学位論文要旨



No 113128
著者(漢字) 明星,聖子
著者(英字)
著者(カナ) ミョウジョウ,キヨコ
標題(和) 「批判版カフカ全集」の意義と限界 : フランツ・カフカの遺稿をめぐる編集文献学的考察
標題(洋)
報告番号 113128
報告番号 甲13128
学位授与日 1998.03.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第195号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅井,健二郎
 東京大学 教授 平野,嘉彦
 東京大学 教授 松浦,純
 東京大学 助教授 重藤,実
 東京大学 助教授 藤井,啓司
内容要旨

 フランツ・カフカは、生前、自作のほんの一部しか公表しなかった。『審判』や『城』などの長編小説を含む現在カフカの作品と呼ばれているものは、大部分が死後遺稿から出版されたものである。

 よく知られているように、カフカの遺稿を最初に編集・出版したのは、彼の親友マックス・ブロートである。そして、ブロートの世に出したカフカ全集は、つい近年までカフカ研究の唯一の底本でああった。

 ところが、これもまたよく知られていることであるが、ブロートの編集したカフカ・テクストに対しては、はやくも1950年代より、その「信頼性」について厳しい批判が繰り返されていた。と同時に、それに代わる「信頼のおける」テクスト、すなわち文献学的編集を経たカフカ全集の必要性が、長年にわたり強調されてきたのである。

 待望の初の学問版カフカ全集、「批判版カフカ全集」の出版がはじまったのは、1982年のこと。以後、この全集は順調に刊行を続け、現在(1997年)までに7巻を出し、すでに「手紙」をのぞく、すべての文学テクストの出版を終えている。

 本論において考察するのは、この新しいカフカ全集、「批判版カフカ全集」がカフカ研究にもたらす意義と限界である。

 各章の構成は以下のとおり。

 まず、第1章では、カフカの「遺書」をめぐるブロートの編集上のミスを手がかりに、もう一度、いまふれたような事情の紹介を含む詳しい導入をおこなう。第2章では、最初にブロートのカフカ編集者としての功績を確認したうえで、ブロートの編集の問題点を、それに対する過去の批判を紹介することによって明らかにし、その過程で、新しい全集が出てこざるをえなかった理由を浮き彫りにする。第3章では、「批判版カフカ全集」の概容と編集方針を確認し、そこからすでに見受けられるその意義の一端、そして限界の一端を示唆する。またこの第3章では、「補遺」として、新しい全集の成立の経緯の理解に欠かせない、カフカの遺稿の伝承の歴史も概説する。

 さらに、第4章では、短編『狩人グラックス』を例に、また第5章では長篇『城』を例に、それぞれ、新旧のテクストの形態の違いを明らかにし、それを出発点に、新しくなったテクストが、どのような新しい解釈の可能性を示すか、をさぐっていき、それを通じて、あらためて具体的に、「批判版カフカ全集」の意義と限界を検討していく。

審査要旨

 従来流布してきたマックス・ブロートの編集による『カフカ全集』は、ほとんどが未完で断片的性格の強いカフカの手稿にブロートが様々に手を加え、恣意的に「作品化」していることに対して、多くの批判を受けてきたが、1982年に刊行が開始された『批判版カフカ全集』により、カフカのテクストは、異稿も含めかなりの程度に手稿に近い形で読むことが可能になった。

 本論文は、カフカのテクストの伝承史を総括したうえで、『批判版カフカ全集』を手掛りとして、編集文献学の立場から、カフカ研究の新たな可能性を示そうとするものである。

 5章から成る本論文の前半部において、論者は、カフカのテクストの伝承史を辿りつつ、論述上の立場を明示し(第1章)、ブロートの編集方法の問題点を詳細に検討し(第2章)、そして、『批判版全集』の概要と編集方針を確認したのち、その意義と限界を指摘し、合わせて、手稿完全復元版の刊行の必要性を主張する。これを承けて、後半部では、『批判版全集』により可能になった異稿検討の成果として、短篇『狩人グラックス』(第4章)と長篇『城』(第5章)の新解釈を提示する。

 本論文は、その叙述に繰り返しを多く含み、また、新解釈として示される解釈がひとつのテクストの一部分のみを対象としている点、さらに、「作品(Werk)から書字(Schrift)へ」と謳いながら解釈が<作品>概念に依拠しており、この意味で論者の批評的視点にぶれが見られる点、等に問題がなくはない。とはいえ、本論文がカフカのテクストの伝承史上の問題点を網羅的に総括しつつ、カフカ研究において編集文献学的解釈という新しい可能性を具体的に示していることは充分に確認でき、今後の展開に大きな期待を抱かせる。

 以上により本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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