学位論文要旨



No 113116
著者(漢字) 王,蘊芬
著者(英字)
著者(カナ) ワン,イゥンフェン
標題(和) 中国瀋陽市の小学生における身体発育・身体組成に関する研究
標題(洋)
報告番号 113116
報告番号 甲13116
学位授与日 1998.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第59号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 衛藤,隆
 東京大学 教授 佐伯,胖
 東京大学 助教授 白山,正人
 東京大学 助教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 柴若,光昭
内容要旨 【はじめに】

 児童の身体発育は,その国の公衆衛生の水準や国民の平均栄養状態をよく反映しているといわれる。1979年以来,中国で起きた最も深刻な変化は,まず第一に,改革開放政策が実行され,人々の生活,栄養状態は著しく改善された。と同時に,人口の急速な増加を抑制するために,「ひとりっ子政策」が実施され,都会ではほとんどひとりっ子になっている。このような社会の変貌とともに,児童の発育状態も大きく変化すると考えられる。

 児童の発育・発達は一般に形態が大きくなり,機能が複雑に発達する。しかし,人体計測のように人体を外から見ただけではその機能的側面を十分に理解することはできない。人体諸機能の形態的な裏付けとして重要なものが身体組成であり,特に除脂肪量と体脂肪量が重要な構成成分である。

 中国人の身体組成に関する研究としては,身体密度の測定,また皮下脂肪厚からの体脂肪率の推定式を用いて推定する方法等によるものがあったが、小学生の身体密度に関する研究はないようである。現在,中国では,多く用いられるのは長嶺の式である。しかし,身体密度は成熟や老化,性別,人種,また,社会経済的条件など様々な要因によって変動する。これまでに明らかにされた推定式が決して普遍的ではあり得ないことが考えられる。本研究は,中国における児童の身体発育・身体組成とそれらに影響を与える因子について解明し,児童の健康に寄与することを目的として,中国瀋陽市の小学生において身体形態指標,身体密度を測定し,家庭経済,食事状況などの環境要因を調査し,次の項目について検討した。(1)身体発育の現状を把握すること。(2)身体密度に関する研究を行うこと。(3)身体組成の年齢的,性別的変化を検討すること。(4)身体発育の状態を評価すること。(5)身体発育に影響する環境要因を検討すること。

【対象・方法】

 2段無作為抽出法により,瀋陽市の5つの行政区から5つの小学校を抽出し,次にそれぞれの小学校で,3〜6学年から各学年1クラスずつを抽出した。器質的病変がある者,少数民族を除いて,9〜12歳の児童,全体で891人を対象とした。測定は1993年7月中旬の連続した2週間で行われた。身体密度の被験者は,健康な漢族小学生(9〜12歳)計227人であり,測定は1994年8月,午前昼食前に行われた。

 身体計測は,身長,体重,皮下脂肪厚(右側の上腕背部及び肩甲骨下部)2ヵ所について行った。身体組成の測定は,まず,水中体重秤量法で身体密度を求め,次に,Brozekら(1963)の式を用いて,身体密度から体脂肪率と除脂肪量を計算した。

 栄養摂取状況調査は,24時間記憶面接法と留置き調査法と併せて行った。偏食調査は栄養摂取状況調査と同時に行った。一般状況の調査は質問紙によって行った。

【結果と考察】1.身体発育状況について

 身長,体重の発育は,9歳では男子がやや大きな値をとるが,10歳では逆転し12歳まで女子が優位となり,いわゆる交差現象がみられた。男女の間に,統計的な有意な差がみられなたった。身長,体重の平均値について,瀋陽市で1981年度のそれと比較してみると,身体発育は顕著な向上がみられ,増加の程度は加齢とともに大きくなっていた。本研究の小学生の身長,体重の計測値は全国の平均を上回っていた。本研究の小学生の身長,体重の平均値は1990年度の日本の小学生のそれより著しく低く,身長の平均値は1980年度の日本の小学生に近いが,体重の平均値は1970年度の日本の小学生に近いのである。

