本研究は、日本近世における芸能の歴史的性格を、「芸能の商品化」という視点から検討しようとしたものである。ここでは芸能という「商品」の生産・流通・消費の諸過程について、その全体像を解明すべく取り組んでいる。そして、芸能者集団、興行師、観客、芸能の場などの諸側面を、芸能の存立環境としてとらえ、瀬戸内海地域を対象に設定しながら論述している。こうした視点や方法はこれまでの芸能史には全く見られなかったもので、以下の点で重要な成果をあげている。 1.讃岐金比羅、豊後浜之市、豊後若宮、伊予三島、安芸宮島など、瀬戸内海地域の主要な芸能の場を詳細に分析し、それぞれにおける芸能興行の内容とその存立環境を具体的に解明した。また、芸団の諸形態や上方の芸能集団との相互関係についても明らかにした 2.芸能の場を分析するなかで、市場、市の支配や興行にかかわる粋方(すいほう)、角力や遊女など、芸能や芸能者と深く係わる存在を発見し、これらが全体として芸能の存立環境を形作る様相を明らかにした。 3.粋方を中心とする侠客らの社会集団としての実態をはじめて解明し、かれらが領主支配の領域をこえて広域のネット・ワークを持つこと、その本質は遊女の宿・芸能民の宿、角力取の勧進元・商人宿・賭勝負宿・盗賊宿など、「宿」という性格を持つてんにあることなどを指摘した。そして、こうした侠客集団のネット・ワークのありかたこそが、上方と瀬戸内海地域における芸能の流通構造を規定するものであることを示した。 4.近世的な商品としての芸能の性格を検討し、(1)芸能の商品化と遊女売買とが特にその流通・消費の局面で相互にきわめて密接に結びついていること、(2)観客が消費者とし均質化されておらず身分的・多元的構造をもつこと、(3)宗教性を色濃く帯びること、などが「近世的」特質の内容であることを明らかにした。 本研究は、芸能史にとどまらず、日本近世の身分論や社会・文化構造の本質にせまる論点を内包しているが、この点にはまだ十分自覚的な検討が加えられていない。しかし、上記の顕著な成果にてらして、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に相当するものとの結論をえた。 |