学位論文要旨



No 113117
著者(漢字) 大河内,学
著者(英字)
著者(カナ) オオコウチ,マナブ
標題(和) 都市空間の歩行者分布に関する研究
標題(洋)
報告番号 113117
報告番号 甲13117
学位授与日 1998.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4024号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨

 都市内の繁華街のように多数の人でにぎわう地域では、人間による実に様々な都市活動が営まれている。こうした都市のにぎわいを定量的に分析することは、都市の様相そのものを説明するためにも、また、新たな建築や都市を計画する上でも重要であると考えられる。

 本研究は、都市空間における歩行者の分布状態に着目し、街路上に展開する複雑な人間の都市活動の様態を定量的な分析によって記述することを目的としている。

 本論文は、序章、及び1章から7章によって構成される。また、第1章から第7章までは3編に大別される。

 第I編は、「基礎編」で第1章がこれに相当する。

 第1章においては、都市空間における歩行者の分布様態についての議論を進める上で、必要不可欠な基礎的概念と理論について述べる。歩行者分布の様態を視覚的に記述する技法の一つとして、歩行者等値線図を用いた地形的な表現の可能性と、本研究の調査結果への適用例を示す。また、歩行者の集中や分散といった都市現象を記述する上で重要な概念として、にぎわいの「遷急面」、すなわち歩行者が急激に減少する場所について、定量的な諸特性とその概念を提示する。

 第II編は、「調査・分析編」で、第2章から第4章までが相当する。

 第2章においては、本論文で考案した調査法について解説し、調査方法が、簡便かつ歩行者の位置情報の取得に対し有効な手法であることを示す。本研究で採用する調査法の性格は、連続した平面上のデータを映像記録として取得することを目的とした、ビデオカメラを用いた移動計測であると位置づけられる。ビデオカメラを用いた調査法の利点は以下の3点に要約される。

 1)映像記録として残るため、何度も繰り返して計測可能である。手動計測とは異なり、計測のやり直しができる。

 2)人数だけではなく、各歩行者の位置情報を得られる。また、服装、性別、年齢などの属性情報も得られる。

 3)計測可能な歩行者数の大幅な増加が期待できる。ビデオカメラを用いた場合、ビデオレコーダーでスローで再生できるため、歩行者が重なり合って判別できなくなる群集流動まで計測できる。

 また、移動観測の利点は、以下の2点に要約される。第一に、複数の計測点における定点観測から集計される離散的な量とは異なり、連続量としてデータを収集できること。第二に、移動して計測するため、短時間のうちに広範囲な地域を調査することが可能なことである。一般に、都市における歩行者分布の様態は把握が困難なものとされている。これは歩行者自体が定常的に移動していること、また歩行者の行動圏が広く、実態の調査に多数の人手と時間を要することに起因している。本研究では上記に挙げた調査法の利点を生かし、歩行者の実態調査として、簡便かつ有効な歩行者数調査法を提案する。

 さらに第2章では、具体的な調査例として、東京の代表的な繁華街である渋谷、新宿、池袋の3地域を対象にした歩行者分布調査を行う。特に東京の代表的な繁華街として知られる渋谷に関しては、渋谷全域の調査とは別個に、多数の歩行者でにぎわう渋谷駅北西部に調査街路を限定した調査を行う。全調査における調査人員は一名(筆者)で行っている。

 第3章においては、収集したデータの処理とデータベース化の手続きを行う。具体的には、取得したビデオの原画像をもとに歩行者の計測時間の情報と属性の入力方法について説明し、3地域合計33,539人の歩行者の位置情報及び属性のデータベース化を行う。データの処理においては、調査法が移動計測であることに伴う誤差の補正について考察し、正しく歩行者の位置を補正する方法について解説する。