 皮下脂肪厚の年齢変化は,男子は肩甲骨下部で,女子は上腕背部と肩甲骨下部両方で年齢とともに厚くなり,女子ではその傾向が顕著であった。また,男女ともに上腕背部の皮下脂肪厚の値が肩甲骨下部の値よりも大きく,すべての年齢段階で女子が男子を上回っていたが,11〜12歳では特に大きく上回っていた。

2.身体組成について(1)身体密度の国際比較

 これまでに報告された9〜12歳男女の身体密度(水中体重秤量法)の結果について,国際比較が行われた。本研究の結果は,欧米人の報告値との間に,著しい有意差がみられた。子どもの生活環境,人種的差異などが身体密度にみられることを示唆している。本研究の結果が蜂須賀らの報告とは有意差はなかったが,猪飼ら,佐藤,小川,北川らの報告に比べて,身体密度の平均値が大きく,統計的な有意差がみられた。北川らの結果は欧米人の報告値に近かった。中国,日本人ともに黄色人種に属しながら,本研究の結果が日本人の測定値と異なる理由として考えられるのは,子供の社会経済的・生活環境,時代による身体発育形態の変化などである。

(2)身体密度とその推定式

 男女(9〜12歳)計227人について身体密度を測定した。男女ともに,上腕背部皮下脂肪厚(-0.747〜-0.862)は肩甲骨下部(-0.681〜-0.815)より身体密度と高い相関係数を示し,どの年齢層においても身体密度と最も高い相関関係を示したのは皮下脂肪厚の和(上腕背部+肩甲骨下部)(-0.761〜-0.889)であった。身体密度と身長,体重との相関は皮下脂肪厚との相関より明らかに低かった。

 これらの相関関係に基づいて,身体密度は皮下脂肪厚の和(上腕背部+肩甲骨下部)との単回帰分析,また,身長,体重,皮下脂肪2部位の和との間に重回帰分析を行った(表1)。身体密度と皮下脂肪和との間に,男女それぞれ0.8618,0.8325の単相関係数となったが,身長,体重を加えて,重相関係数がほとんど変わらなかった。各変量の有意性検定によると,身長,体重は身体密度に有意な寄与をしていないのが分かった。従った,上腕背部と肩甲骨下部の2部位の和皮下脂肪厚から身体密度を推定する単回帰方程式は,計算上簡便な点で重回帰式を充分に代用し得る。

表1身体計測値からの身体密度を推定する重回帰式
(3)身体密度実測値と各推定式の推定値との比較

 身体密度実測値は本研究から得た式の推定値に比べて,男女ともに,統計的に有意な差はみられなかった。長嶺らと北川らによる日本人での推定式との差は有意であった。この事実は,日本人用の身体密度推定式は日本人の小学生を対象として作成されていたから,中国人の小学生への適用は不適切であることを意味している。

(4)身体組成と食物の栄養素組成

 本研究では,身長,体重,身体組成の各計測値とすべての栄養素摂取量は正の相関関係を示していた。とくに、エネルギー,蛋白質,脂質、糖質,カルシウム,鉄,ビタミンA,ビタミンB1,ビタミンB2等は身長,体重,身体組成の計測値との有意な相関があることが明らかになった。

 また,エネルギー及び各栄養素における相関構造を見ると,各栄養素の間に正の相関がみられた。とくに,エネルギーと蛋白質,脂質,糖質の間,蛋白質と脂質,鉄の間に高い相関係数(r>0.6)を示し,エネルギー源として蛋白質,脂質,糖質が大きな影響力をもつことがわかる。したがって,人体の構成成分は食物の成分と共通したものが多く,栄養素摂取の過剰と不足,そして不均衡は身体組成においても過剰と不足や不均衡を生じることが考えられる。

