本論文は社会的事実としての群衆の近代日本社会における意味を、社会形態学及び歴史社会学から実証研究をもととして、社会理論として構築しようとした意欲的研究である。本論文は2部構成をとっている。1部は、人々の群衆体験まで含まれる群衆の社会理論の枠組みの構築、2部はその理論を用いて歴史的・社会的事実としての群衆を、近代都市形成途上にあった東京の都市騒乱から分析し、その時間・空間的な展開と、1つの騒乱の内に含まれる展開の複合性や分化を考察することによって、群衆の多様なあり方を分析している。第1章では群衆の歴史社会学的定義と群衆の体験の歴史社会学的定義を中心とする社会理論と研究課題を展開している。第2章は、群衆の封印された時代における家社会の自己弱体化の論理と残余の空間実態を解明し、第3章は、群衆の解放された時代の、絶対主義政治下の都市空間の形成における群衆の居場所の無差別的増加の実態と、そこに表された家社会と結社社会の相反的論理の解明を、第4章では、日比谷焼討事件を素材に群衆の管理された時代のその管理実態と現代的存在形態の解明を行っている。第5章は、都市騒乱としての「大正政変」を対象に都市民衆の意識形態を含めた「主体性」の遂行を社会形態学という独自の方法から展開し、第6章は、東京の米騒動を素材として、そこから群衆行動の3つの形態を抽出し、当時の成年賃金労働者と都市下層社会住民との空間的対立と駆逐が情報空間のありようと不可分になってきたことを指摘している。 この論文は、近代都市形成期に起こった諸騒乱を対象として、そこでの群衆行動を、主体性の遂行という表現で把握し、その内実を、人々の生活に外から与えられた制度や事実を、自らの身体をもって体験し、次に集合的な破壊といい形で否定的に意味つける「観念の技法」と命名にされる特殊なメカニズムが働いていることを論証している。また東京という都市の成立は、近代都市が相互に異なる部分社会によって意味される空間群の複合と統合・連合態として構築されていく、ことと同時並行的であることを論証している。そしてそこから、近代都市諸階層の成立と対抗が、騒乱という社会的事実を介して、都市諸空間を複合と統合・連合態させたり、それを喪わせたり、歴史的に変化する、と結論している。 本論文はこうして、近代都市東京の成立を、近代社会の市民の歴史社会的先行条件としての群衆のあり方の歴史社会学的研究を通じて論じた、きわめてユニークな研究であり、貴重な研究として学界に大きく寄与するものである。よって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。 |