 第4章においては、調査で取得したデータをもとに、歩行者分布の集中や分散を、場所との対応において明らかにする。はじめに、調査結果を歩行者分布図として図示し、歩行者の大局的な分布状態について俯瞰的な視点からの把握を行う。次に、歩行者の都市空間における分布状態を様々な定量的指標に基づき考察する。分析は大きく二点あり、第一は、調査街路全体をネットワークとして捉えた場合の分布状態と、駅を起点とする歩行者密度の空間的な分布状態についての検討である。第二は、歩行者分布と都市の地理的な条件との対応を考察する目的から、歩行者の分布を決定する主たる要因の一つである、建物延床面積と歩行者数の関係について、その相関の有無を数理的に検証することである。分析の結果、大局的な観点からは両者に相関が見られるものの、建物とその近傍の歩行者といった微視的な観点からは相関がないことを明らかにする。また、歩行者の分布と歩行目的となる建物の配置の関係を議論する上では、ここで行った分析とは異なる分析の道具立てが必要であることを示し、次章以下の問題とする。

 第III編は「シミュレーション編」で第5章から第7章までが相当する。前編までは調査結果の分析を主眼としたが、第III編では、現実の都市を想定した歩行者分布のシミュレーションを行う。ここでは歩行者の歩行行動を促す目的地の分布と経路長を考慮に入れたモデルを設定し、計算機上で歩行者流動量の配分を観察する歩行者主体のシミュレーションを行い、歩行者分布の疎密が形成されるメカニズムについて大まかな推測を可能にする仮説化の作業を試みる。最後に現実の調査結果との比較からモデルの有用性について評価と検討を行う。

 第5章においては、次章で展開する歩行者分布のシミュレーションの初歩的段階として、都市内における歩行者数の配分についての理論的な基礎を得ることを目的とする。はじめに、単純な形態のモデルを設定し、目的地の分布密度関数に従って配分される流動量の計量を行う。場の重み付けとしては、目的地が一様に分布する場合と、目的地が中心に密に分布する場合、目的地が段階的に減ずる場合の3つの異なる密度分布関数を設定する。試行結果から、起点と目的地の分布状況に対応した歩行者の流動量の配分傾向を探る。また各調査地域を例にしたケーススタディとして、実際の街路網をモデルに導入し、同様のシミュレーションを行う。上記の試行結果から街路のネットワークの幾何学的な性質が、歩行者分布の大勢を決定する上で支配的な要因となることを明らかにする。

 第6章においては、第5章のケーススタディの結果において、実際の調査結果と適合しない点、特に局所的な歩行者分布の歪みについて検討を行う。新たに商業施設の配置や歩行条件条件を考慮したモデルを設定し、より現実に近いシミュレーションを行う。しかる後に、試行結果をもとに魅力ある大規模な商業施設が繁華街の歩行者の分布様態に与える影響について定量的な観点から議論する。最後に調査結果との比較から、モデルの有用性についての評価と検討を行う。

 第6章のシミュレーションでは、歩行者に幾つかの初期的な条件を与えた上で、歩行経路の重ね合わせを行い、歩行軌跡の集積から歩行者分布を観察する作業を行う。歩行者に与える初期的な条件として、歩行距離の限界と、トリップの回数を設定する。また第5章までの規則的な目的地の密度分布に代わるものとして、現況の建物の延床面積を場の重み付けとして与える。この重み付けとトリップ回数を変化させることにより、分布状態の変化を観察する。

 第6章のシミュレーションは、3つのシミュレーションから構成され、それぞれ条件設定により、「基本モデル」、「修正モデル1」、「修正モデル2」に対応している。

 「基本モデル」では、はじめに、第5章と同様の場の重み付けを設定し、ネットワークの幾何学的な性質と、歩行条件のみが反映された結果を観察する。その結果、ネットワークの構造上、自ずと利用頻度が高くなる街路を明らかにする。次に予備試行の結果を受け、都市の現況に即した形で、建物の延床面積を場の重み付けとして与えたシミュレーションを行う。大規模な建物の配置が歩行者の分布に対して与える影響を観察するために、15,000m2以上の延床面積を持つ建物に重み付けをするが、重みとして1.0、2.0、3.0、5.0を設定する。予備試行の結果と比較すると、中心部に流動量が集約され、主要な幹線街路への集中が、より助長される結果となる。また着目すべき点として、遷急面の発生が挙げられる。特に大規模な商業施設が面する街路に顕著で、調査結果とほぼ符合する位置に観察される。この遷急面は、予備試行においては観察されないため、遷急面が形成される原因は、街路の分岐と合流といったネットワークの構造とは無関係で、歩行目的となる建物の分布と強い関係があると結論づけられる。

