フランツ・カフカは、生前、自作のほんの一部しか公表しなかった。『審判』や『城』などの長編小説を含む現在カフカの作品と呼ばれているものは、大部分が死後遺稿から出版されたものである。 よく知られているように、カフカの遺稿を最初に編集・出版したのは、彼の親友マックス・ブロートである。そして、ブロートの世に出したカフカ全集は、つい近年までカフカ研究の唯一の底本でああった。 ところが、これもまたよく知られていることであるが、ブロートの編集したカフカ・テクストに対しては、はやくも1950年代より、その「信頼性」について厳しい批判が繰り返されていた。と同時に、それに代わる「信頼のおける」テクスト、すなわち文献学的編集を経たカフカ全集の必要性が、長年にわたり強調されてきたのである。 待望の初の学問版カフカ全集、「批判版カフカ全集」の出版がはじまったのは、1982年のこと。以後、この全集は順調に刊行を続け、現在(1997年)までに7巻を出し、すでに「手紙」をのぞく、すべての文学テクストの出版を終えている。 本論において考察するのは、この新しいカフカ全集、「批判版カフカ全集」がカフカ研究にもたらす意義と限界である。 各章の構成は以下のとおり。 まず、第1章では、カフカの「遺書」をめぐるブロートの編集上のミスを手がかりに、もう一度、いまふれたような事情の紹介を含む詳しい導入をおこなう。第2章では、最初にブロートのカフカ編集者としての功績を確認したうえで、ブロートの編集の問題点を、それに対する過去の批判を紹介することによって明らかにし、その過程で、新しい全集が出てこざるをえなかった理由を浮き彫りにする。第3章では、「批判版カフカ全集」の概容と編集方針を確認し、そこからすでに見受けられるその意義の一端、そして限界の一端を示唆する。またこの第3章では、「補遺」として、新しい全集の成立の経緯の理解に欠かせない、カフカの遺稿の伝承の歴史も概説する。 さらに、第4章では、短編『狩人グラックス』を例に、また第5章では長篇『城』を例に、それぞれ、新旧のテクストの形態の違いを明らかにし、それを出発点に、新しくなったテクストが、どのような新しい解釈の可能性を示すか、をさぐっていき、それを通じて、あらためて具体的に、「批判版カフカ全集」の意義と限界を検討していく。 |