視覚系において、網膜は光を受容する機能と、感度の調節・コントラストの増強・色情報の抽出・運動の検出といった様々な視覚情報処理を行う機能を兼ね備えている。光を受容する視細胞や第2次ニューロンの双極細胞は、光刺激に対して緩やかに膜電位が変化する緩電位応答を発生する。双極細胞の緩電位応答は、網膜の出力細胞である神経節細胞に伝達されるとスパイク列に変換されて脳の視覚中枢へと送られる。神経細胞間での信号の伝達はシナプスと呼ばれる特殊化された部位で生じる。緩電位変化を伝達する網膜のシナプスは、脳のようにスパイクを発生する神経細胞間で信号を伝達するシナプスとは異なり、視覚情報をアナログ的に処理するのに適した機構になっていることが予想される。そこで、本論文では、網膜の双極細胞が緩電位変化を伝達物質の放出に変換する機構について詳細な検討を行った。 実験には、キンギョの網膜から単離したオン型双極細胞を用いた。この細胞は、伝達物質を放出する部位であるシナプス前終末が中枢神経系の神経細胞としては例外的に大きい、という特徴を持っている。双極細胞は伝達物質として、グルタミン酸あるいはその類似物質を放出する。そこで、グルタミン酸受容体を豊富に含むアメリカナマズ網膜から単離した水平細胞を用いて、双極細胞から放出される伝達物質を検出した。シナプス前終末内のシナプス小胞の中に伝達物質は詰め込まれており、シナプス小胞が細胞膜に融合することによって、伝達物質は細胞外に開口放出される。その際、膜面積が僅かに増加するので、膜容量変化を測定することによって伝達物質の放出量を定量的に測定することができると考えられる。本実験では、膜容量測定法も適用した。 一連の実験を行った結果、以下のことが明らかになった。 (1)蛍光性Ca2+指示薬を用いてシナプス前終末における遊離Ca2+濃度を計測したところ、脱分極によってCa2+チャネルを活性化されている間、遊離Ca2+濃度は増加し続けたが、最大でも2Mにしか達しなかった。また、Ca2+チャネルが閉じると、遊離Ca2+濃度は数秒の時定数でゆっくりと減少した。 (2)細胞膜直下の遊離Ca2+濃度をCa2+依存性K+チャネルの活性化を指標として調べたところ、5ms以内に10M以上になることが推定された。 (3)双極細胞に脱分極パルスを与えてから伝達物質が放出されるまでの遅延時間を測定し、この値から伝達物質放出部位での遊離Ca2+濃度を推定した。その結果、伝達物質の放出部位ではCa2+チャネルの活性化に伴い、局所的に100M以上のCa2+が集積し、1ms以内に伝達物質が放出されることがわかった。 (4)伝達物質の放出部位はCa2+チャネルのごく近傍に存在するために、素速く伝達物質を放出することができると考えられる。また、Ca2+チャネルが活性化されると、細胞内の遊離Ca2+は急峻な勾配を持って不均一に分布しうることが証明された。 (5)伝達物質の放出には、脱分極開始後1ms以内に現れる速い成分と、開始後10msも遅れて現れる遅い成分があった。前者は、Ca2+チャネルの極近傍に存在しているために即時放出可能な状態にあるシナプス小胞が開口放出されたために生じ、後者は、Ca2+チャネルよりもやや離れた部位にある放出可能なシナプス小胞が動員されたために生じたものと考えられる。 (6)脱分極によって生じる微小な膜容量変化はシナプス小胞の開口放出を正確に反映していることが明らかになった。この結果に基づき、双極細胞のシナプス前終末に存在する放出可能なシナプス小胞の数は5000個以上あることが推定された。 以上の結果から、網膜の双極細胞は、瞬時に伝達物質を放出するのみならず、持続的にも放出することができる機構を兼ね備えており、光刺激による緩電位応答を忠実に次の神経細胞へ伝達できるようになっていることが証明された。 |