内容要旨 | | この論文の目的は,日本語の統語情報の処理機構,およびその処理段階を明らかにすることである.そこで,格助詞「が」あるいは「を」が付加された名詞句と,その名詞句と統語的に照応する動詞の間の格関係の整合性に注目し,先行する統語情報がどのように利用され保存されているのか,また,予測が外れた場合にはどのような処理を受けるのかを明らかにするための実験を行った. まず,名詞句をプライム,動詞をターゲットとして統語プライミングの実験を行った.その結果,語彙判断課題を用いた場合,プライムとターゲットの間に連想関係がない場合にはSOAが700msの時にだけ統語プライミングが見られ,SOAが250msの時にはプライミングが見られなかった.これに対して,プライムとターゲットの間に連想関係がある場合には,SOAが250msの時にも700msの時にも統語プライミングが見られた.これらはいずれも抑制的な効果であった.さらに,音読課題を用いたところ,プライムとターゲットの間に連想関係がある場合にはSOAが250msの時にも700msの時にも統語プライミングが見られたが,連想関係がない場合にはいずれのSOAでも統語プライミングは見られなかった. これらの結果は,名詞句と動詞の間に連想関係がある場合とない場合とでは統語情報が異なる段階で処理されていることを示している.そこで,連想関係の有無によって統語情報が異なる段階で処理されているという仮定を導入して,結果の説明を行った. 次に,名詞句と動詞の間に別の語が挿入され,これらが直接隣り合っていない場合にも統語プライミングが見られるか否かを調べる実験を行った.このような非隣接プライミングは,先行研究から,連想関係がある場合と連想関係がない場合とで異なる結果が得られると予測されるので,連想関係の有無によって統語情報の処理段階が異なるという仮定が妥当であるか否かを検証した.その結果,名詞句と動詞の間に連想関係がある場合には非隣接条件での統語プライミングが小さくなるが,連想関係がない場合には非隣接条件でのプライミングは隣接条件と同じ大きさであることが明らかになった.すなわち,連想関係の有無によって非隣接プライミングの結果が乖離したことから,連想関係の有無によって統語情報の処理段階が異なるという仮定が妥当であることが示された. 1語を隔てても統語プライミングが見られるという事実は,先行呈示された統語情報が何らかの形で保存されているということを示している.そこで,語彙処理後段階で統語情報を保存しているのは作動記憶ではないかという可能性を検討するために,作動記憶容量の個人差と統語プライミングとの関係を調べる実験を行った.その結果,作動記憶容量の大きさによる統語プライミングの性質に違いは見られなかった.従って,連想関係がない場合の統語情報は作動記憶とは独立したモジュールに保存されていると結論された. ここまでの実験は,統語的な予測が妥当である場合だけを調べてきたが,必ずしも予測と一致する語句が後続するとは限らない.このようなガーデン・パス文の処理がどのような性質であるのかを明らかにするために,クリック・モニタ課題を用いて実験を行った.クリック・モニタ課題とは,文を視覚的に呈示している途中でクリック音を呈示し,被験者はクリックが呈示されたらできるだけ素早くキーを押すという課題である.その結果,予測が誤りであることが明らかになる文節が呈示されてからクリック音が呈示されるまでの遅延時間が50msおよび250msの場合にはガーデン・パス文と非ガーデン・パス文の間に成績の違いが見られなかったが,遅延時間が700msの条件ではガーデン・パス文の方が成績が悪かった.これは,ガーデン・パス文に対する再分析が,文節の呈示後250msまでは生じておらず,700msていどの遅延を経て生じていることを示している. この結果から,ガーデン・パス文の処理には作動記憶が関与しているのではないかという可能性が想定された.そこで,作動記憶容量によって被験者を分けてクリック・モニタ課題の成績を比較したところ,全体的な成績には差が見られたものの,ガーデン・パス文に対する処理の負荷には差が見られなかった.この結果は,ガーデン・パス文の再分析を行うためには汎用的な処理資源を必要としているものの,いったん処理資源が配分されれば その量には依存せずに処理を行うことができることを示している.すなわち,ガーデン・パス文の処理過程は,処理資源を配分されることによって起動するモジュールのような性質であると結論された. |