の誘導は観察されなかった。次にN.tabacumへの形質転換による植物個体の再生を行った。Rirol遺伝子群の導入では葉の湾曲、花の小型化など顕著な毛状根病徴が観察されたがNgrol遺伝子群導入植物はコントロールや野生型植物との形態の違いは観察されなかった。これらの結果はNgrol遺伝子群はRirol遺伝子群の持つ毛状根(病徴)の誘導能力を保持していないことを示唆している。

 NgrolとRirolのどの遺伝子によりこの様な違いが生じるのかを調べるため、予備実験としてまずRirol遺伝子群の個々の遺伝子の毛状根誘導に対する影響を調べた。RirolB,RirolC,RiORF13,RiORF14のうち1つのORFのみを制限酵素処理により破壊し残り3つの遺伝子による発根誘導実験を行った。その結果B+C+13そしてB+13+14では4遺伝子全てを導入したときと同じ毛状根誘導が観察された。B+C+14では発根誘導に若干の減少が観察された。ところがC+13+14では毛状根誘導が全く観察されなかった。RirolB遺伝子が毛状根誘導に最も重要であるというこの結果は以前に他の研究者らにより行われた結果と一致する。

 この結果によりNgrol遺伝子群のうちNgrolB遺伝子が毛状根誘導の機能を持っていないことが推測できた。そこでNgrolB遺伝子単独での導入を試みたところ毛状根誘導は観察されなかった。RirolB遺伝子単独では発根が示されたことから、両者の遺伝情報の違いがNgrol遺伝子群が機能を示さない原因であると考えられた。

 NgrolB遺伝子プロモーターの転写能力はRirolB遺伝子のそれと比べて1/2から1/3程度に低く抑えられていることが知られている。両遺伝子プロモーターの持つ転写制御能力の差が発根誘導の差を生む可能性が考えられたため、NgrolB、RirolB両遺伝子のプロモーター領域の交換を行った。結果は推測に反しプロモーターの交換は全く機能に影響しなかった。RirolBのORFの上流にNgrolBプロモーターをつけた融合遺伝子は自身のプロモーターを持つRirolB遺伝子と同様に発根が誘導された。一方NgrolBのORFの上流にRirolBプロモーターつけた融合遺伝子は毛状根誘導が観察されなかった。これらによりNgrolBプロモーターはRirolBプロモーターのもつ転写制御の情報が保存されていることが示唆された。

 これまでの結果からNgrolBとRirolBのORFの塩基配列の何らかの違いが機能の差を生み出していると考えられた。そこでNgrolBとRirolB遺伝子のアミノ酸配列を比較するとNgrolB遺伝子はRirolB遺伝子よりも早い段階で終止コドンがでてくるため48アミノ酸残基短いことが大きな特徴として浮かび上がった。このため予想される蛋白質の長さはRirolBが259アミノ酸残基なのに対しNgrolBは211アミノ酸残基となっている。NgrolBの開始コドンから633番目と723番目の塩基TをそれぞれCとGに置換することにより2つの終止コドンはRirolB遺伝子の対応するアミノ酸(アスパラギンとアスパラギン酸)になり48アミノ酸が回復する。そこでこの2塩基に対し部位特異的塩基置換を行いこのORFをNgrolB212Q242Eと名付けた。NgrolB212Q242Eを植物に導入したところ毛状根誘導の回復が観察された。発根の能力はRirolB遺伝子とほぼ同じ強さであった。この結果はNgrol遺伝子群をもつN.glaucaが毛状根病徴を示さないのは進化の途中におけるNgrolB遺伝子へのナンセンス点突然変異が原因であることを示唆している。

 NgrolB212Q242Eの機能をさらに詳しく探るためカリフラワーモザイクビールスの35Sプロモーター(P35S)支配による強制発現を行った。P35S-NgrolB212Q242E遺伝子を導入した再生植物個体は葉が上偏生長と湾曲を示し花が変形する異常形態が観察された。これらの形態変化は子孫に遺伝し、形態異常植物にはNgrolB212Q242Eの転写が強く観察された。P35S-RirolB形質転換植物にみられる丸い葉や早い段階での壊死などの性質はP35S-NgrolB212Q242Eでは観察されなかった。またP35S-NgrolB形質転換植物には形態の変化は観察されなかった。