 「修正モデル1」では、商業施設が密集する街路の流動量が不十分な「基本モデル」の結果を受け、延床面積が15,000m2以上の建物のうち、商業施設と認められるものに対し、特別に重み付けを与えたモデルを考える。このシミュレーションでは、大規模な商業施設の近傍における遷急面の落差が助長される傾向が観察される。また遷急面と駅間の街路に流動量の集中が見られ、新たに大きな集客力を持った建物が配置された場合、建物の近傍のみならず、大規模な店舗と駅を結ぶ経路全体の流動量が増加することを明らかにしている。

 「修正モデル2」では、「修正モデル1」に建物の立地の概念を導入し、建物の延床面積によって付与される重みと目的地の分布密度関数を同時に組み合わせたモデルを考える。ここでは、各建物が歩行目的となる頻度は、駅周辺の建物ほど歩行目的になり易いといった程度の大まかな重み付けを設定する。

 本論文では、モデルに修正を加えながらほぼ調査結果に適合する結果が得られている。シミュレーションのシステムの利点として、以下のように要約できる。

 1)歩行者主体のシミュレーションの形態をとるため、街路上の各計測点において、歩行者数の実数値として試行結果が得られること。

 2)前項と同様の理由から、任意の歩行者数を歩行させることができ、試行間の定量的な比較が容易であること。また調査結果との比較も容易であること。

 3)任意の歩行者数で試行を打ち切ることができるため、計算時間を調節できること。

 4)場の重み付けの変更に自由度があること。また、任意の地点に対し、新たに重み付けを付加することにより、商業施設等、大きな歩行目的となる建物の配置に対する、歩行者分布の変動を予測できること。

 5)歩行者の初期条件の変更が容易で、環境や地理的条件に対応した歩行者分布の予測に有用なこと。

 第7章においては、本論文の意義、問題点、さらに今後の展望について総括する。

 本論文の意義を要約すると以下のようになる。

 1.東京の代表的な繁華街である、渋谷、新宿、池袋の3地域において歩行者分布調査を行い、合計33,539人の歩行者の位置情報及び属性のデータを収集し、そのデータベース化を行った。

 2.都市の広範な地域における歩行者分布の実態調査に有効な調査法を考案し、具体的な調査例を示した。

 3.漠然と理解されている歩行者の分布様態を定量的な側面から明らかにした。またそれを視覚的に提示した。

 4.都市内、とりわけ繁華街における歩行者分布の様態を読み解く上で、有効な概念と分析手法を提示した。

 5.パーソナルな計算機の環境において、歩行者分布の様態を知る、シミュレーション・システムを開発した。

 本論文の課題を要約すると以下のようになる。

 1.本論文の調査方法は、簡便で歩行者の位置情報を連続量として収集できる利点があるが、計測者の移動に対する順行と逆行の計測機会の差の補正に課題を残している。今後は、この問題点について再考するとともに、位置情報を取得するための調査法自体にも検討が加えられる必要がある。

 2.本論文のシミュレーションは、歩行者分布の変動の予測に対し、大規模な建物の影響力に対しては有効であるが、中小規模の商業施設が密集する街区が持つ、「吸引力」や「魅力度」のモデル上での表現方法に改善の余地が残されている。これら延床面積の数値に反映されない都市的要素や、地域やネットワークの個別性に対応可能なモデルを構築する必要がある。

審査要旨

 本論文は都市空間の街路上における歩行者分布の様相を実地調査とシミュレーションにより明らかにしたものである。分析の対象としたのは東京の3つの繁華街(渋谷、新宿、池袋)であるが、その手法は汎用的で他の都市の街路に対しても適用可能である。

 街路上の歩行者数は従来は断面交通量として捉えられることが多かったが、本研究は独自に考案したVTRを用いる手法を用い、ほぼ同時刻に広範な平面上での歩行者分布を容易に捉えることを可能にしている。この手法により都市空間の面的な人の分布が把握できるが、それがどのような要因により決定されているかを計算機を用いたシミュレーションにより考察している。繁華街の賑わいは目的を持つ多数の人々の移動の軌跡の重なりとして生じるが、その要因は複雑で、また多義的である。したがってその因果関係を把握することは極めて困難であるが、マクロに人の移動を捉えるとそこには一定の傾向がある。本研究はこの傾向の生じる要因をシミュレーションのパラメータを変化させることにより明らかにしようというものであるが、最終的には商業施設の延床面積と建物の立地、歩行者のトリップ回数とトリップ長の4つの要因から繁華街の賑わいを再現できることを実証している。