(5)身体組成の性別,年齢別の変化

 本研究から得られた推定式に,瀋陽市9〜12歳小学生(男440人,女451人)の身体計測値を代入することにより,身体組成の性別的,年齢別的変化を検討した。身長,体重発育の経過は交差現象が見られたが,体重の2成分(体脂肪量と除脂肪量)の変化は交差現象がなく,除脂肪量は9歳から12歳まで男子が女子より高い数値で推移していた。それに対して,女子の体脂肪量は男子より大きかった。身長,体重については,男女の間に統計的な有意な差はみられなかったが,身体組成において,両性の示す差異は著しく大きな違いが認められた。以上より,人体の生理機能との関連が強い身体組成の測定は身体発育・発達を十分に理解するうえで非常に重要なことである。

3.体型の状況

 中国児童の性・年齢・身長別標準体重によって小学生の体型を評価した。男子では,やせ傾向(やせ,やせぎみ)の者は31.1%,肥満傾向(肥満,肥満ぎみ)9.8%であった。一方女子ではそれぞれ35.7%,6.4%で,やせの者は女子の方がやや多く,肥満は男子の方が高い傾向を示したが,いずれもやせ傾向の小学生の多いことが特徴であった。

 本研究については,性,年齢,身長,生活活動により,身体組成と栄養摂取量への偏りを避けるために,それぞれのやせ・肥満傾向児と同性,同年齢(または同学年),身長±3cm以内,運動時間が±1時間以内,平均睡眠時間が±1時間以内,身長別標準体重が正常値の範囲にある者が対にされ,考察を行った。

(1)やせ傾向児について

 やせ傾向群の体型の特徴は,体重が少ない状態であり,しかも身体組成からみると,体脂肪量が少ないだけにとどまらず,除脂肪量も少なかった。除脂肪量は生命の維持に重要な意味を持つものであるから,無視できない。発展途上国における児童のやせ率は,先進国より高く,環境因子の影響が重視される。そこで,中国瀋陽市におけるやせの因子について調査した。

 a.栄養摂取量との関連:やせ傾向群については,エネルギーと三大栄養素(蛋白質,脂質,糖質),カルシウム,ビタミンC,女子で,ビタミンB2,ナイアシンの摂取量は著しく低く,対照群に比べ有意差が認められた。以上より,やせ傾向群の摂取食品は三大栄養素の摂取量だけでなく,微量栄養素の摂取量も少なく,低栄養の問題が重視されなければならない集団であることが明かである。

 b.偏食との関連:偏食状況については,本研究では,偏食の度合による1度と2度にわけて男女差をみた。その結果,偏食1度は男子がやや多く,偏食2度については,女子がやや多かったが,男女の間に,統計的に有意な差はみられなかった。1度の偏食は,はっきり嫌いとしてあげた食品数は3種類どまりであり,栄養上は実害はないと思われる。しかし,4種類以上嫌いな食品のある2度の偏食は,やせとの関連があることが認められた。

 c.経済状況との関連:本研究で瀋陽市におけるエンゲル係数の平均値は53.7%で,消費の半分以上を食費に充てているという状況が描き出されている。やせとエンゲル係数との関係についてみると,やせ傾向群では,約3分の1がエンゲル係数60%を超えた家庭の出身で,肥満傾向群ではエンゲル係数40〜60%の家庭が集中し,各群の間に有意な差がみられた。やせ傾向群については家庭の生活水準が低いことが認められた。

(2)肥満傾向児について

 本研究によると,男子では肥満の頻度は4.8%,女子では3.1%であり,1981年度の瀋陽市における小学生の調査結果に比べて,肥満の頻度が上昇してきた。即ち,12年間に,肥満の頻度は7.8倍に増加した。肥満傾向群の身体計測値と身体組成の特徴は,体重が顕著に増加するつれて,皮下脂肪厚,体重に占める体脂肪量の割合,除脂肪量が増加し,著しい有意差が認められた。