第3章

 NgrolC,NgORF13,NgORF14遺伝子群について機能の解析を行った。第2章の途中結果よりRirolC,RiORF13,RiORF14領域にはRirolB遺伝子の発根誘導を促進する働きがあることがわかっている。はじめにNgrolC,NgORF13,NgORF14領域にも同様の働きがあるのかを調べた。実験はRirolB遺伝子とNgrolC,NgORF13,NgORF14遺伝子群を1つの遺伝子導入ベクターに同時にくみこんだプラスミドを作成し、植物に導入することにより行った。その結果NgrolC,NgORF13,NgORF14領域にもRirolB遺伝子の発根誘導を促進する能力が保持されていることが示された。次にこの促進能力が3つのどの遺伝子に由来するのかを調べるため遺伝子群をさらに細かく区切り、RirolB遺伝子とともに植物に導入した。その結果、発根誘導の促進はNgORF13遺伝子のみのRirolB遺伝子との同時導入で十分に観察されることがわかった。NgORF14遺伝子にも弱い促進が観察された。RiORF13,RiORF14遺伝子を使ったコントロールの実験はNgORF13,NgORF14遺伝子と同じ結果を示した。

 つぎにP35Sにより強制発現を行って遺伝子の機能を特徴だたせ観察した。P35S-NgrolC形質転換植物は葉が細くなり節間長が減少し、また花の小型化や雄性不稔が観察された。これはP35S-RirolC導入植物に見られた性質と同じであった。P35S-NgORF13形質転換植物では葉が逆に丸くなった。萼、花弁、雄しべ、雌しべの花葉でも同様に縦方向の伸長抑制が観察された。実験の結果はNgrolC,NgORF13遺伝子がA.rhizogenesのRirolC,RiORF13遺伝子と同じ働きをなしうる配列を現在も保持していることを示している。NgrolC,NgORF13,NgORF14遺伝子はN.glaucaで転写することが示されている(第2章)。Ngrol遺伝子群のいくつかの遺伝子はN.glaucaの進化の間その機能を保持し続けたと考えられる。

考察

 Ngrol遺伝子群はNicotiana属進化の初期にA.rhizogenesのRirol遺伝子群が水平移行し、現在までN.glaucaで保存されてきた配列であると考えられている。Rirol遺伝子群は植物に毛状根病徴と名付けられた形態異常を引き起こす。N.glaucaはNgrol遺伝子群を持つにもかかわらず毛状根病徴を示さない。本論文において私はその原因がNgrolB遺伝子における2塩基のポイント突然変異が原因である可能性を示唆した。また少なくとも2つのNgrol遺伝子は水平移行から現在にいたるまでその機能を保持してきた可能性があることを示した。N.glaucaの祖先には毛状根病徴の形態的特徴を持った植物が存在したことが考えられる(図2)。NgrolB212Q242E遺伝子の導入で誘導された毛状根は、現代の植物において古代の植物の示したであろう形態的特徴の1つを回復することに成功したものとみなすことが出来る。Ngrol遺伝子群の水平移行とその後のNgrolB遺伝子への突然変異はN.glaucaの祖先の形質に変化を誘導した可能性がある。これらの形質の変化はNicotiana属植物の多様性に何らかの影響を与えたことが推測できる。

図1 Ngrol遺伝子群とRirol遺伝子群の比較図2 Ngrol遺伝子群の水平移行とその後のNgrolB遺伝子への点突然変異のNicotiana glaucaの進化における影響のモデル。点線は毛状根病徴の植物を示す。
審査要旨

 土壌細菌のAgrobacterium rhizogenesは植物の傷口に感染し、自身の持つRiプラスミドの一部DNA(T-DNA)を植物細胞に転移することによって毛状根と呼ばれる不定根を多数誘導する。誘導された毛状根からはT-DNAが導入された植物個体が容易に再生することが知られている。再生個体は背丈が低く、葉が波立ち、花の形態が変化するなどの形態異常を示し、毛状根病徴と呼ばれている。この病徴を示す原因遺伝子としては、T-DNA上のrol遺伝子群(Rirol遺伝子群)が主要な役割を果たしていることが知られている。一方、タバコNicotiana属の植物のいくつかの種で上記rol遺伝子と高い相同的塩基配列を有する遺伝子群(Ngrol遺伝子群)が見出だされ、タバコ属の進化の初期に、A.rhizogenesの感染により植物に転移したrol遺伝子群が保持されてきたものと考えられている。今までにNgrol遺伝子群はN.glaucaとN.langsdorffiiの交配によるF1植物に生ずる遺伝的腫瘍での発現が認められているが、実際に機能を有しているかについては知られていない。本研究は、Ngrolの機能を検証しその進化的意義を考察したもので、3章からなる。

 第一章では、N.glaucaには、すでに報告されているNgrolB,CのほかにRiORF13,14と80%以上の高い塩基配列相同性を有するORFsが見出だされ、それぞれNgORF13,14と名付けたこと、また、ノーザンブロット解析からNgrolB,C NgORF13,14のいずれもが、N.glaucaの茎で発現していることを見出だしたことが述べられている。NgORF13,14は真核生物の遺伝子のもつ転写、翻訳に重要な配列を有している。また、ORF14の下流に見つかったもう一つのORFは通常一般的に研究室で用いられているアグロピン型のA.rhizogenesには認められず、ミキモピン型の菌がもつ機能が未知のORFと高い相同性を示した。このことから、Ngrol遺伝子群の起源がミキモピン型のA.rhizogenesに系統的に近い菌からの感染によることが推定された。

