学位論文要旨



No 113134
著者(漢字) 中林,真幸
著者(英字)
著者(カナ) ナカバヤシ,マサキ
標題(和) 製糸資本の勃興と確立
標題(洋)
報告番号 113134
報告番号 甲13134
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第201号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 野島,陽子
 東京大学 教授 石井,寛治
 東京大学 教授 武田,晴人
 フェリス女学院 教授 高村,直助
 フェリス女学院 助教授 谷本,雅之
内容要旨

 [1]蚕糸業の再編1882年フランス恐慌後、ヨーロッパ市場の縮小と、対照的なアメリカ市場の拡大という国際市場構造の変化が生じたが、これは日本の蚕糸業構造における器械製糸化を促進する結果をもたらした。フランス市場が優等器械糸から在来糸まで多様な生糸を需要したのに対し、機械化の進展していたアメリカ絹織物業は、荷口の「大量」性、品質の「斉一」性、繊度の「均一」性を満たす器械糸を需要したからである。そうしたアメリカ市場の需要に応えたのは共同再繰を導入した諏訪製糸家であったが、諏訪製糸家は、1880年代半ば以降、対アメリカ輸出を拡大すると同時に、伝統的な在来製糸地方において大規模な原料繭調達を行い、その結果、養蚕-在来製糸農家が自家産繭を用いた在来製糸を放棄し、単純な養蚕農家として器械製糸原料繭の供給に特化するという、蚕糸業構造の資本制的再編過程が進行することとなった。

 蚕糸業の資本制的再編は輸送基盤の整備に伴って加速し、東日本の幹線鉄道網が確立する1900年代半ばにほぼ基本的に完了する。前橋、福島といった、諏訪製糸家の進出以前に器械製糸業を発達させ得た地域を除いて、東日本全域が諏訪製糸家の原料繭調達圏内となり、養蚕地方の地域経済の発展の方向は、内発的な製糸業の発達を含むそれではなく、原料繭供給地域としての"成長"の方向に固定化されたのである。

 [2]製糸資本の勃興と確立1882年フランス恐慌の衝撃を受けた諏訪製糸家は、共同再繰の導入、生糸検査機構の内部化、製糸家に対する誘因構造の内部管理によって、製糸品位管理面での売込問屋依存から脱却した、自律的な品質管理を可能にする「大量均一」製糸工程を構築し、この達成に基づく差別化戦略として商標を確立した。アメリカ市場の認知を受けた商標は横浜市場で高い評価を得たため、売込問屋はその製糸家に重点的に製糸金融を供与した。その過程こそ、自律的な生産過程の制度化、自己資本による蓄積軌道の形成、製糸金融によるその加速、に約言される製糸資本の勃興過程にほかならない。

 しかし、諏訪製糸は、1893年アメリカ恐慌を転換点として、アメリカ市場の経糸市場から急速に駆逐される。1890年代のアメリカ市場では絹織物の大衆化を反映した量産化のため、中下級織物用途の経糸には従来以上の「大量均一」性水準が要求され、共同再繰による過渡的な「大量均一」製糸技術水準の限界が露呈したのである。それに対応して、諏訪では工場設備の大規模化と経営一元化による、本格的な「大量均一」製糸への移行を企図した大規模製糸場が設立され、商標信認を完備する一方、1900年恐慌期を転換期として高蓄積軌道を確立した。1900年恐慌を画期として製糸資本は確立したのである。

 [3]製糸金融システム日本銀行の信用膨張によって製糸金融の拡大が図られると景気循環の波は増幅される。「原資金」供給が信用膨張によって拡大すると、それは製糸資本の蓄積を加速し、好況末期において、養蚕部門に対する器械製糸部門の「生産過剰」を激化させ、繭価騰貴を招き、それが糸価騰貴を招く。そしてアメリカ恐慌が勃発すると、横浜市場には、実現不可能な高糸価を目途とした膨大な生糸在荷が滞積することになる。好況時の日本銀行信用の膨張が、恐慌時の信用収縮をより大きく激発させることになるのである。それが放置されれば多くの製糸家が破産し、また「原資金」供給を行った銀行も破綻するであろう。他方、生糸需要は比較的短期の内に回復する。そこで日本銀行は、恐慌に際して、救済的な「荷為替立替金」供給を発動することになる。それは、自らも「原資金」回収に努めねばならない横浜正金銀行及び横浜市中銀行を通じた約束手形再割引という形で行われ、横浜金融市場の審査(スクリーニング)、具体的には横浜正金銀行及び市中銀行に連なる有力売込問屋の審査を通過した優良製糸家が、選択的に救済されることになる。このように、好況時の信用膨張の一方で、恐慌時の選択的な救済金融が発動されてこそ、日本銀行信用は製糸業の成長を加速することができる。したがって、製糸資本蓄積を加速する製糸金融システムには、「原資金」を起点とした〔原資金→原資金+荷為替立替金→生糸代金〕という還流の上に成り立つ、生産・流通過程包括的な産業金融システムであると同時に、好況期には信用膨張によって強蓄積を加速し、恐慌時には資本主義的合理性を貫徹しつつ、選択的救済金融という調節機能が作用する、言わば景気循環包括的な産業金融システムであることが求められる。そのような産業金融システムを、本稿では「包括製糸金融システム」と呼ぶが、それは、1887-1893年の形成期、1894-1900年の確立期、1901年以降の展開期、という段階的変化を含む拡大過程を辿った。

審査要旨

 日本経済の近代化において極めて重要な役割を果たした蚕糸業に関しては、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。これに対して本論文は、輸出向け普通糸生産を代表する諏訪製糸業に焦点をあて、フランスから転換したアメリカ市場の「大量・均一」要求に対応していった、その「勃興・確立」の過程を、極めて動態的に把握するとともに、その発展を加速した製糸金融システムの構築、他地域在来蚕糸業の原料繭供給地化過程をも深く追求することで、蚕糸業の再編の多面的解明にも成功している。

 その各論において、製糸結社からの大製糸家の独立過程とその意義、等級賃金制の確立、在来製糸家の原料繭供給者化、製糸金融システムの構築など、従来から注目されていた論点を、論理的かつ実証的に深め、また国際生糸市場と横浜生糸市場の関係を実証的に検討するなかで、銀価下落が輸出を増進したという通説を覆している。さらに新たな論点として、生産者側における製品の品質管理、原料・製品の輸送(保険を含む)基盤の整備などの問題の重要性を提起し、実証的解明を進めている。

 しかもこれらの分析は、内外の新聞雑誌の精読や、開明社・改良社(進良社)・合資岡谷製糸会社など、経営に関する多様な一次史料の活用によって精緻になされる一方、数量的資料の利用が可能な場合には、計量経済学の手法を駆使し数値によって自説の裏づけとすることにも成功している。

 他方、これらの解明は、多様の分野にわたっているとはいえ、それらを総合して全体像を描きだすという点では、なお十分ではないという問題がある。この点は今後の課題であるが、明治期の蚕糸業史研究の水準を疑いもなく一段引きあげたといえる上記の成果に照らして、本論文は博士(文学)の学位に十二分に相当する論文であると、本審査委員会は判断する。

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