 論文は序章および7章から成り、巻末にデータシートと主要プログラムリストを付加している。全体は3編から成る。第I編(第1章)は基礎編で、第II編(第2章〜第4章)は調査・分析編、第III編(第5章〜第7章)はシミュレーション編である。

 序章は本研究の位置づけで、その目的を明らかにすると共に既往研究を概観している。

 第1章は歩行者分布の基礎的な考察で、都市空間を「場」として捉える視点を述べた後に、東京の6地域(渋谷、吉祥寺、下北沢、経堂、原宿、豪徳寺)の30の街路を対象に、歩行者の断面交通量の減衰傾向を最大格差と最大変化率から分析し、急衰型、定常型、漸衰型の3つに類型化している。この分析結果を地形論的に解釈する過程において歩行者数が急激に減少するエリアの存在を見いだし、これを「遷急面」と定義している。

 第2章は調査概要で、VTRを用いた調査方法の説明に続き、欧州14都市での調査、渋谷北西部での調査、渋谷、新宿、池袋での調査概要について解説している。VTRを利用した調査方法の利点として、再現性があることの他に歩行者分布を連続量として捉えられることを強調している。

 第3章はデータベースの作成方法で、VTRから得られた歩行者の位置の補正方法について説明している。

 第4章は歩行者分布の分析で、先ず街路上の歩行者の分布状況を線密度として表現している。これと街路上に同数の歩行者が均質に分布すると仮定した場合の期待値との比(相対密度)に着目し、込み合っている街路を抽出し、その時系列変化を観察している。次に駅を中心とする環状の圏域を設定し、この圏域での歩行者密度の変化を観察している。また、歩行者数と建物延床面積との相関を調べているが、その結果として街路近傍の建物延床面積には相関がなく、環状の圏域の外部の一定の領域内にある建物延床面積との間には相関があることを見いだしている。

 第5章は歩行者数の配分に関する基礎的な考察で、先ず3つの基本的な目的地の分布モデル(一様分布、線形減衰、不連続減衰)を作成し、このモデルのもとに歩行者が移動した場合をシミュレートしている。次に同じモデルを渋谷、新宿、池袋の街路の適用し、現実の歩行者数との相関を調べているが、その結果として駅を中心とする放射状の街路における歩行者数の増加はシミュレートできるが、その他の街路での局所的な集中や分散に対してはうまく適合しないことを確かめている。

 第6章は前章のシミュレーションの反省から、先ず人の移動に制限を設けた場合を考察している。移動に際してのトリップ数とトリップ長を制限するもので、より現実の歩行に近い形で目的地が選択されるように工夫している。次に大規模な建物には、より強い吸引力があるとの仮定のもとに、延床面積が15,000m2以上の建物に重みを付けている。これらの仮定の下でのシミュレーションの結果、渋谷では良好な相関が得られるが、新宿、池袋では更なる修正が必要であることが判明している。修正モデルIは大規模建築物の内、商業施設に特に重い重みを付けたものである。修正モデルIIは、更に建物の立地を考慮して駅に近い建物に重みを付けたものである。最終的には修正モデルIIで全ての地域において良好な相関が得られることを示している。

 第7章は全体の総括で、成果としてVTRを用いた簡便で共時的な歩行者数の位置データを得る手法を確立できたこと、また歩行者分布の要因として街路のパターンの他に、歩行者のトリップ数とトリップ長、大規模商業施設の分布、駅からの立地等が大きな働きをしていることを実証できたこと等を挙げている。

 以上要するに、本論文は現代都市の繁華街の賑わいという漠然とした概念を歩行者数の分布から捉える試みであるが、そのVTRを使用した調査手法は極めてユニークなもので、またシミュレーションの結果として得られた知見も都市と歩行者との相関を考える上で示唆に富んでいる。これは現代都市の様相を捉える論として極めて独創的なもので、建築計画学、都市計画学の分野に新たな視点を導入するもので、その意義は極めて大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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