 第2章には、タバコ(N.tabacum)の葉切片を用いて毛状根形成機能の検定を行ない、Rirol遺伝子群が毛状根を形成するのに対し、Ngrol遺伝子群にはその機能が失われていることを見出したことを記載している。NgrolB,C,NgORF13,14,RirolB,C,RiORF13,14を色々な組合せで葉切片に導入する実験から、RirolB単独で毛状根を誘導する機能を示すがNgrolBにはその機能が認められず、NgrolBがNgrol遺伝子群が毛状根形成機能を示さない原因であることを明らかにした。遺伝的腫瘍組織における研究からNgrolBの転写活性はRirolBの1/2〜1/3であることが知られている。そこで、NgrolBが機能を示さない理由がプロモーター活性が低いことによる可能性を検討するために、RirolBのプロモーターとNgrolBのプロモーターとの交換実験を行なったが、結果に違いは認められず、NgrolBの機能の欠失はプロモーター活性の低下によるものではなく、ORFの機能の欠失によることが示された。

 NgrolBとRirolBのアミノ酸配列を比較するとNgrolB遺伝子はRirolBと比較して早い段階で終始コドンが出てくるため48アミノ酸残基短い。このため予想されるタンパク質の長さはRirolBが259アミノ酸残基であるのに対し、NgrolBは211アミノ酸残基になる。NgrolBの開始コドンから633番目と723番目塩基Tを部位特異的な塩基置換によって、それぞれCとGに置換することにより2つの終止コドンをRirolBの対応する位置のアミノ酸に戻すと48アミノ酸が回復しRirolBと同じ長さのタンパク質をコードするORFが組める。この修復NgrolBを植物に導入したところ、毛状根誘導機能を示し、その強さはRirolBとほぼ同じであった。また、修復NgrolB機能が回復したことをさらに確認するために、カリフラワーモザイクウイルスの35Sプロモーターによる強制発現を行なったところ、NgrolB導入植物が対照の植物と同様な形状を示すのに対し、修復NgrolB導入植物は葉が上偏成長と湾曲を示し、花が変形する異常形態を示した。その形態変化は子孫に遺伝し、形態異常の程度と修復NgrolBの発現の強さには対応関係が認められたことから、修復NgrolBの機能回復がこの点でも確認できた。これらの結果から、NgrolB遺伝子群が毛状根を形成できないのは、進化の途中においてNgrolBにナンセンス点突然変異がおきたことが原因であると推定した。

 第三章ではNgrolC,NgORF13,NgORF14の機能について解析した。第二章で行なった方法でNgrol遺伝子群とRirol遺伝子群の遺伝子それぞれをいろいろな組合せで植物に導入する実験から、RiORF13はRirolBによる毛状根誘導機能を促進する作用を示すが、NgORF13にも同様な機能が見出だされた。NgORF14にも微弱ではあるがNgORF13と同様にRirolBによる毛状根形成を促進する作用が認められた。

 NgORF13を35Sプロモーターによる強制発現した形質転換植物では葉の縦方向の伸長が抑制されるため丸くなることが観察された。同様に、萼、花弁、雄しべ、雌しべなどの花葉も縦方向の伸長が抑制され、この方法によってもNgORF13が機能を保持していることが確認された。

 NgrolCには毛状根の形成に関しては明確な作用を認めることはできなかったが、35Sプロモーターによる強制発現では、NgrolC導入植物も節間が短く背丈が低く、葉が細長くなった。また、花が小型になり、雄性不稔を示した。NgrolC導入植物が示すこの劇的な形状変化はRirolC導入植物の示す形状と同様で、NgrolCもRirolCと同様な機能を有すると考えられる。これらの結果は、NgrolC,NgORF13,NgORF14はそれぞれRirolC,RiORF13,RiORF14と同様な機能を進化の過程で維持してきたことを示している。

 以上の結果から、N.glaucaの祖先には毛状根病徴の形態的特徴を持った植物が存在し、修復NgrolB遺伝子導入で誘導された毛状根が現代の植物において古代の植物が示したであろう形態的特徴の一つを回復したもので、rol遺伝子群の生物間の水平移行が植物の多様性に何らかの影響を与えたことを推論した。

 ここで得られた成果は、Ngrol遺伝子群の生理機能を明確に示しただけではなく、遺伝子の水平移行が植物の多様性に影響を与える可能性を提示したもので、系統進化の研究にも寄与できるものであると思われる。この研究は、青木誠志郎氏が主体性をもって行なったものであり、青木誠志郎氏の提出された本論文は東京大学大学院課程による学位、博士(理学)の授与に相応しい内容と判定した。

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