本論文は、19世紀中葉の香港を中心とした中国の開港場の貿易関係をイギリス系中小規模の商社の活動に焦点を当てて検討し、とりわけ貿易統計の作成に多くの努力を費やした論文である。 従来19世紀中葉の中国はヨーロッパの開港圧力によるいわゆるウェスターン・インパクトの時期として捉えられてきた。それに対しては近年アジア間交易という地域経済圏の議論も進められてきており、筆者はこの問題意識に立ちながらも、ウェスターン・インパクトの内実である貿易関係を具体的な統計数字によって明らかにする必要があるという強い問題意識に基づいて、香港現地において多くの資料・貿易統計が発掘・調査されている。 この現地研究の成果も踏まえ、本論で明らかにされた点は以下の通りである。 (1)19世紀中葉ではイギリス系中小資本の商社の活動が中国の対外交易関係に一貫して重要な役割を果たしていること、 (2)従って中小商社が、彼らの貿易金融を先導するアジア現地の銀行業の設立を必要としたこと、 (3)しかし同時にウェスターン・インパクトの中で議論されてきた中国とヨーロッパの貿易関係も商品別貿易統計の内訳を見ると東南アジアと中国華南を結ぶ米や砂糖、海産物など在来の交易品が上位を占めていること、 (4)そこでは香港と東南アジアを結ぶ中国商人の貿易活動が上位を占めていることなどである。 とりわけ筆者が最も重点を置いている統計数字の処理においては商品名、価格、取扱い商人、生産地、入港地などの事項を一年間で4,000件弱をデータベース化し、統計処理を加えて原数値を分類した作業は、本論文における統計作業の重要な試行部分をなしている。本論文は従来の歴史研究における因果関係を中心とした叙述型の体裁をとるというよりも、統計数字に依拠し、歴史を語らせるという手法をとっている。学会においてこれに対する評価はまだ確立されていないが、本論文は新しい型の経済史の論文として、多くの問題提起をなしている。 もちろん本論文には、文章表現を含め、問題関心と論証との関係、貿易統計表の説明のしかた、統計に基づいた歴史的文脈の論理展開などにおいてより工夫を深めるべき点も存在している。しかし、これらの欠陥は本研究が挙げた成果に比べれば小さなものであると判断でき、かつ本研究が公刊されるまでに修正可能なものであることに鑑みて、審査委員は全員一致で本論文が博士論文として十分な価値を有するものであるとの結論に達した。 |