 肥満傾向群の栄養摂取状況について,男子のビタミンCを除き,いずれも多く,特にエネルギー,脂質,糖質,男子のナイアシンの摂取量で,対照群との有意差が認められた。以上から,多くの肥満児の糖質や脂質を多く含む食品に対する食欲のレベルは,対照児のそれを上回っていることを示唆された。

 本研究により,中国瀋陽市の小学生における身体発育の現状とそれに影響する環境要因が明らかになった。これは望ましい身体発育を目的とした健康教育の展開,健康指導の方向づけをする根拠となるものである。水中体重秤量法により身体密度を求めるとともに,簡易な身体計測値から,初めて中国児童用の身体密度推定式を開発し,さらに,身体組成の年齢による変化や性差は身体発育に関する分野に応用し,摂取エネルギー及び各栄養素のバランスからやせ・肥満という栄養学の分野にも応用し,今後,中国小学生の身体組成を研究するための基礎的資料を提供した。

審査要旨

 本論文は、公衆衛生の水準や人々の栄養状態を反映しうる児童の身体発育に着目し、特に従来中国においてはほとんど着手されていない皮下脂肪の変化や身体組成について実測に基づき考察を加えた研究である。社会経済状態の変化が著しい中国にあって、その東北部に位置する瀋陽市の小学生の身体発育と身体組成、栄養状況の調査検討を行い、これらのデータを今後の児童の健康増進対策を立案する際に役立てることを究極の目的としている。

 本研究は瀋陽市の小学校第3〜6学年児童を対象とし、1993年および1994年に実施した異なる2つの調査を元にしている。第1回調査は891名を対象に発育の現状把握を行った。瀋陽市の小学生は、身長では10年前、体重では20年前の日本の小学生の平均値に近い発育状態であった。また、思春期のスパートの時期も現在の日本より高い年齢で生じていた。第2回調査は227名の小学生を対象とし、身体発育の調査に加え、水中体重秤量法を用いた身体密度の測定を元に身体組成を求めた。身体密度と各身体測定項目との相関関係が明らかになったが、この結果から、上腕背部と肩甲骨下部の皮下脂肪厚の和によって身体密度を推定する単回帰式を導き出した。さらに、式の適合度も検討し、広く用いられている長嶺の式や北川の式よりも中国東北部小学生については当てはまりの良い式であることを示した。

 次に、この式を用いて、第1回調査の対象者について身体組成の性別、年齢別の変化を検討した。9歳から12歳では除脂肪および体脂肪に明らかな男女差が認められ、身体発育は身長・体重のみでは理解できず身体組成の把握が重要であることが強調された。また、本研究の栄養調査から、栄養摂取量と身長、体重、除脂肪、体脂肪との間に正の相関が見られ、性別・年齢別・身長別標準体重によって評価された体型との関連も示された。さらに、やせ傾向群については体脂肪も除脂肪も少ないタイプであり、先進国のやせとは異なる状況であることが明らかになった。肥満傾向者の割合は日本や他の先進国に比べてまだ低いといえるが、瀋陽市においては12年前に比べて7.8倍も増加していた。また、肥満群はやせ群に比べて生活水準の高い家庭の児童が多く、エネルギー、脂質、糖質、ナイアシン摂取量も有意に高いなど、発育に影響する要因の概要も把握された。

 本論文は、中国東北地方、瀋陽市の小学校第3〜6学年児童における身体発育の現状と、発育に影響する栄養状態や環境因子を明らかにすると共に、水中体重秤量法により身体密度を求め、初めて中国児童用の身体密度推定式を導き出して、2部位の皮下脂肪厚測定という簡便な方法によって広く応用できることを示した。これは今後の健康教育の展開および健康指導の方向を定める根拠となるばかりでなく、教育学および健康科学の発展に大きく寄与したと考えられる。よって本論文は博士(教育学)の学位を授与するに相応しいと判断された。

UTokyo Repositoryリンク